
会田綱雄「伝説」3[2023年10月31日(Tue)]
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◆会田綱雄の詩「伝説」のまわりをウロウロしている。
『詩に誘われて』で柴田翔が「伝説」について書いたことは、若い世代に真っ直ぐに差し伸べられた言葉であって、どこを引いても滋味に富む。中でも中核を成す部分を挙げるならば――
幾世代にもわたって、老いた親たちが、その痩せほそった「自分の身体を蟹の餌とすることが、世代から世代への生命の継承を成就させる」、「先行する世代が次世代のために、生き物の食の連鎖の中へ自分自身を投げ入れる」……このように連ねられたことばは、次の一文に至って一つの収束に至る。
「それは親たちの心からの贈与を、慎みつつ受けるということであり、その感謝と敬意の思いが、自分たちで直接に蟹を食べることを禁忌にしている」
過不足なく叙述されていて、ほぼ、淀みがない。
「禁忌」ということばはこんな風に所を得て使うべきもの、と思わせられさえする。
――だが、どうなのだろう。
この部分は、最初の方で第二連について柴田が伏線的に述べた次の文章を承けたものだ。
第二連、「蟹を食うひともあるのだ」という、ちょっと不思議なことばが、一行だけで独立した連となって、際立っています。
「ちょっと不思議な」という、さり気ない前振りが、上の「禁忌」を含む文で、一つのクッキリした解を与えられた形になっている。
だが、どうなのだろう、と思うのは、ここで柴田があえてスルーしたものがあるからだ。
そうしてそのスルーの仕方が余りに手際良いために、逆に危うさを覚えるのを禁じ得ない。
それは、作者、会田綱雄自身の述懐に関わる。