• もっと見る
« 2023年01月 | Main | 2023年03月 »
<< 2023年02月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
寺田和弘監督『生きる』初日[2023年02月18日(Sat)]

『生きる』大川小学校 津波裁判を闘った人たち

生きる1表.jpg

寺田和弘監督『生きる』 大川小学校 津波裁判を闘った人たちを観た。
公開初日の第一回目上映。

宮城県石巻市の大川小学校。
3.11大震災で児童74名(いまだ行方不明の4名を含む)、教職員10名が津波の犠牲となった、あの小学校である。

余りの被害の大きさに、震災被害の第一報のときから、その名は多くの人の胸に刻みつけられた。
3.11がやってくるたびに遺族の声、震災遺構として校舎の保存が決まったことなどが伝えられては来たが、10年余りを経てなお遺族の悲しみは消えない。
この映画は、「真実を知りたい」と国家賠償提訴に踏み切った家族が、わが子のために奮闘する姿を記録し伝える。

◆学校や市教委が家族に説明する場面の映像が生々しい。
生き残った教員から聴き取った資料やメールを削除してしまった行政や校長、「山へ逃げよう」と言った子が居たと証言する子どもをウソつき扱いしてまで不利な事実を押し隠そうとする市教委幹部……。それらを浮かび上がらせる親たちの必死の追及が画面を飛び交う。
裁判に立ち上がって受けた不当なバッシングにも家族は苦しんだ。
それでも事実を知りたいと願う原告たちは、子どもと自分たちを取り巻く者の向こう側にまで想像を及ぼして奮闘を続けた。

◆裁判は二審高裁判決が確定して勝訴に至ったとは言え、なおもどかしさは残る。
一例を挙げれば、一人の母親は、当日の学校の対応を唯一知る教員の苦悶の姿から、学校が抱える問題、職場内の人間関係の問題存在まで読み取っていた。そうした視点を手がかりにするなら、解明されていない点はなお多い。

学校が校長のリーダーシップをことさら要求する管理体制へと変貌したことの弊害、という問題も背景として存在するだろう、と映画を観終えて思った。

◆印象的な言葉を書き留めておく(メモと記憶によるものなのでご了解を)。

【母親】「娘の分まで、娘が遺した何かのために生きて行こうと思います。」

【母親】(このことが生かされて)「もう少しモノの言える、風通しの良い学校になってほしいと思います。」

【判決文から―ー報告集会で引用された】「学校が、子どもたちの命の最期の場所になってはならない。」

*3番目の判決文の言葉は2月15日の朝日新聞「ひと」欄でも紹介されていた。
記事によれば寺田監督の母校は1990年に遅刻指導の校門閉鎖で女子生徒が亡くなった高校。「在学中に僕らが声を上げていれば、彼女は死ななかった。黙っていることは加害者になることだ。」
その切実な思いが原点にある。これも、いま噛みしめて置きたい言葉だ、不合理を見過ごさない一人であるために。


★『生きる』公式サイト
https://ikiru-okawafilm.com/

◆上映後のあいさつに立った寺田監督から、初回上映の入場者が74名、大川小の子どもたちの「74」と不思議に一致していたことが紹介された。
目に見えぬものの力――それは、この映画を観た人の中に生まれてくるはず。

◆映画プログラムに監督のサインを頂戴した。
新宿K's cinemaのロビーは、観終えてプログラムや本などを求める人たちと、入れ替わりの人とでちょっとした混雑。

230218[初日寺田監督サイン入り]「生きる」プログラム.jpg

◆映画のエンディングに流れるテーマソングがCDになった。うたは廣瀬奏さんという方。
作詞・作曲はなんと、大川小津波裁判を引き受けた弁護士二人のうちのおひとり、吉岡和弘弁護士。
歌詞カードを開いて気づいたのだが、寺田監督と全く同じお名前だ。
不思議な縁は、さらに広がるかもしれない。

230218「生きる」テーマソング「駆けて来てよ」CD.jpg




H3ロケット中止をめぐる記者質問[2023年02月17日(Fri)]

H3ロケットの打ち上げが中止となった。メインエンジンは正常に点火したが、補助エンジンの方は異常を検知して着火信号を送らなかったため中止となったという。
開発責任者の岡田匡史プロジェクトマネージャーの記者会見で、共同通信記者が「中止」なのか「失敗」なのか追及する質問を繰り返し、最後、記者の方から「わかりました、それは一般に失敗といいます。」と言い放ったという。

◆「失敗」か「中止」かをめぐるやりとりを読む限り、JAXAとしては、システムは「フェイル・セーフ」の考えに基づいて設計されており、異常を検知し、エンジンほか本体部分の破壊等に至らない段階で停止したために「中止」と表現したという説明。
だが、記者の方は、「一般に」という言い方で(報道は「世間」の代表であると承認されているはず、という前提に立っているのだろう)、判断するのは自分(たち?)である、という、裁定者の立場から「失敗」と認定したように見える。
やはり記者の決めつける言い方には釈然としない。

というより、ここには、「成功」したのでない限り、「失敗」なんでしょ? という二択主義を感じてしまう(ゼロサム思考と言うのだったか)。
記者の発言にある「もやもやするものですから」という言葉も、〇か×か一方に決めてもらわないと納得できない、という考え方のクセを感じるのである。
もし、それが合理的、すなわち科学的な思考法だ、と思っているのなら、違うんじゃない?という気がする。
異常が検知された原因が現時点で未解明だ、ということにモヤモヤしているわけではなさそうだ。〇なのか×なのか、今ここでハッキリせい、という要求が、質問者の目・鼻・口から噴出している感じがする。そのことが、とても引っかかる。


*******


石   壺井重治


石は億万年を
黙って
暮らしつづけた
その間に
空は
晴れたり
曇ったりした


日本詩人全集25『中野重治・小熊秀雄・壺井重治』(新潮社、1968年)より


222時間ぶりの生還をもたらしたもの[2023年02月16日(Thu)]

◆16日、トルコのカフラマンマラシュで、倒壊した瓦礫の中から42歳の女性が救出されたという。
実に丸10日近く、222時間ぶりの生還に、救助隊の人びとの目からも涙があふれていた。


*******


奇蹟とは
水の上を歩くことではない

いま
この地上を
 歩いていることだ


◆チベットの僧の言葉として加島祥造『LIFE』(PARCO出版、2007年)で紹介している。

水の上を歩いたというキリストの奇蹟よりも、今私たちがこの地上を歩いていること、この大地に生を享けて存在している、という事実こそが大変な奇蹟なのだという認識――当たり前に見えることが、実は数限りないほどの偶然や幸運の集積として実現しているのだとつくづく知ること――それは人間の良き魂を高揚させると同時に謙虚な沈思にいざない、次いで他者のために全霊を傾ける持続的かつ協働的な力となる。



トルコ・シリア大震災 救援活動の報じ方[2023年02月15日(Wed)]

DSCN6603.JPG

冬季に貴重な花が咲いていた。カンアヤメというものらしい。
背丈は寒さにたえているように低いが、しっかり咲く佇まいが印象的。

*******


◆相も変わらず、ニュースやワイドショーは”偵察気球が日本にも…”、”マスクなしは個人の判断で…”といった不要不急の話題を大仰に取り上げている。「LGBT法案」をめぐっても自民党内の情勢や広島サミットに向けた政権のアピール狙いなど枝葉の話に終始して、法案の不備や政治家たちの意識のポンコツ度をキッチリ指摘する報道は少ない。

トルコ・シリア大地震への日本政府の支援は全く足りていないのではないかと、ニュースを見ていて気になった。
医療支援で現地入りした日本側スタッフと、現地スタッフとの顔合わせを伝えるニュース、何ともヌルイ雰囲気であるのが気になった。
診察・治療のために大きなテントを空気で膨らます作業なども映していたが、悠揚迫らぬ準備作業ぶり。

現地の必要とのすり合わせを確実に進めながら、長期支援体制を築く構え、とひいき目に解したいところだが、映像にはそうした説明も付かない。日本チームが現地入りしたことを―ー日本国民にではなく――日本政府に伝えるためのニュースにしかなっていないのだ。
あるいは現地に随行した取材陣が、日本の親局(NHK)にちゃんと日本クルーの活躍を追っていますよ、と伝えるため、というか。TVを視る国民に向けたメッセージ性に全く乏しいのだ。

日本チームは「ケガ、妊婦、透析などあらゆるケースに対応できる」と胸を張っていた。
可能な能力を有効に発揮するのはむろん結構だが、どこか「上から目線」を感じてしまった。
「日本ならでは」の意識がジャマにならぬことを願う。

◆その点では、ベトナムのレポートの方がはっきりしていた。
ビル崩壊の現場で救出・収容活動に立ち働くベトナム・チームを映し出し、現地に派遣された人員が1,000名余りであることをしっかり伝えていた。これも派遣した政府や国民に向けて報道していることは同じだが、現場の映像であるだけに、特定の個人をクローズアップしたり、そのコメントを取って流すことはしない(そんなヒマはない救出の現場だ)。

駆け付けた人数の多い・少ないを論じても意味はないにしても、救援に注ぐ熱量はしっかり伝わって来た。
スマートさより泥くささ――被災者の訴えにじかに向き合い、彼らの願いを実現させようとすれば、そうなるのが必然だ。


〈kill〉の主語は――[2023年02月14日(Tue)]

◆トルコ・シリアの大地震を報じるBS海外ニュースを見ていてドキリとした。
見出しが次のようであったからだ(BBCだったか、NBCだったか)。

Over 35,000 people killed in erthquake in Tuekey and Syria

killed〉の文字がグサリと来る。

膨大な死をもたらしたのが地震であることは言うまでもない。しかし、この記事の見出しを決めたデスクの心胆には、〈kill〉の動作主として人間も加担しているという批評が存在しているように思えたのだ。

◆耐震基準を厳密に適用しなかった建築関係者や、審査に手心を加える役人の狡猾さが指摘されている。
また、支援の遅れの一因として、被災したクルド人地域に対するトルコ政府の冷淡さを指摘する声(2/14のTV、高橋和夫氏のコメント)もあった。
人間の都合優先や不作為が被害を大きくし、助けられたかも知れない多くの命を見殺しにした、人災の側面もあるのではないか。

◆その最大の犠牲はシリアの被災者たちだ。
反政府勢力の多い地域であり、難民としてすでに苛酷な生活を強いられていた人々には、身を守るすべが最初から奪われていた。瓦礫に埋もれた人々を救い出すスコップ・重機もなければ、医療や食料の救援もほとんどゼロに等しい。誰が見捨てているのか。

◆この間も、ロシアとウクライナの戦争は休止どころか苛烈の度を加えている。
戦争と震災――性質の異なる二つの悲惨な事態が、ユーラシアの、遠からぬ地域に同時に起きているという異常事態。だが、震災被害も人為が左右することを考えれば、この進行中の二つの事態を少なくともマシな方向に向かわせるために人智を働かせるべきだと思う。

◆トルコ・シリアの大震災を知ったプーチン、ゼリンスキー両大統領の脳裏に、これを一時休戦の口実にする、という考えが一瞬でもよぎらなかっただろうか?
あるいは、そう発想して提案を試みるブレインが彼らの傍らに一人でも居なかっただろうか?
「大統領、いかがでしょう?――
一人でも多くの命を救い、犠牲者を収容し、瓦礫の片付け、民心の安定を得て復興の緒を確かめ得る日まで一両年をかける合意を模索する、そのための話し合いを進めては?国際世論をグッと引き寄せる絶好の機会ともなりましょう。」

◆トルコ・シリアはウクライナ・ロシアの双方にとって、地理的にも外交関係においても有縁の国々だ。
トルコ・シリアのために、銃をスコップに持ち替えて支援に力を尽くす。「戦争に勝つ」べく身に帯び過ぎた熱を冷ます時間ともなるのではないか。震災復興のために合力して汗を流すならば、戦争終結への別解も見出せるのではないか?
国民への責任を自覚する政治家であれば、素人の思いつきを夢想だと片付けないだけの頭脳と力を持っているはず、と期待したいのだが。



加島祥造『LIFE』より[2023年02月13日(Mon)]



生まれるものは何であれ
みんな
あなたより
 深いところからくる

起るものは何であれ
みんな
あなたより
 高いところからくる


 
加島祥造(かじましょぞう)『LIFE』(PARCO出版、2007年)より


◆トルコ・シリアの大地震、一方に「気球」をめぐる大国同士のマンガ的な応酬。
これらを脈絡もなく取り上げるメディア……空転しているはずの頭を載っけたまま、TVの人々は良くしゃべる。

どっちにしても人は地べたを這うように生きるほかないのだけれど。




大庭城址公園の熊坂兌子「自然」[2023年02月12日(Sun)]

◆大庭城址公園には藤沢出身の彫刻家、熊坂兌子(なおこ)の作品の一つがあると知って、寄って見た。

DSCN6633.JPG

熊坂兌子「自然」(1995年)

◆藤沢市民会館前にある「平和の像」(核兵器廃絶 平和祈念像)を小ぶりにしたような大理石作品だ。
「平和の像」も同じ1995年。戦後50年を記念したものだった。

YouTubeのインタビューではイタリアの大理石を用いて制作したと作者は語っていた。
同時期制作のこの「自然」像も同じイタリア産の石ということなら、その点でも姉妹像ということになる。

どちらもボリュームのある「母子像」。
幼子を抱きとめる「母」は大地を表すと作者自身は語っていた。

この「自然」像は、幼子が安心して全身を母に委ね、それを受けとめる母の頼もしさが背面にも表現されている。

DSCN6631.JPG

*大庭城址公園の木立に包まれている「自然」像、惜しむらくは、緑の苔をまといつつある。
大理石の輝く白さを保つには定期的な手入れが必要と思う。

熊坂作品に限らないけれど、せっかくのアート、いつまでも市民に愛される姿であるよう、市のバックアップをお願いしたい。


YouTubeインタビュー
《熊坂兌子〜彫刻がつくる地域のカタチ》
https://www.youtube.com/watch?v=_Lio_eymo1g

★【関連記事】
熊坂兌子の「平和の像」[2018年12月13日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1076

★「平和の像」については、独立したリーフレットが藤沢市&藤沢市平和の輪をひろげる実行委員会の手で制作され、市内各所で手に入る。
下のサイトにアップされており、台座の16点あるレリーフについても鮮明な画像で見ることが出来る。ぜひ一見を――

https://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/jinkendanjyo/kurashi/hewa/documents/1104heiwakinenzo2.pdf




二番構公園の彫刻群[2023年02月11日(Sat)]

◆藤沢のライフタウンにある二番構(にばんがまえ)公園は、水の流れに合わせて歩いて行くと、3つの彫刻群に出会う。
車で傍らを通り過ぎるばかりだったのを、今回は自転車を押しながら眺めて回った。
(北から南に向かうと、水が流れ下る方向に従って行く感じになる。)

DSCN6587.JPG

最初にあるのは池中央の円いステージ上に三体の女性群像。
一枚の画面に三像をバランスよく収めるのに苦労した。

その先には水がめを抱えた女性像。

DSCN6595.JPG

その水が真っすぐ流れ下った数十メートル先には、子どもたちが水遊びしていた。

DSCN6598.JPG

右の、台上に座った子の方を別角度からも撮った。

DSCN6600.JPG

いい表情で和む。
夏なら近くの子どもたちがやって来て一緒に水遊びに興じることだろう。

◆以上3点の彫刻には銘板など見当たらなかった。
小冊子『ふじさわパブリックアート』によれば、いずれも1985年に竣工したものだというが、制作者の名は書いていない。

辻公園などに無名のまま置かれた作品は少なくない。
企業体が受注して個人名を誌すのは適当でないと判断する場合もあるのかも知れない。
だが、その場合でも、工房名を刻すなど、工夫の余地はあるように思うが、どんなものだろう。

作品と制作者とをセットで考えたがるのは現代の習慣に過ぎない、とは思うけれど。

***

『ふじさわパブリックアート』(藤沢市アートスペース発行、2020年)はQRコードも付いていて目当ての作品を探訪するには便利だ。
ネット上に公開されてもいたので、下にリンクを張って置く。

https://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/bunka/FAS/wp-content/uploads/2022/01/789cbec5808728dc13285b8dc971875d.pdf




緕R賀行「春の詩」[2023年02月10日(Fri)]

◆湘南大庭市民センターを訪れると、鳥と遊ぶ一対の少女像が迎えてくれる。

緕R賀行(くわやま がこう)「春の詩」(1995年)だ。

DSCN6619.JPG

DSCN6615-A.jpg

一方は両手を持ち上げ、片脚を少し曲げて挨拶をしてくれる風に見える。

もう一方は両手をやや下ろして、ほぼ正立した姿だ。
どちらも、光や風の具合で表情の変化が現れそうだ。

DSCN6609-A.jpg


DSCN6611.JPG

***

◆確か藤沢市役所ロビーの木彫りのワンちゃんも同じ作者だった。
4年前の拙記事で写真を載せた記憶がある。

「我家のソクラテス」と名付けられていた。
哲学する盲導犬という雰囲気。
風格を感じさせながらも、寝そべった姿は見る者の緊張を解く。
手で触れてみる彫刻として親しまれている。

【2019年3月29日の記事】
《撫でる》

https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1182

*市内の彫刻などを紹介した『ふじさわパブリックアート』によれば、緕R氏は1948年生まれ。
市内白旗にお住まいの由。




佐藤忠良の彫刻at秋葉台体育館[2023年02月09日(Thu)]

藤沢市の広報に市内のパブリック・アートが載っていて、未見のものがいくつもあった。

「ふじさわパブリックアート散歩」という小冊子も2年あまり前に出ていたので、参考にしながら自転車で回って見た。

その中から佐藤忠良(1912-2011)の彫刻を――

DSCN6572.JPG

佐藤忠良「シャツブラウスの娘」(1983年)。
秋葉台体育館の前庭にある。
今にもハミングなど聞こえそうで、軽快だ。

亡くなったのは2011年の大震災直後の3月30日だった。宮城県生まれで、幼いころは北海道で過ごした人。
どんな思いで震災を受けとめたことだろう。


DSCN6576.JPG


DSCN6568.JPG




検索
検索語句
最新コメント
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml