
秋元松代「近松心中物語」横浜公演千穐楽[2021年09月20日(Mon)]
◆久しぶりに芝居を観に出かけた。
秋元松代の「近松心中物語」。コロナ情勢をにらんで迷いに迷ったので今日の千穐楽となってしまった。
演出・長塚圭史。
会場のKAAT(神奈川)は一昨年の12月に、やはり秋元松代の「常陸坊海尊」を、同じく長塚圭史演出で観て以来。
◆休憩無しの2時間半、セリフは上方の言葉であり、2階席(最前列)からは聴き取りかねる部分もあって、滑り出しはもどかしさを覚えた。
「常陸坊海尊」では東北の言葉、「近松心中物語」では上方のことばで押し通す。
近松の作品のみならず西鶴などから博捜したということだけれど、それらを元に、ほとんど秋元語というべきせりふを創り上げたということなのだろう。
メディアのおかげで平準化した薄味のことばが流通する現代に、芝居の言葉は、その空間に生きる人間たちの声として観客の内に刻まれることで、現実世界の住人であるわれわれの生に厚みや深み、時に苦みをも与えてくれる。
演ずる方もその秋元語を、それぞれの母語と置き換わるくらい身内に溶かしこまないと、感情を流露させて観客に印象を残すことは難しかろうと思われた。
体内に流れる血の脈動と言葉とが不可分であるなら、それは息づかいや発語のテンポ、間合いなどに反映しないではいない。
その意味で、たとえば乞食坊主となった傘屋与兵衛(松田龍平)の最後二つのせりふなど、間(ま)を変え、緩急を付けたなら、ずいぶん違った幕切れとして記憶されるだろうと思った。
どこまでもダメな男であると自認している人物なのだけれど、その中にも懊悩や浮沈があるはずで、その揺らぎを、こちらは感じたかった。
*横浜公演最終日とあって、演出の長塚氏も登壇。観客総立ちで拍手が続いた。
横浜公演のあとは北九州〜豊橋〜兵庫〜枚方〜松本を巡る由。
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◆秋元松代(1911-2001)は横浜市福富町に生まれた人で、小学校は吉田小学校に学んだ。
同校はのち本町小に統合されて廃された。
跡地に現在は横浜吉田中学校が建つ。KAATの帰り、伊勢佐木町まで足をのばしたついでに同校の写真を撮って帰った。
横浜市立横浜吉田中学校(横浜市中区羽衣町3丁目)