◆昨日の
阪田寛夫の詩
「はなやぐ朝」には、
大中恩のほかに、
中田喜直が作曲したものもあった。
さまざまな人が歌っている動画がYouTubeにたくさんアップされていて、この中田喜直版の方がよく歌われているのかも知れないが、「はあ〜」と民謡調の歌い出しからして相当違う世界になっている。
◆従兄弟同士であった大中恩&阪田寛夫たちの家には基調音のように賛美歌が存在した。
そのことを思うと、邦楽より西洋風の歌の方が似つかわしいように思ってしまう。
◆それをふまえてか、
古元麻結美が歌うCD
『大中恩 愛の歌曲集』は、
フランシス・ジャムの詩に作曲したものを最後に置いた。大中恩が、ジャム(1868-1938)の、信仰と祈りから生まれる愛の詩を歌曲にしたのは自然なことだったように思われる。
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子どもが死なないようにとの祈り
フランシス・ジャム
田辺保・訳
神さま ちいさな ちいさな この子どもを
親たちのために助けてやってください
風の中の一本の草をも
助けてくださるのですから
母親も泣いておりますし 神さま
いずれはさけられないことでしょうが
なにも今すぐ この子を
お死なせにならなくてもよろしいでは
ありませんか
神さま あなたが この子を生かしておいて
くださいますなら
来年の たのしい聖体の祝日には
この子が バラの花をまきに行くことでしょう
しかし あなたは
あまりにもよいかたであられます
神さま そのあなたが バラいろのほおの上に
青じろい死を お点じになるはずがありません
子どもたちを
窓べの母親のそばに おいてやりたいが
適当な場所がないと おっしゃるのですか
どうして ここではいけないのでしょうか
ああ 時の鐘が鳴っています 古元麻結美『大中恩 愛の歌曲集』(Victor VICG-50503、1993年)より
◆「バラいろのほおの上に/青じろい死を お点じになるはずがありません」ということばが哀切だ。
病む子を助けてと祈る親は、神さまを問い詰める言葉すら口にする。
ただ、受けとめる者が雲の上にいると信じられる限り、死の理不尽さがもたらす苦しみもいつかは清浄なものに変わるだろう。
大中恩のこの歌曲は、そのような余韻を含んで歌い収められる。
◆だけど、いま目の前に起きている強いられた死に対しては?
ウクライナ、マリウポリの産科病院への攻撃で犠牲となった妊婦の家族の悲しみ、母子ともに助けられなかったと語る医師たちの怒りは、どこにぶつければ良い?