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「弔意」は強制できない[2022年09月10日(Sat)]

◆エリザベス女王の逝去は、日本政府の「国葬」ドタバタぶりを際立たせる結果になった。
そもそも大義も必然性もなかったのだから致し方ない。
引き返すきっかけが西の島国から東の島国へもたらされたと言うべきか。

◆幕引きを図ったはずのカネまみれ東京五輪、ようやく黒い霧が晴らされようとしている。捜査当局が本務に邁進するのは失った信頼を回復するための第一歩だ。

◆責任ある大人が、それぞれのポジションでオカシイことはオカシイと言わない限り、惰性で動いて軌道修正できないお役人が、人心を縛り、負の力を将来に及ぼす。とりわけ教育において若い世代を巻き込む愚を繰り返してはならない。

***

◆弔意強制に向かう教育行政に警鐘を鳴らす教育ジャーナリスト・永野厚男氏の記事を『マスコミ市民』2022年9月号より転載する。 

***

都教委が自民・安倍氏葬儀日、半旗掲揚強制文書を発出
  都総務局文書垂れ流し
    〜国葬≠ナ繰り返さぬよう要請を

              

       永野 厚男(教育ジャーナリスト)


主権者教育に関心を持つ都立高校生Aさんは、入学式や先輩の卒業式で式場内に加え、校門そばのポールにも学校側が掲揚する日の丸旗が、7月12日の登校時、半分の高さに上がっているのを発見。違和感を感じ、保護者に携帯メールで通報した。

知人を介し、当該保護者と連絡をとれた筆者が調査・取材すると、震源地≠ヘやはり、これまでも保守系政治家に忖度(そんたく)し、卒業式等の異常な君が代°ュ制問題で癒着(ゆちゃく)し続けてきた東京都教育委員会(都教育庁)の御用役人≠轤セった。


都総務局総務課→都教委→校長という上意下達

改憲政治団体・日本会議所属の自民党衆院議員・安倍晋三氏が7月8日、67歳で死去。この後、都庁総務局の^口(いのぐち)太一総務部長・近藤豊久(とよひさ)総務課長の部下、大河原彰仁(おおがわらあきひと)・広報調整担当課長代理は7月11日、各局等庶務担当課長宛、「安倍晋三元総理の葬儀等における半旗の掲揚について」と題する、事務連絡≠ネる文書を発出した。

同文書は「令和4年7月11日、12日に葬儀等が行われることに伴い、本庁舎において半旗の掲揚を行います。つきましては、各局等の所管する事業所等においても、同日の半旗の掲揚につき、特段の御配慮をお願いいたします」と記述(下線は筆者。以下、同。なお、都庁第1・第2庁舎の1階ポールには総務局の警備担当者が、常時掲揚している日の丸と都旗を半旗にして掲げた)。

都庁の各局≠ノは都教委も入る。都教委ナンバー3の総務部長・田中愛子氏は、この文書を都立学校教育部長・村西紀章(のりあき)氏→同部都立高校教育課長・臼井宏一(ひろかず)氏の順番で下ろし、臼井氏の部下・長沢太士(たいじ)統括課長代理が7月11日、全都立255校(高校・中等教育学校・特別支援学校等)の校長に対し、安倍氏の通夜と葬儀に合わせ、半旗=iいわゆる弔旗)掲揚を強制する(8月8日12時6分のNHKのオンライン首都圏ニュースは「促す」と表現しているが、後掲の理由で、強制と言える)文書を一斉メールしてしまったのだ。

憲法第14条は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」、第15条2項は「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と規定。
地方公務員法は、第13条・30条でこれら憲法の規定と同様、「平等取扱いの原則」や「公務員は一部の(権力者の)奉仕者ではない」旨を定め、かつ、第36条5項で「本条の規定は、職員の政治的中立性を保障することにより、地方公共団体の行政(略)の業務の公正な運営を確保する(略)という趣旨において解釈され、及び運用されなければならない」と明記している。

地方公務員である都総務局や都教委の職員(役人)が、特定の保守政党の政治家の葬儀等の日に半旗′f揚を強制するのは、この「政治的中立性」の規定に違反する、と指摘する人は多い。更に、特定の政党を支持・反対する政治的活動を禁じている教育基本法14条2項でも縛りを受ける都教委の役人が学校に強制する行為は、二重の違法性があると言えよう。


的外れな都総務局の半旗′f揚強制文書発出理由

都総務局総務課等に抗議した都民らによると、同課は半旗′f揚強制文書発出の理由≠ニして、次の3点を挙げた。
(1)内閣府等、政府から文書は来ていないが、松野博一(ひろかず)・内閣官房長官(自民党衆院議員)が「政府が半旗を掲揚する」旨述べたのを聞き、内閣府に電話で「国の機関が掲揚する」のを確認した
(2)センセーショナルな(銃撃)事件で、都民に影響があった
(3)安倍氏には、東京オリンピック・パラリンピック(以下、オリパラと略記)大会の招致から始まり、コロナ禍で延期の時、苦難の中、実施する方向に対応頂くなど、都政にご尽力頂いた

これら都総務局総務課の主張する3点を、以下論破する。

第一に、(1)の「国(官房長官)が掲げると言っているから、都の事業所等でも掲げろ」との理由≠ヘ、「国と地方公共団体(注、東京都も当然入る)は対等だ」という趣旨で、四半世紀前に改正した、地方自治法第1条の二に違反している。
即ち同法第1条の二は、1項が「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」、2項が「国は、前項の規定の趣旨を達成するため、(略)住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、(略)地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たつて、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない」と規定。
政治的に中立であるべき都政を、国・政府の顔色を伺って歪(ゆが)めてしまうのは、同法の規定する自主性自立性に悖(もと)る。

また、学校での半旗′f揚の是非を問う世論調査はないようだが、8月8日のNHK『ニュース7』は「政府が来月27日に安倍元総理大臣の国葬を行うことへの評価を聞いたところ、『評価する』が36%、『評価しない』が50%でした」という世論調査結果を報じた。「国葬反対」が半数に達している事実から、都の事業所等(注、学校を含む)への半旗′f揚強制についても、反対意見の方が多数であろうと推認できる。ゆえに今回、都総務局総務課は多数派の反対意見を無視し半旗′f揚強制文書を出した、と言えよう。

第二に、(2)の主張は、情緒的・感情的なものであり、客観的な理由になっていない。公的機関にあるまじき、お話にならない理由≠セ。

第三に、(3)の主張は、オリパラ大会は@開催そのもの、A都教委流オリパラ教育、特にB小中高校生等の観戦動員等に、反対意見がかなり多かったという事実に、目を閉ざしている。

即ち、@は莫大な税金の浪費、具体的には本誌4月号で指摘した通り、各競技会場の建設・改修費や大会終了後の維持・管理費、選手村の贅沢(ぜいたく)な食事やボランティア用弁当を含む大量の廃棄=食品ロス問題、ボラの余剰ユニフォーム問題等に、多くのメディアや人々の反対が湧き起こったこと。
Aは、筆者が月刊『紙の爆弾』2017年8月号・18 年9月号等で暴いてきた、都教委が16年4月から6年間、東京の公立学校の小4〜高3全員に配布し続けた『オリパラ学習読本』の「表彰式で国旗・国歌を使う」というウソの記述(IOCの五輪憲章は「国際的な五輪活動の各国内又は地域内組織=NOCが採用し承認を得た旗・歌」だと明記。高嶋伸欣(のぶよし)琉球大名誉教授ら都民約100人が都側と係争中)を始めとする、国家権力側の国威発揚=E国家主義(これ自体、平和・友好というオリの建て前に反するが・・・)の偏向教育。
Bは、多数の保護者の反対意見はもとより、21年8月18日夜開催の都教育委員会・臨時会で、出席した全教育委員の反対すら押し切り、都教委の藤田裕司(ゆうじ)教育長(当時)と瀧沢佳宏(よしひろ)指導推進担当部長が(希望校とはいえ)コロナ禍での小中高校生等のパラ観戦動員を強行決定し(詳細は『週刊新社会』同年10月20日号拙稿参照)、批判の声が噴出した。
都総務局総務課は、こういう市民側の反対を無視し、権力者・安倍氏のオリパラ推進の言動を是だ≠ニ決め付けて、半旗′f揚強制文書を出してしまったのだから、極めて一面的な思考・判断しかしていない、と言えよう。


都五輪学読小抜粋p62・63国旗国歌170310.png
都総務局は"半旗"掲揚強制文書発出理由の1つを「安倍氏は東京五輪大会で尽力頂いた」と言うが、都教委発行の『オリパラ学習読本』は国家主義教化に固執し、訴訟も起こった。写真は小学生用。


「特段の御配慮」は命令表現〜校長の判断の余地すらなく強制

都教委による都立学校への半旗′f揚強制問題は、@8月6日付『東京新聞』が、「都教委の担当者は取材に『事務連絡を転送しただけで、掲揚するかは各校の校長に任せた。弔意を強制したつもりはない』と回答」、A8月8日12時6分のNHKオンライン首都圏のニュースも「都の教育委員会は『事務連絡を転送しただけで強制する意図は全くなかった』と説明しています」などと、共に都教委都立学校教育部都立高校教育課の職員らしき、氏名不詳の人物の弁解を掲載している。
この「××しただけで」という言い回しは、例えば満員電車での痴漢の犯人が「たまたま手が触れただけで」「バランスを崩しただけで」といった表現で弁解するように、疾(やま)しい行為を過小に印象付けたりごまかしたりする常套句だ。

そこで、5次にわたる対都教委君が代&s起立等不当処分撤回訴訟で、「減給超の懲戒処分、全て取消し」を勝ち取っている(5次訴訟は東京地裁で係争中)、「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会、東京『君が代』裁判原告団」の近藤徹(とおる)事務局長(元都立高教諭)に、強制≠フ有無等を取材した。近藤さんは以下のように述べた。
〔1〕日本語として「よろしくお取り扱い下さい」なら校長に一任する、つまり掲揚するか否か校長が判断できるニュアンスもあるが、それとは違い、(問題の都側文書の)「特段の御配慮をお願い」の「特別段の配慮」という表現は、日本語としてはほとんど命令に近いのではないか。
〔2〕人事考課(業績評価)制度徹底の下、都教委からの文書は普通の文書でも、校長は都教委の言う通りに動いてしまう。いわんや今回は「特段の御配慮」と書いてあるので、校長は「都教委の言う通りにしないとまずいな」となり、校長の判断の余地はなくなる。校長に任せたのではなく、強制だ。
〔3〕かなり多数の高校で(校長が一方的に)掲揚したのではないか。


国葬≠ナ半旗=E黙禱等強制しないよう都教委要請を

弁護士の団体である自由法曹団は、8月5日から、
――岸田首相は、安倍元首相の国葬の理由として「その功績は素晴らしいものがある」と言いますが、それこそ賛否が大きく分かれるところです。/安倍元首相はその在任中、集団的自衛権の行使は憲法違反となるとしてきた従前の政府の立場を変更する閣議決定をおこない、集団的自衛権行使を容認する安保法制を多くの国民の反対の声を押し切って成立させました。また、特定秘密保護法や共謀罪の成立を強行し、規制緩和を進めて国民の中の貧富の格差を大きく拡大させました。さらに、森友・加計学園問題、「桜を見る会」等にみられる政治の私物化にかかわる疑惑等を首相自らが引き起こし、行政文書の改ざん問題も起き、未だそれらの真相は明らかとなっていません。/こうした安倍元首相の「業績」への正当な批判が封じられることになっては決してならないと考えます。――
といった内容のChange.orgの「国葬反対電子署名」を実施し、8月中旬時点で既に9万人超が賛同署名している。

これらにある戦争法等に加え、教育基本法に国を愛する態度≠盛る改悪を強行した安倍晋三氏の評価は、人々の間で賛否が分かれている。

一方、その教育基本法14条2項は改悪後も前述通り、学校教育の政治的中立性保持を規定し、1976年の最高裁旭川学力テスト判決は「(国家権力が)誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制する」のは、「憲法26 条・13条・・・からも許されない」と判じている。そして、最高法規である憲法第19条は「(国家権力は一人一人の)思想・良心の自由は、これを侵してはならない」と定め、第20・21条は「(児童・生徒・教職員・保護者一人一人の)信教の自由、一切の表現の自由は、これを保障する」と規定している。

9月27日の国葬≠ネるものでは、これら憲法や法律、判例に違反する半旗′f揚と黙禱(とう)、(朝礼等での安倍氏を讃える)校長講話等を強制する文書を出さないよう、都教委に対し、請願提出を始めとする抗議・要請の声を集中させていく取組が必要だ。




クリスティーナ・ロセッテイ「登り坂」[2022年09月09日(Fri)]


登り坂  クリスティーナ・ロセッティ
          羽矢謙一・訳


道はずっと曲りくねった登り坂なのでしょうか
 そうだよどこまでも
一日の旅は一日じゅうかかるのでしょうか
 朝から晩までだよ

でも夜には安息の場所があるのでしょうか
 歩みの遅い暗い時間が始まるとき 泊まる宿がある
暗やみがわたしの目からそれを隠しはしないでしょうか
 おまえがそのいこいの宿を見失うようなことはない

わたしは夜ほかの旅びとに会うでしょうか
 先に行っている人たちに会う
では近くに来たら戸をたたくか呼ぶかしなければなりませんか
 その戸口で待たされることはない

足をいため くたびれているとき わたしに慰めがあるでしょうか
 骨折りへの報いがある
わたしのために また求める人みんなのために寝床があるでしょうか
 もちろん 来る人すべてに寝床がある



篠田一士・監修『ポケット 世界の名詩』(新装版。平凡社、1996年)より

★クリスティーナ・ロセッティ(Christina Georginna Rossetti 1830-94)は、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(1828-1882)の妹。兄をはじめとするラファエル前派の画家たちのモデルもつとめた。

◆生の行路への不安から問わずにはいられない。
道は曲がりくねって見通すこと難しく、しかも登り坂だ。
心配せずとも良い、と落ち着いた声が魂に直接語りかけてくるからだ。

一つの安心が与えられても、やがてまた訊ねずにいられない。
身を休める所にたどり着けるかどうか、しんどい思いをしているのは自分だけではないのか……
だが、引き返すことはしない。立ち尽くしてしまうこともない。

なぜ? と質問されたら、語りかけてくる者を信じているから、問えば答えが返ってくるから、と言うしかないのだけれど。


ゲルステッド「九月の逍遙」[2022年09月08日(Thu)]


九月の逍遙  ゲルステッド
              山室静・訳

いま、風は落ち
いま、雨は黙す
九月の明るさが
野の上にある

清らかな色
われに響かい
外なる世界は
魂にせまる

私は喜んで耳を傾ける
事物の言葉に
だが、悲しみの火は
かれもひやしてはくれぬ

かくも輪郭あざやかに
謎なく
かくも世界は明るいが
恩寵はなく。



篠田一士・監修『ポケット 世界の名詩』(新装版。平凡社、1996年)より

ゲルステッド(Otto Gelsted 1888-1968)はデンマークの詩人、ジャーナリスト。

◆昼の明るい光も、夕刻の、紗でおおわれてゆくような陰影ゆたかな光も、秋だと確かに告げている。

ものたちが放つ九月の光とともに聞こえてくる言葉――魂が耳を傾けているからこそ確かにそれは聞こえている――なのに「私」の裡には「悲しみの火」が消えずにいる。ある喪失ゆえの、烈しくはないのに決して冷めることのない「火」が静かに燃えている。
その「悲しみの火」があるために、外は明るいのに、私の「魂」を照らすことも暖めてくれることもない、そう言っているようだ。


◆上の詩に出会った今日は、「国葬」をめぐって「国会閉会中審査」が行われた日であった。

キシダ首相は依然「国葬儀」と言い、その意味するところを分かるように説明する気はないことを再確認した日でもある。
説明できないものを説明しているフリだけが演じられてゆくだけの、国会を開かない憲法無視状態が続くなかで、誰が"哀悼の誠"――故人が偏愛した言葉――を捧げるというのだろう。


谷内六郎:言葉を楽しむ子どもたち[2022年09月07日(Wed)]

◆横須賀美術館の谷内六郎館で展観中の作品から「やまびこ」&「紙電話の声」を。


DSCN5881_やまびこA.JPG

◆「やまびこ」として返ってくる声は、実は別の自分たち、ひょっとして自分たちに良く似た別の誰かさんたちが、そちこちの山にいて応答しているのだと、子どもたちは知っているのじゃないだろうか。
自分たちが発した言葉に過ぎないと片付けてしまっている大人のさかしらは、世界をずいぶん狭く奥行きのないものに変えてしまっているように思える。

◆画に登場する子どもたちは、さまざまに言葉のやりとりを楽しんでいる。
メッセージのやりとりを楽しむことが生きることだと思えて来る。

DSCN5894紙電話の声A.JPG

この画に添えられた「表紙の言葉」には谷内六郎の詩が添えられていた。

DSCN5895紙電話の声.JPG


*カメラを構えた我が姿が映り込んで不思議な画に変容しているのが申し訳ない感じながら、捨てがたい趣きもあるような。

★余計な映り込みのない谷内作品は同館の公式サイトを……
https://www.yokosuka-moa.jp/taniuchi/


横須賀:谷内六郎館[2022年09月06日(Tue)]

横須賀美術館には「週刊新潮」の表紙を飾った谷内六郎(1921-81)の作品がたくさんある。

DSCN5897_0000A.JPG

◆谷内六郎館入口にある「光を使う燈台の子」の大きなパネル。
(このパネルをバックに、スマホの自撮りにトライしたが失敗作しか撮れなかったので、ここに載せるのはやめにする。)

◆この原画も館内に展示されていた。1977年9月22日号の表紙を飾った作品だという。
(私事を振り返れば、45年の昔、初めて自分の給料で田舎に帰り、夏季講習や部活の合宿やらを一通り終えて二学期を迎えた頃。夏休み前には確か野球の応援でブラバンの子たちと追浜球場に行ったはずだ。それが三浦半島の南に行った最初の体験。)

◆灯台のバルコニーにいる子どもが手鏡で陽の光を反射させ、姉妹だろうか、こちらにいる子どもたちに光の信号を送っている情景だ。

◆灯台が好きな谷内は、1971に観音埼灯台の一日灯台長を務めたことがあり、周辺の風光が気に入ったのだろう、この美術館の少し先、観音崎公園近くに1975年にアトリエを構え、制作を続けたという。
没後、大量の作品が横須賀美術館に寄贈され、折々のテーマで紹介されている。千数百点に及ぶというから、一度立ち寄った程度では、膨大な仕事のごく一部に触れるだけだが、どの絵にも谷内の文章が添えられていて、人柄に接する思いがする。

この灯台の画に添えられた言葉は下の通りだ。

DSCN5890_0000B.JPG

***

谷内六郎館の壁面に紙風船があしらってある、と案内が出ていたので外を探したが、なかなか見つからない。
外周の歩道を海の方に少し下った所でようやく見つけた。確かに、紙風船。

DSCN5899.JPG

◆昔、毎年家にやって来ていた富山の薬売りのオジさんの顔が浮かぶ。
ふっくらした手からもらう紙風船はやはり楽しみだった。
(同じ手に天眼鏡を持って手相を見てくれることもしばしばあった。どうなるか分からない未来の入口にひとりで立たされる感覚があった。)
夏なら陽の光にあふれた南の客間で。
寒い季節はその北隣、ストーブやコタツのある居間で。

◆薬の匂いがする紙風船で遊んだ子どもは全国いたるところにいただろう。
息を吹き込みながら薬の匂いを感じたことが紙風船の画ひとつでよみがえる。
匂いと結びついた記憶の息長く鮮明なことに、改めておどろく。



◆昭和のあれこれを思い出させる谷内の画だが、年譜の1944年(23歳)の所に、「寒川の相模海軍工廠に徴用。兵器類の図案を担当。」とあった。心に留めておこう。

***

◆歩道を再び上に戻り、美医術館を見下ろすあたりまでのぼると、夏の名残の光を受けて進むヨットがいくつも見えた。

DSCN5905.JPG



ヤブミョウガと三軒家砲台跡[2022年09月05日(Mon)]

横須賀美術館の裏山を歩いてみたら、林の中に丈高く藍色の実がたくさん。花は白く小さい。

ヤブミョウガa DSCN5930.jpg

写真に収め、スマホで調べてみたらヤブミョウガというものらしい。
葉っぱこそミョウガに似ているが、花は全く似ても似付かず、実も違う(というより、普通のミョウガの実は見たことがない)。

ヤブミョウガbDSCN5931.jpg

食べるミョウガはショウガの仲間らしいのに、ヤブミョウガはツユクサ科だそうだ。
さて、このヤブミョウガ、食べられるのかどうか?

裏山には明治に作られた砲台の跡がいくつか残っていたりして、ツイひもじくなったときの代用食に連想が向かってしまう。

砲台跡aDSCN5910.jpg

三軒家砲台跡。明治29(1896)年に完成。昭和9(1934)年に廃止された由。ロシアなど外国軍来たりなば、と備えたものか。軍港を擁する横須賀、東京湾の西南端に臨む高台である。長く活用されるに至らなかったのなら、どんな理由によるのか。




ネムノキの実その他in横須賀[2022年09月04日(Sun)]

DSCN5885.JPG

横須賀美術館の谷内六郎館の中庭、ネムノキがサヤをたくさんつけていた。
マメ科の植物だった、と改めて認識。


DSCN5887.JPG

お日様で透かして見ると別の惑星から送りこまれたものみたいに神秘的だ。
食べられるんだろうか?

***

美術館のはす向かいにある京急ホテル前を通ったら、ヤシの木に黄色い実がたくさんなっていた。

DSCN5954.JPG

ココスヤシという木らしいが、ビワのような実が鈴なりだ。
植え込みに落ちたものがいくつかあり、近づいて見るとピンポン球より少し小さいくらいの実で、甘酸っぱい匂いが漂っている。

調べてみたら、これは食べられるらしい。
いずれみんな落ちてしまうだろうけれど、どうするんだろう?
(他人事ながら、大いに気になる)



左川ちか「菫の墓」[2022年09月03日(Sat)]

菫の墓  左川ちか


ピアノからキイがみなでていつた
真暗な荒野に私は喜びを沈めよう
昼の裸の行進を妨げる
むきだしになつた空中の弦は放たれるだらう
リズミカルな波が過ぎ去つた祭礼にあこがれる
いつまでも祈るやうな魂の哄笑が枝にお頭儀
(じぎ)をさせ
われわれの営みを吹き消す
その巨人等の崩壊はまもなく大地へ
凍つた大理石を据えてしまふ



島田龍・編『左川ちか全集』(書肆侃侃房、2022年)より


◆これもまた、1934年の作。

ピアノが鳴らしていたのはどんな音楽だったろう。
何ものかの有無を言わせぬ力がそれを中断させた。
残響が地上のくさぐさのものたちを次々と揺らす。
その動きはスローモーションのようにゆっくりだが、音高は下がることなく、いつまでも鳴り続けるかのようだ。

そうして、神々の哄笑に祝福されるようであった歓喜が、しだいに葬送の行進曲が響くモノクロームの世界に変わってゆく。

謙虚さや誠実の象徴の花「菫」、それが色あせ息絶えたというのに、どんな墓が似つかわしいというのだろう。


左川ちか「午後」[2022年09月02日(Fri)]


DSCN5870.JPG
境川に遊ぶ白鷺。

***


午後   左川ちか


花びらの如く降る。
重い重量にうたれて昆蟲は木蔭をおりる。
檣壁
(ママ・しょうへき)に集まるもの、微風のうしろ、日射が響をころす。
骨骼(こっかく)が白い花をのせる。
思念に遮られて魚が断崖をのぼる。



島田龍・編『左川ちか全集』(書肆侃侃房、2022年)より


【編者による注】
「檣壁」…墻壁・牆壁のこと。まわりを囲う壁。隔ての壁。妨げの比喩。
「骨骼」…骨格

◆1934年の作。
「花びらのごとく降る」のは、午後の陽の光だろうか。それともその光を受けながらゆっくり落下してゆく、正体は未だ見定めがたいものたち。

画面全体には二つの、はっきりと向きの異なる動きがある。
一方は己の身に与えられた重さに従うほかないように降りてくる昆蟲。
他方、断崖をのぼる魚――こちらは自らの重さに抗うように断崖をのぼろうとしている。

これら下降と上昇の間に淡く点描したように風や日射しが揺曳している。
それらさまざまな動きがありながら、全く静かな世界だ。

◆何に属するのか分からないものもある。
――「骨骼」と「思念」だ。
誰の「骨骼・思念」なのか?
――「私の」なのか、それとも「蟲や魚、私をこの世界に産み落とした者の」なのか?



左川ちか「風」[2022年09月01日(Thu)]


風   左川ちか


単調な言葉はこわれた蓄音機のやうに。
草らは真青な口をあけて笑ひこける。
その時静かに裳
(も)がゆれる。
道は白く乾き
彼らは疲れた足をひきづる。
枸橡
(くぬぎ)色の髪の毛が流れる方へ。



島田龍・編『左川ちか全集』(書肆侃侃房、2022年)より

◆1932年の作。

「風」をモチーフに、映画の一場面を見るかのようだ。

風に吹き分けられる草たちは、呻き歩む者たちのみじめな姿に笑い転げていたが、疲れ果てた彼らを従えて静かに進む者の裳裾(もすそ)に気づき、薙(な)ぎ払われたように押し黙る。

背を押す風に身を任せて向かう先に待つのは妻や恋人であろうか、あるいは父母やわが子ら。

厳かなものの渡御の列であるからには、「マクベス」のように森の木々も列に加わり、そこに棲むあらゆる生きものたちまでがこぞって扈従(こじゅう)していて不思議はない。

*「くぬぎ色」とは薄茶〜焦げ茶、あるいはもっと黒味を帯びた色合いまであるようだから、読む者の気分のグラデーションに応じて想像の絵筆を揮えば良い。


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