谷川俊太郎「忘れること」[2024年11月20日(Wed)]
◆谷川俊太郎の詩集『夜のミッキーマウス』に貼っておいた付箋の一つに〈秋に.〉と書き込んだものがあった。いつか、その詩にふさわしい秋の夜長に読み返そうと思ったに違いない。
それを果たさぬうちに、冬のある日、詩人は逝った。
忘れること 谷川俊太郎
どうしても忘れてしまう
いま目の前にある楓の葉の挑むような赤
それをみつめているきみの
ここにはない何かを探しているような表情
きみもまたきっと忘れているのだ
結局は細部でしかないこの世の一刻一刻を
そして憶えていることと言えばただひとつ
自分が生まれていつかは死ぬという事実
それが幼い子どもが初めて描いたクレヨンの一本の線のように
ゆがんで曲がってかすれて途切れ……
だがどうして忘れてしまってはいけないのか
倦きることと忘れることのあのあえかな快楽が
朝の光をこんなにもいきいきとさせているのではないか
どうしても忘れてしまう
記憶だけが人間をつくっているのだということさえ
だからきっと人間は本当は歴史のうちに生きてはいないのだ
限りない流血も人を賢くしない
そして忘れ去ったものがゴミのように澱んでいる場所でしか
きみもぼくも話し始めることが出来ない
詩集『夜のミッキーマウス』(新潮社、2003年)より
◆詩人の名を知ったのは、たしか『鉄腕アトム』の主題歌が入ったソノ・シートでだった。
月刊漫画誌『少年』の付録、赤い円盤から音が聞こえた驚き。
(レコード・プレーヤーは未だ我が家に無く、ソノ・シートはには円盤状の厚紙が付いていた。
その上を指で回し、針が震わせるアルミホイルから音楽は聞こえるのだった。指先で回すことによる回転ムラも一緒に刻み込む――確かに「記憶だけが人間をつくっている」と60年余を経て納得する。だから「死」は「記憶」なのだろう。つまり、記憶されないものは、死ぬことすら出来ない。)