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《相手の意見を尊重できるようになると、生きることがすごく楽になる。》[2023年01月21日(Sat)]

◆高校生のすごい言葉に出会った。

相手の意見を尊重できるようになると、
生きることがすごく楽になる。


石井光太『ルポ 誰が国語力を殺すのか』313頁(文藝春秋、2022年)にあった言葉だ。

中学・高校一貫制のさる私学、ディベート同好会のキャプテンをつとめる高校2年生の言葉だ。
授業で経験した「哲学対話」に同好会活動で取り組んでいるという。

◆ディベートというと、意見を闘わせて相手を説得するイメージから敬遠する人が少なからず存在するが、その学校の「哲学対話」というのは全く違う。むしろ相手の意見に耳を傾け理解しようとすることのようだ。

相手の意見に最後まで耳を澄まし、自分の思うところも言葉に紡いで相手に伝える。
相手も同様に受けとめ、こちらを理解してくれたと手ごたえが感じられるならば、どちらにとっても楽に呼吸し、前を向いて歩み出す力を分かち合うだろう。

肩の力を抜いて静かに息を吸い、しっかり吐く、それを可能にするのも言葉の力だ。
若い世代のしなやかな言葉に学んだ。



高垣憲正「水の記憶」[2023年01月20日(Fri)]

◆日本現代詩文庫『高垣憲正詩集』(土曜美術社出版販売、1997年)から、もう一篇。


水の記憶 原爆忌   高垣憲正


 水は一度だけ燃えたことがある。
 虚空から巨大な炎が真っ逆さまに吹き荒れて、水の面は白熱の鏡と化したのだ。
 水は自らも炎をあげて、激しく燃えた。水にとって、思いもかけぬことであった。何もわからず、ただ燃え狂った。
 そして傷ついた。
 水に夜がきて、また朝がきた。
 水はくったりとなって沈んでいた。
 昼がきて、また夕闇が忍んできた。
 水は少しずつ水をとりもどした。ひそかに湧き出してはゆっくりと湛え、やがてあふれた。なめらかな水の動きに揺られて生き物が生まれては、また胸に抱かれて死んでいった。
 いま、水中から、炎の色の可憐な花が開く。もう燃えだすこともない水は、何も言わずただ冷たく澄んでいる。



◆詩人は「いのちとか、心とか、人類、平和、地球、そんな言葉は、今日、よほどの痛みや恥ずかしさなしには使えない。安易な使い方をすれば、社会通念や常識の代弁になってしまう。」と慎重な言い方をしている(『詩の発見』)。
むろん、いのちや平和について、考えていないわけではない。むしろ、いつだってそれらについて、感じ、考え、人一倍それらを誰かと共有したいと願っている。

「あの惨劇」といったところで、何も伝わらない。常套句の中に押し込めて、悲惨そのものからは遠ざかってしまう。水に抱かせて済ますわけにはいかないものがあるから、こうした表現になる。あぶくがほんの一ときだけ水面を泡立て、分かった気になってオシマイ、となりかねない。
 
◆この詩で、「水」は燃え狂う。
水に鎮められて収まったと済ますわけにはいかないものがあるから、こうした表現になる。

「水」は傷つく。
水自身が傷ついているのに、何かをその水に流すことなどできるはずがない。

「水」は「もう燃えだすこともない」――本当にそうあってほしい。
願えばそれは実現する、というわけにいかないことはようくわかっている。
だが、願い、それを言葉にしないならば、「水」は再び燃え狂うだろう。


 
高垣憲正「伏せる」[2023年01月19日(Thu)]


伏せる  高垣憲正


爆弾だ! 伏せろ!
ガバッと倒れ 目と耳と鼻を指でふさぐ
……十秒……二十秒……
こわごわ頭を上げると
キュイリイ キュイリイ キュルルルル
飛行機雲の消えかかる はるかな紫紺の極みに
いま吸いこまれるヒバリの黒いピリオドがあった

毎日まいにち匍匐前進
塩の汗が目にしみる焦熱の砂丘
「あ おもちゃのへいたいさんみたい」
振り向くと あどけない女の子が立っていた
寸づまりのおれは苦笑した そこに確かにおれがいた

〈伏せる〉とは人に対する犬と書く
犬畜生とさげすまれ 犬も食わぬと捨て置かれ
独りで歩けば棒に当たり それでも忠犬とおだてられ
あげくの果ては犬死として忘れ去られ

だが 地に伏し耐えている位置からは
見下ろす側とは違う世界が見えるのだ
降りかかる災禍やり過ごし 目標じっくり見定めて
疾走直前の静かな構え……



日本現代詩文庫『高垣憲正詩集』(土曜美術社出版販売、1997年)より


◆高垣憲正(たかがきのりまさ)は1931年に広島県世羅町に生まれ、尾道工業学校で敗戦を迎えた。先日の開高健と同じく、戦時下を皮膚感覚で知る世代である。

◆ある日の敵機来襲と軍事教練の一コマとを重ねたと思われるこの詩の「おれ」の必死な姿、はた目には玩具の兵隊にしか見えない。
「伏せ」の姿勢の自己を「犬」として客体視せざるを得ないのだが、地上を這う者にはその犬の視点からの意地というものがあるのだ。

身内に蓄えた熱量を、上方の敵へのシールドとして確保しつつ、同時に残りのすべてを噴出させて疾駆する寸前の、全神経で身を鎧うた五分の魂。


高垣憲正「つっぱり・チャボ」[2023年01月18日(Wed)]


つっぱり・チャボ  高垣憲正


常世の長鳴鳥で夜が明けて
かつては天孫民族を誇ったが
本当はテンション民族なのだ
仮想敵に怯えてきょときょと右顧左眄
へっぴり腰でちょこまか歩きまわっては
何かと言えばすぐトサカに来ちゃう
白地に赤くトサカ振り立て
ミサイルみたいな嘴突き出し勇ましいが
ふとしたショックにもたちまち鳥肌立って
産卵機能がストップしてしまうのだ
愛すべき小さなにわとりよ
おまえはワシでもタカでもない
いい声で長く長く鳴いて 世界に朝を呼びなさい
冬の陽を満身に浴びて さっそうと屋根まで飛びなさい


日本現代詩文庫『高垣憲正詩集』(土曜美術社出版販売、1997年)より


◆詩集には、かたつむりや灰皿といった身近な虫や器物が多く登場する。それらは描く対象というよりも、詩人が憑依する対象で、彼らにとりつくか取り込まれるかすれば、無機物ですら語り出し、彼らの側から人間世界を眺めることになる。

◆この詩では、バンセイイッケイのコウトウの夢から覚めたチャボがきょときょと歩いている。
東海の小島に住む、まことに小ぶりな民の自画像だ。
その姿が示すように、いっとき気張って見せたところで虚勢と小心は隠しようがない。
海の向こうのワシと肩並べ地球を睥睨(へいげい)しようなどというコウトウムケイの野心は捨て、日の本の立地を活かして、夜が明けたゾと告げ知らせる務めをしっかり果たすことだ。
そのためにはまず、小屋根から見下ろせる我が足もとが平和でなくては。


高垣憲正「庖丁と豆腐」[2023年01月17日(Tue)]



庖丁と豆腐   高垣憲正


 庖丁がキャベツを切るのではない。庖丁が触れ
ると同時にキャベツの方からぱんとまっぷたつに
割れるのだ。じゃがいも、にんじん、みな打てば
響くように気前がいい。ところが豆腐というやつ
のように、どこからどうにでもしろ、とおそろし
く落ち着いてひややかに横たわられては勝手が違
う。そこで庖丁はごくりと生唾をのみ、それから
きわめて遠慮深そうにそろそろと豆腐の中に身を
沈めるのだ。


日本現代詩文庫『高垣憲正詩集』(土曜美術社出版販売、1997年)より


◆「相手の立場に立って」とか、「視点を変えて」とか、道徳の時間などで子どもたちがさんざん言われて居そうだけれど、餅を無理やり口に突っ込まれたみたいな消化不良に陥るだけだ。

分かったようで本当は良く分からないモヤモヤな気分を振りまくのはごまかしというものだろう。

この詩のように、まずスパッとさばいてみせ、ついでユックリと迫ってくる包丁の非情の刃と冷厳そのものの豆腐を対峙させ、さて自分は豆腐の方か、それとも包丁の方なのか、と考えずに居られなくなる――言葉にはこうした芸当ができる。

むろん、武力に対する非暴力のアナロジーとして読むことができる。



自国民を欺く属国日本[2023年01月16日(Mon)]

◆米国で行われた日米2プラス2(外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会。日本時間1月12日)の合意内容には、神奈川県民にとっては寝耳に水の合意が含まれていた。

横浜ノース・ドック(横浜市神奈川区)に、米陸軍の小型揚陸艇部隊を配備することにした、というのである。

◆ノース・ドックは敗戦後の1946年以降、米軍が接収し使用してきたもので、横浜市としても全面返還を求め続けてきたが、これまで返還が実現したのはごく一部に過ぎない。

横浜湾のど真ん中にあり、横浜市民のみならず県外からも多くの観光客が訪れるみなとみらい地区の目と鼻の先のノース・ドックには、これまでも米軍から通告がないままオスプレイが駐機していたり、空中にホバリングしたヘリから兵員を吊り下げた訓練を行うなど、市民の不安を掻き立てる運用が続いている。

新たな部隊配備は敵基地攻撃を担う拠点の一つとして運用されることを意味する。

◆県当局に防衛省から部隊配備が伝えられたのは2プラス2合意発表の当日だ。
神奈川県民・横浜市民にとって全く寝耳に水の決定。
当事者である自治体を無視した合意を、海の向こうで発表するという、自国民へのだまし討ちというべきやり方だ。
さすが米属国。対等な「同盟」関係だといくら主張しようが、実態は全く違うことが今回も露わになった。

敗戦後80年近く、いまだに外国の軍が駐留している日本を主権国家と呼ぶことはできない。


★関係記事
【1/13 毎日新聞】
横浜市長、米軍接収施設への部隊配備に懸念 「恒久化につながる」
https://mainichi.jp/articles/20230113/k00/00m/040/340000c

【1/12 NHK】
横浜市にアメリカ陸軍の小型揚陸艇部隊を新たに配備へ
https://www3.nhk.or.jp/lnews/yokohama/20230112/1050018436.html



〈後方の人びと〉[2023年01月15日(Sun)]


何と後方の人びとは軽快に痛慣して教義や同情の言葉をいじることか。


開高健「輝ける闇」(1968年刊)の中の言葉だが、2023年のいま吐き出された言葉と言ってもおかしくない。

ウクライナ戦争、あるいは統一教会問題をかすめ取って論じたり政治を動かそうとしたりする人々の多くは、いかに深刻な表情をして見せても、最前線に立たない限り、当事者であることを免れた安全地帯で言葉をもてあそんでいるというしかない。

ヴェトナム戦争下のサイゴンに身を投じている小説の「私」ですら、ついに当事者たり得ないまま、苦く黒い炎で身を焦がす〈眼〉でしかないのだ。

この一文の前後を含めて引いておく。

誰かの味方をするには誰かを殺す覚悟をしなければならない。何と後方の人びとは軽快に痛慣して教義や同情の言葉をいじることか。残忍の光景ばかりが私の眼に入る。それを残忍と感ずるのは私が当事者でないからだ。当事者なら死体が乗りこえられよう。私は殺しもせず、殺されもしない。レストランや酒場で爆死することはあるかもしれない。しかし、私は、やっぱり、革命者でもなく、反革命者でもなく、不革命者ですらないのだ。私は狭い狭い薄明の地帯に佇む視姦者だ。

開高健「輝ける闇」より。
『開高健全集』第6巻、p.92(新潮社、1992年)に拠った。



植松晃一「心の泉」[2023年01月14日(Sat)]

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心の泉   植松晃一


心は眠る
自身の深さより深く
感じることなく
欲することなく
ただ習慣だけが残る

何ものかが飛び去った泉は
仄暗(ほのぐら)く 静かに在る
(す)んでいるのか 澱(よど)んでいるのか
小さな物語の気配さえない
もぬけの沈黙

地震でも揺れない心奥(しんおう)の泉
つと舞い降りた白鷺(しらさぎ)
楡枝(にれえだ)の脚で水面(みなも)の中央に立ち
切れ長のまなこを
じっとこちらに向ける

 心が動かなければ
 心を動かさなければ
 時間の密度と価値は
 すなわち生命の充実は
 損なわれるばかりだ
 光あるうちに
 もっとよく見よ

ヒトへのかなしみが募(つの)
地上の涙が嵩(かさ)を増す時刻
泉をついばむ白鷺の翼は輝き 静寂を打った
すべり落ちた一片の羽根を手にわたしは
地下の聖堂に立ちつくしたまま
いつの間にか消えた光の余韻(よいん)に導かれ
心が動き始める


『生々の綾』(コールサック社、2019年)より

◆心の深い奥底に泉があり、そこに白鷺が舞い降り、再び飛び立つ。
泉の存在はその羽根の輝きによって知覚される。
ここで働いているのはひたすら眼だ。
白鷺の翼が空気を打っても音はしない。

この静寂は心が動くのを待っている。
言い換えれば、心が動かない限りそこに音は存在しない。
それは殆ど死を意味する。

生きて在るためには、まず見よ、と詩は言う。
地上の人々の涙が無音のまま嵩を増すさまを見れば、わが心にも同じ深さに悲しみがせり上がって来ずにはいない。
そのとき心は、死同然の眠りから動き始めるのだ、と。


植松晃一「サタンの産声」[2023年01月13日(Fri)]

◆ウクライナ戦争をめぐって、プーチン・ロシアによる核兵器使用が危惧されている。
新型ICBM「サルマト」だ。
フランスや日本ならわずか一発で壊滅させられ、しかも迎撃はほとんど不可能だという。

日本政府は軍備拡大による抑止力の向上を言うが、言葉の綾でしかない。

外交力が最大限に発揮されねばならないところ、林芳正外相がいくら国連で「法の支配」を主張して見せても、各国歴訪では軍事力整備への経済的・技術的支援を約束して回っている。外相の任ではない。

ロシアの「サルマト」は、すでに東シベリアに実戦配備したという報道もある。

次の詩は、2016年の秋、悪魔の兵器と呼ぶべきこのサルマトの姿が明らかになった折に書かれたものである。

***

      うぶごえ
サタンの産声  植松晃一


使われるために生まれてきたのに
使われずに捨てられる道具の気持ちを
生みの親である人間は理解していない
使いたいわけではなく
使うこともできないのに
必要な「悪」という烙印(らくいん)を押されて生まれてくる
あわれな核兵器の気持ちを
生みの親である人間は理解していない

世界を変えるほどのエネルギーを秘めながら
働くことは許されず
ただ寝かされて解体のときを待つ定め

「どうか使命を果たさせてください」

という健気(けなげ)な願いが天に届いたのだろうか
二〇一六年一〇月のある日
はるかロシアの大地から
「悪」を統(す)べるサタンの産声が聞こえてきた

魔王の名は超大型核ミサイル「RS-28Sarmat」
十個以上の核爆弾を抱えて
自足二万五〇〇〇キロメートルで空を駆け
敵のレーダーをかわしながら
一万キロメートル先でうごめく生命を焼き尽くす
わずか一発で
フランス一国を消し去る黙示録的な力に
欧米諸国は恐れを込めて「サタン2」と呼ぶ

魔王の降臨に合わせるように
モスクワの地下には
一二〇〇万人が避難できるシェルターができた
四〇〇〇万人を動員して
大災害に備えた訓練も済ませた
準備は万端
Pの名を持つ皇帝はいずれ
サタンを実戦配備する

 「わが身が壊れても役目を果たすのが
  道具としての覚悟と矜持(きょうじ)であるならば
  使われずに捨てられていく同胞たちよ
  今こそ定めに抗(あらが)
  われらが使命を果たそうではないか」

解き放たれたサタンの
抑えきれない檄(げき)と唸(うな)りが
地球の大気を震わせている


しょうじょう あや
『生々の綾』(コールサック社、2019年)より



◆不幸にして実戦配備までが現実のものとなった今、なしうることは未だあると正気を持ち続けられるか。
また、万万が一、それが使われたとき、なお生き残ることができた者が地獄を生き延びる手立てを用意してあるか。



君が代強制に国連から3度目の是正勧告[2023年01月12日(Thu)]

◆11日、外遊中のキシダ首相、自衛隊と英軍と共同訓練のための「円滑化協定」に署名という。その昔の日英同盟?
◆同じく11日、ワシントンでの日米2プラス2(外務・防衛担当閣僚会合)では日米安保条約が宇宙にも適用される旨を確認。ハリウッド映画もどきの宇宙戦争態勢?
◆何度目かの国連・非常任理事国を務める国だというのに、軍事同盟の拡大・強化にばかり熱心だ。当然ふつうの人々の暮らしを守り人権を大事にする手だては後回し、というよりヤル気がない。
昨年、国連自由権規約委員会が懸念を表明し日本政府に改善を求めた問題の一つ、我が国の入国管理施策について、政府・与党が再提出をもくろむ入管法改正案は、前回ひっこめた法案よりさらに後ろ向きの代物だと伝えられる。

◆同委員会はさらに、教育現場における日の丸・君が代強制についても問題点を指摘している。

再三にわたり国際機関から是正勧告を受ける日本の教育施策。
子どもたちや教職員への人権侵害は、この国で学び、暮らしたいと願うすべての人々にとって、現在および将来にわたる制約、不利益としてのしかかるだけに深刻だ。

教育ジャーナリスト・永野厚男氏のレポートを紹介する。
『マスコミ市民』2022年12月の記事(電子版)だ。


***

国連から3回叱られた、"君が代"強制の文科省・都教委
CEARTに続き自由権規約委も、是正求める総括所見

       永野厚男・教育ジャーナリスト


◆1 文科省・都教委の全体主義国ばりの"君が代"強制


 "天皇の治世の永続を願う"意の"君が代"。教育行政による児童生徒・教職員等への強制が凄まじい。

 1985年8月28日、初等中等教育局長だった高石邦男氏(事務次官に"出世"後、リクルート事件・収賄罪で89年逮捕。02年執行猶予付き懲役2年6か月、追徴金2千万円超の判決。21年1月、90歳で死去)が、都道府県・指定都市教委教育長宛"日の丸・君が代"徹底通知を出した、旧文部省。
 旧文部省は89年改訂の小中高校等の特別活動の学習指導要領(同省が「大綱的基準として各校の教育課程編成に法的拘束力あり」と主張。以下、指導要領)で、入学・卒業式等での"君が代"斉唱を、それまでの「望ましい」から「指導するものとする」に変え強制。ただ、この時の小学校音楽指導要領の"君が代"は「各学年を通じ」と「指導すること」の間に、「児童の発達殺階に即して」という文言を入れていた。
 しかし、98年12月の改訂で「児童の発達段階…」を削除、「いずれの学年においても指導すること」と、強制力を強めた。

 文部科学省に省名変更後、08年3月の改訂では、高橋道和(みちやす)教育課程課長(初中局長に"出世"後、贈収賄事件業者からの不適切な接待で18年、懲戒処分され辞職)と合田(ごうだ)哲雄教育課程企画室長が、来省した安倍晋三氏側近の衛藤晟一(せいいち)参院議員の要求通り、「指導すること」の前に、2月の改訂案の段階ではなかった「歌えるよう」の、5文字を加筆。"君が代"以外「歌えるよう」と"到達目標"まで強制する楽曲は皆無。文科省による"君が代"強制は、ドロドロした政治塗(まみ)れなのだ。

 この文科省に輪をかけ、極右の都教育長・都議・教育委員らが政治圧力で"君が代"を強制し続けてきたのが、東京都教育委員会だ。
 都教委は卒業・入学式での"君が代"強制の通達(99年10月、当時の中島元彦教育長が発出)を、一層強化する横山洋吉(ようきち)教育長当時の03年"10・23通達"発出直後の周年行事・卒業式以降、校長から「(壇上正面に貼り付けた)日の丸旗に向かって起立し、"君が代"を斉唱する」(音楽教諭はピアノ伴奏)等、職務命令を出させ、不起立・不伴奏等の教職員に対し、1回目は戒告、2・3回目減給、4回目以降停職という、他の道府県にない(橋下徹(はしもととおる)氏が首長就任以降の大阪を除き)、重くかつ機械的に累積加重する懲戒処分を発令し続けてきた。

 しかし、教職員らの粘り強い訴訟等で最高裁が12年1月16日、戒告は容認しつつ、「減給超の処分は原則違法」とする判決を出し、この累積加重処分システムは崩壊した。

 だがこの最高裁判決後も、都教委は「1〜3回目戒告、4回目以降は減給」と、勝手な線引きを設定。11年4月の入学式から連続10回、"君が代"不起立を貫いた都立特別支援学校の田中聡史(さとし)教諭に対し、4・5回目を減給処分に。この不当減給処分は19年3月28日、最高裁が都教委に取消しを命じる判決(決定)を下し、取消された。だが都教委は、田中さんに一切謝罪しないどころか、敗訴への“報復”に20年12月25日、約8年も遡(さかのぼ)り戒告処分を出し直す、再処分を強行。
 これにより"10・23通達"後、"君が代"被処分者数は延べ484人、再処分(現職のみ)は延べ20件・19人となっている。なお、一連の最高裁判決とその後の確定した東京地裁・同高裁の判決による、"10・23通達"関連訴訟での処分取消し総数は、77件・66人に上る。
 また06年当時の中村正彦教育長は、校長から教職員に、生徒への"君が代"起立・斉唱の"指導"を徹底する職務命令を出させる、"3・13通達"まで発出。ある都立高卒業生は、「教育が"脅育"になった」と憤っていた。


◆2 国際機関が"君が代処分"出す都教委と文科省に警告

 国際連合(国連)は、軍事問題の決議等で知られる安全保障理事会だけでなく、いくつかの専門機関が市民の基本的人権を守り広げる活動をしている。ILO(国際労働機関)とUNESCO(国際教育科学文化機関)の両機関の活動領域の重なる、労働&教育問題の分野は、ILOとユネスコの合同委員(CEART(セアート))が、教職員等の権利擁護を担当する。

 停職処分まで受けた都立特支校の渡辺厚子元教諭らが所属する、東京の独立系教職員組合・アイム'89は14年、「公権力(都教委)によって"君が代"への敬愛行為を強制され、思想・良心の自由を侵害されている」とCEARTに(大阪の教職員なかまユニオンも16年に)提訴。審査してきたCEARTは19年3月と今年6月、2度にわたり日本政府に是正勧告を行った。

 19年3月のCEART是正勧告(要約)は、次の6点だ。

@愛国的な式典に関する規則に関して、教員団体と対話する機会を設ける。式典に関する教員の義務は、国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない人にも対応できるものに。
A消極的で混乱をもたらさない不服従の行為への懲罰を避ける目的で、懲戒の仕組みにつき教員団体と対話する機会を。
B懲戒審査機関に教員の立場にある人を関わらせる。
C現職教員研修は、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう改める。
D障害を持つ子どもや教員等のニーズに照らし、愛国的式典に関する要件を見直す。
E上記勧告に関する諸努力を、セアートに通知する。

 @の"愛国的式典"とは、"君が代斉唱"時、壇上正面の日の丸旗に向かって起立を強制するという、児童生徒が主人公とは言えない卒業式等の実態を表した語だ。ABは教職員が自身や教え子たちの思想・良心・信教の自由を大切にし不起立等しても、公権力たる教育行政側が懲戒処分にしないよう、教職員組合等と対話しなさい、という内容だ。Cは不起立等教員に処分発令した上に、"再発防止"と称するいじめ研修を強制している都教委に対し、警告したもの。

 しかし文科省や都教委は「勧告は法的拘束力なし」と、無視し続けた(自分たちの立場を弾劾する内容だから)。このため教職員側は、この日本政府側の怠慢をCEARTに報告。ILOとユネスコは22年6月、日本政府に再勧告を出した。その要点は次の通り。

F教職員側の申立に関し、意見の相違、66年勧告の理解の相違を乗り越える目的で、必要に応じ政府や地方レベルで、教員団体との労使対話に資する環境を作る。
G教員団体と協力し、本申立に関する合同委の見解・勧告の日本語版作成を。
H本申立に関し66年勧告の原則を最大限に適用・促進する。日本語版と併せ、適切な指導を地方当局と共有する。

 FとHの66年勧告とは、ILOとユネスコが66年9〜10月、特別政府間会議で採択した(日本も賛同)、「教員の地位に関する勧告」のこと。
 この66年勧告は「教員は、その専門職としての身分・キャリアに影響する専断的行為から十分に保護されなければならない」「教員団体は、懲戒問題を扱う機関の設置に当たり、協議に与(あずか)らなければならない」などと明記。
 「一切の市民的権利を行使する自由=思想・良心・信教の自由」を保障した上で、不起立でもし懲戒処分にするなら、教職員組合が協議に関与する。これが国際スタンダードだろう。

 なお66年勧告の中の「教員と教員団体は、新しい課程、新しい教科書、新しい教具の開発に参加しなければならない」からは、"愛国心"や"君が代"等の政治色の濃い問題で、保守政党と癒着した文科省や都教委官僚等、権力者の考えとは異なる教育内容を授業で扱うことも可能だと保証している。


◆3 CEART是正勧告の翻訳、文科省「検討中」繰り返す

 こういう状況を受け、ILO/ユネスコ"日の丸・君が代"勧告実施市民会議(共同事務局長は金井知明・山本紘太郎両弁護士と寺中誠東京経済大教員)は10月7日、参院議員会館で文科省交渉を行った。
 事前質問等、中心になって動いた石川大我(たいが)参院議員(立憲民主)は同時間帯、委員会があり秘書が代理出席。宮本岳志(たけし)衆院議員(共産)が出席し、冒頭、澤藤統一郎弁護士が文科省初等中等教育企画課の水島淳(じゅん)・専門官に申入書を手渡した。

 水島氏は、66年勧告は「日本語訳を文科省HPに載せ、必要に応じ地方自治体に周知も行ってきた」と発言。だがCEART是正勧告については、「総論として尊重するが、(GのCEART是正勧告普及の第一歩となるはずの)日本語訳は検討中。関係自治体の都教委と大阪府市教委には英文で情報提供した。他の自治体には提供予定なし。翻訳は上司の藤原章夫(あきお)初中局長までは相談しているが、藤原氏が何を言ったかは言えない」と述べるに留まった(【注】参照)。

 また、AFの「教職員側と政府・地方レベル(各教委等)との労使対話」について、水島氏は「地方公務員法55条3項『地方公共団体の事務の管理及び運営に関する事項は、交渉の対象とすることができない』により、懲戒処分等の事項については職員団体(注、教職員組合のこと)との交渉対象にはできない」と当初は述べ、同法を非常に狭く解する主張を展開。
 これに対し教職員側は「20年7月21日の文科省交渉で吉田欧太(おうた)・専門職(当時)は『逐条解説を見ても、一定の要件に該当した場合、一定の懲戒処分に処するというような基準は勤務条件だ。その基準の設定・変更は交渉対象となる』と明言した。CEARTは『まず話合いしなさい』と是正勧告している」と反論。
 水島氏は後日、筆者のメールと電話での取材に、「個別の教員ごとの具体的事例ではなく、一般的に処分対象となる行為がどういう処分量定になるかは、交渉対象になる」と、回答を修正した。


◆4 国連自由権規約委が先進的総括所見公表

 国際的に最も権威のある人権機関である、国連自由権規約委員会が11月3日、日本政府提出の報告書に対する第7回総括所見を公表した。

 後掲のパラグラフ38と39は、本稿冒頭で詳述した、卒業式等での都教委(背後には日本政府=文科省)による、児童生徒・教職員等への異常な"君が代"強制を問題視している。
 立憲野党は議席数増に努め、リベラル派を文科相に就任させ、国会レベルでは社会・音楽・特別活動等の偏向指導要領を是正するよう文部官僚を正しく指揮し、都議会レベルでは"10・23通達""3・13通達"の早期廃止に取組んでほしい。

38.委員会は締約国の思想・良心の自由の制約を巡る報告に懸念を持って注目する。委員会が懸念するのは、学校の儀式行事で国旗に向かって起立し国歌を斉唱するという指示に対する、教員たちの消極的で非妨害的不服従行為の結果、教員によっては最長6か月の職務停止の懲罰を受けたことだ。さらに委員会が懸念するのは、儀式で生徒たちにも起立強制の適用が申立てられている点だ(規約18条)。

39.締約国は思想・良心の自由の実質的行使を保障し、規約18条下で許される狭義の制限を超えこれを制限し得るいかなる行動も慎むべき。締約国は自国の法律・慣行を規約第18条に適合させるべきだ。




【注】「関係自治体の都教委と大阪府市教委には英文で情報提供した」との、文科省・水島氏の発言について
 2019年の第13回会期と21年の第14回会期の、計2回のCEART勧告のうち、前者(第13回の方)について、水島氏が「文科省は都教委と大阪府市教委に英文で情報提供した」と述べたのは事実です。
(10月7日当日、「早く日本語訳すべき」「英文だけ送付した」等のやりとりについては、私が傾聴していた限りでは、第13回・14回の両者を特に峻別せずに、話が進行していました。)
 しかし、私・永野が12月9日から13日にかけ、水島氏に追加取材した結果、後者(第14回の方)の英文は、10月7日の時点では送付しておらず、「送付したのは11月になってからだ」という新事実が分かりました。一部正確さを欠く記述だったので、訂正します。



LOユネスコ君勧告市民会議221007文科交渉[水島淳専門官+澤藤統一郎弁護士.jpg

ILO/ユネスコ"日の丸・君が代"勧告実施市民会議の文科省交渉で、澤藤統一郎弁護士から申入書を受け取る、初等中等教育企画課の水島淳・専門官(2022年10月7日、参院議員会館・講堂。撮影は永野厚男)






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