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菊池唯子「遡る」[2023年03月31日(Fri)]

DSCN6846.JPG
ハナモモ。

***


遡る   菊池唯子


キタコブシの大木にとまる
百の翼――帰ってきた

山々の連なりから離れて立つ
大きな山のもとに

峠の向こう はるかに
煙っていた紫の山
その麓で育ち 放たれた稚魚のように
雪解けの水の香のする
川のほとりをめぐり

区界の峠の
庇の蒼い氷柱
その中に閉じこめた時をほどき
その奥の祈りをほどき

遡る
水の流れるみなもと
まどろみの中にゆれる
灯ともし頃のなつかしい故郷

人の影がへり
ゆらめく障子も消えて
合歓の木ばかりが高い
生家の傾いた生け垣

時間が急に幅を持ち
場がれる方向を変え
雲の生まれるところに運ぶ

忘れたことさえ忘れた
あなたの薄い手のひら
細い声

子どもも伴侶もいつからかいないが

母よ
三歳のままの私がいる
春だ


詩集『青へ』(思潮社、2022年)より


◆原郷へと還る旅。
「わたし」は時にあまたの鳥であり、時に雪解け水を自由に泳ぐ稚魚である。
しるべとなるのは水の香。

◆生家にたどり着いた第7連は形而上的だ。
「時間が急に幅を持ち」とは、一個体ではなく、有機的につながっている生命として止揚される、という意味だろうか。すなわち、個体としての「死」が、新たな「生」として開かれてゆくこと。
とすれば、「流れる方向を変え」とは、遡行から放下への転換を意味するだろう。「遡る」ことは新しい生命の誕生に不可欠な道行きであり、海(=「雲の生まれるところ」に向かって注ぎ下ることで、母のいます空へと昇ることができるのだ。




バッケ[2023年03月30日(Thu)]

◆故郷の畑にフキノトウが鮮やかな色で咲いていた。
津軽では「バッケ」という。

小学校の時だったか、この名をタイトルに壁新聞を作ったことを思い出した。

バッケ1 DSC_0437.jpg

桜前線が列島を北上という中、津軽平野には先日も霜が降りたそうで、屋根の雪が落ちる日陰には未だ雪が残っていた。


雪を頂いた八甲田連峰が見える。

八甲田DSC_0438.jpg





とむらうこと[2023年03月29日(Wed)]

◆叔母の葬儀で帰省。
故郷では荼毘が先で、その後に通夜、告別式と続く。

コロナで大きく様変わりしたことの一つは葬祭の簡素化だ。家族で見送ることが普通になった。余儀なくという側面はあるが、弔問や参列者がたくさん来てくれればその分より安らかに慰められるということでもない以上、家族のグリーフワーク(喪の作業=家族の死を受けとめる作業) にとっては、かえって良いのかもしれない。あれこれの手配や弔問への対応で足が地に着かない気分を味わうよりは、目と手と心が届く範囲で故人を振り返り、その歴史の中に最愛の人も自分も確かに居たことを心に刻み直す。
それは葬儀社や周囲の都合に合わせてではなく、等身大で今ここに在る自分たちの歴史の一章を誌すことだと思える。


花に鳥[2023年03月28日(Tue)]

◆午後には雨も上がり、境川沿いも花見頃を迎えた。

風もないのに上方の枝が揺れると思ったら、鳥が花房に首を突っ込んでいる。

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警戒心は棚上げにして花と戯れる風情。

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二羽いた。

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ヒヨドリのようだ。

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四ッ谷の辻&大山一の鳥居[2023年03月27日(Mon)]

◆藤沢市羽鳥地区の民権散歩、終盤は、大山阿夫利神社の一の鳥居に向かった。

県道44号=勢原・藤沢線(=旧東海道)に出て、西に向かい、国道一号線の「四ッ谷」交差点を北西に渡ると四ッ谷不動尊があった。東海道と大山道(相模川を渡り田村を通るルート)との辻で睨みをきかせている形だ。延宝四(1678)年に建てられたもの。

DSCN6812.JPG

不動尊を載せた台座に「大山道」の文字が見える。

この辺りは東海道藤沢の宿と平塚の宿の間に位置する立場(たてば。休憩地点)で、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次之内藤沢 四ッ谷の立場」*にも描かれている。地名「四ッ谷」は4軒の家があったことに由来するとのこと。

DSCN6814.JPG


◆不動尊の右手を進むと鳥居が見えて来た。

一の鳥居DSCN6817-A.jpg

大山阿夫利神社一の鳥居
高さ約5m80cm、幅は約4mとのこと。
二の鳥居は伊勢原市上粕屋、雨岳文庫のある山口家住宅のすぐ近くにある。
ここから真っすぐ西方に目を向け、「自由は大山の麓より」と刻した「自由民権の碑」を思い浮かべると気宇壮大になる。
雨岳文庫主催の民権散歩としてまことに似つかわしい見学地だ。

一の鳥居萬治四年DSCN6822-A.jpg

鳥居には「萬治四(1661)年」と建立の年が刻まれているが、反対の柱には天保十一(1840)年、昭和三十四(1959)年と、震災等による損壊を克服して再建した年が刻まれている。
つい10年ほど前にも経年による劣化を克服する補修を施したところだ。文化財を後世に伝える地元町内会の努力に頭が下がる。

DSCN6819.JPG

鳥居には天狗が掲げられている。鼻を欠いてかえって凄みのある眼は、真っすぐ東都に向けられているようだ。

*******

◆現在、辻堂の藤沢浮世絵館では蔦屋版広重「東海道五十三次」が公開されている。「藤沢 四ッ谷の立場」も実物を見ることができる絶好の機会だ(無料)。

【藤沢 四ッ谷の立場】の画像は「電子博物館みゆねっと」にアップされている。
https://www.fujisawa-miyu.net/search/result.html?CN=256

今回の民権散歩で頂戴した《めいじ歴史散策まっぷ》、地図・説明とも簡潔で役立った。
「明治地区郷土づくり推進会議」編で明治市民センター発行(第2版 2016年)。ネットにもアップされているので、ご活用を。
https://rarea.events/rarea/wp-content/uploads/2021/08/b2cda5b982d22a731ebdc2b5ab7fda57.pdf



羽鳥民権散歩・三觜家邸宅跡ほか[2023年03月26日(Sun)]

◆耕餘塾跡地の先、訪ねた史蹟を点描して置く。案内は明治郷土史料室運営委員会の磯崎さん。

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御霊(ごりょう)神社

小笠原東陽が揮毫した幟(のぼり)が保存されている。
ここには、耕餘塾に学んだ吉田茂が揮毫した扁額もあるとのことだったが、明治市民センターの広場側出口前、「徳如海」と彫った石碑はそれを写したもののようだ。

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DSCN6798.JPG

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羽鳥御霊神社の梵鐘。
銘文によれば至徳三(1386)年、下総国香取神宮の別当、神宮司に奉納されたもの。
明治の廃仏毀釈により放出されていたのを、羽鳥の人々が非常時の警報用に購入したものという。


***

三觜八郎右衛門邸跡

小笠原東陽を招聘した三觜八郎右衛門家の住宅は解体され、跡地では宅地造成工事が進められていた。
建物は移築を予定しているが、用地・工事費の確保という課題に直面しているようであった。
明治初期に建てられた貴重な二階建ての商家風建築である。行政&市民の連携で保存・再公開すべきことは言うまでもない。
*先述の明治市民センター2Fの明治郷土史料室では、VRにより家屋内外の様子を疑似的に観られるようになっていた(湘南工科大学制作)。建物模型や文書類など、展示資料も充実しているので再訪したい。


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「三觜八郎右衛門邸宅跡」と誌した碑が、道を挟んだ真向かいにこの3月、建立された。
〈明舜之郷〉と命名した由。
出来立ての銘文を書き写しておく。

三觜家は江戸時代より明治維新まで羽鳥村の名主を務めた素封家として知られ当主は代々八郎右衛門を襲名した。
第十三代八郎右衛門に当たる三觜佐次郎が子弟の教育にあたり明治五年、小笠原東陽を招聘して開いた読書院はのちに耕餘塾に発展し元内閣総理大臣吉田茂をはじめ多くの近代日本のリーダーを輩出した。
広大な敷地に建てられた三觜八郎右衛門邸宅は明治初年の創建で重厚な木造二階建て建築であり多くの居室を持つ稀な商家風建物であった。
近年邸宅等は国登録有形文化財に指定され令和四年春まで一般公開された。
藤沢の教育の始まりと言える耕餘塾の開設から百五十周年を迎える今年後世に語り継ぐこの記念碑を建立するもの也。
 令和五年三月吉日
  羽鳥本村町内会
  明治郷土づくり推進会議
  明治郷土史料室運営委員会


***

★界隈は宅地開発が進んだとはいえ、海岸に近い辻堂周辺の古い村道の面影を残して細い道が入り組んでいる。
鮮やかな朱色の祠と鳥居が目に付いた。
少年・吉田茂が耕餘塾寄宿舎への帰り、道に迷わぬ目印にしたと伝えられる。

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小笠原東陽墓・耕餘塾跡地を訪ねて[2023年03月26日(Sun)]


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◆汲田(くみた)墓地にある小笠原東陽(1830-1887)の墓。明治中学校北側を北に入った所にある。

東陽の左には長男・小笠原鍾(あつむ。民権家として活躍)、更に左手には女婿で東陽の没後、2代目の塾長となった松岡利紀の墓がある。

小笠原鐘(あつむ)墓DSCN6765_0000.JPG


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◆耕餘塾に学び、民権家として活動した平野友輔の墓もここにある。医師、代議士として活躍した。

平野友輔墓DSCN6766_0000.JPG


◆羽鳥村の名主三觜(みつはし)八郎右衛門が東陽を招いて「読書院(とくしょいん)」が設立されたのは1872(明治5)年の3月。
この年8月の学制発布により各地に公立小学校を作ることとなり、「読書院」は「耕餘学校」と改称され、神奈川では最初の公立小学校となった。
 現在の藤沢市立明治小学校の前身。1928年に同校は現在地(藤沢バイパス北側)に移転。
 現在ある羽鳥小は、1972年に学区改編で新たに開校したものである。


◆一方で東陽は中等教育を行う場として私塾での教育も続け、生徒も増えて来たため、1877(明治10)年、三觜八郎右衛門が提供した土地に地元有志の資金を得て塾舎を新築、「耕餘塾(こうよじゅく)」と命名した。「耕耘収穫の余力から耕餘」、すなわち「農作業をしたうえで、なお余った力で勉学を行う」。労働と勉学の両立を目指す学舎であった。


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羽鳥小学校の東側、耕餘塾跡地に建つ小笠原東陽顕彰碑。
汲田墓地から現在の羽鳥小に沿って数分歩いたところ。


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耕餘塾の跡地(藤沢市指定史跡)にハナズオウが咲いていた。


明治郷土資料室発行の『耕餘塾と人間育成の教育 天民不羈』(2015年)、および藤沢市立明治小学校沿革を参照しました。
https://www1.fujisawa-kng.ed.jp/emeij/index.cfm/1,0,9,346,html

民権散歩を出迎えてくれた桜[2023年03月24日(Fri)]

◆第7回湘南社民権散歩雨岳文庫・雨岳民権の会主催)に参加。
《小笠原東陽と耕餘塾跡》をテーマに藤沢市辻堂の羽鳥地区を探訪した。
雨が心配されたが、幸い夕方まで大丈夫だった。

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◆明治市民センターでの講話を終え、歩き始めてすぐ、広場に咲いていた桜。
どの房も白い花とほのかな桜色の花とが身を寄せ合うように咲き、不思議な気品をたたえていた。
(曇り空で、その色合いを上手くとらえられなかったのが残念。)




「憧れ」を捨てる[2023年03月24日(Fri)]

◆昨日の大谷翔平選手、試合前の言葉も話題だ。

「きょう一日だけは、彼ら(米チームのそうそうたるスター選手たち)への憧れは捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。」


「憧れ」が理想像として熱源の一つであることを認めつつ、そこから自分たちを解放することの大切さを伝えたのだろう。
スポーツのみならず、学問や芸術の世界にも通じる考え方だ。

持てる身体の力を惜しみなく発揮する人は、すぐれて言葉の人でもあった。

***

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ラッパ水仙、花言葉は「尊敬」だそうだ。



WBC優勝のことば[2023年03月22日(Wed)]

◆野球のWBC、日本チームは準決勝での逆転サヨナラのドラマに続き、決勝アメリカ戦でも、先制点に追いつき守り抜くチーム力で劇的な優勝を手にした。

大谷翔平投手が迎えた最終バッターがエンジェルスの盟友トラウト選手というのも、天の配剤としか思われない。

◆岸田首相ウクライナ電撃訪問のニュースもすっかり霞んでしまった。
こちらは、発する言葉が紋切り型で、実意も理想も表現できないのだから仕方がない。

◆それに比し、勝利インタビューの大谷翔平選手の言葉は強く印象に残った。

(「これで日本の野球がますます世界で注目されていく」と振ったインタビュアーに対し)
「日本だけでなく、韓国もそうですし、台湾も中国もまたその他の国も、もっともっと野球を大好きになってもらえるように、その一歩として優勝できたことがよかったかなと思いますし、そうなってくれることを願っています」

「ニッポン、すごい」で終わらせないこの言葉には、あまたの外交官が束になっても敵わない力がある(すでに韓国や中国のメディアが反応している)。

栗山英樹監督の選手への信頼が揺るがなかったことは多くの人が指摘している(村上宗隆選手が本領を発揮するまで主軸として起用し続けたことなど)。

もう一つ、代表監督としては、継投などの選手起用にも最大の注意を払ったのだろうと推測する。この後すぐ、どの選手も各所属チームの柱として新シーズン開幕に臨む、この大会がその最良の助走ともなること。そこまでを見据えていたように思える。

監督の信頼が選手たちの力を最大化したことは確かだろう。



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