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山田隆昭「雨のように」[2024年08月31日(Sat)]

DSCN9620.JPG

ナンキンハゼ。
7月半ばに1キロほど下流の山裾で見たのより大きくはなったが、未だ硬そうな青い実。
葉裏を見せたりして雨風になぶられた跡がまざまざと。

どしゃぶり、晴れ間、雷鳴とあわただしく翻弄される一日。セミも啼くのを諦めたような。

*******


雨のように    山田隆昭


電線が揺れている かすかに
雨に打たれている
水滴が膨らみ並んでいる
落ちる直前の張力は美しく
天と地の間で延び縮みしている
落ちれば曲線を失って
個から解放される きっと

水溜まりからどこへゆくのか
地中深く潜る あるいは
より元素に近づいて空に向かう
どちらにしても
還る ことにはならないだろう
納まるべき場所を持たず
いつまでも放浪する
水は哀しいもの
うらやむべきもの
枯れ草の匂い 埃の臭い
雨が連れてくるそれらに包まれて
ぼくらは天に昇るか 地に伏すか
どのみち ここ を持てないでいる

今日 ぼくは昇天する
最後に見る風景を忘れはしない
ふるふると揺れて
美しく見えるか
この体 このたましい
そのときがきて
なにを連れてゆけるだろう
懐かしい日向の匂い
小川の流れになびく藻の動き
踏みしめる草の音
みんなそのままで在り続ける

万物を受け入れ そののち
見送る者もやがて
どこかへ去ってゆく
どこへ か 誰も知らない
知ることで崩れてしまう世界がある
だまって
順序よく落ちてゆく雫のように
淋しく降りそそぐ雨のように
ただ

詩集 伝令』(砂子屋書房、2019年)より



弔う八月が終わる――が、弔いはなお終わらない。弔うことのできない状態もまた終わらない。

〈還る ことにはならないだろう〉とは〈個から解放される〉ことがない、と認識することだ――それでも、諦めるのでも退行するのでもなく。

雨、雨、雨[2024年08月30日(Fri)]

◆県内あちこちで豪雨被害。当市も要警戒地域避難の報知が出た。
強雨は断続的で、境川は最寄りの箇所で橋桁下2メートル弱まで水位が上がったものの、氾濫には至らず、今のところ水没や土砂災害はナシ。

台風の勢力は収まりつつあるようだが、なお一両日、雨は要注意。
長い緊張を強いられ、肩が凝る。

◆本日はペットボトルの回収日。雨中でも休まず収集してくれて感謝しかない。
というのも、先日の巨大地震注意情報発令で非常用の水を入れ替え、45ℓポリ袋で4袋ものペットボトルを出していたからだ(うち1袋は、ボランティアゴミとして回収したポイ捨てボトルだが)。

◆雨が小止みになって外に出てみると、葉っぱたちも名残の雨滴を載せながら、一息ついているようだった。

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こまつ座『母と暮せば』[2024年08月29日(Thu)]

◆こまつ座・第150回(!)公演、『母と暮せば』を観る。

母と暮せばチラシ表IMG_0001.jpg


井上ひさしの名作『父と暮せば』から生まれ、映画+小説、さらに芝居として大きく育ったことに感嘆する。(作・畑澤聖悟、演出・栗山民也


後半、原爆の熱線に身を焼かれ「熱(あつ)か、熱か」とのたうちまわる浩二(松下洸平)の姿に、ガザ、ウクライナの今を重ねて息を吞んだ人も多かったはずだ(芝居はそのように、心にかき立てられたイメージや感情を観客が共有する――というより、役者と観客とが相互に作用し合って時代の体験として記憶されるものがあり、それが未来をつくる。この芝居が繰り返し上演され、若い世代に共感を広げていることも、大きな変化として、今日つぶさに知ることが出来た)。

母・伸子(富田靖子)との二人芝居は、再び生きる歩みへと立ち上がる母と、それを見守る浩二の姿で静かに終わる。
劇中繰り返されるせりふ、「幸せは、生きとる人間のためにある」から導かれた、この芝居の結びだ。

拍手とスタンディング・オベーションが静かに豊かに劇場を満たして行く。心にしみる体験だった。


★終演後、ロビーには、『母と暮せば』の生みの親の一人である山田洋次監督が、こまつ座代表・井上麻矢さんたちと語らう姿があった。
映画版も改めて観たくなった。
坂本龍一氏の音楽とともに空へ空へと向かってゆく、あのエンディングもまた、映画として考え抜かれた結びのかたちだった。


DSC_0347.jpg





新川和江「なんとかして」[2024年08月28日(Wed)]

◆最強クラスの台風10号が不気味な遅さでやって来る。
人間同様、台風を迎える海のほうにも、積年の事情や都合というものがあるようなのだが。



なんとかして   新川和江


なんとかして
海は陸地へ いちどあがってみたいのです
幼い子どもが なんとかして
背よりも高い食卓へ
あがってみようとするように

岸には岩が 屏風
(びょうぶ)のように立っていて
どんなに体をぶちつけても
陸へはあげてくれないのです
ですから海は
ぼうぼうと 泣いているのです

あきらめて
いったん 帰ってゆきますが
すぐ引き返してきて せがみます
千年も いいえ万年も昔から
ずっと そうしているのです


『新川和江文庫5 青春詩篇/幼年少年詩篇』(花神社、1989年)より


 
新川和江「長十郎の村」[2024年08月27日(Tue)]

◆梨は、果物のなかでは出回っている期間が短い印象がある。

一皿いくらで買い求めた洋梨、もったいなさに一日置いていたら、押された跡の茶色が濃くなっていたので慌ててナイフを入れた。甘味は申し分なし。傷つきやすさを代償として神様から賜った甘さと言うべきか。

余勢を駆って長十郎梨を買ってみた。暑熱を忘れさせる豊かに甘い果汁。
さて梨のジュースは身近に見かけることは少ない気がする(存在しないわけではない)――どうしてだろう?


*******


長十郎の村  新川和江


〈なぜ 果実はあまくみのるのでしょう〉
それだけ言えばこと足りたのだ
梨畠にかこまれた中学校の講堂で
美について愛について幸福について
縁日の金魚すくいみたいに
紙柄杓
(かみひしゃく)ばかりひらつかせていた私のお喋り
控え室に戻り
もてなしに出された梨の一片を食みつつ
いましがたの長広舌を私は愧
(は)じる
〈なぜいい匂いまでたてるのでしょう〉
種族保存に必要なのは
黒い小さなたねだけなのに――
あの人たちは知っているにちがいない
幾十年
梨とおなじ陽を吸って水を吸って
長十郎さながらの肌色をしたあの人たちは
無駄口はきかないが
親の代から知っていたのにちがいない
美や愛や幸福などというものも
たぶん そのようなものであると



現代詩文庫『新川和江詩集』(思潮社、1975年)初出。
『新川和江全詩集』(花神社、2000年)に拠った。

◆誰もが講演を終えて反省に駆られるわけではない。念を入れて用意したことどもを話し終えてなおも気づきがあるから、慚愧の念に襲われるのだろう。
ここでそんな思いをもたらしたきっかけは長十郎梨だ。

どんな高説卓説をふるおうとも、地に根を生やし、一顆の確かな実りを産み出す人びとの前では色あせてしまう。

「美や愛や幸福」という言葉で言い表すのでなくても、愛情を注いで美しいものを育てることの幸せを彼らは知り、営々と伝えて来たはずであるから。




新川和江「歌」[2024年08月26日(Mon)]

◆米が品薄になって久しい。理由の第一は生産抑制が効きすぎたため、という。
無能なノー政の結果だとしたら深刻だ。
店頭に少し注意を向けていれば気づく話だから、「巨大地震に関する注意報」が出たことを機に、庶民の買いだめに拍車が掛かったかもしれない。

米不足をTVや新聞が取り上げられるようになったのは地震の注意報が解除になった後だから、水面下では当局による情報統制が働いていたかもしれない……と疑念はふくらむ。

じき新米が収穫される時期を迎えれば解消するだろうけれど、折しも連続する気配の台風は、その昔の蒙古襲来どころでない脅威だ。

日々の糧を心配する日がまた来ようなどと、夢想だにしなかったことだけれど。

*******


歌  新川和江

  森の奥では死んだ子が
  螢のやうに蹲(しやが)んでる――中原中也


生きている子どもたちを
光のなかで跳
(は)ねさせているのは
闇のなかの
死んだ子どもたちです

生きている子どもたちを
ベッドの上でむずからせているのは
つめたい川を流れてゆく
生れなかった子どもたちです

生きている子どもたちの
目方をふやし 背丈をのばしてゆくのは
死んだ子どもや 生れなかった子どもたちが
使わずにたくわえている月日です

おやすみ
おやすみ
おかあさんは 子守歌をうたう
世界じゅうの 屋根の下で

目に見える子どもも 見えない子どもたちも
同じ腕に 抱き寄せて
どんなちいさな耳にもとどく
優しい声で


『夢のうちそと』(花神社、1979年)所収。
『新川和江全詩集』(花神社、2000年)に拠った。


◆生まれた子がみな順調に育つとは限らないことや、やむを得ずして産声をあげることのない命が少なからずあることを、現代人は忘れがちだ。

けれど災難の方は我々の慢心を見のがさない。飢饉、はやり病、災害……さらに、戦争だ。

我々が弱い生きものであることをつくづく思い知るなら、「見えないいのち」に注ぐまなざしがますます大切になってくる。彼らを悼むことは、生きて在る幼き者の安らかな成長を祈ることでもある。さらに、それを見守って生きる幸せに感謝することでもある。

◆別の詩では、次のように歌ってもいる――

歌いつくせない
喜びの歌 悲しみの歌 そのひとふしひとふしを
世界じゅうの子供たち ひとりひとりのための子守歌を
だからわたしは 今日も生きている
そうして明日も


「生きる理由」より:詩集『夢のうちそと』所収)








新川和江「問」[2024年08月25日(Sun)]

◆昨日の詩「いっしょけんめい」の、子どもの真っ直ぐな「問い」に応答するような詩に出会った。第一詩集『睡り椅子』から6年後、「詩集『絵本』」の中の一篇である。



問  新川和江


われらに答があり得ようか
われらにあるのは
永劫に問ばかりです 眼に見えぬ偉大なおかた

うず高い計算書 帳簿のかげに太陽を紛失し
ふとうろたえて
きょう一日の疲労の廻転椅子をまわす時
期待に反いて背後はいつもがらんどうなのだ

人を捨てると
すぐさま性急に走り去る電車
人はなにやら惨
(みじめ)な気持になるけれど
そそくさと歩き出すのを忘れない
それぞれに ちいさな答を求めながら

狭雑な裏町に夕霧がたちこめる
溝川の水は澱んで冷たいのに
橋の下 老人は何を飽かずに抄
(すく)うのか
(こわ)れた花瓶 ふやけたぼろ靴
そんななかからちょろりと匍
(は)い出す
たったひとつのざりがにが欲しいため

ダイヤルを廻すX
金属性のノブに手をかけるZ
燐寸
(マッチ)を探す彼 言葉を失くす私
どこかでけたたましく鳴りわたるベル
吠えやまぬ犬

てるてるぼうずを小枝に吊るす少女や
鉛筆の芯をほそくほそく削りたがる一年生や
手術衣に手を通す外科医
結核病棟の窓々
きのこ雲……

爪のように
はこべのように
われらの問は
のびるばかりです それでも尚食い足らずのどんらんなおかた


絵本『永遠』(地球社、1959年)所収。
新川和江文庫5 睡り椅子/絵本『永遠』〉(花神社、1988年)に拠った。

◆カメラが近づき、また遠ざかるようにして点描されて行くのは、仕事に追われ倦み疲れた人びとの姿。

大人たちにも問いはある。それどころか、問うことをやめたくなる日々の中で、問わないのは人間として生きることをやめるに等しいことを知っている――それがどんなに小さな問いであろうとも。

◆子どもの問いは大人に向けて発せられるだろうけれど、では大人たちの問いは誰に向ければ良いのだろう。

詩人はその相手として、仮に「眼に見えぬ偉大な/どんらんなおかた」を想定してみる。
その「おかた」が実在するかどうかは問わない。
問わずにいられぬ以上、それに答を与える存在を仮に措くのでなければ、やりきれないからだ(――「答えがある」と仮に想定することと、実際それが得られるかどうかは別のことだ)。




新川和江「いっしょけんめい」[2024年08月24日(Sat)]

DSCN9615.JPG
コウヨウザン(広葉杉)というのか、大きな杉の仲間。
名前の通り、葉が大きい。

DSCN9619.JPG
下の方の葉は、柔らかな葉を広げて、空から降りてくるものたちを抱きとめるべく待っているみたいだ。

◆北の方では夏休みも終わったころ。子どもたちを待ち受けているのは何だろう。

***


いっしょけんめい   新川和江


いっしょけんめい 泳いだら
いつか 魚に なれますか
尾ひれが生えて すいすいと
沖まで泳いで ゆけますか

いっしょけんめい はばたいたら
いつか 小鳥に なれますか
つばさが生えて ゆうゆうと
広いお空が とべますか

いっしょけんめい 背のびをしたら
いつか ポプラに なれますか
みどりの葉っぱを そよがせて
風とおはなし できますか

いっしょけんめい 咲こうとしたら
いつか お花に なれますか
ひかりと水に 愛されて
わたしもきれいに 咲けますか


新川和江文庫 5 青春詩篇/幼年少年詩篇』(花神社、1989年)より


◆魚や小鳥、ポプラやお花。どれも「たとえ」ではない。
それらになりたいと真っ直ぐ思う心。

大人には答えることの難しい問いだ。
(答えねば、と理屈が目先にちらつくので難しくなるんだろうけれど。)

真っ直ぐな問いを、真っ直ぐ受けとめられれば良いのだが、それがまた難しい。



タイタンビカス[2024年08月23日(Fri)]

DSC_0387.jpg

タイタンビカス。
アメリカフヨウに似るが、じつはアメリカフヨウとモミジアオイを交配してできたものだという。

花が大きい。大人が掌を広げたぐらいもある。
名前は、神話の巨人、タイタンと、ハイビスカスを合わせたものか。

炎熱のもとでも動じない力強さはうらやましい限り。

タイオタンビカスDSC_0399.jpg





サンゴジュ[2024年08月22日(Thu)]

◆サンゴジュ(珊瑚樹)が実をたくさん付けていた。

DSCN9605.JPG

曇り空のもとでも鮮やかな色だ。

DSCN9611.JPG



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