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パワーストーン[2023年12月31日(Sun)]

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西山美術館正面右手の銘石群とロダン「考える人」

西山美術館には、ロダン、ユトリロの作品とともに世界の銘石が展示されている。
73個、出身国は18カ国に及ぶという。

訪れる人にパワー・ストーンとして手を触れ、悪いところに手を当ててみるよう推奨の言葉が添えてあった。困難に直面する人々に平和が訪れるよう祈りつついくつか紹介しりたい。

◆パレスチナの人々のために……

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(黄金水晶。人の背丈よりずいぶん大きい。)


◆ウクライナの人々のために……

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(瑪瑙。これも高さ110cmとのこと)

◆この地上に生きる私たちすべてのために……

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(木化石[ぼっかせき])「億万年の愛」)

*******

◆境川散歩がてらのポイ捨て回収、今年の成果は――
ペットボトル625本、空き缶644本、ビン25本。
合計1294本と相成りました。

相棒との散歩がなくなって、懈怠の日々が増えているにもかかわらず、回収数は昨年より微増。
良いニュースとしては、西俣野御嶽神社の坂上カーブ地点は激減。以上ご報告します。

来年こそは、どなたにも平和な良い年でありますよう。







永瀬清子「降りつむ」[2023年12月30日(Sat)]

DSCN7686.JPG

◆コナラだろうか。葉を落とした冬の姿が年の瀬の青空を背景に美しい。
(東京都町田市野津田の西山美術館にて)

西山美術館ロダンの彫刻とユトリロの絵画、それに銘石のコレクションを擁する独特な美術館だ。

「バスティアン・ルパージュ」など初めて見るロダンの作品に加え、ユトリロの作品をまとめて見ることができる(4階および5階の2フロアを占めている)。

◆そのユトリロでは、白を基調とする作品に感銘を受けた。

雪のムーラン・ド・ラ・ギャレットを描いた1931年頃の作品のほか、「雪のベッシーヌ・ス・ガルタンプの教会」(1934年)も雪道を歩く人々をリズミカルに配していて面白い。
ほかに「郊外の雪道」という1946年の作品も題名通り、道や建物の屋根に雪が積もり、枝を落とした庭木や街路樹が描かれている。道を歩いている人も3人描かれている。

他には「トルシ・アン・ヴァロアの教会、かわいい聖体拝受者」(1941年)に描かれた白い教会も印象的だ。これには7名(3組のペア+1)の人物が描かれている。
ユトリロが画面に描き込む人物は奇数、というルールがあると解説に記してあったが、以上挙げた作品は、いずれもそれに妥当する。

◆それらの作品を図録で眺めた後に『永瀬清子詩集』を拾い読みしたら、「降りつむ」という雪の詩に再会した。
6年近く前に取り上げた詩だが、今再び読み味わうにふさわしい気がするので、再掲しておく。


*******


降りつむ    永瀬清子

かなしみの国に雪が降りつむ
かなしみを糧として生きよと雪が降りつむ
失いつくしたものの上に雪が降りつむ
その山河の上に
そのうすきシャツの上に
そのみなし子のみだれたる頭髪の上に
四方の潮騒いよよ高く雪が降りつむ
夜も昼もなく
長いかなしみの音楽のごとく
哭きさけびの心を鎮めよと雪が降りつむ
ひよどりや狐の巣にこもるごとく
かなしみにこもれと
地に強い草の葉の冬を越すごとく
冬をこせよと
その下からやがてよき春の立ちあがれと雪が降りつむ
無限にふかい空からしずかにしずかに
非情のやさしさをもって雪が降りつむ
かなしみの国に雪が降りつむ。


谷川俊太郎・選『永瀬清子詩集』(岩波文庫、2023年)より

◆1948年、何もかも失い尽くし、戦禍の爪痕が生々しく残る日本のことをうたった詩だが、天からのもたらされる雪を「非情のやさしさ」と受けとめ、再生への祈りをこめた名詩である。




永瀬清子「悲しいことは万歳でした」[2023年12月29日(Fri)]


悲しいことは万歳でした  永瀬清子
 ――老いたる人のレコード


私はその時のことを知っていますよ。
わたしはその時 そこにいたのです。
私は悲しみに泣いていました。
雨宿りの蝶が大樹に張りついているように――。
でも話だけしてもあなたがたを泣かせません
みな昔のことですから。
あなたがたは今聴いてもすぐ忘れてしまうでしょう。

でも私の中身にはその泣き声がしまってあります。
私はその時まだ若く柔らかく
歴史にも慣れていなかったのです
夫はタスキをかけ、それは「死んでも当然」のしるし。
みんな狂っていたので
悲しいことは「万歳」でした。
つらいことも「万歳」でした。
みんなが歌ってくれました
だから自分だけが泣くことのできない不気味な時代。
私はその時代のこと知っていますよ、
私はその時そこに居たのです。
私の中身にはその泣き声がしまってあります。
私は古びた一つのレコードなのですよ
ゼンマイは固く巻いていますよ、
時くればいまも叫ぶほどに――


谷川俊太郎・選『永瀬清子詩集』(岩波文庫、2023年)より

◆出征する夫を送り出した妻の思い。
その経験を若い人々に話す機会でもあったのだろう。

本心はしまい込むことしかできない。
ぎゅっと押さえつけた気持ちは柔らかい魂のヒダに刻み込まれた。
そのときに流した血は、封印を解けば、今だって滴り始めるだろう。
(兵士だけが傷つくのではない)

「私はその時そこに居たのです」――凄みさえ感じさせる生き証人のことばだ。

ウクライナやロシアの兵士を送り出した妻・父母・子どもたちの心の中にも封じ込めた思い、凍結した叫びがある。
のどの深いところで「私はいま、ここに居るのです」と叫んでいる彼らに耳を傾けなければ。





永瀬清子「昔の家」[2023年12月28日(Thu)]


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今日の夕空

*******


昔の家   永瀬清子


ブルドオザーが来て
昔の私の家を一たまりもなくこわしたと
故郷の友だちが今日報せてくれた
遠い私の日々も いまや力なくくずれて
焼けこげの笹っ葉のように宙空へ散ってしまった。
いつか冬の夜、物干台でみんなと
遠くの空をみかん色に焦がしている山火事を
あれはどこらへんだろうと話しあった
それから何日も焼けこげの葉っぱが空をたち迷い
うちの庭へも降って来たのだった

あの家では
父母もまだ若く おさげの私たちが住んでいて
庭にはこごめ桜やすももの樹
つつじやあんずも咲いた
二階には天使の足音
壁には去年の秋
山奥の熊が持って来てくれた栗の袋
私が毎日如露で水をやっていた東の出窓に
チューリップの蕾は日毎にふくらんで
中にはふしぎな小さい親指姫が――

ある夏の夕方帰って来た電気技師の父親が
「おいファン・モートルを廻してくれ」と云った
私たち姉妹は
先週家へ来たばかりの扇風機の事と気づかずに
いぶかしく思いながら
縁側のハンモックを両はしを持って一心にふり廻した
父も母もやがて気づいて笑いだした

門のわきのさんご樹の匂いに群れていた蜂の羽音
いちじくの木に登っては食べた甘い実
庭の片隅を流れた小川の岸には
ゆきのしたの花が白い音符のようにさざめきあっていたこと――。

今日昔の友が報せてくれた
私を暖かく包んでくれた昔の家 昔の時
ブルドオザーが来て
一たまりもなくこわしてしまったと
これからはただ 私の心の中にのみ残骸はふりつもるのだと――


谷川俊太郎・選『永瀬清子詩集』(岩波文庫、2023年)より


◆家には家族の歴史が刻まれている。
住む者がいないからといって、マッチ箱を踏みつけるみたいに壊すな! と叫びたいことだろう。

家が取り壊されたことを伝え聞いて真っ先に思い浮かべたのは、山火事で「みかん色」に焦がしたような空をみんなで見ていた記憶。焼け焦げた葉っぱが庭にも降って来た、とある。
ものの焼ける匂いまでもが生々しく流れてくるようだ。

季節のめぐりも家族の笑いも、具体物と分かちがたいエピソードとして心に刻まれている。
そこでは幼い私も、親たちも生きている。ありありと思い出せるのがその証拠だ。

*******

◆ガザで真っ先に攻撃を受けた北部にカメラが入った。
どこまでも瓦礫が続くばかりの、完全に破壊された街の「跡」とすら呼ぶに値しない景色。

原爆が落とされた後のヒロシマ・ナガサキを「原子野」と呼ぶことがあるが、このガザのさまをどんな言葉で表せようか。

収容されぬままの亡骸もあるだろうに、有無を言わせずブルドーザーでのしかかり踏み潰す――人間に取り憑いたおぞましいもの――これもまた表す言葉が見つからない。





渡辺ひろ美「冬」[2023年12月27日(Wed)]


『こどもの詩 1990~1994』(川崎洋・編 花神社、1995年)からもう一つ――



冬   渡辺ひろ美


小さな生命の誕生のため
けっしてはなやかではないけれど
木たちのため
小さなものが 力をためるため
そのための冬


(*作者は、新聞掲載時、愛知県春日井市牛山小の六年生)


◆生きものも地面もピシピシ音を立て、歯をくいしばっているみたいな寒気の中でも、想像する力は決して凍りつかないもののようだ。

新羅万象の内側に蓄えられていくものの正体、それが発現するまでの時の歩み、それを感じているわたしの心臓の鼓動、それらがつながっていることへの揺るがぬ確信が、読む者を詩人と同じ場所に立たせる。


木の詩ふたつ[2023年12月26日(Tue)]

川崎洋・編『こどもの詩 1990~1994』(花神社、1995年)から、木の詩を二篇――
 *( )内は新聞掲載時の所属校と学年。


木   中村武夫


人間はどんどん木を切っていく
はいきガスや
えんとつのけむり
どんどん木たちがかれていく
そのうち きっと宇宙から
切られた木たちのれいが
しゃべる木になってきて
木を全部もってっちゃうかも

 (横浜市戸塚区 倉田小四年)


◆「木」の「霊」と書いて「こだま」と読む。してみると、山や谷で聞こえて来るあの声は、単に人声が反響して聞こえるというのではなしに、樹木の霊が声にまつわるようにして聞こえて来るのだったか。
声を発した当人にとっては、失われていた霊性を取り戻し、足元を照顧したり畏怖の念を持する生き方に復帰する契機を与えられるということだろう。

人工的な壁や建造物がもたらす反響はそれらとは無縁だ。

***


雨ふり   山本雄太


となりのあきちの木 きられた
ようちえんの時 のぼった木
お金をかくした木
穴をあけた木
根っこのとこだけのこってる
台風のときもたおれんかったのに
新しい家がたつんやて
ブルドーザーのミラーが
雨にぬれて光っている


(神戸市 北六甲台小六年)


◆この詩を読んで改めて思い出した木がある(二、三年前に書いた気がする)。

小学校の玄関前にあった大きなプラタナスの木だ。
朝の始業前や昼休み、よく登った。
何をするでもない。ただただ眺めていた。グランドで遊んでいる上級生や、登校して昇降口を入って行く子たち、その頭上で時々向きを変える錆びた風向計などだ。
時間だけはたっぷりあった。

◆長じて帰省した折に小学校の前を通った。プラタナスの姿はもうなかった。
面影を探してもむだだった。
たっぷりあったはずの時間も、木といっしょにどこかへ消えてしまったように思えた。

◆寿命が来たわけでもないのに風景から消えてゆく木たちは、それに触れたものたちの記憶や時間を根こそぎ道連れにして消えてしまうのだ。




磯部真一「なんで」[2023年12月25日(Mon)]


『こどもの詩 1990〜1994』から――


なんで   磯部真一


ねえママ なんで
にんげんて生きてるの
虫とか動物って
なんで生きてるの
神さまって
なんでいるの
ぼくたちのこと
ラジコンしてるのかなあ



川崎洋・編『こどもの詩 1990〜1994』(花神社、1995年)より


◆新聞に載ったこどもたちの詩のアンソロジーの続編。
この詩の作者は新聞掲載時、東京都東村山市の萩山小学校一年生。

◆「なんで生きてるの」と問われて大人は答えられない。
そのことを必死に考えた人がいることは知っていて、その人が書いた本の名なども挙げられる。
だが、それでこの問いに答えたことにならないことも知っている。

◆一方、こうした問いに簡単明瞭に断定的な「答え」を口にできるタイプの人間がいることも知っているのだが、それを子どもたちに言ってやるのは良くないと思っている。

なぜ良くないのか――その種の人間の言葉にはウソやゴマカシが含まれていて、時に致死量に達することが判っているからだ。




岡山孝介「いたそうね」[2023年12月24日(Sun)]



いたそうね   岡山孝介


ぼくが くりのいがいがを
手でもったら とても
いたかったよって
ママに話したら
ママが
いたそうねって
顔をしかめた
ママってかわいそうだね
おはなしをきいただけで
いたくなるなんて



川崎洋・編『子どもの詩 1985〜1990』(花神社、1990年)

◆読売新聞に掲載された子どもたちの詩のアンソロジーから。
新聞掲載時、作者は東京都江戸川区第七葛西小の四年生。

*上の詩に最初に出会ったのは北村薫『詩歌の待ち伏せ 上』(文藝春秋社、2002年)においてである。


◆子どもの声に耳を傾ける母なればこそ、案じる気持ちは言葉にも表情にも表れた。
そうしたお母さんだからこそ、子は母を案じる気持ちが詩の言葉になった。

◆クリスマス、そして新年。
停戦、そして平和がどの親子にも与えられますように。


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JR東戸塚駅前のイルミネーション

永瀬清子「歓呼の波」[2023年12月23日(Sat)]

◆昨日と同じく永瀬清子の詩集『卑弥呼よ 卑弥呼』(手帖社、1990年)から岩波文庫版『永瀬清子詩集』に採られた詩を――



歓呼の波  永瀬清子


昭和十二年七月十二日、夫はまず召集され
東京駅を出ていった。
見渡すかぎりの万歳と旗と歌声の波に送られ
ろくに別れをかわす事も汽車の窓に近よる事さえもできずに――
ただその波に押しまくられているうちに汽車は出ていった。
いざ帰途につこうとプラットホームを去ろうにも
つぎつぎに増してくる人の波。
押され押されて、やっと反対側の鈍行東海道線に乗り
品川駅でやっとよろめき降り
ホームの水をあえぎ飲んだ。
あの歓呼のことは忘られない。
旗をふり、軍歌を高唱し
まるで犠牲の羊をリボンや花輪で飾りはやすように
自分の番でなかった事を
人々はまず喜んでいたのではないのか?
あの歓呼 忘られない。


谷川俊太郎選『永瀬清子詩集』(岩波文庫、2023年)より。


◆昨日の「有事」と同じく、1990年刊行の詩集『卑弥呼よ 卑弥呼』(手帖社)の一篇である。
この詩集から何篇か選録した谷川氏と編集者に感謝したい。

『卑弥呼よ 卑弥呼』刊行時、永瀬清子(1906〜1995)は84歳。昭和が終わり平成の世になったが、きな臭い動きに挑戦状を突きつける思いがあったのだろう。

権力とそれを反省なく支えるふつうの人々、「自分の番でなかった事を/〜まず喜んで」いる人々は、ロシアにもイスラエルにもいるだろう。
むろん、ウクライナやガザは遠い空の彼方だと、心のどこかで思ってしまう日本にも。


永瀬清子「有事」[2023年12月22日(Fri)]

有事   永瀬清子


「一旦有事の時は、」と言う
その時が来たらと言うかけ声そのものが
もう「有事」なのだ。
戦争で恐ろしいのは
一時の気の迷いで長い後悔をあがなう事だ
むしろ死ぬ事よりもこわいその事。
偉い詩人にもたくさんの例があったのを
わたしはこの眼でみている。
つまりその眼は「後世」の眼なのだ。歴史の眼なのだ。

自分が信じる事以外には従うまい
そんな単純なきまりきった事でも
ちゃんと改めて自分にきめておかないと
きっとその時は、五寸釘をねぢ曲げるように
誰も彼も折り曲げられてしまう世の中になるのだ
おそろしい
そうだ
私はもう「有事」を語っている。


詩集『卑弥呼よ 卑弥呼』(手帖社、1990年)所収。
谷川俊太郎『永瀬清子詩集』(岩波文庫、2023年)に拠った。


◆「有事」を語るTVのコメンテーターや評論家、背広の下に迷彩服を着ているような口吻で語る。
ましてや、今日はA局、明日はT局とあちこちのニュース・ワイドショーに登場する防衛省の人々+そのOBたち。いつの間にこれほどたくさん、その方面の「専門家」が生まれていたのだろうと驚くばかりだ。

着々と「有事」への準備、いや有事の具現化が進んでいたなんて、知らなかった……って?
そんなハズはない。

***

◆振り返れば1989年あたりが分岐点の一つだった。
彼ら、戦争を身をもって経験した人たちが次々と現役を退いていったころである。
定年退職された方の、「来るよ」という一言を今も忘れない。
むろん、「また戦争が」、の意味である。

そう言えば、半導体から地方再生、教育にいたるまで、どこもかしこも「戦略」づくめの世の中なのだった。




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