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谷川俊太郎「忘れること」[2024年11月20日(Wed)]

谷川俊太郎の詩集『夜のミッキーマウス』に貼っておいた付箋の一つに〈秋に.〉と書き込んだものがあった。いつか、その詩にふさわしい秋の夜長に読み返そうと思ったに違いない。

それを果たさぬうちに、冬のある日、詩人は逝った。


忘れること   谷川俊太郎


どうしても忘れてしまう
いま目の前にある楓の葉の挑むような赤
それをみつめているきみの
ここにはない何かを探しているような表情
きみもまたきっと忘れているのだ
結局は細部でしかないこの世の一刻一刻を
そして憶えていることと言えばただひとつ
自分が生まれていつかは死ぬという事実
それが幼い子どもが初めて描いたクレヨンの一本の線のように
ゆがんで曲がってかすれて途切れ……

だがどうして忘れてしまってはいけないのか
倦きることと忘れることのあのあえかな快楽が
朝の光をこんなにもいきいきとさせているのではないか

どうしても忘れてしまう
記憶だけが人間をつくっているのだということさえ
だからきっと人間は本当は歴史のうちに生きてはいないのだ
限りない流血も人を賢くしない
そして忘れ去ったものがゴミのように澱んでいる場所でしか
きみもぼくも話し始めることが出来ない



詩集『夜のミッキーマウス』
(新潮社、2003年)より


◆詩人の名を知ったのは、たしか『鉄腕アトム』の主題歌が入ったソノ・シートでだった。
月刊漫画誌『少年』の付録、赤い円盤から音が聞こえた驚き。
(レコード・プレーヤーは未だ我が家に無く、ソノ・シートはには円盤状の厚紙が付いていた。
その上を指で回し、針が震わせるアルミホイルから音楽は聞こえるのだった。指先で回すことによる回転ムラも一緒に刻み込む――確かに「記憶だけが人間をつくっている」と60年余を経て納得する。だから「死」は「記憶」なのだろう。つまり、記憶されないものは、死ぬことすら出来ない。)



黒田三郎「時代の囚人 V」[2024年11月19日(Tue)]

◆谷川俊太郎さん逝去。享年92。

だが、今は前二回に続き、黒田三郎の「時代の囚人」そのVを読んで置く。
先の敗戦時において黒田は26歳、谷川は13歳。友や身近な者を喪失した体験の違いは詩に現れずにいない。


時代の囚人  黒田三郎

V

奪われるものは奪われ
奪いかえされるものは奪いかえされる
野を埋める死屍と
死屍のかげに咲く野の花と

今はあなたの胸にあふれる喜びと
掌にきらめく自由
奪われぬ何があなたの胸にあり
奪われぬ何があなたの掌にあったのか
奪いかえされぬ何が

ああ 失われた日に
鉄格子のなかで
あなたはあなたに何を語ったか
停車場の群衆のなかで
あなたはあなたに何を語ったか
そしていまは
与えられた喜びと
自由のなかで
あなたはあなたに何を語るのか


現代詩文庫『黒田三郎詩集』(思潮社、1968年)より

◆「奪われ」、「奪いかえされ」がそれぞれ同語反復されるのは、そのどちらもが、全き運命であるかのように、そしてなおかつ全くの偶然によって起きるとしか思えない体験を経たからだろう。

生きのびたこと自体が運命と偶然の間を、いつちぎれるか分からないロープに宙づりにされたまま、右に振れ左に揺れた結果に過ぎない。

◆「停車場」は、出征の時だろうか、それとも生きて復員できた時だろうか。
群衆のなかに生きた「あなた」を見出した家族は幸いなるかな。
だが目当ての「あなた」を見つけることの叶わなかった妻や老親も群衆の中にいる。彼らの視線が注がれた「あなた」の後ろには別の「あなた」が、「奪われるべき」かつ「奪いかえされるべき者」としてピタリと貼り付いているのだ。


黒田三郎「時代の囚人 U」[2024年11月18日(Mon)]


時代の囚人 黒田三郎

U
 
 
たったひとつのビイ玉でさえも
それが失われたとき
胸には大きな穴があいている
ああ
忘れた頃になって
ビイ玉は出てくる
ほこりのたまった戸棚の裏から
出てくるものは
それは
ひとつのビイ玉にすぎぬ
涙ぐんで
ときには涙ぐみもしないで
胸にあいた大きな穴をふさぐには
あまりにもありふれた
あまりにも変わりのない
ひとつのビイ玉を
掌にのせて
青く暮れてゆく並木の下で
どぶ臭い敷石の上で
ぼんやり立っていたことが
あったかなかったか



現代詩文庫『黒田三郎詩集』(思潮社、1968年)より


◆兵庫県知事選の結果が出てからTVが取り上げ始めた百条委員会のメンバーの辞任、N党党首による同委員会の委員長自宅前での「演説」を騙った威嚇や脅迫(委員長の記者会見で明らかになった)、未だあった――対立候補に関するデマの拡散。
それらが選挙期間中に行われたために、報道は「中立公平」であるべし、という縛りによって取り上げることができなかった、というメディア側の事後の言い訳。

起きていることの意味が分からないという弁解がどうして通用するのか。
ならば、この先だって意味が分からぬまま、「画になる」横紙破りの言説を垂れ流し続けるだろう。それはポピュリズムへの加担にほかならない。

◆アメリカであれ、ロシアであれ、イスラエルであれ、同じ事だ。強権を振るう者のどんなに非道な発言も、それを繰り返して拡散する協力者が居れば、力づくで制圧しなくとも正義は死に、民主主義者は「胸にあいた大きな穴」を抱えて死者同然になる。
その穴をビイ玉でふさいだところで、スースー息が抜けてゆくだけの肺腑から、意味のある言葉が発せられることはない。

もはや「新しい戦前」ではなく、再び・三度(たび)の「戦時下」、と言う方がふさわしい。





黒田三郎「時代の囚人」T[2024年11月17日(Sun)]

DSCN2455メドーセージ(サルビア・ガラニチカ).JPG

メドーセージ(サルビア・ガラニチカ)。
ずいぶん長いこと咲いている。
鮮やかな青が、空模様と関係なしに目に付く。

*******


時代の囚人   黒田三郎

T

言論の自由と
行為の自由とを
奪われた囚人は何を持っているか
わずかにとひとは言う
窓に切り取られた天の一角と
回想と
夢みることと

そこで何が起こったか誰が知ろう
刑務所の門で
見覚えのある帽子や着物とともに
彼等の久しく奪われたものを
取りかえす
有頂天
ああ 有頂天のなかに
回想を通じて夢みられた未来への解放
彼等の忘れて行ったものに誰が気がつくか

そして幻滅



現代詩文庫『黒田三郎詩集』(思潮社、1968年)より

◆TV画面に映し出された、体の震えが止まらない子どもの姿に言葉を失う者でさえ、我が身が震えるまでには至らぬだろう。
同じ空気を吸っているわけではないゆえに。

◆同じように、牢獄の中に囚われた人がわずかに持つ「窓に切り取られた天の一角と/回想と夢みることと」を、詩の中に読んだ者が真に想像することは難しい。読む者は牢獄の外どころか、蛇口をひねれば水が、自動ドアを入れば暖めた弁当が手に入り、それらを飲み食いできるところにいるからだ。

◆ひとつは空間において、もうひとつは時間において隔絶しているわけだ。
そのままに捨てて置く訳にはいかないと誰しも思う。だが、彼等が奪われたものを、帽子や着物のように取り返すことなど、もはやできない、ということも分かっている。
その苦悶に耐えるだけの強さがあれば――………。









秋山洋一「冬の始まり」[2024年11月16日(Sat)]


冬の始まり  秋山洋一


道端に見上げるドングリの実の
みなそっぽ向く空の下
各駅停車で来る人も
快速電車で到着する人も
街から循環バスで来る人も
湾を見下ろす曲り坂に息弾ませる
白亜のドームあるところ

一九四×年
よく乾く厚い衣の下に
薄い蒼い血めぐらせる
錆くさい冬木の町へたどり着き
歪んだ船渠のほとり
国籍知らずの迷い猫といっしょに
みんな昔は若かったと
もう影もなく笑う人たちが

鳶のように雲間に消えた後
腕まくりして駆けて上がってきた
見たことがないのに懐かしい
坊主頭の少年が
これからどこへ行くんだか
手を振りながら歌いゆく
聴いたことがないのに懐かしい
異界の歌に耳澄ます

夕まぐれ
墓山から下を見れば
硝子瓶の欠片のような湾岸へ
あの頃のように
オールバックの髪光る
斜め肩の兄貴に背を押され
振替輸送でやってくる
冬の始まり

『第二章』(七月堂、2023年)より

・船渠……ドック

◆海を見下ろす山の上の墓苑が舞台なのだろう。
白亜のドームは何かのモニュメントか、あるいは灯台のように海上からの標となってもいるのだろうか。
「笑う人たち」や、「坊主頭の少年」の姿が入れ替わるように現れるが、それらはモノクロの映画を見ているように、現実感が希薄だ。
古い、自分の表層の記憶には存在しないはずのものたちを見たり聴いたりしているのだが、懐かしい気がするのは、その映像や歌声が、実体験なのか、それとも繰り返し聞かされてできあがった記憶なのか区別しがたいほどになっているからだ。

◆戦後間もなくだろう、復員した男たちももうこの世には居ない――「影もなく/雲間に消え」といった表現がそのことを示している――であるなら、「坊主頭の少年」は、遠い日の自分なのかもしれない。
彼らを懐かしく思う自分――それは、人々の往来する現代の街に、破壊されたドックや焼尽した家々の映像を二重写しにして見下ろしている自分である。
ならば、ずいぶん前から、とうに異界の者の眼をもって暮らしていたのだということになる。

◆回想ではない。追懐とも違う。
墓山の上から見える、人や街、父母や兄弟、記憶の底から幾重にも堆積している時間の層、そこに自分も彼らも居たし、今も居る、という意識のありようだ。
そのように感じ、受けとめながら老年を生きること、それが「冬の始まり」の意味だ。





トウネズミモチ(唐鼠黐)[2024年11月15日(Fri)]

DSCN2457.JPG

◆トウネズミモチ。これでもかと言わんばかりにおびただしい実がなっている。
夏のあいだ乳白色の花が威勢良く咲いていた。この時期は実が青から次第に藍色を帯びてきて、やがて青黒い色になってゆく。

◆ネズミモチと区別が難しく、以前には取り違えていたかもしれない。
トウネズミモチの方が実をたくさんつけるというが、記憶や写真は当てにならない。
日にかざして葉の裏の脈を見よ、とネットで指南して下さっている方々がいて助かった。
トウネズミモチでは葉脈の主脈も側脈も透けて見えるのに対して、ネズミモチの方は、側脈は見えないのだ、という。
この判別法に従って、葉の裏を手前にして曇り空に掲げて見たら、葉の中心を貫く主脈も、そこから別れている側脈(支脈)もハッキリと見える。よってトウネズミモチと確定(漢字では「唐鼠黐」)。

DSCN2459.JPG

実の色が濃さを増して葡萄のような色になったものも。これがやがて黒くなる。
こんなにたくさん実をつけても、冬場の鳥たちは平らげてしまうのだろうな。



今年のクサギの実[2024年11月14日(Thu)]

◆クサギの実が姿を現した。

DSCN2417.JPG

いつ見ても不思議な色と形だ。濃紺の実を囲むように鮮やかに赤い5枚の萼。
(この赤い星形、飛驒高山で見かける「さるぼぼ」(猿の赤ん坊)に似ていると、いつも思う。同様のものは、この辺りでも春の吊るし雛として見かける。)


今夏の猛暑のせいか、実が少なめで、着き方もまばらだ。

DSCN2410.JPG

おかげで、てんで勝手に空中を遊泳しているかのように見える。
離れて眺めると、時間差を付けたリズム体操を繰り広げているようでもある。
これはこれで不思議だ。

DSCN2413.JPG


※猿と言えば、先月、都内で目撃されていた猿――隻手のようで、同じ個体ではないかと言われている――神奈川入りして相模原から海老名、茅ヶ崎と南下し、11月に入って横須賀・三浦に現れたという。100km近い距離を移動中ということになる。群れを離れて自由満喫中なのか、孤独な放浪なのか、人間の浅知恵の及ぶところではない。何にせよ、不思議だ。


***

【参考】クサギの花を載せた過去記事
クサギの花[2022年8月28日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/2421





大木惇夫「ふるさと」[2024年11月13日(Wed)]

鹿島茂が編んだアンソロジー『あの頃、あの詩を』(文春新書、2007年)は、千家元麿や山村暮鳥など、昨今の教科書からは姿を消した詩人たちの作品を載せており、確かに編者と読者の間に成立した言語空間を収めた「タイムカプセル」というべきものになっている。

そのトリをつとめているのは大木惇夫(1895-1977)である。


ふるさと   大木惇夫


朝かぜに
こほろぎ鳴けば、

ふるさとの
水晶山も
むらさきに冴えたらむ、

紫蘇むしる
母の手も
朝かぜに白からむ。



◆合唱曲『大地讃頌』の作詞者として知られる大木惇夫は広島の人だから、この詩の「水晶山」とは、広島県江田島の水晶山であろうか。

水晶に白や紫のものがあるように、詩にも、この二つの色が配されて一つの絵になっている。特に最後の連。
紫が帯びる気高さと釣り合うように、いっそう白さを際立たせる母の手――ふるさとの暮らしを思い浮かべながら、子として胸の裡に描く永遠の思慕の像。

【関連記事】
「大地讃頌」の詩人・大木惇夫[2016年5月22日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/300





ナンキンハゼの種子[2024年11月12日(Tue)]

DSCN2429ナンキンハゼの実.JPG

ナンキンハゼの実が割れて白い種が姿を現していた。

DSCN2425.JPG

鮮やかな緑色だった実が黒ずんで、刮ハ(さくか)と呼ばれるものになり、それが三つに割れて白い種が姿を現す。

DSCN2420.JPG

みごとなものだ。
今年の猛暑の影響か、葉が紅葉するには未だ間がありそうだ。

***

★真夏の時の様子は下記を参照。青い実を着け始めた7月半ばの同じ木である。
[2024年7月16日]記事
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/3107


ロングフェロー「矢と歌」[2024年11月12日(Tue)]

鹿島茂[編]『あの頃、あの詩を』(文春新書、2007年)は、いわゆる団塊の世代が、中学生のころに教科書で読んだ詩を集めたアンソロジーである。

鹿島自身は1949年生まれで、そのあたりが団塊の世代の終わり、と目されているが、その4つ下になる当方などは、歌や遊び、漫画のヒーローなど、都会より数年遅くまで流行が続いている感覚があったから、53年生まれあたりまでを団塊世代とみなしたい気がしてきた。
このアンソロジーも、そういう意味で、なじみの詩が多いだろうと踏んでいたが、いざ開いてみると、意外に初めて出会う詩が少なくない。

たとえば、次のような詩……



矢と歌    H.W.ロングフェロー
              安藤一郎



私は一本の矢を空に射た、
それは地に落ちたが、どこか分からなかった。
矢はあまりに速く飛んで行ったので、
その行方を眼で追うことが出来なかったから。

私は一つの歌を空にそっと洩らした、
それは地に落ちたが、どこか分からなかった。
歌の行方を追うことが出来るほど、
鋭く強い眼を誰が持っているだろう?

ずっと後になってから、檞
(かし)の木に
私はあの矢を見出した、まだ折れもせずに。

またあの歌は、始めから終わりまで、
一人の友の胸の裡に再び見出した。


◆「矢」と「歌」が類比されている。矢は、ハッキリとした意志の発現として、的を目がけて放たれたのに対して、歌は、誰に向けてということではなしに、自分でも思い設けぬかたちで感情の吐露として我が口から洩れ出でたもの。

一方は肉体の内に矯めた力を刹那に解放することであり、他方は裡からあふれ来たものの抑えようのない流露である。
そのように対比させながら、ともに時間の流れの上にあることを意識している。「矢」は真っ直ぐ瞬く間に進む時間であり、「歌」はうねりたゆたい、時に止まってしまったかとさえ感じさせる時間とともにある。

◆その歌の届いたところは、友の胸の裡。私の歌の「始めから終りまで」、そっくりそこに「見出した」とは、切れ切れの断章ではなく、またことさらの増幅や減殺もなく、そのままに伝わり、そこにとどまった、ということだろう。

もう一つ、この詩は、「歌」が、文字で書かれるよりも先にまず、同じ空気を呼吸している者の前で口ずさまれ、空気を震わせて届けられるものだ、ということを良く分からせてくれる。


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