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光則寺2[2024年10月20日(Sun)]

◆光則寺境内のイヌマキに青と赤のくっついた実がついていた。じつは赤い部分は果托といい、花托が熟したもので食べられるという。だが先端の青い実の方は毒だそうだ。鳥などはしっかり識別しているのだろうか。不思議だ。

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***

◆光則寺には、日蓮の弟子・日朗が幽閉されていたという土牢がある。
日蓮が、江ノ島を望む龍ノ口(たつのくち)刑場で処刑されそうになったいわゆる龍ノ口法難(文永8=1271年)の後、佐渡へ流罪となった時に、日朗たち弟子は宿谷光則(やどやみつのり)に身柄を預けられることになり、およそ二年半、幽閉された所である。

土牢は境内右手の階段を歩いて4〜5分の所にある。

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土牢の中には、五輪塔が2つと小さな仏像らしいものが並んでいた。

***

◆文永11(1274)年、日蓮は流罪から許され、そののち、身延山に隠棲することとなる。
宿谷光則は日蓮の教えに帰依するに至り、自邸を寺にすることを決意、日朗を開山として寺の名を行時山光則寺(ぎょうじさんこうそくじ)とした。山号は父・行時(ゆきとき)の名を取ったものである。

今年、光則寺開山750年にあたるのを記念して、本堂内陣の格子天井に鎌倉彫による巨大な龍図が完成した。
91枚もの鎌倉彫を制作したのは柏木豊司氏。塗りは本間幸夫氏が担い、漆を木から掻き取り精製する作業から始めたという。いずれも光則寺ゆかり方々の力を結集して制作したものとのことだった。

また、「光則寺通信」に連載された漫画『日朗上人伝』(横山彩子・作/画)が一冊にまとめられ、発行された。親しみやすい読み物に仕上がっている。詳しくは光則寺へ。

***

◆光則寺は花の寺として知られる。
入口にある「野草と茶花マップ」にはQRコードも付いていた。
下のサイトにもマップがアップされている。

【e-ざ鎌倉】〈四季の光則寺 野草と茶花マップ〉
https://www.kcn-net.org/senior/tsushin/ttemple/y04/0411taka/hana.htm

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ミズヒキ

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ホトトギス
*いずれも光則寺にて。





金木犀:境川から光則寺へ[2024年10月20日(Sun)]

*花の名を誤記。失礼しました。届いた朝刊、「天声人語」がちょうど取り上げていて、暑さで今年の花の香の到来が遅かったことに触れていました。頭の働きがニブいのもそのせい?

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キンモクセイ(金木犀)が満開だ。
むせるほどの香。

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以上は境川沿い。

下は鎌倉の光則寺の沈丁花。
現在、本堂天井に完成した鎌倉彫による龍が公開中だ。

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光則寺参道入口の碑

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光則寺入口


サーメル・アブー・ハウワーシュ「もういいんだ私たちは 誰に愛されなくても」[2024年10月18日(Fri)]


もういいんだ私たちは 誰に愛されなくても

     サーメル・アブー・ハウワーシュ



もういいんだ
今日から後では
私たちが誰かに愛されるなんて
大いなる天使に
澄み切った空の中で愛されれば十分だ

私たちの中の子どもたちには見える 彼方に立つあの天使が
両手をハートの形に組み合わせる
するとみなが微笑む
私たちの中の女たちには見える 天使が白いジャスミンの小枝を振る
それでみな瞳を一度閉ざすと
二度と開くことはない
私たちの中の男たちには見える 青い
空のように澄み切った天使の翼が
するとみなが心臓をつかみ取られて
天使を目指して旅立つ

もういいんだ私たちは 誰かに愛されるかなんて
爆弾によって私たちはまさに耳から解き放たれた
その耳でかつて愛の言葉を聞いたものだった
ミサイルによって私たちは目から解き放たれた
その目で愛のまなざしを見つめたものだった
どす黒い言葉によって私たちは心臓から解き放たれた
その心臓の中で愛の魔法の言葉を育んだものだった

もういいんだ 私たちがこの世の
誰かに愛されるどうかなんて
「いずれにせよ報われない愛だったようだ」
と言うのは 土地という観念に疲れ果てた私たちの中の年寄りたち
私たちの中の詩人は遙
(はる)かな地平に立ち
「このむごい愛から私たちを救いたまえ!」と叫ぶ
そしてつぶやくのだ
かつての若気の至りの楽観を詫
(わ)びて
――この地には
  そのために生きるに値するものなどない

もういいんだ 他の誰かに愛されるなんて
私たちにはたくさんだ 言われていながら言われてはいない言葉も
もうたくさんだ 差し伸べられていながら差し伸べられてはいない手も
見ていながら見てはいない目も
たくさんなんだ
この永い夜の中にいる自分自身も
私たちの残骸に
母親たちがしがみつくことも
久しく解きがたい呪いとして
背負うこの岩もだ
負ったまま私たちは進みゆく 深淵
(しんえん)から深淵へ
死から死へ
そして決してたどりつくことがない

もういいんだ 今日から後では 誰かに愛されるかなんて
あるいは 誰が私たちの弔いに立ち会うかなんて
おお私たちは行く 沈黙して最後の彷徨へ
私たちは互いに手を取り合い
この世界という砂漠の中 ただ私たちだけで進みゆく
あるとき
私たちの中の子どもがひとり振り返り
瓦礫に最後の一瞥
(いちべつ)を投げかけ
ただひとつぶ 涙をこぼしてこう言うだろう
――もういいんだ私たちは 誰にも愛されなくても

「もういいんだ私たちは誰に愛されなくても」


   (原口昇平訳/渡辺真帆・山本薫監訳)

『現代詩手帖』2024年5月号〈特集 パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聞く〉(思潮社)より

◆詩人Samer Abu Hawwashは、1972年、レバノンでパレスチナ難民の一家に誕生。レバノン大学卒。ベイルートからアラブ首長国連邦に移住の後、現在は末韻のバルセロナに在住とのこと(原口昇平氏の解説による)。
解題によれば、この詩は2023年10月25日、レバノン・ベイルートの新聞「アン・ナハール」にアラビア語で載ったもの。英語訳文はフダー・ファハルッディーンが作成し、「ALABLIT」に初出したものという。

◆「もういいんだ私たちは」と繰り返すこの詩を前に、うなだれ立ち尽くすしかないのか、私たちは?
耳・目・心臓を爆弾に奪われることを「解き放たれた」と言ってのける詩人に、返す言葉が果たしてあるのか?

かけられる言葉も、差し伸べられた手も、向けられる目も、何一つ事態を変え、命を地上につなぎ止める力になっていない――事実をかくも厳しく指摘されて、打ちのめされたまま沈黙するほかないのじゃないか?

――恥ずかしさはページを閉じれば、やがて収まる。やましさや無力感だって翌朝には薄まって、身を起こして深呼吸の一つも付ける――そうじゃないのか、君は?――そう自問せずにこの詩を読むことはできない。

最後にもう一度記される「もういいんだ私たちは 誰に愛されなくても」――これに対して、返す言葉・差し伸べる手・向ける眼差しを持とうと、心から思いますか、あなたは?
――そのように自問する地点に立たされずにいない。


***

◆この詩の第四連の後半に「私たちの中の詩人」と記された人物はパレスチナを代表する詩人、マフムード・ダルウィーシュMahmoud Darwishを思わせる、と原口昇平氏は言う。

原口氏による解題の後半を下に写しておく。
この詩に出会った者がなすべきこと、その手がかりを、愛をこめて示してくれる文章だ。

否定されること、それこそが、この詩が賭けているものだ。正確に言えば、一人称複数の深い諦念に満ちた集団的自己否定に対し、否定の否定が世界中の三人称複数から強く巻き起こることが待たれている。詩人はまさにそのために、パレスチナ独立宣言(一九八八)を起草した代表的詩人マフムード・ダルウィーシュ(一九四一-二〇〇八)を思わせる人物を「私たちの中の詩人」として登場させ、パレスチナの分離壁にグラフィティとして描かれるほど愛されている彼の詩行「この地には、そのために生きるに値するものがある」(溝川貴己訳)さえも否定文に書き換えて、詩に挿入しているほどだ。読者がこの否定を否定し、人類により作り出された「世界という砂漠の中」共に去りゆく「私たち」を一人ひとり名前で呼んで引き止めるべく行動を始めたなら、そのとき初めて、人間性といわれるものが肯定される契機がひとつ、この世界に訪れる。

◆「私」もまた「世界という砂漠の中」に共に在り、一人の人間として名前を呼ばれるべき存在であるゆえに、「岩」の重さを共に担い、そのまま立ち上がること。



ゼイナ・アッザーム「おなまえ かいて」[2024年10月18日(Fri)]

◆ガザでイスラエル軍の放った砲弾に無数の金属片が仕込まれて、多数の重篤な被害をもたらしているという報道があった。

★【2024年10月13日毎日新聞
ガザで4000人の子供が手足切断 イスラエルが使った「特殊兵器」
https://mainichi.jp/articles/20241012/k00/00m/030/113000c

むごい。

*******



おなまえ かいて  ゼイナ・アッザーム


あしに おなまえかいて、ママ
くろいゆせいの マーカーペンで
ぬれてもにじまず
ねつでもとけない
インクでね

あしに おなまえかいて、ママ
ふといせんで はっきりね
ママおとくいの はなもじにして
そしたら ねるまえ
ママのじをみて おちつけるでしょ

あしに おなまえかいて、ママ
きょうだいたちの あしにもね
そしたらみんな いっしょでしょ
そしたらみんな あたしたち
ママのこだって わかってもらえる

あしに おなまえかいて、ママ
ママのあしにも
ママのとパパの おなまえかいて
そしたらもみんな あたしたち
かぞくだったって おもいだしてもらえる

あしに おなまえかいて、ママ
すうじはぜったい かかないで
うまれたひや じゅうしょなんて いい
あたしはばんごうになりたくない
あたし かずじゃない おなまえがあるの

あしに おなまえかいて、ママ
ばくだんが うちに おちてきて
たてものがくずれて からだじゅう ほねがくだけても
あたしたちのこと あしがしょうげんしてくれる
にげばなんて どこにもなかったって


ガザでは、自分や子どもが殺されても身元が分かるよう、この名前をその足に書くことにした親もいる。――2023年10月22日CNN報道

   (原口昇平訳)

『現代詩手帖』2024年5月号〈特集 パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聞く〉(思潮社)より


ゼイナ・アッザーム Zeina Azzam は米国在住の詩人。ガザ地区の若者の執筆活動を奨励する非営利組織We Are Not Numbersのメンターを務めているという。
個人サイトは⇒https://zehinaazzam.com
(以上は訳者の原口昇平氏の解説に拠った)








大谷恭子弁護士逝去[2024年10月16日(Wed)]

大谷恭子弁護士逝去の報。享年七十四。
永山則夫元死刑囚の弁護を担ったことで知られる。
彼の著書による印税をもとにした永山子ども基金の代表も務められた。

心よりご冥福を祈ります。


☆【朝日新聞デジタル10/5記事 金子和史記者】
弁護士の大谷恭子さん死去 永山則夫元死刑囚らを弁護 女性支援も
https://www.asahi.com/articles/ASSBH2J5MSBHUTIL02ZM.html


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クコ(枸杞)の花。大粒の涙のような赤い実をつける。

***

◆永山氏の逮捕は1969年の4月。彼が中学までを過ごした棟割長屋も、彼が父親と映画を観たすぐ近くの映画館も今はない。

「いのちのギャラリー」で彼の遺品に対面したことがある。
平凡社の哲学事典、彼の字でびっしり埋め尽くされた何冊もの大学ノート……獄中では全てのページを埋めないと新しいノートが渡されないので、どのページも余白をぐるりと字で埋め尽くしてあった。曼荼羅を完成させて行くようなその律儀さに圧倒された。

◆同じように余白を残さないように字で埋め尽くされた手紙をもらったことが二度ある。
一通は小菅の東京拘置所に収容されていた外国人から。もう一通は牛久入管(東日本入国管理センター)にオーバーステイで収容されていた別の外国人から。
いずれも、面会へのお礼を綴った、日本語の手紙だった。
漢字の一点一画もゆるがせにしない丁寧な文字たちは、生きることへのひたむきさから生まれたものだと思う。


マティ・ステパネク「ほんとうの意味」[2024年10月15日(Tue)]

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ネズミモチ。実はもう少ししたら深い黒のつぶつぶになる。

*******



ほんとうの意味   マティ・ステパネク
               廣瀬裕子[訳]

目はものを見るためにある。
だけど、とてもうれしいとき
とてもかなしいとき
泣くためにもある。
耳は聞くためにある。
だけど、こころでだって
聞くことはできる。
鼻はおいしい食べもののかおりを
かぐことができる。
風や草や
ちょっとがんばれば
チョウチョのかおりだってかげる。
手は感じるためにある。
だきしめたり、そっとふれたり。
口と舌は味を知るためにある。
言葉をささやくためにもある。
たとえば、「とてもすき」とか
「神さま、ありがとう」とか
そんなふうにね。


Apr.1995



『すてきなすてきな世界のため ハートソング2(PHP研究所、2002年)より


◆こんな風に自分の身体を愛おしむことができるのは、それらを持つ自分が家族からどんなに愛されているか、知っているからだろう。
そうして、そのことを、ことばと身体全体で伝えられて来たからだろう。

そのように愛された者は、存在することの深い意味を、身体とこころの全体で受けとめている。
神さまという、目に見えないものに心が開かれているのも、それゆえだろう。

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マティ・ステパネク「がまんの平和」[2024年10月14日(Mon)]

◆ソバの花が咲いていた。

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*******


がまんの平和   マティ・ステパネク
               廣瀬裕子[訳]

ぼくはまちきれない
平和を広める人になることが。
ぼくはまちきれない
怒りや悪の問題に
世界が勝つための手伝いをすることが。
ぼくはまちきれない
世界が平和になり
みんながなかよく暮らすことが。
ぼくはまちきれない
大人になって
怒りや悪にうち勝つことが。
だけど、ぼくはまつよ。
がまんして
希望と平和を胸にして。


Nov.1999

『すてきなすてきな世界のため ハートソング2(PHP研究所、2002年)より

◆この詩を詠んだ当時、詩人は九歳。

大人たちは何をしているのだ。
(そこには己も含まれる。だから身も世もない恥ずかしさに陥る。
一方で、頭のてっぺんからつま先まで怒りや憎悪を詰め込んだ人だって世界には居る。紛争や侵略が絶えないのはその結果だ。)


***

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マティ・ステパネク「旅を信じて」[2024年10月13日(Sun)]

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3メートル足らずの木に、こんなにたくさんの柿が。
鳥たちだってこの季節は食べ物に困らないのか、少し突っついただけで草の上に転がったままのものも。

せっかくの大地の恵み、もったいない限りだ。かき集めるなり、干し柿にするなりして、必要なところに届けるすべはないものか。

*******


旅を信じて  マティ・ステパネク
               廣瀬裕子[訳]


まいにち
世界のみんなが
すくなくともひとつ
ほかの人のために
いいことをすればいい。
そうすれば、ひとりひとりの人を
助けてあげられる。
もっと自分を信じて
自信をもてば
ひとりひとりの人がはげまされて
もっともっといいことをしようと思う。
自分のため
ほかの人のために
世界のために。
そんな前むきな姿勢と行動が
ぼくたちの旅のはじまりの1歩。
世界の平和への。
世界の平和と
調和と自信は
なくてはならない。
ぼくたちの未来のために。

May 2000


『すてきなすてきな世界のため ハートソング2より(PHP研究所、2002年)

◆マティ・ステパネク(Mattie J.T.Stepanek 1990~2004)はアメリカの詩人。生まれながら筋ジストロフィーを発症、3歳のときに一歳年上の兄じゃミーを同じ病気で亡くしたことをきっかけに詩作を始めたという。
「争いのないしあわせな世界を」――彼の詩に一貫している願いだ。



「核抑止力に頼らない核不要論」[2024年10月12日(Sat)]

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稲のはさ掛け。昨日・今日は昼26℃ほどだった。

*******


◆ノーベル平和賞を受けた日本被団協の長年にわたる取り組みが、TVでも新聞でも紹介されている。
被爆者援護法制定を求める運動、国連で「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー」を直接訴え、ニューヨーク平和大行進を実現――被爆者自身が証言し活動主体となるそうした取り組みのほか、高校生平和大使など、若い世代の平和運動を支える運動にも注力してきた(今年5月3日の憲法集会でも署名活動をする彼らの姿があった)。

核実験が行われるたびに抗議声明を出して核廃絶を求め続けても来た。その姿を見て思ったことがある。

いったい、日本政府自体は、核実験や核開発の疑いが浮上するその折々に、被爆国として何らかの抗議や意思表明を行って来たのだろうか?
米ソ対立の東西冷戦時代にソ連に対して抗議声明を出し、見解の応酬を行った記録などはネットで跡づけることができる。だが、最近はどうなのか。核兵器使用の恐れがかつてないほど切迫している今は?

「遺憾である/容認できない」といった紋切り型でも、沈黙しているよりはマシだ。
小さな兆候や疑惑の段階でも懸念を表明し、歯止めとなるよう、人類滅亡をもたらす脅威に対してきちんと抗議し核兵器廃絶を国家として要求する、そうした努力を怠っていないだろうか。
被爆者や広島・長崎の両市・県にお任せではなく、核を弄ぶ国々に対して日本国としての意志を倦まず突きつけ続ける努力を払ってきているのかどうか。

無論、アメリカの核の傘を当てにする国が何を主張したところで、まともに相手にしてはもらえまい。核抑止という考えから抜け出すことが必要なのは言うまでもない。
それは無理、と、”安全保障のリアル"を口にする人ほど、決めてかかっているように思う。

数々の解釈変更を果断に進めてきた自公政権だもの、「核抑止力に頼らない核不要論」を編み出すぐらい、お茶の子のハズ、と思うのだが?……さて……?



日本被団協にノーベル平和賞[2024年10月11日(Fri)]

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秋色増す夕べの田畑をひたすら見つめるアオサギ。

***

◆夕刻のTVに飛び込んできた、ノーベル平和賞が日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)に、というニュース。

ロシア、北朝鮮、イラン……核に伸ばす指の先に破滅の二文字を見てしまう世界に向けて、ノーベル平和委員会が強いメッセージを発信したことは確かだ。

◆それにしても、「唯一の被爆国」という常套句を用いながら、核兵器禁止条約に未だ参加しない日本政府は、いつまともな主権国家になるのだろう。
そのことをきちんと批判しないメディアも「核抑止」という幻想にもたれて政府擁護の姿勢を棄てない。第一、「唯一の被爆国」と繰り返すのみで、今回のニュースでも、第五福竜丸が巻き込まれた水爆実験は出てきても、同じ実験で被曝したマーシャル諸島の人たちは全く無視している。
相変わらずの視野狭窄&思考停止報道だ。

◆東アシアサミットで外交デビューのイシバ首相、アメリカ・ロシア・中国と核保有国も参加したせっかくの機会に、核不使用・廃絶への意志を披瀝すれば、野党も世界も君を見直してくれる絶好のチャンスだったのだが。少なくとも、与党の方々だって、「そんなこと言っちゃマズイ!」などと思ってても絶対に言えない政治状況でしょうに。


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