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まど・みちお「くち」[2024年02月19日(Mon)]


くち   まど・みちお


いわなかったことは
いったことの
たいがい いつも
なんばいかだ

それに
いったことは
たいがい いつも
いうまでも なかったことだ

で くちも
くちで ありうるわけか
こんなにして
ぐちる ときだけは
くちらしい くちで



谷川俊太郎・編『まど・みちお詩集』(岩波文庫、2017年)より


アレクセイ・ナワリヌイ氏が極寒の刑務所で獄死。独裁者令による粛清と考えるほかない。

哀悼の献花が当局によって片付けられてもまた花を供える人々の姿。
国の外でも抗議の声があがっている。
意見表明に臆しがちな日本ですら、だまっていることは非道を黙認することだと思う人たちが、プラカードを手に集まった。

どの顔も、「なんばい」もの「いわなかったこと」を身の内に抱えている。
一方、深刻な顔で伝えていても、メディアの解説のあらかたは、「たいがい/いうまでも なかったことだ」

よその国のことと思っていると足元をすくわれかねない。この国だって、79年前は同様だったのだし、身をもって辛酸なめた人たちの戒めに耳傾けないなら、その頃に戻ることはいつだってあり得る。
だって、すでに秘密保護法・安保法制を筆頭に、違憲の法律がぐるりを囲んでいるのだから(教育基本法改悪も忘れてはいけない)。

◆当市の市長選、〈多選不可・適者不在〉と投票で意思表明をした。
無効票扱いになると知っていても、棄権はしたくなかった。
まっとうな対抗馬を擁立しない政治の不作為はいただけない。



H3ロケット+まどみちお「かず」[2024年02月18日(Sun)]

H3ロケットの打ち上げが無事成功した。
低コスト化での成功を義務づけられた無理ゆえか、初号機の失敗から1年。開発から数えると10年を要した。久々に明るいニュース。

*******

かず   まどみちお

かずは 一から はじまって
いくつまで つづくのだろう
たしかめたく なるのは
だれにも たしかめられないからか

ぼくには かずが
じぶんで じぶんを
かぞえているように おもわれる
うちゅうが はじまった その日に
一から かぞえはじめて
いまでも ずうっと
まだ まだ これからだと おもって

だれも いない
なんにも ない
うちゅうの まん中に すわって


谷川俊太郎・編『まど・みちお詩集』(岩波文庫、2017年)より

◆このような詩を読むと、小さな日本列島政界で取り沙汰されている裏金の数字のミミッチさ、情けなさにため息が出る。
5年に限った数字を形だけ示して済ませるべきでないのは言うまでもない。
洗いざらい公開せよと迫って「たしかめ」たいのは、実は数字なんかより、政治家たちのモラルと遵法精神に最低の底が未だ多少は残っているのか、という点に尽きる。
底の抜けてしまった闇の中に投げ出されてしまったら、上下左右の判断もつかないし、「まだ まだ これから」なんてとても思えるはずはないのだから。



須江太郎のチャイコフスキーを堪能[2024年02月17日(Sat)]

◆茅ヶ崎でのアデッソ・オーケストラコンサート、大輪の花束をプレゼントされたような嬉しい演奏会になった。
一つは、前半、バレエとの協演が加わったこと。
チャイコフスキーのオペラ「エフゲーニ―・オネーギン」から〈ワルツ〉が披露された。茅ヶ崎の乃羽バレエ団による優美なパフォーマンスが華を添えた。

それに続いてソリストに須江太郎を迎えてのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
この大曲は、かのホロヴィッツのピアノ、1912年製のニューヨーク・スタインウェイで演奏された。
巨匠への深い敬意と、音楽への絶対的な愛情を土台に据えた、ピアニストからの最良の贈り物として聴き手の心に真っ直ぐに届いた。
ヨーロッパ+スラヴの文化が一つに溶け合って咲いた音楽の精華と呼ぶべきもの。若き日フランスで研鑽を積んだピアニストの集大成の披露となった。

満席のホールに響いた拍手とブラヴォーの声は、演奏家からの極上の贈り物への感謝を率直に示していた。

*******

◆コンサート終了後も大忙しのピアニストは、級友たちのために貴重な時間を割いてくれた。
以下に掲げるのは、今日の演奏に接した可愛い聴衆たちと共有したいと思って選んだ一篇――


ぽろんぽろんの はる   まど・みちお

めだかの あくび
かえるの あくび
あくびの あぶくが
ぽろん ぽろん ぽろんと
はるの そらへ のぼる

つくしの あくび
すみれの あくび
みえない あぶくが
ぽろん ぽろん ぽろんと
はるの そらへ のぼる

こうしの あくび
こやぎの あくび
ねむたい あぶくが
ぽろん ぽろん ぽろんと
はるの そらへ のぼる

ちいさい あぶく
おおきい あぶく
いっぱい あぶくが
ぽろん ぽろん ぽろんと
はるの そらで あそぶ


谷川俊太郎・編『まど・みちお詩集』(岩波文庫、2017年)より




玉縄桜ほころぶ[2024年02月16日(Fri)]

◆藤沢市内の玉縄桜が咲き始めた。
春一番になぶられて余儀なく破顔したみたいに。

DSC_0235.jpg

同じ場所で昨年の満開は3月上旬。それに較べても異例に早い。

DSC_0237.jpg




須江太郎が弾くチャイコフスキー・ピアノ協奏曲[2024年02月15日(Thu)]

◆ピアニスト須江太郎をソリストに迎えるコンサートが近づいた。

青春時代を過ごした茅ヶ崎で演奏する曲目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
どんな挑戦をしてくれるか楽しみにしたい。

気鋭の指揮者・出口大地氏がアデッソオーケストラを率い、ヴァイオリンの名手・川田知子がコンサートミストレスをつとめる。

***

アデッソオーケストラコンサート

2024年2月17日(土) 13:30開場 14:00開演
茅ヶ崎市民文化会館大ホール(JR茅ヶ崎駅北口より徒歩8分)

チケットほか問い合わせは下記主催者へ
ルシュマン企画 電話1(プッシュホン)0467−83−3251

◆プログラム
ドヴォルザーク〈スラヴ舞曲集第2集より 作品72-2〉
チャイコフスキー〈ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23〉
ドヴォルザーク〈交響曲第9番 ホ短調「新世界より」〉


240217須江太郎+アデッソオーケストラコンサートat茅ヶ崎A.jpg

***

須江太郎オフィシャルサイトに、スタジオライブがアップされている。
曲目は、ショパンのプレリュード作品10(全曲)とシューマン「詩人の恋」から

ぜひ一聴を。

https://studio-b-suetaro.jimdofree.com/





田島安江「遠いサバンナ」[2024年02月15日(Thu)]


遠いサバンナ  田島安江


夕日がはじけ
草原に稲妻が走る
稲妻は火を生み
見渡すかぎりの草原は炎で焼きつくされる
そのあとは
草木が芽ぶくまでじっと待たねばならない
餓死するか
待てるか
またたく間に日が翳り
草は芽を吹き
草原は緑で覆いつくされていくはずなのに
わずかな時間の裂け目を待てずに
旅にでる動物たち
遠いサバンナ

旅はゆっくり歩くのがいい
坂道をのぼるときも
手すりにつかまり
風が吹きぬけるのを待って
そっと次へ進む
風はとつぜん
はるか遠くの海から吹きあがってくるから
青い海のふちをぐるり
ゆるゆると動く

わたしのサバンナ
夜になると少しずつ空気が冷えてくる
空から舞いおりてきた翼のとがった鳥
鳥はわたしの背骨に飛びのる
背骨がきしむ
旅する姿勢になる

わたしの遠いサバンナ
今はもう待てない
ぶかぶかの靴は捨てる
足にぴったり合った靴を履いて
旅に出る


『遠いサバンナ』(書肆侃侃房、2013年)より


◆詩集の表題となった一篇。

生きることは、何かを待つことでもあるのだろう。
それは心の中に満ちてくるものを大事に飼い養うことでもある。
この詩の「わたし」にとってはサバンナがそれだ。

「ぶかぶかの靴」に足を入れていた幼少の頃から、その景色はなじみのものだった。
海辺を歩き、畑中の道を踏み分けても目の前にサバンナはいつも見えていたから。

と同時に、いつそこに足を向けることができるか分からない点で、はるか遠いものでもあった――空間的にも、生滅を果てしもなく繰り返す時間の上でも。

旅立つときを告げたのは、太古の空を飛ぶ大きな鳥の降臨――第三連の「翼のとがった鳥」は翼竜のようだ――間違えてはいけないのは、その鳥に「わたし」が乗るのではなく、「わたし」の背中にその鳥が飛びのることだ。
旅立ちに耐えられる背骨と筋肉をしっかり備えているか、押しつぶされることなく、「おう」と応えて立ち上がることができるか。



平塚らいてうの碑〜伊藤野枝の映画『人よ あらしよ』[2024年02月14日(Wed)]

◆茅ヶ崎市美術館前には、平塚らいてう[雷鳥。本名平塚明(はる)]の記念碑もある。

IMG_20240211_131127.jpg


元始女性は
太陽であつた
真性の人であつた


1911年の『青鞜』創刊において掲げた、日本女性初の人間宣言である。
平塚らいてう(1886-1971)と茅ヶ崎の関わりも、南湖院にある。
らいてうは、ここに療養していた姉を見舞ううち、画家・奥村博史(1891-1964)と相識り、茅ヶ崎に暮らすようになった。

奥村は藤沢の遊行寺近くに実家があり、らいてうの元に向かう出版人とたまたま藤沢駅で知り合い、誘われるままに南湖院に同道したのが二人が出会った最初であったという。

永井愛の二兎社が2019年に上演した『私たちは何も知らない』は青鞜社をめぐる女性たちを描いた群像劇だ。らいてうと奥村が語らう砂浜のシーンもあった。

***

◆雑誌『青鞜』は伊藤野枝(1895-1923)に引き継がれ、女性解放運動の拠点となってゆくが、その野枝は、1923年の関東大震災の直後、大杉栄とともに甘粕事件の犠牲となった。
震災に乗じて無政府主義者が擾乱を起こすことを恐れた甘粕正彦ら憲兵による虐殺事件である。

教科書で平塚らいてうの名前は知っても、同じ時代を生きた人々のことは殆ど知らぬままであった。
一方で、自由を束縛するものと闘った彼女たちに光を当てようとする人たちの列もまた途切れてはいない。単にこちらが知ろうとしなかっただけだ。

折から、伊藤野枝を描いた映画『風よ あらしよ』の上映が始まった由。吉高由里子主演(原作は村山由佳)で、TVドラマの劇場版だとのこと。観なければ。





八木重吉の詩碑[2024年02月12日(Mon)]

◆茅ヶ崎市美術館前に八木重吉(1898-1927)の詩碑がある。

茅ヶ崎にあった結核療養の施設・南湖院で療養し、退院後も茅ヶ崎に住んだ。


IMG_20240211_120816.jpg


むし
    

蟲が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目だめだというふうに鳴いてる
しぜんと
涙がさそわれる

   八木重吉


◆この「蟲(虫)」を収めた第二詩集『貧しき信徒』の完成を見ることなく詩人は29歳で没した。
「いま ないておかなければ」とは、詩人の胸中から常に衝き上げてくる思いであったろう。
作品は短章が多いけれど、短い生涯に二千を超す詩篇を遺したという。

詩人の略歴と茅ヶ崎について記した碑もかたわらにあり、建立に携わった人たちの詩人への敬慕を示すごとくに、こちらも立派である。

IMG_20240211_120831.jpg



「小さな版画のやりとり」展at茅ヶ崎美術館[2024年02月11日(Sun)]

240211「小さな版画のやりとり」展[茅ヶ崎武術館]IMG_0001.jpg

◆世の中は三連休とのこと。
思いついて茅ヶ崎に出かけた。
市立美術館で木版画の年賀状展があるという。
それと木版による蔵書票のコレクションの展観。
小さな美の世界に見入ってひとときを過ごした。

「ちいさな版画のやりとり 斎藤昌三コレクション」(2/25まで)
茅ヶ崎市立美術館のサイト
https://www.chigasaki-museum.jp/exhibition/7660/


◆蔵書票はその作者と、依頼主である本の持ち主だけが私的に楽しむもの。
一方、年賀状の木版画は一定数の知人に宛てる作品だが、差し出し人と宛名人との交流の上に存在する点で、やはり二者の間で共有される美の世界である。
その意味で、不特定の鑑賞者を相手にした創作というよりは、親密な場において成立する美、ということになる。

川上澄生恩地孝四郎といったよく知られた作家に加えて、佐藤米次郎藤田重幸といった津軽の作家たちにも出会った。
色・デザイン・文字いずれも細かなところまで意匠が凝らされていて見飽きない。

*中で、佐藤米次郎の賀状に「カパカパ人形」という、旧正月の宵に子供が作るというおもちゃの画があった。

実際にやったり見たりしたことはなかったと思うのだが、言葉だけなぜか記憶の底にあった。「カパカパ」を我がメールアドレスなどに用いているのは、単にゴロが面白くて付けただけと自分で思っていたが、ひょっとしてはるか昔の記憶が地霊のように浮かび上がったものかも知れない。



三木卓「わが町」 [2024年02月10日(Sat)]


わが町   三木卓


ここは たあいのない町だ
ぼくにとっては 世界はそこからひらけているのだ
銀行には 不器用な九官鳥と退職警官の守衛がいて
夜ふけには ギターとハーモニカが
十九世紀オハイオの旋律をかなでている
恋人たちは 夜のものかげにひっそり
日射しのあかるい楽器店のまえには
若者たちが群れてジャズを聞いている
なぜ ぼくはここで暮すことにしたのだろう
ある日 妻とぼくは住みつき ここで
こどもを育てることになったのだった
すると町は いろんなものを見せてくれた
肉屋の犬は やっぱり獰猛なことも
廃屋で 子どもたちが夢中で遊びすごすことも
真夜中に陽気にふざける酔っぱらいがいることも、
金もうけの不手な商人がぐちっぽいことも
背中のわるい新聞売りのおじさんが
もうひとりのおばさん売り子と夫婦らしいことも
だまって 教えてくれたのだ
だが それらは 遠い日々どこかで
みんなが記憶したものとちがいはない
ここは どんづまりの淀みの中
たえまない車の流れと うす青い排気ガスの世界
大都市の幹線道路につらぬかれた つまらぬ町だ
やがて ぼくは知った
ここでは 死んでいったものは
たちまち忘れ去られていくことを
路上で悲鳴があがり チョークで人のかたちが書かれ
雨がやさしく洗い流せば 次の日から
町は そのひとなしで 同じように生きていくことを
倒産した店の窓ガラスはじきに割れるが
ある日覗くと 血色のよい別の男がすわり
太い指にはめた 金のはんこをみがいていることを
だからここには
歴史なんてないのだ
夜ふけ雨あがりの舗道をあるき
ぼくは 銀行の前の電光にひかる時計塔を見上げた
秒針が時間をきざむのをじっとながめていると
ぼくにも すこしわかってくるのだ
この町のやさしい 営みを支える骨組みは
ひとびとの恐怖が組み合わされてできていることが
世界全部と同じであることが…
ああ まだ少年のころ
僕は 帽子を買いかえるように
世界をかえることができると思っていた
それが希望につながるものだった
しかし いまは
そうではないから 生きる望みをもつことができる
ひとびとの流れのなかで しずかに
ひろがってくるひびきに 耳をかたむけていると
ぼくの冷えたこころが
銃撃をあびたように 身動きするのがわかる



小海永二『現代の名詩』(大和書房、1985年)より



◆この詩において最も印象に残るのは終わり近くの、次の三行だろう。

ああ まだ少年のころ
ぼくは 帽子を買いかえるように
世界をかえることができると思っていた


では、今はそう思っていないのか?

詩の大半を占める「わが町」の人物や出来事はいかにも散文的で、大人の生活を始めた「ぼく」を取り巻くものたちが点景として描かれる。だが、ここでは殺人さえ、つまらぬ出来ごとのように処理されて、たちまち人々の記憶から消え去ってゆくものらしい、という辺りから、実は映画のシーンをつぎはぎしたような世界であることが分かってくる――というよりも、見ているのは本当のことじゃない、映画なんだ、と思うことでかろうじて成り立っている世界に「ぼく」は居る、ということが言いたいのだ。

実は、人々を恐怖が支配しており、それは世界全部と同じだ、という。
その真実に向き合いたくないために、見ているのは映画なんだと思うようにしている……
だとすると、この詩は、余りに非道なことが起きている時に、私たちが己を守ろうとして感覚の鈍磨に陥ったり、つくりものの世界に逃げ込もうとすることを、静かに告発しているのではないか?

◆少年時代には世界を簡単にかえられると思っていた。今はそんなにたやすいことじゃないことが分かっている。銃撃に身をさらす危険を冒さなければ、世界は変わらない、その恐怖に堪え、打ち克つことができるかどうか――

詩の終わりの方で、「希望」と「生きる望みをもつこと」とは、区別して用いられているようだ。
「希望」は漠然としているが、「生きる望みをもつこと」は具体的だ。いったん恐怖に直面して「冷えたこころ」を持ってしまっただけに、「生きる望みを持つこと」は激しいまでに切実な希求だ。



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