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ヘグセス発言←→宮本益光「あしたのうた」[2025年03月31日(Mon)]

◆訪日したヘグセス米国防長官、30日の記者会見の冒頭発言で「西太平洋で有事に直面した場合、日本は前線に立つことになる」と述べた(毎日新聞、30日報道)。発言直前に記者たちを見回し、パフォーマンスの姿勢が見え見えだった。

聞き捨てならない発言だ。日米安保条約に基づく日米間の合意(あるいはそれは日本側の勝手な思い込みや希望的観測に過ぎなかったかもしれないのだが)をグシャリとひねり潰し、危機の尖端に日本を押しやるものだからだ。
外国人記者からは、米政府のこの発言に乗っかって、有事に対する日本の覚悟・備えを質す質問が出た。

会見冒頭の中谷防衛大臣の「(会見は)大成功だった」という発言に冷や水を浴びせるヘグセス発言、そしてそれに気脈を通じたかのような外国人記者のたたみかける質問。
中谷氏は抽象的なコメントで逃げるしかなかった。
ヘグセス発言は日本を前面に押し出し、アメリカは後ろに下がるつもりであることを示唆している。これにしっかりクギを刺す力量がなくてどうするのか。

例えば、「有事に至らぬための共同――これまでも、これからも。抑止力とはそういうことだ。」と言いきって不敵な笑みを浮かべる――それくらいの役者でなくては。

◆今回の会談で米側からの防衛費増額要求がなかったことに胸をなでおろすヨイショ報道が(新聞・TVとも)目立ったが、何の。その点については、先に渡米した石破首相がすでにトランプに約束したことゆえ、改めて持ち出すまでもなかった、というだけのことだ。

*******

◆あしたを思い描くのに武器は無用、むしろ障害だ。

解毒剤代わりに宮本益光『樹形図』から次の一篇を――


あしたのうた


地球(ほし)が飽きずに 廻(まわ)るのは
それは朝日を 浴びるため
大地の夜露
(なみだ) 乾かして
昨日を今日に 変えるため

地球が飽きずに 廻るのは
それは季節を 祝うため
明日が今日を 追い越して
新たな春に 戻るため

君が飽きずに 歌うのは
それは誰かを 守るため
飽きずに廻る 地球に立ち
あしたのうたを 残すため



『樹形図』(らんか社、2017年)より


宮本益光「うたうこと」[2025年03月30日(Sun)]

DSCN3160.JPG

境川べりのソメイヨシノは昨日の冷たい雨で足踏み。まだ三分咲きというところ。


*******


うたうこと  …平和へのソネット
                 宮本益光

いろいろな名前の海があるけれど
もとは一つの水だった
魚はそれを知っていて
だから自由に泳ぐのさ

いろいろな名前の国があるけれど
もとは一つの土だった
鳥はそれを知っていて
だから自由に渡るのさ

せめて僕らは
この空気
自由に吸おうか

誰かが小さな嘘ついた
誰かが鼻歌うたってた
僕らと同じ空気を吸って



『樹形図』(らんか社、2017年)より


◆オペラ歌手・宮本益光の詩集だ。

◆最終連、同じ空気を吸うのが「小さな嘘」どころか、息するたびに大嘘をつく輩であったとしても、あるいは、鼻歌うたう新婚さんなどでなく、口角泡飛ばして人を打ち負かさずにいられない口舌の徒だとしても、
それでもなお同じ空気を吸うことを彼らにも自分にも許していかなければ。

息する自由を禁じる権利は、誰にもないのだから。




ムスカリ[2025年03月29日(Sat)]

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ムスカリ。足元にも春は来ていた。

円覚寺の花たち(その4)[2025年03月28日(Fri)]

◆円覚寺・仏日庵(ぶつにちあん)には他にも色とりどりに咲いていた。

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クリスマスローズ。以前見たのは白い花だったように思うが、このような薄紫のものもあるのだった。

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ジンチョウゲ(沈丁花)。
春の訪れを告げる花のひとつ。


※仏日庵には大仏次郎夫人が寄贈したという枝垂れ桜もあったが、さすがに蕾は未だ固かった。




円覚寺の花たち(その3)[2025年03月27日(Thu)]

◆先週の円覚寺で見かけた花たちをもう少し……

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アセビ(馬酔木)たち。
白い花たちが桜や桃の先触れのように咲いているのが好ましい。

***

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バイモユリ(貝母百合)という花らしい。
仏日庵で初めて会った。

バイモという名は鱗茎が貝の形をしているからといい、粉末の生薬として去痰、鎮痛などの薬効がある由。
別名アミガサユリともいうのは、下の写真で分かるように、花びらの内側に網目模様があるから。

不思議な花だ。

DSCN3093.JPG



マンスールさんの家族の安否(修正情報)[2025年03月26日(Wed)]

◆24日に死亡したガザの朝日新聞通信員、ムハンマド・マンスールさん(享年29)の妻子について、朝日の25日夕刊は、妻子が病院で治療を受けているとの情報があると伝えている。

爆撃の混乱の中、情報の確認自体が困難を極めていることは想像されるが、希望の光を見失うことがないよう祈るばかりだ。




ガザ マンスール通信員の死[2025年03月25日(Tue)]

◆ガザの今を伝えて来たムハンマド・マンスールさんが殺された。
今朝の朝日新聞朝刊で彼の記事を読み、彼が撮影した写真――闇に沈んでいたハンユニスの街が、爆撃の光を受けて黒々と浮かぶ写真を見たばかりだった。

テントで寝ていた家族が、爆撃のまぶしい光に照らされ、恐怖にゆがんだ顔を見せたことを、記事は伝えていた。

【朝日、3/25朝刊記事】
〈停戦が終わった 信じたくなかった〉
https://www.asahi.com/articles/AST3S2VS0T3SUHBI001M.html

◆死亡の報を目にしたのは、昼のWeb記事。

【ガザ在住のマンスール朝日新聞通信員死亡 イスラエルがミサイル攻撃】
https://www.asahi.com/articles/AST3S4S0NT3SUTIL03YM.html


◆夕刊の【素粒子】欄によれば、「生まれたばかりの息子と、妻とともに」殺されたのだという。
何という非道!


【素粒子】は、続けてマンスールさんが侵攻1年の頃に取材して伝えてくれた14歳の少年の言葉を紹介している――
「世界は僕たちが死ぬのを見ていただけ」

*******

★マンスールさんのこれまでのレポート
https://www.asahi.com/special/one-year-war-on-gaza/?iref=pc_leadlink



円覚寺の花たち(その2 白木蓮)[2025年03月24日(Mon)]

◆円覚寺を訪ねてみようと思ったきっかけは、知友からのSNS。
作家・魯迅ゆかりの白木蓮があり、間もなく花ざかりを迎えそうだと教わった。
同寺の塔頭・仏日庵(ぶつにちあん)は円覚寺の開基・北条時宗の廟所である。

以前ここを訪ねたのは新年早々(三が日だけ公開される舎利殿を見に)と夏だったか。植わっている樹については記憶がない。

訪ねてみると、相応の樹高だ。左手の本堂の屋根をはるかに越えている。

DSCN3072.JPG


DSCN3083.JPG

木蓮の花は青い空をバックにしてこそ美しい。


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昭和8(1933)年に魯迅(1881−1936)から寄贈された由。魯迅晩年の上海時代ということになる。

上方の枝に花が見当たらないのが気になる。

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左にある泰山木もやはり魯迅寄贈のもの。
梅雨の時期には豊かな花を咲かせることだろう。泰山木も白い花だ。


***

◆円覚寺を訪ねたのは22日。その翌日のTBS日曜劇場『御上先生』の最終回、常盤貴子が白く咲きそろった花を見上げる印象的なシーンがあった。
枝ぶりから白木蓮と見えた。

人の命を奪った罪を償う道を歩み始めた娘、その我が子とともに生きていくことを誓った母にとって、最もふさわしい花だと思われた。


円覚寺の花たち[2025年03月23日(Sun)]

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サンシュユ(山茱萸)。中国や朝鮮から伝わったものらしい。葉より先に黄色い粒々のような花が春早い時期に咲くらしい。(鎌倉・円覚寺入口にて)


***

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円覚寺・法堂跡の白い椿。


中村稔(散歩の途上……)[2025年03月22日(Sat)]

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水温み、ゆうゆうと遊ぶ鯉(境川に宇田川が注ぐあたり)。

*******



(散歩の途上……)   中村稔


散歩の途上、気づくと日没に近く
周りが刻一刻と暗く寂しくなり、
途方にくれるときがある。風が木々を揺らし
私も風になぶられて、言うべき言葉を失う。

言葉を失うのは私が一人でいるときだけではない。
相手があっても、相手が悲しみに沈んでいるとき、
慰めることさえはばかられると感じられるとき、
私たちは口を噤んで相手と悲しみを共にするようにつとめる。

散歩の途上、私が言葉を失うのは、
私の孤立感のためだし、相手の悲しみに口を噤むのは
相手の孤立感を相手と共有するためなのだ。

言葉は私たちが社会的な場にいるときしか機能しない。
私たちが社会から見捨てられ、孤立していると感じるとき、
言葉は私たちをつつむ闇の隅にひっそりと身を潜めている。


 『むすび・言葉について 30章』(青土社、2019年)より〈4〉


◆言葉について14行詩に綴った30篇を収めた詩集。

◆言うべき言葉を失い、相手の悲しみに口を噤む、だがそのときでさえ言葉は消えてしまったのではない。「私たちをつつむ闇の隅にひっそりと身を潜めている」のだという。

停戦合意が崩壊したいまもまた。




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