菊池唯子「遡る」[2023年03月31日(Fri)]
ハナモモ。
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遡る 菊池唯子
キタコブシの大木にとまる
百の翼――帰ってきた
山々の連なりから離れて立つ
大きな山のもとに
峠の向こう はるかに
煙っていた紫の山
その麓で育ち 放たれた稚魚のように
雪解けの水の香のする
川のほとりをめぐり
区界の峠の
庇の蒼い氷柱
その中に閉じこめた時をほどき
その奥の祈りをほどき
遡る
水の流れるみなもと
まどろみの中にゆれる
灯ともし頃のなつかしい故郷
人の影がへり
ゆらめく障子も消えて
合歓の木ばかりが高い
生家の傾いた生け垣
時間が急に幅を持ち
場がれる方向を変え
雲の生まれるところに運ぶ
忘れたことさえ忘れた
あなたの薄い手のひら
細い声
子どもも伴侶もいつからかいないが
母よ
三歳のままの私がいる
春だ
詩集『青へ』(思潮社、2022年)より
◆原郷へと還る旅。
「わたし」は時にあまたの鳥であり、時に雪解け水を自由に泳ぐ稚魚である。
しるべとなるのは水の香。
◆生家にたどり着いた第7連は形而上的だ。
「時間が急に幅を持ち」とは、一個体ではなく、有機的につながっている生命として止揚される、という意味だろうか。すなわち、個体としての「死」が、新たな「生」として開かれてゆくこと。
とすれば、「流れる方向を変え」とは、遡行から放下への転換を意味するだろう。「遡る」ことは新しい生命の誕生に不可欠な道行きであり、海(=「雲の生まれるところ」に向かって注ぎ下ることで、母のいます空へと昇ることができるのだ。