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畑島喜久生「いぬさんが・・・・」[2022年09月20日(Tue)]


いぬさんが・・・・   畑島喜久生


いぬさんが
おじさんや
おばあさんや
おばさんや
おじいさんを
つれてあるいています
いぬさんって
たいへんですね

ごくろうさん


現代こども詩文庫3『畑島喜久生詩集』(四季の森社、2022年)より

***


◆台風にかこつけて、相棒との散歩、本日はお休みにした。
このところ足もとがおぼつかなく、風でコケてはケガもありうる。

つい数ヶ月前までは上の詩のように、キミの散歩に付き合ってやってるんダゾ! という風であったけれど。
犬の16歳半は人間で言うと80歳台。足腰の衰えがそれなりに目立ち、口元にも白いものが混じってきた。

獣医さんのところでトリミングをしてもらう間も、へたりこんで、先生に心配をかけてしまった。
腰を温めて貰って、帰りはシャンとしていたが、帰宅後さすがに爆睡していた。

背筋をマッサージしたり、脚の曲げ伸ばしをしてあげるといいですよ、と教わったので取り組まねば。QOL(生活の質)を保つために努力が要ることは人間と全く一緒だ。

愛犬との老老介護時代に突入したわけである。




畑島喜久生「おしえてください」[2022年09月20日(Tue)]

◆おりから列島は台風14号に見舞われている。見えないものに注意を払いながら過ごす夜に――

***


おしえてください  畑島喜久生(はたじまきくお)


かぜは みえないのに どうして
かぜって よぶんですか
そよそよ
ぴゅうぴゅう
ぴゅうぴゅうって
おとでしょ
おとのことでしょ
でも
ちっとも
そよそよって
みみには
きこえて きません
なのに
おとでも
それと
みえてもいないのに
どうしても
みんなとおなじ
かぜって なまえにしたんですか
おしえてください


現代こども詩文庫3『畑島喜久生詩集』(四季の森社、2022年)より


◆こどもの詩について、実作と理論の両面で貢献して来た詩人。

◆見えもせず、聞こえもしないものを受けとめるに必要な想像力。大人はそれをさびつかせてしまうだけじゃなくて、それを駆使することを怖れてさえいるのかも知れない。

この詩のように真っ直ぐ問われると、たじろぐしかない。大人は、おそろしくわずかなことしか知らないのに、何でも知っているフリをしているのだし、実は、そのことをすでに見抜かれているのだ。


金丸桝一「わたしは水一滴を運べずにいる」[2022年09月18日(Sun)]


わたしは水一滴を運べずにいる   金丸桝一


〈生〉を生きることのできない人間がいる
生み落とされてすぐに飢えに泣いている子がいる
その子を抱きかかえて空腹にどうにか耐えている母親がいる

日は哭いている
――日よ、あなたがすべてである
日は哭いている
――日よ、あなたを名づけた者がいない

日は日に次いで有り
日に日が重なる空間として日は有り
時間は空間にのみこまれて有り
空間は時間にのみこまれて有り

日は哭いている
わたしは水一滴を運べずにいる
わたしはペンをとっている



日本現代詩文庫『金丸桝一詩集』(土曜美術社出版販売、2000年)より


◆深い嘆きの詩だ。無力感に苛まれながら、絶望することはできない。――耐えている者がいる現実があるからだ。

◆「日は哭いている」――別の詩「日が哭いている」では、「日」は、「問う」ことも「語る」ことも「究める」こともしない、と書いている。
のみならずどんなに詩人が問いかけても「答えない」という。
それらのすべては「わたし」が自分で行うことしかできない。「問い、語り、究める」こと、それらは「わたし」がなすべきこととしてある。それがわたしのその日その日の営みとなるほかない。

◆そう考えてくると、「日は哭いている」とは、「わたし」に悲しみいたむ心を掻き立て、「わたし」に行為をうながすものが居ることを表している。飢え渇いている母子に水と糧とが届くように力を奮えと。

だが、「わたし」は、水一滴だに運べずにいる。地上に身を横たえ苦しむ人たちの苦患(くげん)に比して、自分がなしうることのあまりに非力であると知る故に。





金丸桝一「火種」[2022年09月17日(Sat)]


火種   金丸桝一


火種はあるか
ひとの世のまやかしを問い
ひとの世のまやかしを拒む

火種はあるか
なお 怒ることのできる
なお はげしく怒ることのできる

火種はあるか
かなしさをわかちあうことのできる
なお 一日を生きよと励ましあうことのできる

火種はあるか
そういう火種は
まだあるか

この世に
生きて
いて



日本現代詩文庫『金丸桝一詩集』(土曜美術社出版販売、2000年)より


◆ゆりかごから墓場までことごとく「私(わたくし)する」者ばかり。そうした世に在って、わが身を燠(おき)にして火種を持し続けること。
不正義のありかを照らしだし、こごえた頰に再び血の気を通わせて空を仰ぐことを可能にするような。


金丸桝一「せかいはしずかだ」[2022年09月16日(Fri)]


            
せかいはしずかだ   金丸桝一(かねまるますいち)


時間のひきだしのなかの
はりめぐらされた鏡のなかの
遠いはるかな町で
飴玉が売れている
野菜が売れている

せかいはおびえてしずかだ
葉をふりはらった枝々
煙突
電柱
家々

せかいはしずかだ
反芻されたおおくの希望ののちに
はがれた舗石が映っていて
ふいにほとばしる血が映っていて
だれもそいつを止めることができないでいる

せかいはしずかだ
おびえて飢えて
たおれていく難民の群れでしずかだ
鏡のうらがわに押し寄せる闇の
そのずうっと果てまで
うなだれたいちれつ
がしずかだ



日本現代詩文庫『金丸桝一詩集』(土曜美術社出版販売、2000年)より


◆平和で穏やかな時間が続いて「しずか」なのではなく、反対に、むき出しの暴力を浴び、のどを塞ぐほどの絶望と恐怖に言葉を奪われてしまったから「しずか」なのだ。

子どもたちのために飴玉を買い、夕食の野菜を買い物籠に入れる――そうした日常は、鏡にくり返し映って無限の遠くまであるように見えるが、しかし本当は閉じられた極小の世界に浮かぶ像でしかない。
つまりは実在しないに等しい。

現実の世界は鏡の裏の闇の中にある。
逃れ行く人々の奪われた声を聞こうにも、我らもまた耳を聾する爆風に、鼓膜を失ってしまったのではないか?

***

16日、ウクライナ東部、イジューム(ハルキウ州とドネツク州の境)で、440基もの無名の墓が見つかった。

*奇しくも1932年9月16日「平頂山大虐殺事件」から90年の日である。
中国東北部で帝国日本軍が行った虐殺事件。
鬼原悟氏のBlog「アリの一言」に教えられた。

◆【ウクライナ戦争と平頂山大虐殺事件】(9月15日記事)
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/f4560392e5a3f1b5a29ab14a0718d954


高細玄一「薄月」[2022年09月15日(Thu)]


薄月  高細玄一


昼間に白く 薄く在る月
堂々と 輝いている ときは
短い
人間の罪のように

いつも通る
無骨なボルトの浮き出た鉄橋が
架け替えられた
もう今日から そこに存在したことも
想い出す人はいない
夜風が
一陣の砂埃を巻き上げるが

一枚の貼り紙だけを残して
会社が消えた
会社に連なる諸々も
消え
なにごとも無かったように
存在し続けているもの



『声をあげずに泣く人よ』(コールサック社、2022年)より


◆「薄月」(うすづき)、一般には薄雲がかかった月のことかと思うが、この詩では冒頭に定義してあるように昼の月だ。地上の変化を見ていながら素知らぬ風で空に在るもの。

◆人の寿命より長そうな堅固な鉄橋も、新しく架け替えられれば前の風景は忘れ去られる(記憶の更新)。

モノや情報を通してさまざまな人をつなぎ、その暮らしを成り立たせていた会社も永遠ではない(組織が活動を停止するとき)。

*五輪をめぐる贈収賄事件で老舗出版社に司直の手が及んだ。
すべてをたたんで張り紙する時が来るんだろうか。
それとも、看板を付け替え、嵐が通り過ぎるのを待つのだろうか。


高細玄一「ファイサルくんのおつきさまへおねがい」[2022年09月14日(Wed)]

ファイサルくんのおつきさまへおねがい 高細玄一


ファイサルくんはガザにすんでいます 4さいです
ガザのまちはとてもおうちがひしめきあっていて
いつもやさしいとなりのおばさんが
おおきなこえでおこっていたりするこえも
おともだちのジャワドくんがおにいさんと
うたをうたっているのもきこえてきたりするので
ファイサルくんはよる みんながねしずまったとき
そうっとまどをあけおつきさまに
きょうのことや いやだったことや
ちょっとこわいおとうさんのことや
そとでみえたこわいひかりのことやらをはなすのです
おつきさまは まんげつのときは
ニヤリとわらって ファイサルくんにうなずきました
つぎのひもそのつぎのひも
おつきさまはみかづきになって
こんどはママよりやさしくほほえみました

イスラエルによる三日連続の爆撃がガザを襲った
一般市民 女性 子ども 動くもの 動かないもの全ては標的となり


「ねえママ おつきさまのことがしんぱいなんだけど」
ファイサルくんはよるにまどをあけておつきさまとおはなしできない

まどは締め切られている
火薬が放つ有毒臭を吸ってしまうかもしれないから

ファイサルくんはなにもたべられなくなって
かおいろはあおくなっておなかはゆるくて
うんちはみどりいろ

「もしぼくがしんだら かみさまは おつきさまをみせてくれるかな」

ガザでは瓦礫の下で子どもを探す親がいます
子どもを亡くした母親が たくさんたくさんいます
おつきさま どうか せめて
ファイサルくんのねがいを 叶えてください


「BIG ISSUE」411号(2021・7・15号)参照。
ガザに住む二児の母エマン・パジャーの手記。
ガザでは二〇二一年五月イスラエルによるガザ空爆、停戦合意後の六月に攻撃が再開された。



『声をあげずに泣く人よ』(コールサック社、2022年)より


***


◆行ったことのないガザの、会ったことのないファイサルくんの声が聞こえるように思う。
それはおつきさまが、夜空を見上げているあちこちの人に、ファイサルくんの声を送ってくれていて、その一つが(幸いなことに)ここにも届いたからに違いない。


――(おつきさまの出ない夜はどうしたらいい?)

――ファイサルくんへの返事をいっしょうけんめい考えてみたら?
やさいいおつきさまが再び細いかおを見せたらすぐに、「届けてくれるかい?」とお願いできるように。




高細玄一「サマショール 人類の運命」[2022年09月13日(Tue)]

◆ロシアによるウクライナ侵攻当初から懸念されて来た原発の安全確保、綱渡りが続く。

地球規模の核汚染と同居していることを身を以て味わってきたこの国で、チェルノブイリ(チョルノービリ)とそこに住み続けている人間に思いをはせて来た詩人の近作を――

***


サマショール  人類の運命
              高細玄一


     
サマショール ぼくのばあや
故郷で死にたいとばあや でもね
サマショール あそこは人が住めない放射線なんだ
ウクライナのチェルノブイリ(チョルノービリ)
福島の浪江町 双葉町 大熊町 富岡町 飯舘村 葛尾村
自分で動きまわるんだね 帰りたいから
わがままな人 サマショール
自分で野菜をつくる ジャムをつくる 最期は故郷で
薪ストーブ 森のキノコ
ここには溢れる自然があるのに
人には誰も手だしが出来なくなった
でもサマショール 高線量の下 この土地をこの運命を
それはもしかすると
人類そのものの運命 それを見守る
サマショール きっとここで誰にもみとられず
忘れられて最期をむかえ
死さえも雪に埋まりそのまま消えて行くんだろう
サマショール 福島のとんでもなく汚染された土にも
春が来て雪の下からフキノトウが一つ一つ芽をだす
カモシカが雪を足で掘る

サマショール まさかこの汚染された土地 凍った大地に
キャタピラとドドドドドドと地鳴りでやってくるとは
ばあやの住処の小屋を踏み潰して
ドドドドドド 汚染された土地はもう一度荒らされ
大量の人人人人人
この汚染された土地の上を ドドドドドド
ロシアの若者たちはなにも知らない
知らされていない
重装備に身を固め進んで行くドドドドド

こんなことがこの世で起こるなんて
サマショール いまどうしてる
どうなっている?
静かに大地の最期の番人として見送るはずだったのに
人類の運命はどうなるんだろう
サマショール


「自主帰還者」の意。一般的には、チェルノブイリ(チョルノービリ)原子力発電事故で立入禁止になった区域に、自らの意志で住む人々を指す。


高細玄一(たかほそげんいち)詩集
『声をあげずに泣く人よ』(コールサック社、2022年7月)より


 
近所の案山子(その2)[2022年09月12日(Mon)]

◆まだ32℃ほどの日中は避け、日がやや傾いてから自転車で出かけた。
先日とは違う田んぼの案山子が目当てだ。

DSCN6004.JPG

頬被りの中にどんな顔が?と想像をさそう出来。だがよく見ると顔は入れてない。シンプルな造形でいてイマジネーションを誘う。


DSCN6007.JPG

がっしりした体格。上半身だけで十分案山子の務めを果たしている。

***

◆境川の向こう、天王森泉公園前の案山子コンテスト、例年なら9〜10月だったはず。
例年会場となる田んぼまで足を伸ばしてみると、現地に案内板など全くナシ。今年も見合わせだろうか?

◆途中何本か青柿をつけた木を見かけたが、どの木も実がずいぶん少ない様子。夏の暑さが影響したか。

彼岸花が顔をのぞかせ始めた。
咲き揃ったころに、また写真を……



かわかみまさと「せっけんのあか」[2022年09月12日(Mon)]


せっけんのあか  かわかみまさと


おじいさんのあかはつちいろ
おばあさんのあかはくもいろ
おとうさんのあかはかぜいろ
おかあさんのあかはゆめいろ
わたしのあかは
ひがわりメニューの
なないろとうがらし
せっけんは
いろいろなあかを
もくもくおとして
けしつぶほどに
ちいさくなりました

いったいどなたのあかが
せっけんのあかをおとしたのか
せっけんは
きえてしまった
てのあかにもくれいし
きみたちは
わたしの
こころのよごれをぬぐいさった
エンジェルだとつぶやきました



『仏桑華(アカバナ)の涙』(コールサック社、2022年6月23日発行)より

◆詩集題名や、この詩集の発行日とした日付けで察せられるように、作者は沖縄・宮古島に生まれた詩人・医師。現在は富士山麓の病院長とのこと。

◆せっけんはさまざまな「あか」を落とし奉仕し尽くして姿を消してしまうのに、人間の方はそれにありがとうの一言もない。そういう気づきが、最初にあったのだろう。
そのままでは教訓クサイ話になってしまうのを、せっけんも「あか」を落としたのだ、という風に視点を逆にしたことから思いがけない世界が広がった。

もう一つの発見は、順に風呂に入る家族みんなが同じせっけんを使う、ということだ。
「あか」を流しながら家族の一人一人に思いが向かう。

流し去ったものは家族の悲喜こもごも、過ぎてみればいとおしいものにさえ思える家族の歴史の隈々(くまぐま)だ。
祖父母や父母が流した「あか」、それを受け継いだ自分の「あか」……
そのことに気づかせてくれたのがせっけんだった。

*「わたし」から「あか」たちへの「もくれい」が、せっけんから「あか」たちへの「もくれい」であるようにも読めるところが面白い。


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