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金子光晴「しやぼん玉の唄」[2024年11月30日(Sat)]


しやぼん玉の唄   金子光晴

   1

しゃぼん玉は
どこいつた。

かるがるとはかない
ふれもあへずにこはれる
にぎやかなあの夢は
どこへいつた。

甘やかな踊や唄の
つれてゆかれたさきは
どこなのだ。

薔薇色の
しやぼん玉よ。
ばらの肌のばらの汗よ。
ひらくよりもはやく
別辞をつげて
そらへあがつていつたもの。
ときのまの愛着よ。

旅立つ虹よ。

荒廃のまんなかで
人が追ふ
しやぼん玉。
大きな玉よ。小さな玉よ。
みんなどこへいつた。

僕の心に永遠にのこらうとして
亡びていつたうつくしさなのか。

玉虫がらすよりも匂やかに
空にうかんだ天女たちよ。


2

支那の古い天子は馬にのつて
崑崙まで追つかけていつたといふ。
あはれ、このしゃぼん玉よ。

かえり来ぬ日日の
かちどきよ。
流行どもの昇天よ。

小さく、小さくあがつてゆく
道化一座
(パントミーム)よ。

女学生たちの合唱歌
(コーラス)よ。

とび去つた頬の艶。
蒸発した詩よ。

西暦一九四〇年頃から
僕の見失つてしまつたそれら。

銃火で四散し
政治から
逃げのびたもの共よ。

おまえたちはいま
どこをとんでゐる。

おまえたちは
どこの空を漾
(ただよ)ふ。

しゃぼん玉よ。
しゃぼん玉よ。

忘れつぽい舟乗りどもはおまえたちを
アフリカ沖でみたといふ。
ほらふきの探検家は、みてきたやうに
北洋の氷のうへで膃肭臍
(オットセイ)
(くち)から吻へ、おまえたちを受取つて
あそんでゐたと、真顔でかたる。

               (昭和二〇・二・八)

註* 周穆(ぼく)王八駿を御して崑崙にあそび西王母にあふ伝説穆天子伝にある。


清岡卓行・編「金子光晴詩集」(岩波書店、1991年)より


◆長距離ミサイルATACMSによるクラスター弾が闇のなかをあちこちで炸裂する映像。
かと思えばICBMの発射映像、映画を観るような気分に慣れてくるうちに、それらによって奪われた命、傷ついた肉体が見えないことにも慣れて来る。

砲撃や爆発によって地上に起きていることが捨象されて、人間の方は生の体験から限りなく遠ざかって――バブル(泡)の中に閉じ込められて――匂いや揺れのない、映像と音だけの世界に包みこまれてしまう。

◆上の金子光晴の詩では、シャボン玉の外に人間はいたものが、現代は人間の方が泡の中に取り込まれていて、「見失つてしまつた」ことが余りに多いことにすら気づかないで空中を浮遊しているような気がする。
日本人にとっては「一九四〇年頃から」このかた、ずうっとそんな調子でいるのじゃないか。






芥川龍之介「立ち見」[2024年11月29日(Fri)]

立ち見   芥川龍之介


薄暗い興奮に満ちた三階の上から
無数の目が舞台へ注がれてゐる、
ずつと下にある、金色
(こんじき)の舞台へ。

金色の舞台は封建時代を
長方形の窓に覗かせてゐる、
或は一度も存在しなかつた時代を。

薄暗い興奮に満ちた三階の上から
彼の目も亦舞台に注がれてゐる、
一日の労働に疲れ切つた十七歳の人夫さへ。

ああ、わが若いプロレタリアの一人も
やはり歌舞伎座の立ち見をしてゐる!


            (昭和二年)〔遺稿〕


◆芥川にはオペラや京劇の鑑賞記もあるようだから、この詩のように歌舞伎見物をとりあげた詩があって当然ではある。
「カルメン」という1926年の短編では、イイナ・ブルスカアヤ*という歌手のカルメンを観に行ったところ、別の貧相な歌手が代役で登場した。イイナが出なかったのは、彼女に恋慕して追いかけるように来日したロシアの侯爵が恋に破れ絶望して自死する事件が起きたからだ、という話を一緒にいたT君から聞く。だが、幕間の後、ボックス席にイイナその人が現れる。事件などなかったかのように愉快そうに取り巻きたちと笑うイイナの婉然たる姿を「僕」が注視し続ける、という話だ。彼女をめぐる舞台以上のドラマの目撃者兼観察者になるわけだ。
*(Ina Burskaya ウクライナ生まれ、アメリカで活躍したオペラ歌手。1886-1954)


◆この詩でも、主人公の視線は、歌舞伎座の舞台そのものでなく、それを見下ろす観客の方に向けられている。三階席の薄暗い立ち見席から華やかな舞台を見つめている一人の若い労働者だ。
「十七歳の人夫」と年齢と仕事について書いているのは、彼を観察する眼が割り出したものだ。

歌舞伎は江戸時代、封建制社会のドラマだ。だがそれを、第二連、「一度も存在しなかった時代」と書く。舞台で起こることは全くのフィクションであるからだが、その虚構に時を過ごす立ち見の若者の方こそ、日々働く者の一人として、作り物ではないドラマを生きているのだ――彼にスポットライトが当たることはついにないのだとしても。



芥川龍之介「信条」[2024年11月28日(Thu)]


信条  芥川龍之介


娑婆苦
(しゃばく)を最小にしたいものは
アナアキストの爆弾を投げろ。

娑婆苦を娑婆苦だけにしたいものは
コンミュニストの棍棒をふりまはせ。

娑婆苦をすつかり失ひたいものは
ピストルで頭を撃ち抜いてしまへ。


  ちくま文庫『芥川龍之介全集 8』(筑摩書房、1989年)より

〈娑婆苦〉仏教用語で俗世間の苦労(原註)


◆今どきの人はこれを過激な思想と評するのだろうか?
だが、あまりまともに意味を追わない方が良い。

3コマ漫画を見るようなテンポで最後は自虐的に終わる。
救いがなさそうでいて、実はその逆。諧謔に遊んでいる、という風に読める。

口を開けて哄笑している寒山拾得図、さもなくば超短編無声映画を観ているような。




芥川龍之介「おれの詩」[2024年11月27日(Wed)]


おれの詩  芥川龍之介


おれの頭の中にはいつも薄明
(うすあかる)い水たまりがある。
水たまりは滅多
(めつた)に動いたことはない。
おれはいく日もいく日も薄明い水光りを眺めてゐる。
と、突然空中からまつさかさまに飛びこんで来る、
目玉ばかり
 大きい青蛙!
おれの詩はお前だ。
おれの詩はお前だ。

           (大正十二年十一月)


ちくま文庫『芥川龍之介全集 8』(筑摩書房、1989年)より


◆「青蛙おのれもペンキぬりたてか」も龍之介の句であったことを思い出させる詩。

◆生後まもなく母の実家に引き取られた龍之介にとって、隅田川の川面は幼少期の原風景だ。
水の近さは、護岸が整備された現在の川から受け取るものとはずいぶん違っていただろう。

だが、それにしても、「頭の中」にいつも「薄明い水たまりがある」という感覚は、普通のものと読み過ごすことはできない。落語の「頭山」を連想するシュールさをにじませながら、川に置き去りにされた水たまりにたとえたくなる自意識が続いているように思う。
水たまりを眺めているのは「おれ」だが、同時にその水たまりそのものになっている「おれ」でもある。
そこに、ボンヤリした気分を打ち破るかのように真っ逆さまに飛び込んでくる青蛙。
青天霹靂のインスピレーションが魂をゆさぶり、精神を賦活するものが襲来したのである。
それでいて、もたらされた詩には諧謔の刻印がハッキリと。





芥川龍之介「時雨」[2024年11月26日(Tue)]

◆宵から雨模様。時折止むが、夜半にはまとまった雨が降るとの予報。
こたつを出すのはまだまだと踏ん張りつつも、ついエアコンに手が伸びる。

*******


時雨   芥川龍之介


西の田の面
(も)に降る時雨(しぐれ)
東に澄める町の空
二つ心のすべなさは
人間のみと思ひきや



◆ちくま文庫版で8巻ある『芥川龍之介全集』の最終巻には〈紀行・日記・詩歌 ほか〉が収められていて、どんな詩が、と思って開いてみたら、前半は文語詩、後半に散文詩が並ぶ。

上のような七五を連ねた文語詩にも、現代人の葛藤を表現したものがある。
矛盾やジレンマに苦しむのは、一つの解があるはず、と思うからだろうか。
地上を這うように生きている人間は、空を眺めて一息つきたいのだが、その空もまた一様ではない。





田村隆一「天使」[2024年11月25日(Mon)]

天使  田村隆一


ひとつの沈黙がうまれるのは
われわれの頭上で
天使が「時」をきえぎるからだ

二十時三十分青森発 北斗三等寝台車
せまいベッドで眼をひらいている沈黙は
どんな天使がおれの「時」をさえぎったのか

窓の外 石狩平野から
関東平野につづく闇のなかの
あの孤独な何千万の灯をあつめてみても
おれには
おれの天使の顔を見ることができない

『腐敗性物質』(講談社文芸文庫、1997年)より

◆入院患者にとって最近の病院は着替え歯ブラシ、紙おむつ含めて殆ど持参する必要がない。アメニティ・セットというものがレンタルで用意されているからだ。
このところの寒さを考えてちょっと羽織れる衣類を持って行ってもお持ち帰りくださいと言われてしまう。
温度管理もしっかりしているのは確かだが、部屋によっては、あるいは同じ部屋でも窓側と入口とでは1℃前後の違いがあるのではと思う。

◆家を離れたところで、自分で調節できない環境の典型は「旅」だ。真冬の長距離夜行列車のスチーム暖房は汗ばむほど高めにしてあったことを思い出す。
上の「北斗」、冬の旅とは限らない上に、石狩から東京に戻る便のように思えるが、北に帰る旅だとしても構わないだろう。

◆時間のレールを疾駆する寝台列車のせまいベッドの上でフッと訪れた沈黙に、天使を感じている。だがその顔は見えぬという。夜の闇が余ってたかって自分の上に集まっているからだろうか。
街々の孤独な何千万という灯のどれよりも黒々と、「おれ」の孤独を覗き込んでいるはずの「天使」がそこにいるというのに。


覚和歌子「むかし ことばは」[2024年11月24日(Sun)]


むかし ことばは   覚和歌子


むかし ことばは ひびきだった
ほしをどよもす ひびきだった
うみをゆさぶり もりをおどらせ
けものをたけらせ だいちをおりまげた

むかし ことばは ひかりだった
ほしにしみいる ひかりだった
はなをひらかせ こころをみのらせ
ほねをあたため ゆびをつながせた

むかし ことばは なまえだった
なまえをよばれて きみになった
まぜこぜぬかるむ どろのせかいから
きみをきりわけ たちあがらせた
なまえはきみそのもの
おかせない きみのいのち

そしてたったいまも ことばはちから
まがごと ほぎごと よびおこすちから
つかいてにむくいる たいようのやいば
まぶしすぎてぼやけてしまう みらいから
ゆめのりんかくを きりだして
はなしたことを ほんとうにする
かならずきっと ほんとうにする


『覚和歌子詩集』(ハルキ文庫、2023年)より


◆禅問答から上の詩のような「ことば」にまつわる詩につながった。

新聞で誰かが「虚偽の横行が問題、というよりは、真実の不在が問題なのだ」という趣旨のことを述べていた。ウソかほんとうか見定めることが徒労に等しいエネルギーを浪費し、人間主体が消耗させられることへの戒めも含んでいるだろう。

◆「ことばのつかいて」は真実の心をこめる。まがいものには「たいようのやいば」が過たず報いる。それは信じて良いことだ。

真実のことばだけが「ほんとう」の「ちから」を持つ。だから、「きみ」とよぶときの「きみ」は、目の前にいる「きみ」にまっすぐ届くために発せられることばで、「彼」とか「あの人」とかは想定されていない。
おとといの谷川俊太郎「死と炎」で考えていたこと――(二人称の相手を表す言葉は使われていないのに、あの詩においては、)〈他ならぬ「あなた」や「きみ」――をかけがえのない人、として呼んでいる〉と書いたこと――も同じ意味だ。

多くのことばはほとんどの場合、名宛て人は二人称で呼びかけられるのであって、禅問答しかり、愛のささやきしかり。多数を相手にする演説ですら、聴く者が直接語りかけられたと感じさせるのが要諦のはずだ。

花應院の晋山結制・首座法戦式[2024年11月23日(Sat)]

◆夕刻、花應院(かおういん)入口交差点に 花應院」の看板が出ていた。
お寺の方に向かうと、カラフルな旗が立っている。

DSCN2468.JPG

お寺の塀にも「 花應院」の看板。
檀家の人らしき礼服姿の人たちの姿も見えた。

DSCN2469.JPG


正面に回って見たら大きな看板が立っている。
「晋山結制」「首座法戦式」の文字がしたためてある。
大きな祝い事が行われているようだ。
帰宅して調べてみた。

DSCN2470.JPG

晋山結制式とは、お寺に住職が正式に就任する儀式だという。「晋」は進む、「山」はお寺のことだ。お寺の名前に「○○山」という山号が付くのは一般に知られているところだが、花応院の場合、西嶺山という山号を持つ、曹洞宗のお寺である。
とすれば、若い和尚さんが新たに住職を引き継いだということか。

次の「首座法戦」とは「しゅそほっせん」と読むようで、新住職に代わり、修行僧の筆頭である首座(しゅそ)が問答を交わす儀式だという。いわゆる「禅問答」を戦わせる儀式である。一連の式の中でもハイライトということになる。

いずれにしてもお寺にとっては一大イベントの日であった。無論、禅寺であるから、ここまで一連の修行を積んだ上で、今日の晴れの日を迎えた、ということだろう。

花應院には縁ある方々の墓所もある。久しくお参りもせず失礼していたことを思い出した。




谷川俊太郎「死と炎」[2024年11月22日(Fri)]

『クレーの絵本』という、パウル・クレーの絵に谷川俊太郎が詩を添えた絵本がある(講談社、1995年)。
これまで4篇を紹介していた。
いま取り上げるとするなら、次の一篇を加えたい。


《死と炎》1940  谷川俊太郎

 
かわりにしんでくれるひとがいないので
わたしはじぶんでしなねばならない
だれのほねでもない
わたしはわたしのほねになる
かなしみ
かわのながれ
ひとびとのおしやべり
あさつゆにぬれたくものす
そのどれひとつとして
わたしはたずさえてゆくことができない
せめてすきなうただけは
きこえていてはくれぬだろうか
わたしのほねのみみに


クレーの1940年の作品「死と炎」に添えた詩。
『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(青土社、1975年)に拠った。


◆仕事はそうでもないけれど、食べることや排泄など、個体の生き死にに関することは他の誰かに代わってもらうことができない。
歳を重ねると、ほとんどそうしたことばかりになる。

◆最後に待っているのが「死」ということなら、せめて好きなうたが耳に、と願う気持ちは切実だ。だが、その骨灰さえ残っているか、疑わしい。

◆「わたしのほね」も「ほかの誰かのほね」も区別できないあまたの死においては、彼らの好きなうたを、誰が歌ってくれるだろうか、彼らのために――
そんなことを思いながらこの詩を読み返せば、次のように思えてくる――
「わたし」は、「じぶんの死」を死ぬのだが、その最期の瞬間に置いて、「わたし」や「他の誰か」の代わりではない人――他ならぬ「あなた」や「きみ」――をかけがえのない人、として呼んでいるのだ――その呼び声は詩に全く記されていないのだけれど、それでも。

***

◆この詩に三善晃が付曲している。
男声合唱として作曲されたが、それを混声合唱で歌っているものがあった。
「湘南市民コール」30周年記念定演で関屋晋の指揮だ。
https://www.youtube.com/watch?v=OMtIfDjKmQc

***

【参考記事】
パウル・クレー「ケトルドラム奏者」[2017年6月20日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/536

とりがいるからせかいがある[2017年6月21日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/537

日本国憲法公布75年=谷川俊太郎「庭」[2021年11月3日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/2123

谷川俊太郎の詩〈おなかをすかせたこどもは……〉[2023年11月23日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/2869




谷川俊太郎「いまぼくに」[2024年11月21日(Thu)]


いまぼくに   谷川俊太郎


いまぼくになすべきことがあるとするなら
それはただ 死ぬまでは地上
(ここ)にいること
歌うでもなく嘆くでもなく
見たものはすぐに忘れ書きつけることもせず
言葉をもたぬカナブンのように蜜を吸い
花々の実りにささやかな手助けをして

山あいに川のほとりに
ほんの少しの知識だけで暮らす人々
彼らに教えることは何もない
いまぼくになすべきことがあるとするなら
それはただ 彼らから遠く離れて
祈りの最初の旋律を思い出すこと

朽ちかけた釣り橋をわたり
愛する者に近づくこと
死ぬことを禁じられたからだに
生臭い血を流させること
アンモナイトの太古の闇に
チタンの仮面で歩み入ること

もしもいまぼくにほんとうに
なすべきことがあるとするなら

     一九九四年九月十二日 カトマンドゥ


  『夜のミッキー・マウス』(新潮社、2003年)。初出は『こ・ん・に・ち・は』1999年

◆ちょうど三十年前の詩。
詩人はネパールを訪れたのだろう。

この詩を入力していると、リズムを感じる。どこかで似たリズムがあった。
――賢治の「雨ニモマケズ」だ。
それは全部で30行ちょうど。

こちらは四連(6+6+6+2)で20行。「雨ニモマケズ」の3分の2だ(タイトルと1行あきを含めても25行なので、一回りコンパクト)。

「なく」「ない」などの否定の言葉が目につくのも似ている。だが、「雨ニモマケズ」は「ズ」「ナク」の類いは10回出て来てどれも強い意思表明のたたみかけになっている――そのように思わせておいて、最後に至って「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」と、詩全体が「ワタシ」の願望であったことを明らかにする詩であった。

谷川俊太郎の「いまぼくに」は、それとは違う。だが同じリズムの上に歌い継がれているように感じる。

◆カトマンドゥを訪れ、そこに暮らす人々を見つめながら、山を造り岩を削る大きな営みの上に在って「いまぼく」が「なすべきこと」は、限りなく「ぼく」でないものになることのようだ。
小さな「カナブンのように蜜を吸い/花々の実りにささやかな手助けをして」生かし生かされること、同時に第三連に荒々しく夢見られるように、愛や不死や古代の闇への冒険に身を任せること――それらはどれも現実の肉体を離れて「ぼく」でなくなり、どこまでも自由になること――それが「祈りの最初の旋律を思い出すこと」と表現されている。

「祈り」は「ぼく」の発明ではない。もっともっとたくさんの人々によって、終わることのない輪唱のように歌い継がれてゆくもの、その祈りの歌に「ぼく」もひとふし加わるだけのこと。

◆賢治の「雨ニモマケズ」を歌い継ぐような谷川の詩が大きな変化をもたらしたものがある。
「ワタシ」から「ぼく」へのバトンタッチだ。
これによって、「ぼく」という一人称が宇宙を自由に飛び回ることが可能になった。



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