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橋本俊幸「擬態」[2025年01月31日(Fri)]


擬態  橋本俊幸


葉に扮し
葉にしがみつき
葉に紛れて 生きてきた

身を守り
だれにも知られず
逝くことに
心は平穏だろう

でも
ほんとうは
欺いていたんじゃなくて
なれないとわかっていて
本当に
葉に なりたかった

葉になりたくて 生きてきた

恐れる心を解き放ち
風と対話するものに――

木の葉虫は
だれにも知られず
思いを抱いたまま

落ち葉になった


橋本俊幸詩集『青空に星は見えない』(土曜美術社出版販売、2024年)より

◆木のようでありたいと言うのは普通の願望だろうが、ここでは、葉になりたいという願いを抱きながら、葉に紛れて生きてきた木の葉虫の物語。

なぜ「葉」になりたかったのかを語る二行が美しい。
葉は
〈恐れる心を解き放ち
 風と対話するもの〉
であるのだという。

そのように木の葉虫もありたい、生涯を賭けてまで。
――それは幸せな生き方と言うべきではないか。




小池昌代「地上を渡る声」34[2025年01月30日(Thu)]

◆小池昌代の詩集『地上を渡る声』の結びに置かれた第34篇を――


「地上を渡る声」より   小池昌代

34

火にあたっていってください――
やわらかい声がしてその方を見れば、ゆらめく炎のむこうに、ゆらめきながら、木の幹に腰掛けた、初老の男がいる。
近づいていく。火のほうへ。
そのとき「火」というひとつの物質が、「暖」という抽象にその名を変えた。

男はあくまでやさしい表情をして、焚き火の火を見守っている。なぜかそのひとの背景というものが、わたしにはまったく見えなかった。つまり、そのひとに、妻がいるのか、子がいるものか、そうした一切がまったく見えなかった。
父と母とは確かにいただろう。だが、もう彼らはこの世にはいないだろう。
それくらいがわたしにできる想像の領域で、彼はただ、身の回りのいっさいから、彼以外の存在を、炭のように消している。ただ、火を守るひととしての、澄み切った気配だけがそこにあった。

火というものは見飽きない。じっと見ていると、しかし顔が、顔いちめんが、ちりちりと熱くなってきた。同じようにあたっていたひとのひとりが、やがてくるりと火に背を向けたので、わたしもそれにならってみる。すると顔は冷えたままで、背中や尻、下半身が、ぽっぽとあたたまる。これはいい。もしかしたら、このかたちが焚き火の正当なあたりかたかもしれない。そういえば、と思い出したのは、火を背に、背後で手を組みながら、長く話に興じていた男たちの円陣だ。どこで見たものか。

見あげると、曇天のなかを、雲がもっさりと移動していく。ああ、雲がうごいた、と思ったとき、隣のひとが、さっとその場を離れた。するとすぐそこへ、別のひとが入りこんで、火を囲むひとの輪は欠けることがない。
貴船神社。新年一日。お参りを済ませたひとが、長い石段を降りてくる途中に、この焚き火を囲む場が、あるのであった。

あんなタイミングで、わたしもまた、火の輪を離れていかねばならない。この暖を次のひとに譲らねばならない。風がうごいた。そのときに、わたしはさっと輪を抜ける。歩き出したそのときにもまだ、尻のあたりに熱さが残っていた。あたっていってください、というやわらかい声も、首のあたり、耳のうしろに、ぬくもってまるまって、残っている。ああ火とは、おくりものであった。わたしは炭のような地味なものになって、心になんのよどみも持たず、ひたすら澄みきって石段を降りていく。何が焼かれたのか。心の晴黒をじりじりと焦がされて、炭になったあと、灰になったあと、吹き飛ばされて、わたしはいなくなる。階段を下りていく、この身体は誰のもの。

火にあたっていってください、どうぞ火に――


   詩集『地上を渡る声』(書肆山田、2006年)より


◆各地に貴船神社はあるが、ここはやはり総本宮たる京都の貴船神社であろう。

詩集の題名にある〈地上を渡る声〉は、ここでは「火にあたっていってください」と参拝を済ませて石段を降りてくるひとたちに声をかける初老の男の声だ。

火を守るひとのやわらかい声は、ただ澄み切った気配となって、人々を焚き火へと招じ入れる。

この「おくりもの」は、わたしから次のひとに順おくりに譲る「おくりもの」である。
誰かが独り占めしたり、ため込んだりしてとどめ置くものではない。

「ああ火とは、おくりものであった」という感慨の深さに打たれる。
恵与された「おくりもの」を次の人に譲っても、それは決して減らないどころか、増えるばかりではないか。
そのようにして自分の身体そのものが実は自分だけのものでなかったと感じるとき、身も心も軽くなる――どころか、重さそのものが消えて自由になる。



小池昌代「地上を渡る声」18[2025年01月29日(Wed)]

小池昌代「地上を渡る声 18」は恐ろしい詩だ。


「地上を渡る声」より  小池昌代

18


乳母車を押していると
上空に はげたかが飛び回っているのが見えました。
ええ、この子供は、さきほどまで、鼻から血を流していたものですから
その匂いをかぎつけてきたのかもしれない。
わたしは 空をにらみながら いっしんに乳母車を押していきます。
きのう激しい雨が降ったので 水溜りがあちこちにできています。
その表面が かすかにゆれて わたしの不安をかきたてています。
子供はさきほどから眠っています。
もう永遠に 目を覚まさないのではないかと思うほど
青ざめたほほと白い耳たぶ
血の気のないくちびるに 目の下はくろずんで
古くなったラズベリーのジャムの色のようです。
乳母車が奇妙に重いのは
きゅうな坂道にさしかかったからでしょうか。
それとも――
わたしがいま 運んでいるのは
まだ二歳にも満たない新しいいのちなのに
わたしは不意に なにか別のものを運んでいることに気づいてしまう。
電信柱の影が伸びて 線路の小石に陽が差したりひいたり。
踏み切りの警報が遠くで鳴っています。
乳母車の椅子をくぼませているのは
重くてまるい、果実のような甘い肉のかたまり
そのなかに、固くうめこまれてある ちいさな死の実
近づいて かいでごらんなさい。
すでに腐ったような匂いをたてています。
あの 上空を飛び回っている黒い大きな鳥は この胸の実をついばみに来たに違いありません。
わたしは表情をおとしながら、ゆっくり乳母車を押していきます。
乳母車を押しているとなぜでしょう、いつも少しずつ ヒトでないものになっていく。
硬く腫れたような子の身体から できたてのパンのような匂いがしています。
さきほどは、腐乱した匂いが立っていたのに いったい どちらが本当なのか。
どちらもこの子の匂いに違いない。きっと死は
あるときは腐臭として あるときは甘く わたしたちをまどわして匂うのだから。
やがて子供は目をぱっちりと開けて 何もかも知っているかのように わたしを見つめるでしょう。
自分のなかで 何が育ち 何がにおい立ったのか
わたしたちが いったい どこへ向かっているのか
彼は知っていて けれど いつだって何も言いません。
ただ、不思議な目をして この世を眺めなおすだけ。
子は目覚めるたびに世界を組みかえ
世界も そのたびに新しくたちあがってみせます。
紙おむつを買うのを忘れていました。
紙おむつはいつもすぐになくなってしまいます。
さあ、駅前のセイジョー薬局へまいりましょうか。
そのとき 後ろから 小走りにやってきて
わたしの肩をたたく者がいる。
乳母車のなかをさっとのぞきこんだあと
ぞっとするほどに 甲高い声で言う。
「死んでいますよ」


 詩集『地上を渡る声』(書肆山田、2006年)より

◆死児のイメージは中原中也の詩に通う。「電信柱」や「乳母車」といったことばは宮澤賢治や三好達治を思い出させずにはいない。
二歳に満たない子供なのに、何もかも知っているようなのは、漱石の『夢十夜』の第三夜、背中に負ぶっている子供を連想させる。あれは六つの子だったか。
最後にゾーッとさせるのも同じだ。シューベルトの「魔王」の結末のような。

◆子が目覚めるたびに、世界は(子の力で)組みかえられ、世界の方も新しくたちあがって「見せる」のだよいう。
だが、それは、そのように装われているだけで、ほんとうは何も変わっていないのかもしれない。

そのような計らいがなされているのだとしたら、それは誰のために?
「わたし」が希望を失わぬため、乳母車を押す歩みを止めないため?
中の子供が永遠の眠りについているのなら、その乳母車を押し続ける「わたし」は、生きていると言えるのか?そうしてそれは「わたし」独りだけのことなのか?

――詩の中に「わたしたち」とあるのは〈子供とわたし〉のことだと読める。だが、そうした〈死児とその母〉たちが、そこにもここにも、無数に群れをなしていて、どこに向かうとも分からぬまま歩いているのではないか?
はげたかの舞う空をにらみ、紙おむつのことを気にかけながら。



小池昌代「地上を渡る声」15[2025年01月28日(Tue)]

◆ガザの海べりの道を、北部へと歩いて帰還する、幾万ともしれぬ人々の群れ。
不思議な力に圧倒される。
疲れ果てているはずなのに、表情は明るい。
どれだけの道を歩き続けるのか分からないのに、歩いてきた分を、また戻るだけさ、とでも言うような足取り。
ミサイルや銃弾で一掃することなど出来なかったことを最も雄弁に示す姿だと思える。

********


「地上を渡る声」より  小池昌代

15


古い教会がたて壊された。跡地は駐車場になるらしい。
坂道の途中、土が掘り起こされ、
思いがけない一角に、広大な更地が出現した。
午後五時の鐘がなって、あたりが薄暗くなるころ。
作業員たちはすべてひきあげて、あとには怪獣の遺骨のようなブルドーザーが残っている。
そして、夕陽
あと数分もすれば、夜の闇にすっかり覆われる町。
ひび割れたじかんに、更地の向こうの保育園の三階で、迎えを待つ子供たちが遊んでいる。さらに、そのむこうには、点々とビルの群れ。
教会の陰に隠されていた光景が、そうしていま、むきだしになっていた。
わたしはきゅうに寒くなり、わたしはきゅうに懐かしくなり、そのとき確かに、ひとを憎んでいたこころを忘れ、しかし誰かを愛しているという自覚もなく、なにかひどく透明なものになっていた。
更地のすみずみを、夕陽が照らす。まるでその土地の続きとでもいうように、わたしのなかにまでブルドーザーの濃い影が伸びてくる。
横切ったとき、どんな力によってさらされたのか。
ひびわれた声がわたしを均す。
くつがえされよ、そしてひろがれ、
あのとき一瞬にして わたしも更地
口の端から、ぼろぼろと、黒土をこぼして歩く。


   詩集『地上を渡る声』(書肆山田、2006年)より


◆この詩自体は、町の一角に出現た更地がもたらした。懐かしいがどこか真空をはらんでいるような光景をモチーフにしている。
そうしてその時聞こえた「声」によって「わたし」自身が解体される

◆最後の三行が、なぜか今日見たガザ北部に帰還する人々にふさわしいように思えてならない。

くつがえされよ、そしてひろがれ、
あのとき一瞬にして わたしも更地
口の端から、ぼろぼろと、黒土をこぼして歩く。


――その黒土からは、やがて次々とみどりの芽が姿を現すのだ。





小池昌代「地上を渡る声」より[2025年01月27日(Mon)]


「地上を渡る声」より  小池昌代

  3


数えるな
しゃがれた声は再び言った
日々を数えるな
生きた日を数えるな
ただ そこに在れ
そこにあふれよ



詩集『地上を渡る声』(書肆山田、2006年)より


◆今日2025年1月27日はアウシュヴィッツ解放80年だという。
絶滅収容所として5年あまりのうちにここで亡くなった人々は100万人近く。解放時に生き残っていたのはわずか数千人を数えるのみであった。
だが、そのように亡くなった人たちを数の中に押し込めることは、一人ひとりの、顔をのっぺらぼうにして片付けることに等しい。

同様に、生きた日々を数えることは、もだえ、怒り、祈った日々を、のっぺらぼうの時間として灰色のコンクリートの下に封じ込めることに等しい。

◆わずかな地の裂け目より萌え出で、地上にあふれようとするものを敬い、おそれよ。
生まれてくる者たちで、亡き人々の面影を宿し、その声音で語らぬ者は一人としていないのだから。


***

※過去の記事で同詩集からは11を取り上げた事があった。
2020年1月5日記事【足裏の土の記憶】
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1456



トランプ、ガザからパレスチナ人一掃を画策[2025年01月26日(Sun)]

トランプ米大統領の滅茶苦茶が止まらない。
26日にはヨルダンのアブドラ国王にガザの避難民受け入れの大幅増を要請したそうだ。
エジプトのシシ大統領にも同じ要請をしたという。パレスチナの人々をガザから一掃するつもりのようだ。
跡地の再開発を目論んでいるのだという観測もある。当事者の存在を無視して、である。
何の権利が彼にあるというのか。ネタニヤフ・イスラエル同様に人間を人間とみなしていないからこそ出てくる暴論である。そもそも、1万人以上と言われる、瓦礫に埋められたままの人々をどうしようと考えているのか。


◆大統領就任式後の1月21日にワシントン国民大聖堂で行われ、トランプ氏も出席した「国民のための祈りの礼拝」に対するコメントも同じだ。同教区主教のマリアン・エドガー・バッディ氏が新大統領に「慈愛の心」を求めた説教に対して非礼な批判を平然と発した。
女性であるマリアン・バッデイ主教に向けられた反発と非難――典型的なミソジニー(女性差別主義者)の毒をまき散らす独裁者、それがトランプだ。


★【テレビ朝日News 2025/1/26記事】《トランプ大統領 ヨルダン国王にガザ地区からの避難民受け入れ要請》

https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000400377.html

★【キリスト新聞社HP 1/24記事】
《トランプ米大統領に「慈愛の心」求めた米国聖公会ワシントン教区主教 謝罪要求にも怯まず》 
https://www.kirishin.com/2025/01/24/71295/

※キリスト新聞社の記事によれば、上の礼拝においてマリアン・バッデイ主教は、マタイによる福音書7章24〜29節を朗読されたという。
『そこで、私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川が溢れ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。私のこれらの言葉を聞いても行わない者は皆、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川が溢れ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れて、その倒れ方がひどかった』イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者のようにお教えになったからである」(聖書協会共同訳)

むろん、バッディ司教は、性差や民族、信じる宗教や価値観の違いを超えて、ともに手を携え共通の土台を堅固に築くことの大切さを説いたのである。



フロスト「火と水」[2025年01月25日(Sat)]

西脇順三郎編の『英米詩集』(白凰社、新装版、1989年)からもう一篇――

火と水  フロスト

ある人々は世界の終りは火になるだろうと言う、
ある人々は氷になるだろうと言う。
自分が欲望を味わい知ったところから判断して
わたしは火になると言う人々と同意する。
だが、もし世界の滅亡が二度あるものならば、
わたしは憎悪も十分に知っていると思うから
壊滅のためには
氷もまた偉大で
それもよいだろうと言いたい。

        Fire and Ice

安藤一郎訳)

◆サンフランシスコに生まれたフロスト(Robert Frost 1874−1963)がアメリカにおいて詩人として知られるのは、一家を挙げて渡英し彼の地の詩人たちとの交友とバックアップを得て詩人としての地歩を固めアメリカに帰国した1915年以後のことらしい。この詩にはヨーロッパを主戦場とした第一次世界大戦が影を落としているだろう。

◆この詩において火は欲望の、氷は憎悪の比喩。これらが戦争を引き起こし、継続させ、破滅を導く根源であることは人の歴史の常であるにしても、全人類が滅亡の淵に立っていることはかつてなかった事態に違いない。

陽の当たらぬ宇宙空間の温度が零下270度(!)だということに徴すれば、完全に氷に覆われ尽くした地球の壊滅した姿が詩的修辞などではないことは明らかだ。


フロストは、ケネディ大統領の就任式で自作の詩「選ばなかった道(The road not taken)」を朗読したという。1961年1月20日のことである。

4年前のバイデン氏の大統領就任式もアマンダ・ゴーマン氏が自作詩「The Hill We Climb」(私たちが登る丘)を朗読した由。今回はそのような気の利いた場面はなかった。
代わりにトランプが世界に拡散させたのは、「deal」という、欲望を象徴する単語だ。とするなら、その結末はやはり憎悪の「氷」ということか。――フロストの詩の最終行「それもよいだろう」とはむろん、詩人の痛烈な皮肉だ。


「選ばなかった道」は以前取り上げたことがあった。下記参照。
【2019年10月29日記事:フロスト「選ばなかった道」】
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1389





 
安部公房「リンゴの実」[2025年01月24日(Fri)]


リンゴの実   安部公房
   ――真知の為に――

そのリンゴの実の中で
君も亦或る生命を結んだのかもしれぬ
未だ蒼ざめてゐる片頰に
幾度かよぎる影を重ねて
或る悦びを熟させたのかもしれぬ
僕はそつと両手に受けた
永い間うつろな儘に
慄きながら予感を支へてゐた
あの両手の窪みの中に
僕は激しい充実を受け止めた

さながら星の運命の様に
君のリンゴも名前を忘れただらう
完結したものは名前を持たない
再び現実に復帰した
夢想の上を行く蒼い透明だ
僕も亦その途を行けるだらうか
球体への涯しない内部の途を
窮め得ぬその面
(も)の影にさながら
路標
(しるべ)なき存在を泣かぬだらうか
君が差出した一つの結実を
今僕は唯明るい夢の様に怖れる
涙も亦一つの球体ではなかつたか

       ――『無名詩集』から


◆先日の『安部公房展』の図録をようやく読むことが出来た(神奈川近代文学館編『安部公房 21世紀文学の基軸』平凡社、2024年10月)。

展覧会を観たおりの記事でも触れたように、若き日の安部公房はリルケに傾倒し、23歳のときに自費出版『無名詩集』によって詩人として文学的出発を切った。その1947年は女子美術専門学校(現女子美術大学)を出たばかりの山田真知子と知り合った年であり、この詩は彼女に捧げられた一篇である。

◆安部公房の著作の多くに挿画・装丁の筆を揮い、安部が演劇にのめり込んでからは舞台美術にもその才を惜しみなく注入した真知夫人は、正しく彼にとってのミューズであったろう。

初々しい賛美と渇仰の詩だが、若々しい生の充溢をもって目を瞠る詩人の前にいるのは、美へのインスピレーションをかき立てるだけでなく、彼女自身が美を創造する主体なのであった。

「完結したものは名前を持たない」という一行が印象的だ。認識という営みは対象に名づけることで一つの里程標とすることだろうが、美そのものが促すものはそれではない。それに加えてここで彼女は単に見つめる対象ではなく、見る者に果敢に働きかけ浸潤し変容を促してやまない存在である。――路標(しるべ)なき存在とは、「完結したものは名前を持たない」の別様の表現であるだろう。

***
(関連記事)
「安部公房展」(2024年12月10日の記事)
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/3253




 
C.D.ルーイス「暗い出発」[2025年01月23日(Thu)]


暗い出発  セシル・デイ・ルーイス


冬の暗い朝まだきに、ある場所を離れるほど
人間は死すべきものだ、ということを
はげしく人に想い出させるものはない、
顔にあたる空気は、湿
(しめ)っぽい金属のように冷酷だ。
子供たちや友人に言うさよならも
重罪人のこごえたあいさつとなり、
(あたたか)かった愛、出逢(であ)いの場所だった愛も――
自殺者の墓となって、いらくさに蔽われている。

氷河時代がさしせまったかのように、憂鬱に、こごえて、
散歩をしたりピクニックをした
いとしい世界が横になっている。
(ちぢ)む道の行きづまりでねじまげられた感覚は
執念深い猟師が忍び寄っているかどうか気にしない、
そして記憶は、こわれた洞穴
(ほらあな)のなかの
マンモスのように眠っている。世界は荒涼と死に絶え、
慰めの言葉も、予言の言葉もない。

過ぎ越しの祭
(まつり)のような時には、いつでも何事かがある、
(め)もくらんだ心臓が故(ゆえ)もなく鼓動する、
(いえ)から離れるのか牢獄から離れるのか、
知り合いからか恋人からか、もわからずに――
時間表に間違ったところがある、奪いあった食事には
本当らしくないところがある、
そして心臓が先へ進んでしまったように、あるいは
いつまでもそこにとどまるように、
荷づくりされた袋がドアのそばに。

疑いもなく、イスラエル人にとって、あの朝まだきには
家庭が牢獄か、牢獄が家庭かを
言うことは自信がなかったろう。
出て行く欲望は戻ってくる欲望と出逢う。
この国、誇りを粉々にしたこの国は
古代の不幸の行為によって、いま
彼ら自身のものとなった。かなたには確かなものはない。
彼らの束
(つか)の間(ま)の憧(あこが)れをしずめる自由の沙漠のほかには。

この盲目
(もうもく)の時刻に、
心臓は自然の裁定を知らされる、
ねじれた茨
(いばら)と強い開拓者となれるところはない、
しかも人はもっとも安楽な時に不満の種子
(たね)を育てる、と。
人々に対するすべてのさよならのうちには
一種の解放、一種の苦痛がある――
暗い、最後の出発にさえ、それはあるだろう。

       Departure in the Dark

         (中桐雅夫訳)
  
   西脇順三郎『英米詩集』(白凰社、新装版、1989年)より


◆アンソロジー『英米詩集』においてW.H.オーデン(1907-1973)の「漂泊者」に続けて、C.D.ルーイス(1904-1972)「暗い出発」を収めたのは、彼らの青春を世界史の上に位置づけ、第二次大戦後の向かう先を探照灯で浮かび上がらせようとする編者の意図があっただろう。

デイ=ルーイスはオーデンの友人であり、ともに二つの大戦の谷間の1930年代に、反ファシズムの運動に挺身した詩人である。「ニコラス・ブレイク」の筆名で多くの推理小説をも著した。

◆1930年代が大戦間の暗い谷間であったとするなら、それから一世紀近くを経た2025年の今はどのような時代として記憶されるのだろう。
1930年代に続く十数年に壊滅的な破局を迎えたことは誰しも知っている、と思っているのは今や少数派であるのかも知れない。
多数派を占めることと正義のありかは一致しない。そのことを身をもって知った人間たちが憲法に三権分立の仕組みや権力者の義務を銘記したはずが、ことごとく黙殺される。
その道筋がかつてと酷似している以上、その結果するものも同様になるはず。ただ、利用可能な武器は比較にならないほど強力で容赦ない殲滅を地上に刻みつけるだろう。
地球温暖化のもとで迎える廃墟、人間の生存が不可能、という意味での「氷河期」の現出。

◆詩人は「人はもっとも安楽な時に不満の種子を育てる」と書いたが、それは半分だけの真実だ。
「人は最も困難な時にも不満の種子を育てて安楽の実現を夢みる」と付け加えねばならない。
破局に向かわぬためには「湿っぽい金属のように冷酷」な風が顔に当たる感覚を鈍らせぬよう、「冬の暗い朝まだき」に、眼を開いて全方位を(前と後ろ+右と左+上と下とを)見据えていなければならない。
そんなことができるか、という反論には、「できるさ、もう一人居れば」とだけ返しておこう。

   

オーデン「漂泊者」より[2025年01月22日(Wed)]


「漂泊者」より   W.H.オーデン


彼を敵の捕虜にするな、
片隅から飛び出す虎の餌食
(えじき)にするな。
彼の家を護れ、
指折り数えて待つ、彼の心痛
(しんつう)の家を護れ。
ぼんやりした数をはっきりした数に変え
喜びを、彼の帰ってくる日をもたらせ、
幸福なれ、近づく日、身をすり寄せる暁
(あかつき)には。
                The Wanderer

中桐雅夫訳)
  西脇順三郎『英米詩集』(白凰社、新装版、1989年)より

   
◆三つの連からなる詩の最終連。

戦火によって家を追われた人たちと、自らを「漂泊者」として思い定めた人間とを同列に扱うつもりはない。
ただ、人は、誕生の時と同じように、命終の時においても独り寄る辺ないままでいてはならない、と思う。

◆「何年もかけてこの手で建てた家なのに……」――瓦礫と化したわが家に戻った一人のパレスチナ人。せめてもの救いは、ともに帰った息子の存在だ。




  
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