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田中眞由美「脱皮」[2024年07月20日(Sat)]


脱皮   田中眞由美


〈ちょう〉が〈しょう〉に脱皮した

〈ちょう〉は静かに優雅に 舞った
とばかりは言えないけれど
それでも 自分をわきまえていたので
いろ かおり かたちを探りながら
花 から 花を見極めて
自分の食卓を選んで立ちふるまっていたのに

〈しょう〉は生まれたばかりのときは
まだ自分が何ものか認識しきれなかった
ニューロンは伸びきらず
手足への指令がスムーズに伝えられなくて
挑発されると
大きな声を上げて高く低く鳴きかわし
昼夜かまわず飛び立って

脱皮したばかりの身体は
固まらずぶよぶよと不気味なまま
定形を保てないので
あちこちにぶつかっては落ちてばかりいて
その醜さが見えた

このごろは
それでも体が固まってきて
〈しょう〉はカブトムシの姿を現して
南の島では手あたりしだい見境なく
繁殖し始めた

となりのならず者たちに
不安ばかりがかきたてられ
街には〈しょう〉を頼るものが増えた

身体が固まったからといっても
脳細胞は本当に成長したのだろうか

〈ちょう〉の舞いかたを思いだしている


 *庁から省に

『コピー用紙がめくれるので』(思潮社、2023年)より


◆痛烈な風刺詩。
折しも海自における「潜水手当」の不正受給や、安全保障に関わる特定秘密保護法の不正な運用、軍事関連企業からの裏金による自衛隊員接待と不祥事が続く。
防衛省幹部によるパワーハラスメントも発覚した。

◆〈しょう〉にあらず、さりとて〈ちょう〉にもあらず。
災害支援専従の〈じぇい[J]チーム〉として各地から〈よびたい〉と思われる存在であり続けるのが正しいありかたなのではないか。



山口雅代「自転車」[2024年07月19日(Fri)]

◆山口雅代詩集『ありとリボン』にはまだまだ味わいたい詩がたくさんある。
気持ちを少し戻して、もう一篇――


自転車   山口雅代


野はらへ出たら
けしきが まわる
頭の中を
風が はしる
心の ごみも
顔の ごみも
とれて しもうた


『新版 ありとリボン』(編集工房ノア、2023年)より

◆四年生の時の詩だ。
難病を抱えて生まれ、障がいについて書いた詩もあるが、どの詩も、こころが自由に弾んで言葉が生動している。

一例を挙げるなら、
「心の ごみも / 顔の ごみも」の二行。
理屈屋の大人は「顔の ごみも / 心の ごみも」と順序立てて書くかもしれない。
だがそれではことばは干物みたいになってしまう。

詩人はまだるっこしいやりかたとは無縁だ。

「頭」や「心」の中を風が吹いたという事実が真っ先にある。
だから顔のごみも吹き飛んで表情もすっかり変わらずにはいない。

読む者は、それを追いかけるようにして、野を、道を一緒に駆ける。


田中眞由美「ここ」[2024年07月18日(Thu)]

◆ミズキの葉叢の奥に、実が膨らんでいて、踊るような姿を覗かせていた。

DSCN8225.JPG


ささやかな盆踊りか何か、小さな祝祭のおもむき。

DSCN8224.JPG

*******



ここ   田中眞由美


  やわらかい
  だからふみだせない

あしたも
あしたのあしたも
ひとつきさきのあしたも
つながらない みらい

気づかぬうちに閉じこめてしまったから い
つからいるのか知らない 濁った闇が視界を
遮るから ただ蹲まっている 果てしない無
為が ここにいればいいただ蹲まっていれば
いいという けれど闇の底の底からは 失く
してはならないものが かすかな声を発する
失くしてはならないものは ときどきほんの
ときどき光が差しこむとき 闇を透かして外
の未来をみせる きらきら輝いて輝いてもう
手が届きそう 何故かわたしの未来だとたし
かに思う未来が 誘っているおいでとまねく
まねかれるままに 光の中に身を晒していた
光を浴びた痛みが不安をまねき 追いかけて
きた闇は 素早く不安をつかまえ押しつぶし
連れ戻すと 不安は自ら扉に鍵を掛けている

  いごこちがいいなんて
  おもっていないよ

もがけばもがくほど
ふかくしずんでしまうばしょ

いつかかぎをすてられて
そとがここにはいりこんでしまえば
あしたもここになだれこんで
みらいがわたしをつかまえるかな


『コピー用紙がめくれるので』(思潮社、2023年)より


◆たとえば「ここ」が、”天井のない監獄”と言われるガザのことだと仮定してみたとしても、今やさほど突飛な話ではない。

コロナ禍において閉居の日々を味わってしまったからだ。
あのとき、部屋の鍵は自分の手元にあったかも知れないが、使うことを自分で禁じてしまえば――不安にかられた者は、しばしばそのようにする――自主的な蟄居も強いられた幽閉も大差ない。

その状態で、ヅカヅカ入り込んでくる者たちは、俺たちはみんなのための「みらい」だと名乗って現れるに違いない。
だが、それはもう「希望」や「自由」の姿をしてはいない。
人間としての「誇り」や「尊厳」を失ってしまっているからだ。




田中眞由美「移住」[2024年07月18日(Thu)]

◆クサギの白い花が目についた。日陰に生えている割に高さ5〜6メートル。

DSCN8240.JPG


DSCN8236クサギ.JPG

この先、秋に向かって赤い萼に濃紺の実をつける劇的な変化が見もの。

*******


◆スマホの一台を買い換えた。バッテリーか電脳のどこかが変調を来して、自らシャットダウンするようになった。
自壊しないように電源を自ら落としているように思われたが、本体にある画像のいくつかを失っては元も子もない。

データの乗り換えも店でやってもらったが、今は撮った画像・動画のほとんどは本体ではなく、クラウド上に保管されるのだそうだ。
世界が広がる、というよりは、己の脳みそと思っていたものが、知らないうちにサイボーグ同然のものに改造され、見えないワイヤーにつなげられて、意識は無辺際に拡散してゆくような心もとなさを覚える。

スマホを通して、人間の棲息空間全体がそのように作り変えられているような。

次の詩は、そうした危うさを、スケルツォでうたう。


***


移住  田中眞由美


ひとは
大地を離れ
薄っぺらな箱に住み始めた
そこは四次元空間で
内部から光りを発し
増殖をくりかえしている

ひとは視線を落とし指をすべらせるだけで指
示は絶え間なく発せられるから目を離せない
歩くときも自転車をこぎながらそして坐れば
一直線の列になってうつむいて視線を落とす
隣がどんなひとかなにをしているかさえ気に
も留めずにひたすらに自分の世界を覗き込む

あめりかいぎりすけにやおーすとらりあ
ちゅうごくきたちょうせんあるじぇりあ
世界中に一瞬でワープもできるそこ

世界が宇宙が現在過去未来がすべて存在する
そこ今日の天気今日の出来事今日の予定乗り
換え案内料理のレシピ買い物りすと個人情報
新聞テレビ書籍辞書映画館銀行市役所図書館
書店飲食店コンビニエンスストアブティック
貿易会社だってあるゲームセンターは人気の
スポットライブ中継はいかがひととの出会い
も斡旋するよ季節のかおりさえそこから漂う

その街をさまようだけのひとは
脳も退化して考えることをやめた
この街では
ほんの数人が覚醒し
世界を支配する


『コピー用紙がめくれるので』(思潮社、2023年)より



ナンキンハゼ[2024年07月16日(Tue)]

◆淡い緑の葉が山裾の光を受けていた。

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近づくと花と青い実も見える。

DSCN8255.JPG


DSCN8256.JPG

ナンキンハゼという木だった。
花はアカメガシワ(の雄花)に似ている。
花言葉は「真心」。

秋には美しく紅葉するそうだ。
散策の楽しみが一つ増えた。




山口雅代「手がら」[2024年07月15日(Mon)]

DSCN8249.JPG
ヤブミョウガの花。

おととしの9月、横須賀の山道で、これが藍色の実を付けた状態に出会った。
今回は地元の山道で遭遇。
数珠のような白い色が鮮やかだ。

★2022/9/5の記事【ヤブミョウガと三軒家砲台跡
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/2429

*******


手がら   山口雅代


おじさんは
せんそうの時
手がらを たてたのだそうな
敵の人を たくさん
やっつけた 手がらだそうだ
人をすくうのが 手がらなのに
おかしな次代もあったのだな
おじさんは 戦死した


『新版 ありとリボン』(編集工房ノア、2023年)より

◆詩人が小学校6年生の時の作品。

人の命を救い、苦難の人々を救うことこそが讃えられるべき手がらであろうのに、その逆のことをして讃えられるのは、敵と味方とを区別する時にのみ成り立つ理屈に過ぎず、それが真の手がらではないことを示す。

◆銃が誰かを救ってくれた、という言い方も、敵の命を奪ったことを「手がら」と言いくるめていることでしかない。
一方がふりかざす正義は、相手から見れば悪に他ならない。

一挺の銃から核武装に至るまで、抑止論は敵・味方の区別の上にのみ成り立つ。
銃を持つことが正しいと言い張るためには、敵をでっちあげることだってやらかす。
すなわち、誰かが「戦死」することを必要とする。



オニユリ トランプ氏銃撃事件[2024年07月15日(Mon)]

DSCN1179オニユリ.JPG

オニユリ。
日本では赤鬼に見立てた命名。
ドイツ語では「虎百合」という意味の名前で呼ばれるそうだ。オレンジの花と斑点を虎に見立てたものだろう。花言葉は「華麗・威厳・気高さ」など。

*******

◆トランプ氏銃撃のニュースが世界を駈けめぐった。
大統領選に向けた集会ということもあり、SPに守られながらステージを降りる間も、拳を上げて、屈しないという姿をアピールして見せていたが、それがガードするSPたちを危険にさらし続けることにはお構いなしだ。
彼が誇示しているのは、他者の犠牲を前提にして成り立っている「力」に過ぎない。

現実に巻き添えを受けて亡くなった方も負傷された方もいる。
銃がモノ言う社会が病んでいることだけは確かなことだ。



山口雅代「ていでん」[2024年07月13日(Sat)]


ていでん   山口雅代

ていでん だ
ぱっと
虫の声が 大きくなった
わたしは いったい
どっちの方を向いて
すわっているのだったかしら


 新版『ありとリボン』(編集工房ノア、2023年)より


◆停電で視覚情報が途絶えた瞬間、耳を圧するほどに迫ってくる虫たちの声。
同時に、大きな姿にふくれあがった虫たちに比べて、我が身の頼りなさ、風に持って行かれそうな心細さに襲われる。
生きることの心もとなさを体感する瞬間でもある。
むき出しになった五感を闇の中で働かせる。

いま、瓦礫の中で、その状態に追い込まれたままの幾十万もの命がある――想像をそこに向けるよう、はげしく迫って来る詩だ。



山口雅代「にげてる人」[2024年07月12日(Fri)]


にげてる人   山口雅代


ニュースで 見ました
せんそうで おわれてゆく
人たちを
車に にもつ つんで
お父さんが 子どもを だいて
にげて います
はまべにたちどまって
島の方を 見ています
どこへ にげようかと
まよって いるらしい
かみさまが
あの人に
舟を
出して下さると いいのに


  新版『ありとリボン』(編集工房ノア、2023年)より

◆小学校2年生(1950年)の時の作品20篇のうちの一つ。
とすると、「ニュースで」みた、というのは、朝鮮戦争のことだろうか。

ここでも詩人は、人々の視線に自らの目を沿わせようとしているようだ。
それは戦火を逃れて逃げる人たちの心にわが心を溶かし合わせようとすることだ。

その後も、ベトナムで、シリア、アフガニスタンで、ウクライナ、そしてパレスチナで、逃げ場のない、逃げる手だてのない人たちが今なお――



山口雅代「あかちゃんのな」[2024年07月11日(Thu)]

◆梅雨空にヒマワリがずらり満開だった。

DSCN1159-A.JPG



あかちゃんのな   山口雅代


あかるいほうばかりむく
あかちゃん
えつこちゃん、と
つけはったけど
ひまわりちゃん、と
つけてほしいな


新版『ありとリボン』(編集工房ノア、2023年)より

◆詩人は先天性小児マヒを克服しながら詩を書き続けて来られた方。
児童詩誌「きりん」に掲載されたほか、新聞等に紹介される。
小学校卒業の記念にまとめたのが詩集『ありとリボン』。
この「あかちゃんのな」は小学校1年生の時の一篇。

◆あかちゃんが明るい方を見つめている、という観察は、作者もあかちゃんになって視線の先を見ているからだろう。
世界の明るさをすべて心にとりこみながら、家族やご近所の人たちの眼に映る自分の姿をも視ているのかもしれない。

***

DSCN1164-C.JPG

ヒマワリの花は、そろって東南の方角を向いていた。
時間のせいか、うつむきかげんのものが多いが、すべてがそうというわけでもない。
沈思の表情のものもあれば、雨雲に向かって昂然と顔を持ち上げているものも、というおもむき。

DSCN1161-B.JPG

DSCN1169-D.JPG




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