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工藤直子「こどものころに みた空は」[2021年11月20日(Sat)]



こどものころに みた空は  工藤直子


ひとはみな
みえないポケットに
こどものころに みた 空の ひとひらを
ハンカチのように おりたたんで
入れているんじゃなかろうか

そして
あおむいて あくびして
目が ぱちくりしたときやなんかに
はらりと ハンカチが ひろがり
そこから
あの日の風や ひかりが
こぼれてくるんじゃなかろうか

「こどものじかん」というのは
「人間」のじかんを
はるかに 超えて ひろがっているようにおもう
生まれるまえからあって
死んだあとまで つづいているようにおもう



ハルキ文庫『工藤直子詩集』(2002年)より


◆詩の始まり、「ひとはみな…」を読んで、自分には当てはまらないなア、「ハンカチのように おりたたんで」ある空なんて、と思ってしまった。

もしかして「こどものじかん」などなかったんじゃないか、と感じられて、わびしい気分になった。
ひょっとして「人間」などという益体もないものになってしまうと、「こどものじかん」のことなど、すっかり忘れてしまうのかも知れないゾ、とすら思った。

だが、読み返すうちに、独りポツンと見あげていた空があったこと、ハシカで学校を休んでいた時だったと思い出した。
それは、「生まれるまえ」や「死んだあと」――無論その記憶もイメージも湧くはずはないのに――と確かに続いている「じかん」であることも間違いないように思えて来た。



工藤直子「わからん」:JAXA、宇宙飛行士募集[2021年11月19日(Fri)]


大谷翔平選手が米MLBでMVPに選ばれた今日19日、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙飛行士募集要項が発表された。
募集は13年ぶりで、今回は学歴や専門分野の実務経験を問わないことにしたそうだ。
これまで応募できなかった中卒・高卒者にも門戸が開かれるのは大歓迎だ。

JAXAの募集キャンペーンサイトと応募要項は下記から

【宇宙飛行士に、転職だ。】(募集キャンペーンサイト)
https://astro-mission.jaxa.jp/astro_selection/

【応募要項】
https://astro-mission.jaxa.jp/astro_selection/item/Application.pdf

要項を読んで一点残念なのは、「日本国籍を有しない者」が排除されていることだ。
在日の人や留学生として日本にやって来た人たちが除外されているのは了見が狭すぎないか。

◆日本の国の税金で育成するのだから当然、という考え方自体、もう古い(在日の人たちも、日本にやってくる学生、旅行者、みな消費税その他をしっかり負担している)。

大相撲の土俵に海外出身の力士が活躍し、海を渡った大谷選手が野球発祥の米国で野球の歴史を変えた、と讃えられる時代、日本流の宇宙へのチャレンジを日本人だけでやることにこだわる必要は全くないはずだ。

未知へのチャレンジには、予想もしなかった視点からのアプローチが必要なことがしばしばある。
その意味で、国籍条項はさっさと抹消したほうが良い。

門戸を広げ、多士済々の宇宙飛行士志願者を迎えるために、ぜひ次の詩も読んでみて――


*******

わからん   工藤直子


手を のばしてみる
その手の 指さすむこうに
なにが あらわれるか……わからん

足を踏み出そうと 宙に浮かす
その足が 着地する世界は
わたしを どこに導くか……わからん

それが まったく わからんので
それが まったく わからんからこそ
まず 手をのばし 足を踏み出す

「わからん」が原動力



ハルキ文庫『工藤直子詩集』(2002年)より




工藤直子「花」[2021年11月18日(Thu)]

◆喪中葉書で学生時代に同級だったM君が亡くなったことを知った。
共通の知人にそれをメールで伝えたところ、もう一人、O君が数年前、すでに他界していたことを教えられた。

知友の死は、朝(あした)にも夕べにも悟得の道を聞き得ないまま先送りだらけの自分にも、立ち止まって省みよ、と促さずにいない。

記憶の糸を手繰り面差しも声も思い出せるのだが、手向ける言葉は見つからぬまま、数日を過ごした。


***


花   工藤直子

わたしは
わたしの人生から
出ていくことはできない

ならば ここに
花を植えよう



ハルキ文庫『工藤直子詩集』(2002年)より




工藤直子「ふくろうめがね」[2021年11月17日(Wed)]

工藤直子の詩を歌ったCDに出会った。
工藤直子自身が自作から選んで『あいたくて』というタイトルで全25篇。

今宵の月(陰暦では13日)にふさわしい、次の一篇を――



ふくろうめがね   工藤直子


いつも ふくろうは お月さんと
なかよしともだち なかよしともだち
うれしいときは みあげて ほっほっほー
さびしいときも みあげて ぼうぼうぼー
  はひふへほーほー はなしをしてる

あるひ ふくろうは お月さんから
めがねをもらった めがねをもらった
まるい目だまに ぴったりの
なんでもみえる ふくろうめがね
  はひふへほーほー ふしぎなめがね

そこで ふくろうは めがね かけて
しっかりながめる しっかりながめる
あっちもこっちも そっちもどっちも
むかしのことも みらいのせかいも
  はひふへほーほー はあ びっくり
  はひふへほーほー ふくろうめがね



詩:工藤直子、歌:新沢としひこ『あいたくて』(アスク・ミュージック、2001年)より


◆夜の世界を睥睨しているかに見えるふくろうも、自分の力だけでは世界ににらみをきかすわけにいかない、というのがおかしい。

自分の目だけで世界が見えていると思っているうちは、夜の底に隠れているたくさんのものを見失ってしまっているのだろう。
お月さんの助けを得て「しっかりながめる」という気持ちと、「はあ びっくり」と心から驚く素直さを持たなくては。



  
柳内やすこ「呼吸(いき)する地球」[2021年11月16日(Tue)]

◆夜8時過ぎから2時間半余り、停電があった。
断続的に切れたり点いたりを3度ほど繰り返したのち、ウンでもスンでもなくなった。

スマホで停電情報を確かめると、藤沢市俣野周辺および川向こうの横浜戸塚区で2600戸が闇に閉ざされた様子。近くのコンビニの灯が落ちている写真の投稿もあった。
じっと辛抱の間、道の往来も息を潜めたかのようだったのを、緊急車両の行き交う音が時々聞こえて不安を掻き立てる。

今日の記事更新は諦めるかと思いかけたころに、ようやく復旧。原因は不明だが、天候穏やかな一日だったから、どこかで工事ミスや設備の劣化などあったのだろうか。

◆久しぶりの停電で、3・11後の計画停電を思い出した。
太陽光発電など再生可能エネルギーに一気にシフトするかと期待したものの、大規模ソーラー施設の造成工事が土砂災害の誘因になっているのではという懸念も出来し、思うように進まない。
思い切った転換に至らないのは資力・国力の低下もあずかっているかも知れない。
「貧すれば鈍す」ということか。


*******

 いき
呼吸する地球   柳内やす子


あやまちがあるとすれば
私たちの生そのものが罪なのだ
晴れた日の午後
私は雄大なあなたの皮膚に
しつこく絡みつく
一匹の有害な微生物です

あなたは今地の底からゆっくりと
優しい息を静かに吹いて
四六億年の生の営みを今日もまた
誠実に繰り返す

地球よ
それから今度は私には見えないほど
ほんの微かに地表を震わせ
近頃すっかりまずくなってしまった
大気を吸うとき
あなたは気づいているかもしれない
病状はもう回復の見込みがないと――

教えて下さい
なぜ壮大な宇宙のなかで
取るに足りない存在である私たちが
私たちの日々の暮らしを重ねてきた上で
自身を
そして周囲をも
深く傷付けてしまったのか

私たちのささやかで傲慢な生のために
病んでいる地球よ
けれども私は知っています
あなたが私たちと同じように生ある者として
呼吸(いき)をするとき
私たちのために神に祈り
感謝を捧げてくれていることを
それでも生きているということは
許されて在(あ)ることであると


新・日本現代詩文庫『柳内やすこ詩集』(土曜美術社出版販売、2016年)より




映画「博士の愛した数式」と柳内やす子「光景」[2021年11月15日(Mon)]

◆映画「博士の愛した数式」、TVでやっていたのでようやく通して観た。
タイトルにある「数式」は「オイラーの等式」というものらしいが、いくつかの基本の要素から成る簡潔な式が、人間と人間の関係や、人間の魂の中にあって外から直接には見えないものを表しているようだ。

映画のエンドロールに出てくるウィリアム・ブレイクの詩も良かった。

そうした気分の揺曳が続いたせいか、以下の詩に目が留まった。

*******


光景   柳内やすこ


夢だったかもしれないと思うことがある
遠い記憶である
行楽日和の古都は大勢の人で賑わっていた
広大な奈良公園をひとり散策していた私は
ふと木々に囲まれた細い坂道に迷い込んだ
人々の声が遠のき
小鳥の囀りがかすかに聴こえた
不安に駆られながらも何かに促され
急なこう配を昇っていくと
目の前に開けた場所
それは音のない世界だった

 大きな古い桜の木から花吹雪が舞っていた
 鹿が二頭草を食んでいた
 他には何もなく誰もいなかった

そしてそこにはすべてがあった
例えば私の亡くなった祖母や義姉
今は病院で寝たきりの父も花見に訪れている
歩き始めたばかりの娘がおそるおそる鹿に近づく
小さな息子を抱く若い私
まだ生の厳しさを知らない赤子は安らかに眠り
私も穏やかに微笑んでいる
なぜならそこでは
すべてが満たされていると同時に
始めから何もないので
大切ものを失う不安に悩まされないから――

それは一度きりの光景だったのではないだろうか
その日その時開かれた空間は
またそっと閉ざされ
その場所へと誘った道はすでに跡形もないだろう


新・日本現代詩文庫『柳内やす子詩集』(土曜美術社出版販売、2016年)より


◆「すべてがそこにあって…満たされていると同時に/始めからなにもない」そのことがもたらす平安。

確かに、失うことの不安を抱えていては、せっかく手もとにあるものすら見えなくなってしまうだろうな。
「流れる時間」(映画で出てきたことばだ)の上でもがくのが普通ではあるのだが。


橋のこと[2021年11月14日(Sun)]


◆吉野弘の詩ではないが、生き死にに関して人は、いつも受け身で向かわせられる。

皇帝ダリアが丈高く咲く今頃は、喪中の挨拶が届く季節でもある。
その中に、M君の奥様からの葉書があった。
M君が今年の4月亡くなったのだった。享年68。こちらと同じく一浪して大学生となったのだから、同い年である。

大学1年生の夏を泊まりがけのバイトで一緒に汗を流した。
大船駅でアイスコーヒー販売の仕事だった。
荻窪あたりにあった会社に一緒に面接に行き、夏休みの始まる日に大船駅に二人で降り立った。
ホームにあるコーヒースタンド、そこのアイスコーヒーを列車の旅行客相手に売るのである。
駅からだいぶ離れたアパートが宿泊場所だった。高校生を含め10人ほどが集まっていた。

あいにくこちらは1週間ほどで仕事から離脱した。別のホームに入ってきた臨時列車に向かって階段を駆け下りた際に足を挫いてしまったためである。包帯を巻いた姿で帰郷する羽目になった。

M君はひと月ほどを完遂し、こちらのバイト代の残りがあったのを代わりに受け取って書き留めで送ってくれた。

休み明け、彼は念願のフォークギターを手に入れたようだった。それを手にカントリー&ウェスタンのサークルの演奏会で歌ったはずだが、それは聞き洩らした。
だが、クラスコンパで歌ってくれた「ジャンバラヤ」は今も耳に残っている。良く響くバリトンで高音もきれいに出すことができた。

小さい頃に父親に先立たれたこと、その親父さんは橋梁工事を手がけ、九州への大橋を架けた人だ、と人づてに聞いたことがある。以来、彼の賀状をもらうたびに、大きな弧を描いてせり上がる橋と眼下の海、足早に飛ぶ雲と青い空が目の前にひろがるように感じるのが常だった。

10年余り前に列車で九州に家族旅行をした時、実際にその橋を渡りながら、往復とも、M君のことを思い浮かべていた。

卒業してから会う機会はなかったから、記憶の中のM君は黒縁眼鏡ごしに丸い目を輝かせたニキビ顔で、ジーパン姿のままだ。


***


橋   まど・みちお


川は空を見あげて 流れています
空はひろいなあ と思って流れています
川は空を流れたくて 流れています

橋を渡るときに わたしたちの体が
なんとなく
すきとおってくるような気がするのは
きっと わたしたちが
川の憧れの中を 通るからでしょうね

そして 川の憧れの中には
昔の人たちの憧れも
まじっているからでしょうね

川のあちらがわへ 渡りたいなあ
どうしても 渡りたいなあ と考えて
とうとう橋をかけてしまった
昔の人たちの憧れも



小池昌代・編著『恋愛詩集』(NHK出版新書、2016年)より



日下新介「盲目の魚」[2021年11月13日(Sat)]

◆江ノ島水族館の魚をうたった詩があった。
ここに登場する魚、そう言えば、だいぶ以前、江ノ島で見たように思う。

今もいるだろうか?


***


盲目の魚  日下新介


江ノ島水族館で珍しい魚を見た
メキシコの鍾乳洞に住んでいる
ブラインド ケープ フィッシュという
金魚のような薄桃色の可憐な魚だ
その名のとおり
眼のない種(しゅ)である
光のとどかない暗闇の中の
長い進化の過程で
眼を必要としなくなったのだ
からだのどこに探知機をそなえているのか
障害を避けてすいすいと泳いでいる
かつて
ぼくらの少年時代
目潰しをくらったように
この世は真っ暗で
靖国の道だけがあかるかった
幾百万の人々がこの道を通っていって
ついにもどってこなかった
そこには犠牲をしいた輩(やから)も祀られている
その社(やしろ)
日本の首相がお参りするという
新しい時代つくる ぼくら
二度と
ブラインドを降ろして
ケープ(洞穴)にこもる
盲目の魚にはなるまい



『日下新介全詩集』(コールサック社、2014年)より


◆「ブラインド・ケープ・フィッシュ」の画像は、ネット上でたくさん見ることができる。
それらに添えられた解説の中に、なぜこの魚が眼を失うに至ったか、理由を紹介しているものがあった。

それによると眼の退化は、エネルギーを節約するためだったという。
逆に言えば、生きものにとって、眼は相当にエネルギーを必要とする、ということらしい。
日々生起する出来事に無関心になったりするのにも、同じ心的機序が働いているということか。




日下新介「母校にて」[2021年11月12日(Fri)]

◆日の傾くのが早くなった。橋を渡った横浜市側の道を小学生たちが帰ってゆく。
一番近い小学校が廃止になり、遠くの学校まで2キロ近くを通うことになった彼らのランドセル、影が長くなった分、重たげに見える。


母校にて   日下新介


なぜ ここへと
自問しても確かな言葉としてはかえってこないが
ぼくは五十六年ぶりに母校の小学校を訪れた

木造の校舎は鉄筋コンクリートに変わっていて
廊下を歩くときの懐かしいきしみはないが
どこからか聞こえてくる
「少年兵に志願しない者は国賊だ」
子どもを死に追い込む
叱咤激励の声
その声の主は廊下に掲げられた歴代校長の写真の中にいた
戦陣訓の暗誦が出来ない者が
正座させられた奉安殿の跡には
昔のままの二宮尊徳の像が立っている

分列行進の号令をかけるのがいやだったぼくは
少年飛行学校では
真っ先に教官に敬礼の号令をかけていたのだ

なんという悔恨
死に場所なんか求めず
学問の道へと進んだ級友もいた時代に

その級友たちの四分の一は
すでに亡く
十代の終わりから二十代にかけて
幾人かは結核で斃れた

ぼくも結核になったが
幸いに生きながらえ
特攻にもならず
すでに古稀を越してしまった

校庭の松の古木は
由緒があるので切らないでいるのだと
若い女教師は言う
どのような由緒なのだろう

いま学校には「日の丸・君が代」が押しつけられる
砂埃の舞う校庭には
再び分列行進の足音と
「昔、憲法9条があった」
と回顧するような時代がくるのであろうか
そうであろうか

日曜日の校庭には草野球の若者たちの
明るい声がこだまして
母校の校庭に立つぼくの
はるかなる幻影を砕く

      (01・11・28)

『日下新介全詩集』(コールサック社、2014年)より



アフガンに向けるまなざし:日下新介「寿陵」[2021年11月11日(Thu)]



寿陵  日下新介


アフガンの戦場の
荒涼とした砂漠の中に
小石で囲まれた幾つもの墓がテレビに映し出される
誤爆という名の無差別空爆によって殺された
子どもの小さな墓 女や老人の墓
名前を刻まれることもなく
墓とはいいようもない粗末なもの。

昔から
王侯・貴族たちが造らせた巨大な墓は
貴重な副葬品と共に文化遺産として歴史に記録されるが
それらを造った人たちは
どんな墓に葬られたのだろう。

つい半世紀も前のこの国では
「水漬く屍 草生す屍」と
朽ち果てることをしいられた兵士でさえ
故郷では一基の墓となり
墓石にはその名が刻まれている。

先祖伝来の墓地のない私は
鳥葬とか風葬とかは今の世にふさわしからず
散骨もまた心もとなくて
落ち着く場所にと寿陵を造った。

墓の中には まず
離郷のとき父からもらった腕時計を
父の分骨と共に納めた。
教えのままに
(いくさ)の庭へと思いつめた少年の日々にも
ひたすら息子を案じた父の思いを封じて。

ひとが老いとよぶ歳月まで生き抜いた私は
死後の居場所まで決めることのできる幸せ者だが
アフガンの子らは砂漠の石ころの下
冬嵐の中で
夢を見ることもなくて埋れて……。


   *寿陵 生前に建立する墓石のこと。


 『日下新介全詩集』(コールサック社、2014年)より


◆詩人の第八詩集『塩せんべいの唄』(詩人会議出版、2007年)に収録された詩。
政体が変わってもアフガニスタンの困窮は一向に改善されていない。
今年8月の米国ほか各国の軍や援助組織の撤収以後、現地の状況は散発的にしか伝わって来ない。
メディアも含めて世界は再び、彼の地を見捨てたのである。

◆先日、タリバンによる遺跡破壊が再び進むのではと懸念する新聞記事があった。
そのことも問題ではあろうけれど、冬を控えて犠牲になるのは、結局子どもたちや女性たちだ。まずは彼の地の人たちの命の危機を真っ直ぐとらえ国際世論を動かして欲しいと願う。

アムネスティや国境なき医師団など、支援を続けている人々の努力には頭が下がる。

一方で、林芳正・新外務大臣の会見、そうした国々への目配りはゼロだった。




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