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吉行理恵「運ぶ」三篇[2023年02月28日(Tue)]


運ぶ 三篇  吉行理恵


鳥は舞い上がります
ふいに嘴でくわえられ
青一色の夢の頂上まで導かれてゆくのは 少年です
やがて銃声が 闇のなかへ消えてゆきます

   *

朝を運んでくる軽い足音は
もうすぐ聞えてきます
舗装道路を引っ張られてゆくのは落葉
風に出遇い 黒い時間は砕けてしまいます

   *

柔らかい頭に頭巾をかぶせられて
夢を見ている赤ん坊を背負い
私の渡る丸木橋を
痩せた腕で支えているのは私です


『吉行理恵詩集』(新装版 晶文社、1997年)より

吉行理恵(1939〜2006)は戦時中、疎開した経験を持つ。
「運ぶ」と題されたこれらの詩には、幼い心身を領した死のイメージが色濃く出ている様に思う。
そうしてそれは、戦火の現実が幻想に隈取られる形で表現される。

◆一気に天頂へと拉し去られる少年。銃撃から救われたのか、それともすでに地上の者ではなくなっているのか……。

◇朝をもたらす者の姿は落葉の動きでその存在をうかがい得るのみで姿は見えない。だが、その力は圧倒的だ。一気に闇の塊を破裂させるようにして朝をもたらす。

◆三つ目の詩、赤ん坊を背に丸木橋を渡って安全地帯に逃れようとする「私」。
ここで運ぼうとしているのは、あどけなく眠る幼子の命だ。
だが、渡るべきその橋を支えているのが私自身の痩せた腕であるとは!
生きのびることがとうてい不可能である、という現実の真っ只中に読者を引きずり込む。




岩P攝「逆瀧」(さかさだき)[2023年02月27日(Mon)]

岩P攝「逆瀧」.jpg




さかさだき
逆瀧   岩P攝(いわせ せつ)


私は見た
巨大な瀧が 逆(さかさ)に 昇り立つのを

月光のなかを
天へむけて 落ちてゆくのを

魂の群が
青く耀(かがや)きながら 地上から昇り立つのを

みな
この世で犠牲(いけにえ)になった 生きものの

魂の群が



◆標題作として詩集『逆瀧』(昭和出版、1981年)の最後を飾る。
鎮魂と祈りの詩だ。

◆瀧を凝視し続けるうちに、突然、全く逆方向への動きの中に自分がいると感じた瞬間があったのだろう。それは、ひとつの啓示のように全身を刺し貫く。

戦に生を断ち切られた者、人間の身勝手さの犠牲となったあらゆる動植物たち、それらが大きな瀧に合流し、月の光を受けて荘厳に耀きながら昇ってゆく。それを「天へ向けて 落ちてゆく」と表現した。

大きな円環の中をわれわれが光の粒の一つとして生まれ、死ぬ。
無窮動の循環の中に〈落ちてゆく〉。それは〈昇り立つ〉ことでもある。
上下の違いなど、この動きの中では意味を持たないからだ。



ウクライナをめぐる音楽二つ[2023年02月26日(Sun)]

◆NHKスペシャル「ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の72時間」を視た。

番組の終わり近く、兵士たちの姿が映し出される。
疲れ果て、深く掘られた塹壕の壁にもたれる者、放心した表情の者。
爆風で飛んできた土か何かに眼をつぶり顔をしかめる者……

最後に、SNSの画面に映った若い兵は、口に出すべき言葉が見当たらぬまま吐く息だけが白い。顔に土がこびりついたまま、苦悶の表情でこちらを見ているこのウクライナの若者に、私たちはどんな言葉をかけてやれるというのか。

サイレンがまたもやキイウの街に鳴り響く。
爆発音とともに窓が激しく揺れる……

◆それらの映像が続く番組の終わり、4分余り流れるヴァイオリンの音色が胸に沁みた。
クレジットに坂本龍一「Piece for Illia」とあった。
「イリアのための曲」という意味になろうか。

ネットで探すと、昨年、避難中の地下に響くヴァイオリンが話題になったウクライナの二十歳のヴァイオリニスト、それがイリアだった。
彼の演奏に感銘を受けた坂本龍一が作曲を申し出、コラボレーションで生まれたのがこの「Piece for Illia」だった。
多くの音楽家たちがリモートで加わった演奏もあり、それも話題になったようだ。

ヴァイオリニストの名はイリア・ボンダレンコ

ソロでこの曲を演奏する姿がYouTubeにアップされている。
https://www.youtube.com/watch?v=4Rbq9lxOh2o

廃墟と化した学校の前での演奏もアップされている(2022年5月の演奏)。
https://www.youtube.com/watch?v=cJWutFfxqpA

***

◆ウクライナをめぐる音楽としては、大野一士が都響の定演で取り上げたシルヴェストロフ『ウクライナへの祈り』の演奏も深く心に響いた。

昨年4月22日、ウクライナの作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフ(1937〜)の曲を、予定されていたプログラムに特に加え、平和への願いを込めて演奏されたものだ(於・東京文化会館)。
https://www.youtube.com/watch?v=-BJP-o7ogMo


岩P攝「骨がある」[2023年02月25日(Sat)]


骨がある    岩P攝(いわせ せつ)


もう 何もない
君は そう思っている

だけど 君
山がある 海がある

山はない 海も見えぬ
君は そう言う

だけど 君
空がある

空か
閉じられていて空は見えぬ

不仕合わせな君よ
空さえなければ 神がある

神さえ 見えぬ

神さえ見えなきゃ
肉がある

肉は涸れた
君 肉は涸れても

骨がある

骨は ある
君は やっと 肯(うなず)

骨があれば
肉が見える

肉が見えれば
神は来る

神が来れば
雲が浮かぶ

雲が浮かべば
空がある

君は 首(くび)を横に振らない
縦にも 振らない

だけど 君
空がある!



『逆瀧(さかさだき)(昭和出版、1981年)より。
*前回の詩「右腕」同様、旧字旧仮名の原詩を、現代の字体・現代仮名遣いに改めてあります。


◆敗戦後、かろうじて生き残った者同士の会話であるとも、一人の男の自己内対話であるともとれる。
どちらにせよ、痩せさらばえ、絶望している者と、肉落ち骨が浮き出るほどになっても、まだ死なずにいることに希望を見出そうとする者。

「閉じられていて空は見えぬ」――捕虜として幽閉されているのだろう。
裁きが下るのと、命終を迎えるのとどちらが早いか知れたものではない。

だが、たといそうであるとしても、想像の力で時計の針を戻すようにして、肉をまとい、神のまなざしを思い浮かべるならば、そこに雲が湧き起こり、空もたしかに映って来るはずではなかろうか?


岩P攝「右腕」[2023年02月24日(Fri)]

◆ウクライナ戦争、一年。
「専門家」は《長期戦》との託宣を、事も無げに言い放つ。

*******

右腕  岩P攝(いわせ せつ)

海へ逃げても渡れない
山に隠れても憲兵に探し出されて殺される
既に赤紙は来た 既に入営した
ある日 突然
その男の右腕が痺(しび)れた!
だらんと垂れたまま上へ上がらなかった
内務班で唸り続けた
医務室で唸り続けた
陸軍病院に送られた
神経痛の病理は世界で判っていない
この男の右腕は世界で誰も直せない
左の手で敬礼し物を食い 夜唸った
ある深夜その左手で 隣ベッドの私の手を握った
おめえはいい奴だ死ぬなよ 何でもいいから死ぬなよ
男は向うへ寝返りを打ってから 再び低く唸り始めた
五ヶ月で男は現役免除になった
やっと立っていられるほどに痩せた体が
陸軍病院の二階の窓から見送る私を一度も振り返らず
病院の広い中庭を斜めに横切って門を出ると
いやにしっかりした足取りで遠ざかって行った
その時 私の眼の中で
男の右腕が青く発光し
灰色の空へ向けてまっすぐに伸びた


詩集『逆瀧(さかさだき)(昭和出版、1981年)より。
*原文、作者は文字にこもる力と気配が大事と考え、旧字旧仮名を使用していますが、ここでは現代の字体・現代仮名遣いに改めました。

*******

◆陸軍病院の門を出るや、空へとまっすぐ伸びた右腕。
鮮やかなどんでん返し。

詐病(さびょう)・佯病(ようびょう)、つまりは仮病だったということなのだろう。
五ヶ月の間つき通したウソのけざやかさを「右腕が青く発光し」と表現した。
だが空の方は灰色のままだ。ぞの空は最前線まで続いている。

「死ぬなよ 何でもいいから死ぬなよ」――男のこの言葉は、ウソなどではなかったはず。
男の言葉のおかげで「私」が生き残ることができたのかどうかは分からない。
また、前線投入を逃れた男がその後も無事であったかどうかも分からない。

はっきりしているのは、男は、愛するものたちのために身の犠牲もいとわないという英雄譚の主人公になることは仮構として退け、何が何でも生きることを自分に課したことだ。
そうして、もう一つ、生き残ろうとする者を一人でも増やすために、「本当の言葉」を私に贈ってくれたことだ。




『都立高校の魅力向上に向けた実行プログラム』案への意見[2023年02月23日(Thu)]

◆東京都が『都立高校の魅力向上に向けた実行プログラム』案について、意見募集を実施している。 締め切りは明日2月24日(金)いっぱい。Webから入力・送信可能だ。

★応募要項は下を参照。
【御意見募集 「都立高校の魅力向上に向けた実行プログラム」(案)について】
https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2023/02/02/15.html

★入力送信フォーム
「都立高校の魅力向上に向けた実行プログラム」(案)に対する意見

https://forms.office.com/pages/responsepage.aspx?id=NzBX9o1d90yJrdl_qO8gj9Q0fuOn0otHpYbqn9B1r7BUN1FOVzdENzdRTExYRUJIMTFBUlU5Q1BVSCQlQCN0PWcu

***

◆「都立高校の魅力向上に向けた実行プログラム」(案)〈PDE〉全体は、下記URLから閲覧・ダウンロードできる。
1.概要版https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2023/02/02/documents/15_01.pdf

2.「都立高校の魅力向上に向けた実行プログラム」(案)【全体版】
  *意見はこの全体版PDFのスライド番号を明示した上で入力・送信のこと。
  ※PDF各ページの下隅に振ってある頁番号ではなく、スライドで表示されるものの番号([PDFページ番号+2] になっているので注意。
https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2023/02/02/documents/15_02.pdf


*******

◆今回の「都立高校の魅力向上に向けた実行プログラム」(案)[以下「実行プログラム案」]、言葉は麗々しく並ぶが、今月上旬に本ブログにアップした日の丸君が代強制問題の視点から読むと、問題だらけと言わざるを得ない。
2か所だけ挙げて置く(「スライド番号6」及び「スライド番号10」)。


(1)全体版の「スライド番号6」には以下のような記述がある――

○ また、国際色豊かな学校の拡充や専門高校の改善・充実、チャレンジスクールの新設など、社会の変化や生徒の多様なニーズに応える学校づくりについても併せて取り組んできました。

◆「国際色豊かな学校の拡充」も「社会の変化や生徒の多様なニーズに応える学校づくり」も、そのまま受けとめることはとうていできない。
これまでの都教委の施策を確認しておこう。

@卒業式等の"君が代"の異常な強制が依然として続いている。
(進行台本で、不起立の生徒に対し司会の主幹教諭がマイクを使い、「立ちなさい」と3回叫ぶという。人権侵害以外の何物でもない。)
A教職員への"君が代"処分はおかしいという各種世論調査を無視し、最高裁で教員側勝訴の判示があったにも関わらず、再処分を強行。報復的な人事権の濫用である。
B『オリンピック・パラリンピック学習読本』で、〈国旗掲揚/国歌〉という表現を採用。五輪憲章が、〈各NOCが採用し、IOC理事会の承認を得た「旗・讃歌」〉と明記していることを無視したものだ。

いずれも、生徒に国家主義を刷り込み、教職員にも生徒にも、教育基本法が禁じる「不当な支配」を強行している、というのが実態である。
こうした現状こそ、セアート国連人権規約委員会から是正が求められている「人権侵害」にほかならない。

よって、この6番目のスライドについては、たとえば次のような認識の変革を求めるべきだろう。

口先だけの「国際色豊かな学校づくり」や「生徒の多様なニーズ」ではなく、これまでの卒業式等における「君が代」強制や、『五輪学習読本』で「国旗国歌」という記述を安易に用いたこと等への反省に立って、「君が代」強制反対の世論や多様な生徒の存在をふまえた、真に民主的な学校づくりへと変わる転機を迎えています。

***


(2)全体版の「スライド番号10」の記述――

◆「グローバル人材の育成や国際交流機会の拡大」への期待を受けた学びの充実に加えて、「新たな課題等の解決とともに、都立高校の魅力向上を図ることを目的」としてこの「実行プログラム」をまとめた、としている。

ここでも、「日本人としての自覚や誇り」、あるいは「国を愛する心情」等の強制に対してこれまで寄せられた反対意見、都立高校の未来に対する憂慮の声が相当数に上る事実を完全に黙殺している。

◆さらに見過ごせないのは、「グローバル/国際交流」をうたうことと「日本人として/国を愛する心情を」を強調する結果、高校生の中に矛盾するもの同士のせめぎ合い・葛藤をもたらす危険性への目配りがどこにも伺えないことだ。理解しがたい。

「日本の伝統・文化」を強調する姿勢は教員の指導力向上においても同じだ。例えば「実行プログラム」のスライド番号53、最下段の記述。

(3)グローバル人材の育成に向けた指導力の向上として、「英語コミュニケーション(日本の伝統・文化紹介)」の実施が示されている。これと発想は同じである。
すなわち「グローバル=英語力」→「英語で日本の伝統・文化を紹介」という既存路線を一歩も出ていない。
例えば、外国につながる生徒たちが存在することを視野に収めるならば、日本語習得の環境整備だけでなく、「英語圏以外の文化的背景を持つ生徒たちから学ぶ」という方向を明確に打ち出すべきだろう。

◆よって、「スライド番号10」は、以下のような視点で書き改めるべきと思う。

――「グローバル人材の育成」を目指すときに、「日本人としての自覚や誇り」「国を愛する心情」を求めることが生徒たちに深刻な葛藤をもたらし、主体的な学びを阻害し得るという認識に立ち、かつ多様な文化的背景を持つ生徒たちが在籍する現実を直視して、個人の尊重と人権保障の場として学校が機能し、どの生徒も人間として持てる力を伸ばせる施策を実現しなければならない。

◆「多様な学び」を謳う以上、卒業式等における「君が代」強制の元凶である10・23通達は、廃棄しなければならない――それが論理的な帰結となる。

*******

関連記事
《セアート再勧告&国連人権委員会勧告》に関する拙記事(2月6日)
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/2581

《子どもの権利条約》と「生徒指導提要」改訂版に関する拙記事(2月7日)
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/2582

文科省・都教委のこれまでの対応を取り上げた教育ジャーナリスト・永野厚男氏の記事(1月12日転載)
君が代強制に国連から3度目の是正勧告
(永野厚男氏『マスコミ市民』22年12月号の転載)

https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/2556



小島力「秋の城」[2023年02月22日(Wed)]

小島力(ちから)詩集『わが涙滂々』(西田書店、2013年)には、反原発運動に関わって生きてきた詩人が折に触れ発表してきた詩群が並ぶ。福島県葛尾村で郵便局員として働きながら詩作を続けて来た人が放つ言葉の矢弾である。


秋の城   小島力


もはやそれは
現代を踏み従えてたちはだかる
城砦ではなかったか
断崖のようにそそり立つ
コンクリートの隔壁は
戦国時代の巨大な石積みに
なんと似ていることか
コロをかって切り石を動かし
モッコで土砂をかついだ
かつての民百姓が
今 原発建設現場で
コンクリ板枠を高々と組み
果てしない浪費のように生コンを送りこむ
作業に追われている

四囲を圧する石垣の高さは
外敵の侵入を拒むよりも
城砦の内部で絶えず噴き出す
膿みや血糊を外へ漏らさないための
防壁であったろうか
その昔 城内で繰り広げられた
陰謀や報復 刃傷や誅殺が
決して民衆の眼に
さらされることのなかったように
熱交換器や圧力容器や燃料棒に
うがたれた無数の亀裂やピンホール
原子炉建屋に充満する放射性物質を
その目で見た者はいない

故障修理や定期点検作業に投入され
被曝の限度を超えて使役される人間は
数知れない
無抵抗にスクラップされた労働者は
付近の病院をタライ廻しされ
次々と死んでいった
かつて築城の機密に通じた土工たちが
人知れず消されたように
物言わぬ人柱には
いつの世にも周到に用意された
地下牢がある
原発の真下
地底の貯蔵タンクには
濃縮廃液がたたえられ
城館の来歴にまつわる呪いのように
どんよりと静まりかえっている

それが松林の上であれ
穂を垂れた稲田の向こうであれ
あるいは役場庁舎の屋上からであれ
赤白だんだらの排気筒が見える限りの
町々や村々は
巨大な電力資本の支配の枠組みに
すっぽりと囲い込まれた
交通の要衝に城を構え
経済の中枢を握って君臨した
戦国の武将たち
そびえたつ天守閣の格子窓からは
何萬石もの領地が
一望に見渡せたであろう
だが歴史の変遷は
城門の白壁を崩し土台石を風化させる
かつて難攻不落を誇った城砦は
今 訪れた観光客が
気まぐれに足をとどめる
旧時代の遺跡でしかない
苔むした石垣に
真っ赤に紅葉した蔦を這わせて……

いつの時にか
この巨大な原子炉建屋が
累々と崩れ落ち
苔むす日があろうか

秋――
太平洋の白波が打ち寄せる海岸線に
整然と立ち並ぶ
東京電力福島原子力発電所
もはやそれは
単に放射性物質にまみれた
発電施設と言うにとどまらない
民衆を支配し
経済の中枢に腰をすえた
現代の城砦に他ならぬ
透明な秋の陽差しを浴びて立ち尽くす
白亜の巨大なタービン建屋
その中で唸りをあげて
回転するものは
時代の矛盾である

  (一九八三年作・十月社刊「83原水禁」所載)



◆40年前にこれが詠まれたことに驚く。この「城」を築くために汗を流し犠牲となった人々への碑銘として刻され、同時に原発災害への衷心からの警告でもある。

《いつの時にか/この巨大な原子炉建屋が/累々と崩れ落ち/苔むす日があろうか》

――無念なことに、これは現実のものとなってしまった。一点、「苔むす日」を迎えることは到底不可能な状態で、ということを除いて。
そればかりではない。詩人自身が原発難民としてふるさとを離れざるを得なくなったのであった。

◆『わが涙滂々』を読み始めてから、小島力氏が昨2022年2月24日に永眠されたことを知った。奇しくも誕生日を迎えた朝であったという。享年八十七。

次の記事にその生涯について詳しく録されている。多くの人に読んでいただきたく、URLを転記して置く。

【47NEWS 2022/4/17】
「故郷は帰るところにあらざりき」福島の原発に建設段階から一貫して反対した87歳の詩人が最後に書き残した情景 原発事故が山の暮らしを奪った
https://news.yahoo.co.jp/articles/018c7f750729a2a0d85b48ff384385a157d87e0b





小島力「川」[2023年02月21日(Tue)]

◆昼前、いつもの病院に向かうべく車を走らせて信号で停めたら、信号わきにある大きなマンションの前に報道クルーが何組か目に入った。

昨夜、当市と横浜市との境付近の歩道で事件があったのは知っていた。

車の窓を開けて、カメラマンの一人に声をかけたが、未だ詳しいことは分かっていない様子。現場は坂を下りた直ぐ下だと言われて、ネットで見た現場の写真と通りかかった辺りの風景とが頭の中で一致した。
取材陣がたむろしているマンションの下、国道1号線沿いの歩道が現場だったのだ。隣の一戸建てからはNHK記者も出て来た。聞き込みをしていたのだろう。

夕方のニュースで、襲われた年配男性は不幸にして亡くなったと知る。奥様と二人暮らしの藤沢市民であった。

◆物騒な事件が続く。ましてや往き来することの多い、生活圏内での事件だ。早期の解決を願う。

◆午後、施錠をしっかり確認してから短い外出をした。
空き缶類を拾いながら相棒と歩いた散歩ルートの一つを、自転車で回って見たのである。

しばらく通る機会のなかった畑の側溝にペットボトルや空き缶が目立つ。
食を支える圃場にポイ捨てゴミが散乱しているとやはり気分は沈む。

◆不穏な事件は、仕事や人間関係で思うに任せぬ現代人の不安や苛立ちを反映している。
買い物に寄った店での客と店員さん、通りを行きかう車やバイクのやりとり、むろんSNSなど電網の上でも、プツプツがフツフツ、さらにブツブツと膨れてきて、イライラのあぶくが、はじける手前まで大きくなっているのを感じないわけにはいかない。

◆本日回収のペットボトル+空き缶+ビンは合計65本。
水洗いして、少しだけサッパリした。

◆もうひとつ気分転換に「川」という詩を――

***


川  小島力


豊かな水が川幅一杯にあふれ
満々として流れくだる姿はいい
水源の湖から押されるように流れ出し
四方の谷間や丘陵から仲間を呼び集め
下流の広大な湿原で
光りながら蛇行するのはもっといい

釧路川 千歳川
雨龍川 幌内川 長流川(おさるがわ)
いくたびか訪れた北の大地には
そんな川がまだ残されていた
なだらかに広がる原生林の中を
時には笑いさざめきながら
ゆったりと曲がりくねる
ペンペケタン ヤンペタップ
サロベツ オンネベツ
原住の人々が長い歴史をかけて
あがめ慈しんだ神々の土地
敬虔な祖先の歌が
木霊のように林間にはねかえり
心にひびいてくる

長いこと身のまわりで
岩石だけが累々と横たわる
川の残骸ばかりを見てきた
それはダムや堤防に脈拍をはばまれた
動脈硬化の老いた血管だ
草や 木や
そして地の底からさえも
ふるさとや 歴史や
そして人々の心からさえも
およそみずみずしいものすべてを
しぼり尽くし涸らしつくす
この国のゆがんだ骨格
水の途絶えた河川の骸ろに
こだまする歌はもうない

ゆったりと満ちあふれ
岸辺の草を浸して流れる川はいい
後からあとから折り重なり
お祭りのように押し合いへし合い
駆け足で流れくだる川はいい
ぶ厚い雪田の裾から
宝石のようにきらめいてほとばしり
神々の歌を奏でながら
永遠に流れ続けるのだったらもっといい



小島力『わが涙滂々 原発にふるさとを追われて』(西田書店、2013年)より




小島力「殺し屋」[2023年02月20日(Mon)]

小島力『わが涙滂々』から、さらに一篇――



殺し屋  小島力


本物の殺し屋は この社会では
        電波や文字や言葉のベールの陰で
        多分 こっそりと飼育されている
本物の殺し屋は 色も形も匂いもないので
        人目には決して触れない

本物の殺し屋は 地表の生物すべてが獲物であり
        ターゲットを特定しない 
本物の殺し屋は 本人そのものが凶器であるから
        物々しい武器は隠し持たない
本物の殺し屋は 体内に侵入して蓄積するので
        半減はしても消去するプログラムがない
本物の殺し屋は じっくりとそして確実に作業するので
        人が忘れた頃にしか凶行に及ばない

本物の殺し屋は 元々地球に滞在すべき
        パスポートを持たない
本物の殺し屋は 北西に舌を伸ばして越境するので
        同心円の内側に定住するとは限らない
本物の殺し屋は 脱出して海洋侵攻を企てるから
        世界制覇をくいとめる手立てがない
本物の殺し屋は 偽りの情報を「神話」に仕立て上げるので
        真実は風評の目出し帽で徘徊するしかない

本物の殺し屋は コツになっても殺し屋は殺し屋であり
        溜まった燃え殻の置き場がない
本物の殺し屋は 冷温停止に「状態」の下駄を履かせるから
        しぶとく生き残ってトドメを刺せない
本物の殺し屋は 札束に囲われたムラに潜伏するので
        犯行が露見してもみだりに逮捕されない
本物の殺し屋は 想定の外に拡散するので
        汚染された土壌には泥鰌しか住めない

本物の殺し屋は いつも決まって
        「ただちに健康に影響はない」
本物の殺し屋は だから この社会では
        多分 間違いなく
        合法である



小島力『わが涙滂々 原発にふるさとを追われて』(西田書店、2013年)より


◆”ドジョウ”の駄洒落を含め、繰り返されて耳タコとなった言葉をタンカ売のように並べ立てる。
これらのほとんどは「専門家」や「マスコミ」が流布させた単語だ。
「真面目に」語られた言葉たちを並べてみれば、滑稽に映る。

◆殺し屋の正体は放射能と分かっているのに、始末のしようがない。
「手立てがない」「トドメを刺せない」「――影響はない」……と「ナイナイ」尽くしのこの「殺し屋」の存在が「合法である」という、底なしのオカシサのまま10年余り。
地球のあっちでもこっちでも、殺し屋はもう潜伏するのをやめたみたいだ。



小島力「五人のデモ隊」[2023年02月20日(Mon)]


五人のデモ隊  小島力


「自分の意思を示すことが
民主主義だ」と大江さんが言った
「地球を守ろう」と太郎さんが叫んだ
人々々の明治公園
色とりどりの旗や幟やゴム風船
こんな集会に初めて出てきた
「自分の意思」で……

「集会が終わり次第
帰っていい」と娘が言った
「参加者があんまり多過ぎて
出発時間が遅れそうだし
デモのコースも長いから」と
「齢もトシだし 仕方がないか」
残念だけどもうなずいた

「タスキは結局無駄になったか」
心の隅でふと思った
百円ショップの障子紙折って
「脱原発」と大きく書いた
「原発被災者の会」と小さく書いた
ゆうべ一晩がかりで作った
タスキをバックに入れたままで

「被災者の会」はたったの五人
駅に向かって歩き始めた
「折角作ったタスキだから
かけて歩こう」と誰かが言った
「そうだそうだ」と
みんなが応じた
歩道の片隅で肩から下げた

「自分の意思を示すことが
民主主義だ」と大江さんが言った
一列になって駅まで二キロ
熟年五人がゆっくり歩いた
午後の陽差しを背中に浴びて
みんなの顔が晴れやかになった
後ろ姿が輝いて見えた


小島力(ちから)詩集『わが涙滂々 原発にふるさとを追われて』(西田書店、2013年)より


◆「明治公園」とあるから、3.11から半年後、2011年9月に開かれた「さようなら原発集会」だ。

千駄ヶ谷駅から大変な人波で、数万人規模の大集会となった。
あの会場に、とまどいながら「自分の意思で」加わり、手製のタスキを下げてデモ行進を歩いたこうした被災者も居たのだ。

「脱原発」と大きく書いた
「原発被災者の会」と小さく書いた


この二行に、初めて抗議の声を上げる庶民の心が表現されている。
小さな勇気が集まって大きな抗議の声となる。

◆3.11を目前にして「原発60年超運転」を容認した原子力規制委員会。
幾度目の変節だろう。

あの日の熱気をよみがえらせ、今また怒りの声を上げねばならない。


★「さようなら原発」のアクションとして、次の金曜日、ウクライナ侵攻1年への抗議デモがある。

*******


ロシアのウクライナ侵攻から1年 
ウクライナに平和を!
2・24日比谷野音集会&デモ
 


日時:2月24日(金)18:30〜19:15  
    集会後デモ(鍜治橋駐車場まで)
場所:日比谷野外音楽堂
主催:さようなら原発1000万人アクション実行委員会
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
戦争をさせない1000人委員会
憲法9条を壊すな!実行委員会
憲法共同センター


★集会チラシは下から
http://sayonara-nukes.heteml.net/nn/wp-content/uploads/2023/02/a33fddb9b012b666b1196dd5e1acf5c2.pdf



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