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本日、「ガザについて語ろう」学習交流集会[2024年07月31日(Wed)]

◆いよいよ「ガザ」をテーマにした学習会が始まる。

一人で読みうる資料には限界がある。それもメンバー持ち寄りの本や資料を共有することで、幾層倍もふくらむものがある。
知らなかったことに触れて得るのは、情報よりも、起きていることを複眼的に考える力だ。

遠い地域の出来事と足もとの問題とが、つながって見えてくる。

◆資料の印刷も終わり、なかなか持ち重りのする資料集が姿を現した。
乞うご期待。

***


2024年「教育の自由」を求める学習交流集会


ガザについて語ろう


なぜ、1万5000人もの子どもの命が奪われているの?
なぜ、世界はそれをとめられないの?


子どもたちに何が伝えられるか…ともに学び、ともに考えよう

《日時》2024年7月31日(水) 18:00〜20:00
《場所》かながわ県民センター 1502号室
        ( 横浜駅下車 西口・きた西口 徒歩約5分)

資料代 300円
主催:日の丸・君が代の強制に反対し、学校に「思想・良心の自由」を実現する会




松川なおみ「八月」[2024年07月29日(Mon)]

◆午前のうちに車の中はすでに38℃もあった。
玄関のドア、ハンドルをはじめとして、直射を浴びた物に手を触れるには決死の覚悟が要る。

いきおい、ことばの上だけでも、涼を求めたくなる。

***


八月   松川なおみ


白粉花が開く頃
お豆腐屋さんのラッパが
聞こえてくる

八月は
ノスタルジーの月
帰ってくるものたちの
気配に耳をすます

お豆腐屋さんをよぶ
遠い声
白粉花の柔らかい
かおり

気配は
ふんわりと
大きくなっていく

オトウフヤサンモメンヲイッチョウ

ふんわりと
抱きすくめられて
風のかげを
一瞬見たような気がして

ラッパの音も
白粉花も
消えて久しいものたちなのに



『丘をのぼる』
(思潮社、2023年)より


◆オシロイバナの形からお豆腐屋さんのラッパへと(むろん豆腐の白さも一緒に)連想が広がるのは自然だ。

ここでは五感のすべてが動員されている。
ただし、どれも、現実に今・ここにあるのではないものに対して向けられていることが特色だ。

幻想に対してそれらが開かれていくためには、かつてそれらの感覚をゆるやかに働かせた記憶が確かにあり、かつどの感覚も、ますます柔らかに息づいていることを必要とする。



百日紅[2024年07月29日(Mon)]

DSCN1220.JPG

サルスベリ(百日紅)は、やはり炎天下に鮮やかな紅い色がふさわしい。
枝を伸ばした樹の姿はカーニバル風でもある。そう思うのは、発散して暑さを忘れたいからか、
原産地は朝鮮半島で、花言葉は「雄弁」「愛嬌」「あなたを信じる」など。




谷川俊太郎「歩く」[2024年07月28日(Sun)]

◆昼過ぎ、急に停電になった。
ご近所に聞いてみると、引き込み線が共通の隣家と我が家の2軒だけだ。
電気会社に来てもらうことにしたが、2時間ほどかかるという。
その間、窓を開け放してひたすら待つしかない。
動かなくても汗は噴き出る。
ジッとしているくらいなら、外を歩きたくなる。
「歩く」ことがとても能動的な行為だからだろう。

人間が、受け身ではとてもやっていけない生き物だと思い知った。


歩く   谷川俊太郎


歩いている
自分の二本の脚で歩いている
いつか歩けなくなるとしても
いまは歩ける幸せ

歩いている
曇り空の下を歩いている
用事はあるがそれはどうでもいい
どこからどこへそれは分かっている

この路地は大通りへ通じていて
大通りは盛り場に通じていて
盛り場は海へそして他の陸へと続く
そのどれもただ通り過ぎるだけ

歩いている
このささやかな喜び
たとえ心に何を隠しているとしても
脚はこの星を踏みしめている


『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫、2013年)より

◆電気の復旧は幸い夕餉のしたくに間に合った。
電気会社の人によると、引き込み線の先、道路側にあるヒューズが経年劣化でダメになったのだという。
暑さが関係しているかどうかは分からない。
ヒューズも、それを支える電線も、しっかりこの星を踏みしめている電柱と一体になっているのだが、歩くわけにいかないのはいかにも気の毒だ。

月夜に電信柱を歩かせずにいられなかった賢治の気持ちが分かる気がした。



ウソつき[2024年07月27日(Sat)]

◆7月24日、イスラエルのネタニヤフ首相は、米連邦議会における演説で「ラファで民間人は一人も殺していない」と述べた由。
誰もがハマスだから殺しても当然だと言いたいのか。

このような人物を招待し傾聴して見せ、拍手さえする。
これが現実だから、国民は黙って受け入れろと言いたいのか。
いや、黙らない人たちが議事堂の外にもイスラエルにもいたし、議事堂の中にもいた、「戦争犯罪人」とネタニヤフ氏を名指しするプラカードを持って。

*******


うそとほんと   谷川俊太郎


うそはほんとによく似てる
ほんとはうそによく似てる
うそとほんとは
双生児

うそはほんととよくまざる
ほんとはうそとよくまざる
うそとほんとは
化合物

うその中にうそを探すな
ほんとの中にうそを探せ
ほんとの中にほんとを探すな
うその中にほんとを探せ


『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫、2013年)より


◆この詩の大事なメッセージは、最終連の対句、
「ほんとの中にうそを探せ」
「うその中にほんとを探せ」
だろう。

◆ほんとらしく装ったことばが新聞やテレビに溢れている。
その中に仕込まれた「うそ」を見抜く目と耳を持つのは難しい。
だが、よく鍛えられた目と耳を持たなければ、いつだって私たちは「ダマされる」ことになる。
それどころか、その「うそ」を、さらに広めて殺人に加担することになる。

◆いっぽう、小説や詩には「うそ」があふれている。
だが、それは言葉の森の向こうにある、揺るがぬ「ほんと」を見出すためにある「うそ」だ。
その「ほんと」に出会わないと、森は枯れ果て、世界は真実の死骸ばかりが累々と横たわる砂漠と化す。

◆「うそとほんと」の「化合物」が人の魂に正しく点火するなら、世界は変わる。




谷川俊太郎「空」[2024年07月25日(Thu)]


空   谷川俊太郎


空はいつまでひろがっているのか
空はどこまでひろがっているのか
ぼくらの生きている間
空はどうして自らの青さに耐えているのか

ぼくらの死のむこうにも
空はひろがっているのか
その下でワルツはひびいているのか
その下で詩人は空の青さを疑っているのか

今日子供たちは遊ぶのに忙しい
幾千ものじゃんけんは空に捨てられ
なわとびの輪はこりずに空を計っている

空は何故それらのすべてを黙っているのか
何故遊ぶなと云わないのか
何故遊べと云わないのか

青空は枯れないのか
ぼくらの死のむこうでも
もし本当に枯れないのなら
枯れないのなら
青空は何故黙っているのか

ぼくらの生きている間
街でまた村で海で
空は何故
ひとりで暮れていってしまうのか


『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫、2013年)より


◆この詩を読む直前に身の回りに起きたこと、聴いていた音楽、TVで見たニュース、その日の天気……などなどによって、印象をそのつど変える詩。

TVで白い布にくるまれて母の腕に抱えられた死せるガザの子ども、それは昨日のニュースだったが、その場面が目の前から消えない今、この詩はレクイエムのように思われる。

青い空のもと遊ぶのに忙しい子どもたちの姿は歌われているのだが、ここに子供たちの歓声は聞こえない。
空が「遊ぶなとは云わない」のも「遊べとも云わない」のは、この子供たちは「死せる児」たちであるからだ。

それゆえに青空は「黙っている」しかない。

読む者には、泣き叫ぶ母の声が空を切り裂いたまま、いつまでも聞こえているし、彼女に語りかける言葉など、何をどう探したところで見つからない。

たぶん、空にもその嘆きは聞こえている。

空が自らの青さに耐えているとしたら、私たちは何に耐えているというのだろう?




百日草[2024年07月24日(Wed)]

◆暑すぎてか、セミの鳴き声に元気がない。
一方、鮮やかな原色系の花は暑さをしばし忘れさせる。

DSC_0385.jpg


DSC_0347.jpg

百日草だと、グーグル・レンズは教えてくれるが、未だにダリアとの区別がつかない。






嵯峨潤三「突然のある日」[2024年07月23日(Tue)]

DSCN1215.JPG
マリーゴールド。ホームセンターの園芸コーナーの定番と言うべき花だ。

***

突然のある日   嵯峨潤三


夕暮れのベランダに
闇が差し込む
終夜灯のぼんやりした明かり
空の奥から
懐かしい静寂がおとずれる

そのとき
街を襲った突然の地震
家並みはつぎつぎと崩れ落ちていった
月明かりに濡れて
傾いた標識が取り残されている

〈とつぜんだったね
やぶからぼうよ
牛蛙のようにぺしゃんこさ〉

蛙の死
友の死
わが身の死
何が起こるかわからない
此の世の
永遠の仮眠
しかし
何かが欠落していた
それぞれの場所に
それぞれの安らぎがあったはず

世界の始まり
ひとであったり
動物であったりしたとき
怒り
悲しみ
恐れ
祈りが
ことばを呼んだ

だが ぼくたちは
空や街をにぎわすための
ささやかなことばさえ
見付けられなかった

無力と混迷のなかで
ひとびとは
不安と恐怖を抱えて寄り合う
思考するもの
とりとめのない事を話すもの
ことばは互いに跛行する

落莫の月のもと
在り過
(すぐ)すものたち
虚飾をすてありのままに
欠落を埋めることが出来るのか
渇きを埋めようと溶けあえるのか
地球は絶えず蠕動している


詩集『置き忘れてきた風景』(土曜美術社出版販売、2023年)より


◆たまさか生き残ったにしても、幸運を喜ぶ気持ちなど持てず、我が身の死を味わったに等しい痛苦。
失ったものの大きさと埋めようのない、底無しの虚。
充たすことばなどありはしない――そのことを知りながらなおも、砂の一つぶに等しいことばを、蟹の泡ぶくのように吐き出さずにいられない業(ごう)のひと。



ランタナの実[2024年07月22日(Mon)]

◆当地でも日中は37℃に達した。
そんな炎暑でもランタナが鮮やかな色を見せていた。


DSCN1214.JPG

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黒々とした実をつけているものも。

DSCN1216.JPG

初めて見た。
漢方系の丸薬みたいな外見だが、実は有毒だとか。

◆ランタナの花言葉は「心変わり、合意、協力」の由。
政治の世界を連想してしまうが、徒党を組んだまま断崖から転落するよりは、緩やかな連帯で末永い共存を目指す方が、政党も国家も益すること多いのではないか。



田中眞由美「踏み外す」[2024年07月21日(Sun)]


踏み外す   田中眞由美


気が付くと
陽が陰って
薄闇の中を歩いている

くすぶった風が巻き上がり
風が雪を吹き飛ばしていく

いましがた
いつもの庭で紫陽花を一枝
切り取ったところなのに

  一瞬で
  世界は日常を踏み外し
  見知らぬ風景に踏み込んでしまう

この場所がどこなのか
移動の記憶はきりとられ
空には火花が飛び散るばかり

どこかから警告が届くが
のっぺらぼうの平面に
身を隠す場所はない

火花とともに落ちてきた突然が
執拗に追いかけてくる

  世界は
  踏み外したまま
  日常は途方に暮れて荒野を広げる

陽がささない暗闇に
闇を好むものが住みついていく

世界は戻らないけれど
さっき切った紫陽花の花にいた蟻を
庭に戻そうと考えている


『コピー用紙がめくれるので』(思潮社、2023年)より


◆「踏み外す」の主語は、人間以外考えられないだろう。
どうしようもなくオロカな人間が世界を牛耳っているから、生きものたちには迷惑な話だ。

◆ガザでは、爆弾の犠牲となった母の胎内から新たな命が取り出された。
生きる道を懸命に開いた医師たちに声援を。
踏み外したオロカな人間たちには、NO!の声を!!

*******


集会のお知らせ


ガザについて語ろう!
2024年 教育の自由を求める学習交流集会

なぜ、1万5000人もの子どもの命が奪われているの?
なぜ、世界はそれをとめられないの?



とき:2024年7月31日(水)18:00〜20:30
ところ:かながわ県民センター 1502号室

◆〔主な内容〕
(1)「天井のない牢獄」で起きていること
(2) パレスチナとイスラエルの歴史を学ぶ
(3) 子どもたちと何を語るか

子どもたちに何が伝えられるか…
 ともに学び、ともに考えましょう!

どなたでも参加できます。 資料代300円


主催:学校に「思想・良心の自由」を実現する会
【HP】
http://kokorofree.html.xdomain.jp/

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