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「週刊朝日」最終号だと。[2023年05月31日(Wed)]

「週刊朝日」が休刊だという。最終号を読んでおくか、と思ってコンビニに寄ったら、そもそもコンビニには置いてないのだった。

定期購読したことはないけれど、週刊誌の中では一番よく親しんだ。
一世紀をこえる老舗雑誌の事実上の終刊、ため息が出る。

◆活字離れ&メディアを取り巻く状況の変化が大きかったのだろうけれど、節目の一つは、2012年、佐野眞一による橋本徹氏の評伝連載が、一回のみで中止のやむなきに至った「事件」だと思う。

周到な取材と生身の人間を扱うことへ熟慮をペン先に込めて連載を始めていたならば、その後の政治の景色をずいぶん違ったものにしたはずだっただけに、無念であった。

◆その後「週刊朝日」を手に取って何コレ!?と思ったのは数年前、「全記事ネコ尽くし」の号を見た時だ。
硬派の記事も、個々のコラムも、執筆者にはともかく猫にちなんだものを書いてもらったようだった。
一度ならず、その後、年に一度の恒例にしたというから呆れる。
たかが週刊誌ではある。高邁な卓説ばかり並べる必要もないし、人間はそもそも「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)」なんだから……と思うものの、物分かりの良い読者になることはできなかった。

こじつけでも構わないから「猫」に関係づける――出版や表現の自由を実行しているように見えながら、実のところは、執筆者に対しては相当の不自由を強いる。むしろ、全体主義の一歩手前ではないか、と危ぶんだ。

◆「週刊朝日」が並んでいないコンビニの雑誌コーナー、何とも寒々しい空気が漂っていた。
やんぬるかな。
店の入口、各紙が収まった新聞ラック、そこもまた特定の新聞ばかり……。

外に出て見れば曇り空だ。体が右へかしいで、めまいがし出した。




矢澤準二「飛ぶ」[2023年05月30日(Tue)]


飛ぶ  矢澤準二


両腕を横いっぱいに広げて
やや前傾するみたいにかるーく走って
左足で地面をトンと蹴ったら
宙に浮いていた

なんか廃墟みたいなところで
石の円柱とか石ころがゴロゴロしてて
でも浮かんでいるので
躓くことはない

腕は翼ではないのだけれど
特に気を入れて羽ばたく動作
もしてないのだけれど
こういうの浮遊感っていうの?

浮いた先は砂漠で
地平線まで砂の海で
太陽の落ちるあたりに
小さくシルエットがあって

目を凝らしてみると
それは夕陽の中の
ピラミッドの影
つまりそこはお墓で

そうか
そういうことかと



『チョロス』
(思潮社、2020年)より


◆自分の命終に気づいたのが往生する直前で、了解した瞬間に一気に暗転するというか、あるいはホワイトアウトして何も映らなくなるというか、幸せな結末になっている。

己の墓が地上最大級の墳墓であるピラミッドであると示唆して終わるのだから、恵まれた生涯と言うべきだ。
……むろん、果たしてそこが終着点か、当人がそう思い込んだだけで、確かめることはできない。確認のすべがないのはこの詩の読者も同じ。

◆つかの間であれ、同じ夢を見せてくれるところにこの詩の功徳はある。

だいたい、生涯のほとんどを墓づくりに費やした古代の王とは違って、我らは労せずしてその遺産を自由に活用できる分、エコ度において一日の長がある(想像力=浮力である限りにおいて、だけれど)。



矢澤準二「戦争と平和」[2023年05月29日(Mon)]


戦争と平和  矢澤準二


引き足が間にあわず
後ろに倒れて腰を打った
これが退き時と判断し
十七年つづけた空手をやめて
太極拳の会に入った
先生は女性
生徒の八割も女性

入会してすぐ
近くの市民会館の会議室を借りて
ランチ会があった
ピザと飲み物を買ってきて
後は皆さんいろいろ持ちよって
サラダとか果物とか手作りケーキとかおかきとか
合間に「渾身の一枚」という写真披露のゲームもあって
ジュースとお茶で午後のほとんど
笑いとおしゃべりは途切れず
女子会ってこういうの?

父が九十を過ぎ
グループホームに入った時
集まって談笑しているのは女性だけ
男はぽつぽつと孤影をまもり
表情を消して正面を見ている

男ってまずいんじゃないの?
俺も男だけど
戦争の原因はこれか?
男も女子会にまぜていただくべきじゃない?
真面目に



詩集『チョロス』(思潮社、2020年)より


◆角突き合わせている大国のトップの顔ぶれを右に、女性リーダーがかじ取りをしている国々を左にと並べてみれば、「確かに」とうなずく人は多いかもしれない。

身近なところでは、店員さんをつかまえてはクレームをまくしたてる爺さんもまた、好戦派の隊列に加えてよいかもしれない。

◆ミソジニー(女性蔑視)度の高い我が国、物騒な事件が頻発することとも関係があるのだろうか。


中島岳志氏が「テロの時代が始まった」と言う。とすれば、その先に待っているのは言論封殺と戦争の時代ということになるのだが。

5月29日【日刊ゲンダイ】
中島岳志氏が指摘「この国は再び『生きづらさ』に起因するテロの時代に入った」
https://news.yahoo.co.jp/articles/cdffc950580e7338a88c4bd27885dcf9e9d26f54




矢澤準二「十二才」[2023年05月28日(Sun)]



十二才   矢澤準二


十二才の時
今一番うれしいのは
自分が十二才ということだ
と思った
昨日それを空手の稽古の合間に
十二才の少女に話した
これから楽しいことがいっぱいあるよ
と つけくわえて
少女は少し微笑んで
目をぱちぱちした
その言葉は
少女のなかに
残るだろうか
(いつまで?)

わたしが十二才の時
六十七才のオジサンが
十二才の時に
今十二才ということが一番うれしかったって
話してくれたのよ
(きみ今、いくつ?)

十二才の時のことを
ちゃんと憶えているのに
今は三秒前のことも
よく忘れる
シャンプーしていて
これは一洗目か?
二洗目か?
とか


『チョロス』
(思潮社、2020年)より


◆誰もが日頃やっているありふれた行為でさえ、人によっては随分違う流儀があるものだ、と思い知らされることがある。

この詩の終わり、フト手を止めた「髪を洗う」こともその一つ。
「一洗目」――”ひとあらいめ”と読むのだろう――これに続いて「二洗目」というのが出てきてオヤ、と思った。
――(シャンプーで二回洗う習慣なんだ……)(「すすぎ」の回数ではないんだろう)

◆髪の洗い方など人の興味をひくような話題でもあるまいから、誰かに話すことはないと思うし、まして、キミは何回洗う?などと訊ねることも、まずない(家族にだって)。

◆ただ、ささいな習慣の違いが、たとえば十二才という時に、自分が生きているに関する感覚のありようの違いとしてにすでに在る、とするなら、その違い方が六十七年余も積み重なるうちには、ずいぶんな相貌の違いをもたらしているだろうな、とも思うのだ。

◆で、それがどうした、という話だが、人生のトバ口に立つ子に「これから楽しいことがいっぱいあるよ」と話してくれる大人が居るのと居ないのとでは、その先の景色が全く違ってくるのは確かだと思われる。
むろん、少女がこちらの年齢に達した頃、オジサンは間違いなくこの世をおさらばしている。
だが、オジサンの方にも功徳がある。「で、どうだった?」と空の上から確かめてやろう、と想像するだけで、六十七からの残りの人生がさらに楽しくなるのは間違いないからだ。




ヤマボウシ[2023年05月28日(Sun)]

DSC_0467.jpg

ヤマボウシの季節だ。
晴れの日、雨の日どちらでも清々しい気分に誘う。
俣野公園・横浜薬大スタジアムにて。






栗の花[2023年05月27日(Sat)]

230526栗の花.JPG

よく手入れされた畑に、姿の良い栗の木がたくさん花をつけていた。


秋亜綺羅「ひとは嘘をつけない」[2023年05月25日(Thu)]


ひとは嘘をつけない  秋亜綺羅(あき あきら)


オモテは裏にとってみれば
裏なのかな

ぼくの影にとってみれば
ぼくは影なのかな

行方不明になれる権利とか
死ぬのが惜しいとおもう夜とか
もうひとりのぼくと喋れる糸電話とか
ぼくが欲しいものはたくさんある

ぼくを一本持って
鉛筆は詩を書いている

ことばは反則も場外乱闘もできない
「反則」も「乱闘」も辞典の中にあるんだ

籠の中から青い鳥を放してあげようか
青い鳥は黒い青空を舞ったあと
巨大な鳥に食べられるだろう

食べられながら自由を感じるんだ
自由は巨大な鳥を食べるんだよ

真実があるから
噓があるんだよね

ひとは噓をつけない
だって真実なんて
辞典の中にしかないのだから



曽我貢誠/佐相憲一/鈴木比佐雄『少年少女に希望を届ける詩集』(コールサック社、2016年)より


◆「オモテ」に対して「裏」、「ぼく」という実体に対してその「影」――これらを対(つい)として並べて〈考える〉ことの準備体操からこの詩は始まる。
詩の後半、「真実」と「嘘」にせまってゆくための〈素振り〉のようなものだ。

実体である「ぼく」が「影」に目をこらせば、影の方がだんだん濃くなって、「ぼく」の本体は限りなく薄くなってゆくように感じられる。まるで「影」のほうが本当の「ぼく」=本体であるみたいに。

本体から「魂」が離脱して、ぼくの「本体」がフッとかき消された瞬間
――それが第四連だ。

ぼくを一本持って
鉛筆は詩を書いている


「ぼく」と「鉛筆」とが入れ替わった。

◆その次の連から先は、「鉛筆」による自動書記のようだ。
あるいは「鉛筆」の方が「ぼく」に語りかけてくると言ってもよい。

少なくとも続く三つの連ー―〈ことばは〜あるんだ/籠の中から〜食べられるだろう/食べられながら〜食べるんだよ〉――以上は「鉛筆」から「ぼく」への語りである。

◆その先、終わり二つの連は幾通りかの読み方が可能だが、今日の段階では次のような対話として読んだ、と、今日の読者である「私」自身に報告して置こう。

【ぼく】真実があるから
    嘘があるんだよね


【鉛筆】ひとは嘘をつけない
    だって真実なんて
    辞典の中にしかないのだから




下川敬明「口笛」[2023年05月24日(Wed)]

        
口笛   下川敬明(ひろあき)


わたしから生まれ
わたしを離れ
彼方へ去っていくもの

わたしから翔びたち
わたしを忘れ
彼方へと消えていくもの

言葉を発することなく
この世界の涯て 見知らぬ岸辺に
わたしを誘(いざな)い 置き去りにしていくもの

薄明のなかに佇んでも
風に目を凝らしても
決して見出すことができないもの

その名を呼ぶため
わたしはいつも ひそやかに唇を窄(すぼ)める


曽我貢誠/佐相憲一/鈴木比佐雄 編の『少年少女に希望を届ける詩集』(コールサック社、2016年)より。



◆わたしから生まれながら、離れていく定めであり、名づけることも形容することも難しいもの、それを呼ぶ手立てが「口笛」である、という。

それは、ひそやかに空気を震わせて消えてしまうのに、いつまでも耳に残って、消えた彼方を注意深く見つめ続けさせる。
わが分身でありながら、呼べどもついに還らぬもの、永遠に焦がれてやまぬもの。




恵矢「種子(たね)」[2023年05月23日(Tue)]


たね
種子  恵矢(けいや)


  わたくしたちは
   しずかにくるってゆく

  そっと握りしめて
   希望に変える



★詩人は1971年生まれ。詩集『DANCE AGAIN』(土曜美術社出版販売、2016年)がある。

曽我貢誠/佐相憲一/鈴木比佐雄・編のアンソロジー『少年少女に希望を届ける詩集』(コールサック社、2016年)より。


《我々の安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、並びに戦争及び威圧を防止すべきとの理解に基づいている。》
――「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」(2023/5/19。外務省仮訳)の一節である。

核抑止論に完全に乗っかって、臆するところなく核武装を是認した文章だ。これにHIROSHIMAの名を冠する神経が信じられない。

「広島の人々、この国の人々に、『ともにくるえ』と言いたいのか?」――そうキシダ首相に問い質した記者がいたかどうか。

◆かくて「わたくしたちは/しずかにくるってゆく」
だが、グラグラする頭のままつんのめっても、手渡すことだけは忘れないようにしないと。

小さなものたちのやわらかな手に、希望のひとつぶを。




サミット余聞[2023年05月22日(Mon)]

サミット余聞1

◆サミット反対のデモに参加していた男性が公務執行妨害の疑いで逮捕されたという(21日、広島市内)。
ツイッターではカナダ人が現場で撮影したという動画が拡散していたが、「警視庁」の制服を着た機動隊員が大勢で男性を羽交い絞めにしている様子が生々しく映っていた。

新聞各紙は「共同通信」配信の記事を伝えるだけだ。

【神奈川新聞】
サミット反対デモの男逮捕、広島
https://www.kanaloco.jp/news/social/article-991188.html

◆嫌疑は男性が警官の肩を殴ったというのだが、これは警察発表。「 」も付けずに見出しに〈殴る〉を用いた新聞もあった。ウラ取りを放棄して警察発表を垂れ流すだけならば、さぞ楽だろう。しかし、真実は息の根を止められる。

市民の自由な意思表示が封じ込められた香港やモスクワの二の舞は、まっぴら御免だ。

【日刊ゲンダイ】
広島で警察がデモ参加市民を「公務執行妨害」でフルボッコ…なぜメディアは報じない?
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/323345

***

サミット余聞2

◆サミット開催中の広島では、幼稚園から小中高まで、臨時休校・休園を余儀なくされたところがたくさんあったようだ。

教育活動への負の影響は深刻だ。学習指導要領に示した内容をキッチリこなすことが学校に求められ、達成できていなければ尻を叩かれるご時世だ。迷惑千万と言っても足りない。
学習権を保障するのが政府の責務であるのに、コロナ禍の臨時休校と同じく、弱き者に犠牲を強いてへっちゃら、というのがアベ〜スガ〜キシダ政治だ。

◆核兵器禁止条約無視し続ける被爆国という理解不能の矛盾を放置したままなればこそ、「核のボタン」を携行する米大統領がヒロシマにやって来たところで、気にも留めない。

被爆地ヒロシマをダシにしただけで、「広島サミットは大きな失敗だった。」とサーロー節子さんが批判するのは当然だ。



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