
シェフチェンコの祖国愛の詩「遺言」[2022年02月28日(Mon)]
◆26日の東京新聞コラム「筆洗」にシェフチェンコの詩「遺言」が紹介されていた。
⇒https://www.tokyo-np.co.jp/article/162398
◆詩人が詩「遺言」を書いたのは1845年の暮れ、美術大学を卒業して故郷ウクライナに帰り、多くの村々を訪れた年である。画才によって彼自身は農奴の身分から離れることができたが、農民たちは軛につながれたままであった。全農民の解放なくして本当の自分自身の解放もないことを確認し、専制政治批判と抵抗の意思を固めた。
「血まみれのニコライ」などどあだ名されたニコライ一世の圧制下、いつ弾圧され囚われの身となるか知れない(実際、2年後にそれは現実となる――2月25日記事の「監獄で V」参照))。
この詩はその覚悟で綴った「遺言」であり、魂の奥に染み入るような郷土への尽きせぬ愛の歌である。
遺言 タラス・シェフチェンコ
渋谷定輔・村井隆之 訳
わたしが死んだら
なつかしい ウクライナの
ひろい丘の上に
うめてくれ
かぎりない畑と ドニェプルと
けわしい岸辺が 見られるように
しずまらぬ流れが 聞けるように
ドニェプルが ウクライナから
すべての敵の血潮を
青い海へ 押し流すとき
わたしは 畑も 山も
すべてを捨てよう
神のみなもとに かけのぼり
祈りもしよう だがいまは
神の ありかを知らない
わたしを埋めたら
くさりを切って 立ち上がれ
暴虐な 敵の血潮と ひきかえに
ウクライナの自由を
かちとってくれ
そしてわたしを 偉大な 自由な
あたらしい家族の ひとりとして
忘れないでくれ
やさしい ことばをかけてくれ
1845年12月25日 ペレヤスラフにて
渋谷定輔・村井隆之 編訳『シェフチェンコ詩集』(れんが書房新社、1988年)より。
*ペレヤスラフ(現ペレヤスラフ・フメリニツキー)はウクライナ、キエフ州南東部の市。10世紀初めには歴史に登場する。
◆シェフチェンコの生涯については、村井隆之による同書解説「シェフチェンコの生涯と芸術」に拠った。
なお、村井氏によれば、この詩は何人もの作曲家によって曲がつけられている由。
とりわけ、G・グラトキー作曲のものが愛唱されているという。
*原語綴り「Шевченко」(シェフチェンコ)+「Заповіт」(遺言)で検索したら、下の合唱に出逢った。
作曲者グラトキー(Г.Гладкий 1849-94)は、同じくウクライナ出身。合唱指揮、作曲で活躍した人のようだ。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=C6AW0gQcRFo
★ウクライナ語による朗読は下などから聴くことができる。
⇒https://www.kraiany.org/ukraine-info/c1_literature.html