
ミウォシュ「ヨーロッパの子」その一[2022年04月30日(Sat)]
◆ミウォシュの作品から、戦後間もなく、外交官として渡米し、ニューヨークのポーランド領事館に勤務した時代の詩「ヨーロッパの子」を2回に分けて……
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《ヨーロッパの子》より(その一:1〜4)
チェスワフ・ミウォシュ
小山哲(さとし)訳
1
陽だまりの甘い香りを胸いっぱいに満たして、
花盛りの五月の樹々の枝を眺めるわれわれは、
死んでしまった者たちよりもすぐれている。
呑み込むのがもったいないようなごちそうに舌鼓をうち、
恋の戯れを心ゆくまで味わうわれわれは、
死んで葬り去られた者たちよりもすぐれている。
燃え盛る炉から、いつまでも吹きやまぬ秋の風に鳴る鉄条網から、
傷を負った風が痙攣して叫び声をあげる戦場から、
われわれは機転と知識のおかげで逃げのびたのだ。
より危険な場所へは、あの連中を送りだし、
しっかり戦えと大声で彼らをけしかけ、
負けることを見こして自分たちは退いた。
自分が死ぬか、友が死ぬか、いずれかひとつというときには、
われわれは友の死を選んだ、かくあれかしと冷徹に考えながら。
われわれはガス室の扉を閉め、パンを盗んだ、
明日は今日よりも苦しいだろうとわきまえて。
にんげんにふさわしい仕方で、われわれは善と悪とを知ったのだ。
悪意に満ちたわれわれの知恵は、この地上に並ぶものがない。
信じやすく、熱しやすく、そのくせ弱く、自分のいのちを軽んずる
あの連中より、われわれのほうがすぐれていることが立証されたというべきだ。
2
あがなわれた知恵に敬意をはらえ、ヨーロッパの子よ。
ゴシックの大聖堂と、バロックの教会と、
虐げられた民の嘆きがこだまするシナゴーグとを遺産として受け継ぐ者よ、
デカルトとスピノザを受け継ぐ者よ、「名誉」という言葉を引き継ぐ者よ、
レオニダス王*の子孫たちよ、
恐怖のときにあがなわれた知恵に敬意をはらえ。
おまえは鍛えられた知力をもっている、あらゆるものごとの
よき面と悪しき面を即座に見わけることができる力を。
お前は疑い深く、洗練された知力をもっている、
未開の民がまったく知らない歓びをもたらす力を。
その知力に導かれて、おまえは即座に見抜くことができる、
われわれが与える助言の正しさを。
陽だまりの甘い香りを胸いっぱいに吸い込むがよい。
そのために賢く厳格な掟はあるのだ。
3
力が勝利したなどということは問題にならない、
いまは正義が勝利する時代なのだから。
力のことには触れないほうがよろしい、
ひそかに堕落した教えを奉じていると疑われないために。
権力を握る者は、歴史の論理にそれを負っているのだ。
歴史の論理を尊重して頭を垂れよ。
仮説を語る口は、知らないほうがよい、
実験を捏造する手については。
実験を捏造する手は、知らないほうがよい、
仮設を語る口については。
火事がどこまで広がるか、限りなく正確に予測できるようでなければならない、
そのうえでおまえが家に火を放てば、起こるべきことが実現するのだ。
4
小さな真理の種から、偽りの樹を育てあげよ、
現実を軽蔑しながら偽りを口にする者には従うな。
おまえの偽りは、じっさいに起こったことよりも論理的であるべきだ、
放浪の旅に疲れた者たちがその偽りのなかに安らぎを見いだすために。
偽りの日が暮れたあとで、選ばれた者同士、われわれは集まろう、
われわれのやったことを思い出しては、膝を叩いて笑いあうために。
判断において明敏だった、と賛辞を贈り、
その才能は偉大であった、と顕彰しあいながら。
われわれは、シニシズムをさかなに宴を催すことができる最後の世代、
絶望の淵を片目で見ながら抜け目なく立ち回ってみせる最後の世代。
そしてやって来たのは、死ぬほど真面目な世代、
われわれが笑いながら受け入れたものを、言葉どおりに受けとめる彼ら。
*レオニダス王…紀元前5世紀のスパルタ王。武勇をもって知られる。
関口時正・沼野充義 編『チェスワフ・ミウォシュ詩集』(成文社、2011年)より