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若尾儀武「戦禍の際で、パンを焼く」45・46[2024年05月21日(Tue)]


戦禍の際(きわ)で、パンを焼く   若尾儀武

45

わたしは西方の空を見ている
連れの少年は
わたしの目の奥を覗き込んで
何を見てるのと問う
しかしわたしは
明快に何々とは答えられない

幾重にも重なった雲のなか
ひとも
兵器も
世界も迷彩色の衣服を纏って
力任せの漂流を強いられている
指揮官らしき男は
もっと もっと奥までというが
戻る道を見失っている

越えすぎた国境
死神に先導されて
故国は余りにも遠い

連れの少年は
向こうで
カタカタ ガクガク
変な音がするねという



46

天上の石を転がすように
子らがケラケラと笑いながら
緑の平原を遠ざかってゆく
一面の麦畑
穂をつけたばかりの

わたしは子らを追いかけ 追いつき
子らを追い越し
もう子らは後ろにしたはずなのに
聲は前からする

(どうなっているのだ)

わたしの連れの少年は
おじちゃん どうしたのと
怪訝な顔をして問う
えっ いや まあ
何か言いたいが
こうも力ずくの不義がはびこれば
世界の糸口が見つからない

ねえ おじちゃん
変だよ
ああ 変だ
顔にあかあかと火がつく
逆立つ髪に燃えうつる

それでも子らは
天上の石を転がすように
けらけらと笑いながら
なおも遠ざかりつつこの星を前に前に回す



若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』
(書肆 子午線、2023年)より


◆詩集『戦禍の際で、パンを焼く』のV部(27〜49)の終わり近く。

45――西の空を見やりながら戦禍のウクライナを思う「わたし」に「連れの少年」が問う(Tの〈5〉で、公園の土に、文字を書いていた、新一年生になる少年だ)。
だが、出口の一向に見えぬ戦争を、どんな言葉で語れよう。
「わたし」が見ているものなど、「少年」に見えない方がいいのだ。
だが、少年の耳は、不気味な音をすでに聞きつけているではないか。

46――麦畑を遠ざかってゆく子らを「わたし」が「追いかけ 追いつき/追い越す」のは、彼らが戦禍に巻き込まれるのを防ぐためだ。だが、彼らはまるで天使か、すでに魂が現し身から離れてしまった者たちであるかのように、ついに追い越すことができない。

連れの少年がいぶかしげに言う――「変だよ」
――それは「わたし」の身に起きた異変なのか、それとも「連れの少年」に起きたことなのか、それとも、知らぬ間に、二人ながら戦火の中に身を置いているのか。
あるいは文字通り、身を焦がすほどの怒りに身もだえしているのか。


***

若尾儀武『戦火の際で、パンを焼く』カバーIMG_0001.jpg

帯の詩句は〈23〉(U)の一節。
本体表紙はそのウクライナ語訳のようだ(下の写真)。
*造本・装幀は稲川方人


IMG_02若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』本体表紙.jpg




若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』40[2024年05月20日(Mon)]


戦禍の際(きわ)で、パンを焼く   若尾儀武

40

街道沿いの教会の地下室
板壁に日付と名前を書いた紙片がピン止めされている
司祭がいない
人もいない

3・7
アンドリー
誰がピン止めしたものか

異邦
わたしは線路沿いの公園のベンチに腰かけ
上り電車の窓に
下り電車の窓に
君を探している



若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』(書肆 子午線、2023年)より


◆異邦の人間にも戦地の映像は届く。
避難民が黙したままの祈りを繰り返したはずの地下室に残されたアンドリーという名の人間――彼の生の軌跡を追い求める――断片とすら言えないメモを手がかりにして。

「わたし」に聞こえているのは砲撃ではなく、電車が通る音だ。
戦車のキャタピラではなく、すれ違う車輌の軋む音だ。

その電車の中に、夕陽を見やりながら疲れた横顔を見せているアンドリーが乗っているのだったら、私はホッと一息つけるかもしれないのだけれど。



若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』39[2024年05月19日(Sun)]

DSC_0400.jpg

ウツギ(卯の花)。夏を告げる花のひとつだ。

*******


戦禍の際(きわ)で、パンを焼く  若尾儀武

39

ベットを三つ並べて眠っている
どうほう とよむのだろうか

同じ方舟に乗り同じ方角に運ばれている
かいほう とよむのだろうか

もう何も壊れない
壊されない
へいわ とよむのだろうか

深い眠りを眠っている
きぼう とよむのだろうか

裏返された日々
時計は裏を刻んでいる



若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』(書肆 子午線、2023年)より


◆傷病兵だろうか、3人が並んで眠っている。
家に在って妻や子と眠るのであったら、「川」の字に見立てるところだろうに、いま深い眠りに就いている彼らをどんな言葉で呼べば良いだろう。

〈どうほう・かいほう・へいわ・きぼう〉とひらがな一文字ずつをあててゆくのは、彼らのために心をこめて祈るからであろう。

それらは川のごとく正方向に流れ下る時間の上で確認され成就するはずのものであるのに、戦争はそれを反転させ、自由を奪い、混乱と絶望の中に呑み込む。



若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』35,37,38[2024年05月18日(Sat)]


戦禍の際(きわ)で、パンを焼く   若尾儀武

35

来たよ
と老婆が十字を切っている

もう少し経てば雪が降る
せめてもと毛糸の帽子をかぶせた十字架
それもいずれ雪に埋まるだろう
老婆は花の替わりに手のひらを盛り土にあてている

ああ いつになったら老婆の胸に鐘はなるのか

帰るよ
誰もいない
誰も来ない
森の奥
母音を失った鳥が
くぐもった声で鳴いている



36

老婆が闇に手を伸ばしている

待っていたのだろうか
脈を辿って
戻ってくるものがある
老婆の胸に灯が点る

おかえり
いま パンが焼けたばかりさ



38

長い隊列をつくり
向こう岸を人の影が歩いている
夕闇
広い河をはさんで
こちら岸にも長い隊列を組んで人の影が歩いている

どちらの列からも聲はしない
等しく防弾チョッキの同じ場所に穴をあけ
そこが口であるように息をしている

何処をめざす列か
星が瞬かないので方角がみえない



若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』(書肆 子午線、2023年)より


◆〈35〉、老婆がやってきたのは夫の眠る墓所であろうか? それとも息子をも埋めることになる奥津城?
そんな不吉な想像をしてしまうのは、「母音を失った鳥」の鳴き声に凄絶なものを感じるからだ。

母音が無声化したり、子音だけで鳴く声は、渇き、くぐもっているにせよ、胸に突き刺さるように聞こえるだろう。

◆〈37〉で、闇の向こうから、手指の脈を辿るようにして――息子が帰って来る予感のようなのだが、それは実は、パンを焼く火がいったん落ちてしまったのに、強いて掻き起こし息を吹きかけて懸命に熾そうとするように、老婆がすでに消えた希望の灯を幻視し、錯乱している姿なのではないだろうか?

◆続く〈38〉の長い隊列は、向こう岸もこちら岸も、さまよう戦死者たちのようにみえる。防弾チョッキの穴は、クラスター弾によって穿たれた致命傷なのではないか。
彼らが歩いているのも。老婆と同じ闇の中だ。



若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』28[2024年05月17日(Fri)]

DSCN6968サンゴジュ?.JPG
サンゴジュ。やがて赤い実がたわわに。

*******

◆若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』からいくつか読み進めて来た。

詩集V部は27から49までの23篇。
時に照準を構える老兵士だったり(29)、「マリウポリ陥落」を伝える新聞に目を落とす市民とその飼い犬を見つめながら投降の肚を固める兵士だったり(30)、夫の戦死を告げられた妻と彼女の切ない回想(33および34)だったりするが、一貫して登場するのはパンを焼き続ける老婆の姿だ。

彼女は、誰のために今日もパンを焼くのか。



戦禍の際(きわ)で、パンを焼く  若尾儀武

28

今日のパンは
今日の火と水で焼け
非常を理由に焼き溜めをするな

暮らしは戦火ゆえに歪められるほどちゃちではない
百年
千年を貫く横棒

ヘルソン郊外
仮説のパン焼き窯の前に座し
老婆は今日きっかりのパンを焼いている



若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』(書肆 子午線、2023年)より




STOP GAZA GENOCIDE![2024年05月16日(Thu)]

DSC_0410-X.jpg

4月、新宿駅前でのガザ支援集会

***

◆今日の朝日新聞朝刊、美術作家たちのガザ攻撃を批判する声明を取り上げていた(文化欄)。
3月11日、上野の国立西洋美術館の企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」の報道内覧会における出来事だったらしい。

同展はこの5月12日まで開かれていたようだが、取り上げたのがいかにも遅い。

報道することが批判を呼び、展示全体に影響を及ぼすことを恐れて会期後の報道に至ったのではないかと推測するが、政治に関わる話題を常に1面に掲げる新聞が、美術その他の表現活動を政治と切り離して扱おうとしたり、波風の立たない報じ方(記事の視点、掲載時期)に腐心するようであれば、ペンの萎縮と言うしかない。
「表現の不自由展」をめぐるあれこれにメディアは何を学んだのだろう?

◆イスラエルと結びついた研究や企業活動に抗議の声をあげて立ち上がった学生たちの存在も伝えられているが、報道はまだまだ乏しい。
やむにやまれぬ良心の訴えの広がりにきちんとスポットを当てるべきで、区々とした単発の殺人事件に血道を上げたところで、紙と電波の浪費でしかない。


エノキの実[2024年05月15日(Wed)]

◆去年の秋おそくにオレンジや黒の小さな実を付けていた木に、青い実がたくさん生っていた。

DSCN0927エノキ.JPG

昨秋のような虫喰いだらけの葉ではなく、みずみずしい若葉を茂らせ、下から見上げると、なんとも言えない木陰の恵みを満喫できる。

ネット検索でようやく木の名がエノキ(榎)と判明した。ニレなど類縁種もあるが、葉のギザギザが葉先から半分ほどに留まるという特徴からエノキと確定。

DSCN0921エノキの実.JPG

小さな実が無数についているが、4〜5メートルほどのこのエノキの場合、下枝には殆ど実は見当たらない。日当たりのかげんによるのだろうか。

◆エノキで思い出すのは『徒然草』「榎の僧正」とあだ名された良覚僧正の話だ(第四十五段)。
中学・高校の教科書でもおなじみの話だが、これを小学校の学芸会でやった。
エノキは伐られる運命にあるので、幹の上と下を蝶番でつないで中程で折れるように作ってあったのと、その幹が茶色に塗ってあったのを覚えている。
だが、いまエノキの実物を見てみれば、幹は灰色と言ってよい(下の写真参照)。

木は茶色に塗る、などと先生に教わったはずもないけれど、近代の学校という制度のもと、無意識のうちに思い込まされる事どもばかり脳みそにため込む結果、面白みのない人間ばかり量産して来たのではないか? とその典型たる吾は、一人ため息をつく。

DSCN0930.JPG

***

★『徒然草』第四十五段、仏光さんという方が原文+口語訳を載せてくれている。
https://note.com/bukkoh48/n/n52df1bef4f4b


若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』26[2024年05月14日(Tue)]

DSC_0444.jpg

エゴノキ。3年前にも同じ日にこの花の写真をアップしていた。
5月14日――我が家の記念日の一つ。

******


戦禍の際(きわ)で、パンを焼く  若尾儀武

26

窯の火がちろちろと燃えている
老婆は舟を漕ぎながら
思い出したように小枝を足している
そのたびに消えかかった火が火柱をあげる

(あぶないところだったね)

なあに 心配は無用
火加減のことならわたしに任せておいておくれ
なんたってわたしは釜の前にずっと座りつづけてきた
いつからだって?
そんなこと
忘れてしまったよ
そもそも火ってものはわたしが居ようが居まいが
窯に合わせて燃えるものさ
ちろちろからぼあぼあまで
必要以上の火柱は立てない
それでパンはいい按配に焼きあがる
それをバカモノ奴らが!

異星の火を欲しがって
パンは一瞬にして黒焦げる



若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』(書肆 子午線、2023年)より


◆ここまでを読んでくると、詩集名の「パンを焼く」にこめられたものが分かってくる。

一切を焼き滅ぼす「戦火」に対して、人間のいのちや暮らしを支える「火」。
その火の力で「パン」を焼いて来た老婆にとって、その営みをどこまでも絶やさぬことが誇りである。「パン」を焼くのに必要なだけの火力で燃やす。いわゆる”第一の火”を暴れさせることなく燃やして「パン」を焼く。
火の御し方を心得て、生きる糧を生み出すことに彼女の尊厳はかかっている。そうしてその生き方を手放さないことが、彼女にとっての闘いだ。

◆一方で「バカモノ奴ら」は、平和の火に満足できない。
「異星の火」とは、第三の火=原子力をも飛び越えた「火」を四次元の世界から持ってこようとでもいうのか。
「パン」も「パンを食べる人間」をも一瞬にして黒焦げにするとは烏滸(おこ)の沙汰である。



若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』24[2024年05月13日(Mon)]


DSC_0400シャリンバイ.jpg
シャリンバイ

******


戦禍の際(きわ)で、パンを焼く   若尾儀武

24

さあ はやくお逃げ
何処まで逃げても
お前は裏切り者でも卑怯者でもない
逃げることが戦うことと同じだということだってある
踏みにじられる麦畑
焼き尽くされるヒマワリ畑
不条理な侵攻が戦線を拡大する
猶予はない
南からの風がまだあるうちに
さぁ さ
はやくお行き

荷物は少なければ少ないほどいい
ただひとつ
土を一握り
布袋に詰めていくのを忘れてはいけないよ
おまえの小さなウクライナ
季節がくれば季節の花と実をつける

ん? わたしかい
わたしはここに残る
もう何処に行ってもここにいるのと同じだからね
それにここでなければできないこともあるしさ
ここ数ヶ月 めっきり人通りが絶えた
それでも
ひとり分 余分のパンを焼いて
来る人を待たにゃならんからね


若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』(書肆 子午線、2023年)より



◆みなしごとなった子どもに別れを告げ、ほかの誰かに託そうとする老婆。
彼女は、ここに留まってパンを焼く、と言う。
それも「ひとり分 余分のパンを」だ。

それは誰のために焼くパンなのだろう?
同様に家族を失い、ここに逃げ延びて来る者?

あるいはこうも考えられないか?

――憔悴し重い足取りでやってきた「敵」?
それとも、眼に深い悲しみをたたえた救い主――



若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』22[2024年05月12日(Sun)]

DSC_0453.jpg

バラはやはり豪奢だ。横浜薬科大にて。


*******


◆ヌカ喜びに終わったガザ停戦。権力の座に座り続けるために虐殺が続行されるなんて!!


*******


戦禍の際(きわ)で、パンを焼く   若尾儀武

22

ガスが止まった
電気が止まった
水道が止まった
空襲警報が鳴りやまない
老婆はこんなこともあろうかと
井戸を残し
薪の窯を残し
ランプのホヤを磨き続けてきた

(なあに 時計の針が少し戻っただけさ)

老婆はいつもどおりに夕餉のパンを焼き
孫を呼ぶ
育ちざかり
パン皿に二枚を盛って
自分の皿には半分の

それを見て孫は言うのだ
お婆ちゃん
お婆ちゃんの皿にはボクの半分しかないよ
そんなじゃ死んじゃうよ
そうかね 死ぬかね
うん
そうだね おまえの言うとおりかもしれないね
でも安心おし
わたしはそう易々とは死なないよ
ニンゲン 死ぬときは死ぬだけのモン
食べていなくちゃ

キーウの街でまた空襲警報が鳴りだした
孫はその音に喉をつまらせる
老婆はそれは聞こえていないのか
変わらない速さで顎を動かしている


若尾儀武『戦禍の際で、パンを焼く』(書肆 子午線、2023年)より


《ニンゲン 死ぬときは死ぬだけのモン
  食べていなくちゃ》

――全く、そのはずじゃないか!!!



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