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シッティング・バレーボール[2021年08月31日(Tue)]

◆パラリンピックに「シッティング・バレーボール」という種目がある。
試合の様子をTV中継で初めて見た。

下肢に障害を持つ人が、坐った状態でバレーボールを行う。
コートはそれぞれ八畳間ぐらいの大きさ。そこに大人6人が坐る。ネットの高さは1メートルほどだろうか。
6人制バレーと同じく、得点してサイドアウトがあるたびにローテーションもある。

味方同士の距離も、対戦相手との距離も近いし、レシーブ、パス、スパイク、ブロックまでのテンポも速い。移動も坐ったままで行うので選手たちは大変だろうが、見ていると何かホノボノした雰囲気が漂っている感じなのだ。

*昔のサラリーマン映画、昼休みの会社の屋上でバレーボールに興じているシーンがよくあった。
丸の内界隈の会社で、フェンスの向こうを走る東海道線の列車をのんびり眺めている人もいたりする。あれに近い。
あるいは、村の会館に集まった人々が、車座になってレクリエーションを楽しんでいる雰囲気に近い。

◆無論、選手たちの表情は真剣そのものなのだが、距離の近さは心理面でも近接した何かを生み出すのだろう。試合後、敗れた側が拍手で勝者を讃える姿も自然で、形式的でない真情を感じさせた。

「坐る」=「腰をおろす」という体勢は、驕りや侮蔑から人を遠ざけてくれるようだ。
圧迫や敵意を相手から感ぜずに済めば、自然と手を差し出すことになる。
手と目は連動しているから、世界も柔らかな光に包まれて輝いて見えてくる。


*******


かくれんぼうの時   多田翔平


地面と一体になってかくれたら
運動場にかげろうがみえた
この時 ぼくは
はなしに聞いていたかげろうを
かくにんした
地面にペタリと腹ばいになって
運動場を見たら
運動場がちがう世界に見えた


川崎洋・編『こどもの詩』(文春新書、2000年)より


中村哲医師の志を受け継ぐペシャワール会、活動再開[2021年08月30日(Mon)]

◆故・中村哲医師の志を承けて活動するペシャワール会が活動を再開した。
アフガニスタンの現状と会の活動の今後についてメッセージを公にしている。

〈アフガニスタンの現状とPMSの今〉
 ペシャワール会会長/PMS総院長 村上優

    PMS=ペシャワール会医療サービス

http://www.peshawar-pms.com/topics/20210825.html

◆この報告によれば、8月15日のカブール無血開城以降、会の活動はいったん休止していたものの、事態の推移とスタッフの安全を確認した上で、医療支援の要であるダラエヌール診療所は21日から活動を再開。
農業事業については、農作物や用水路周辺植樹への水やりは地域の住民および作業員によって継続されているとのこと。

農業とそれを支える用水路事業の再開は安全保障を最優先で事態を見守っている段階だが、地元住民の声を新政権にも反映させていく方針で、そのためにはこれまで中村哲医師が重視してきた長老会の自治組織の意向を尊重する基本方針で進めていくという。

◆報告は不退転の決意で事業継続を宣言したものだ。
「戦争を徹底的に回避する」ことを信念としてアフガニスタンのために生涯を捧げた中村医師の言葉が心を打つ。

「水が善人・悪人を区別しないように、誰とでも協力し、世界がどうなろうと、他所に逃れようのない人々が人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います。」


◆自分たちの待避を優先させたアフガニスタン駐在日本大使館の外交官たちは、この言葉をどう受けとめて生きて行くだろうか?

「えっ、大丈夫なの?」田中秀征氏の苦言[2021年08月29日(Sun)]

◆今朝のTBS「サンデーモーニング」、8月22日に中東歴訪中の茂木外相がイランのライシ大統領と会見したことについて、スタジオの田中秀征氏は、この時期に外相が国を留守にしていることに強い疑問を呈していた。そのコメント――

アフガニスタンの首都陥落の直後であり、自衛隊機を輸送に使うためには、法律的に外務大臣の依頼でやるんですよね。ですから、この時機なら、東京に居て指揮を執ってもらいたい、と、本当に思う。何が起きるかわからない時に、外務大臣は東京に居て指揮を執るのが当然。
このニュース(茂木外相の中東歴訪)を聞いたときに、「えっ、大丈夫なの?」という、ね……。


前回も触れた自衛隊法第84条の4項。
なお、自衛隊機の輸送について、防衛省としては、日本人を含まないで外国人を運ぶことは法律上困難という認識であったことを半田滋氏(防衛ジャーナリスト。元東京新聞論説兼編集委員)の記事が伝えている。

現代ビジネス 8月25日】
自衛隊によるアフガニスタンからの「邦人輸送」、実は「大きな問題」があった
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86588?imp=0


◆何より、大使館員だけが早々と国外に退避し、帰国を希望する邦人や安全を求める現地の関係者とその家族を見捨てたに等しいことに批判の声があがっている。

スカ首相自身にアフガニスタンや中東情勢について関心も熱意もないのは今に始まったことではないだろうけれど、外務省も防衛省も同じ姿勢では、現地で汗して働いて来た人々が報われない。

何ごとも起きていないかのように東京のパラリンピック会場に日の丸が揚がっている図は、悪い冗談としか思えない。

自衛隊機による外国人移送は適法なのか?[2021年08月28日(Sat)]

◆アフガニスタンに邦人移送のために派遣されていた自衛隊機が日本人1名をパキスタンに運んだ27日の前日=8月26日には、14人のアフガニスタン人をカブールからパキスタンに運んでいたようだ(28日テレビ朝日)。

★【テレ朝news 2021/08/28 23:07
自衛隊機、アフガン人14人も移送 外国人は初

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e6%a9%9f%e3%80%81%e3%82%a2%e3%83%95%e3%82%ac%e3%83%b3%e4%ba%ba14%e4%ba%ba%e3%82%82%e7%a7%bb%e9%80%81-%e5%a4%96%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e3%81%af%e5%88%9d/ar-AANQq7x?ocid=msedgdhp

◆記事は外務省への取材に基づくもののようだ。
自衛隊のC130輸送機が日本大使館の現地スタッフや家族など数百人を運ぶ予定でカブール空港で待機したものの、爆発テロ事件でバスは空港にたどりつくことができず、自衛隊はアメリカ側と調整して米軍と調整して、アフガニスタン人14人を載せてパキスタンに運んだという経緯である。

記事は〈自衛隊法84条の4に基づく「在外邦人等の輸送」で外国人を運ぶのは初めてです。〉と結んでいるが、こうした単純化した報じ方は危険である。

先日書いたとおり、自衛隊法の第84条の4は〈在外邦人等の輸送〉を定めたもので、「等」の字を付けてある通り、「邦人」のみに限定したものではない。ただし、無条件に拡大解釈できるものでないことは条文を読めば分かる。

再度引いて置く。

(在外邦人等の輸送)
第八十四条の四 防衛大臣は、外務大臣から外国における災害、騒乱その他の緊急事態に際して生命又は身体の保護を要する邦人の輸送の依頼があつた場合において、当該輸送において予想される危険及びこれを避けるための方策について外務大臣と協議し、当該輸送を安全に実施することができると認めるときは、当該邦人の輸送を行うことができる。この場合において、防衛大臣は、外務大臣から当該緊急事態に際して生命若しくは身体の保護を要する外国人として同乗させることを依頼された当該外国との連絡調整その他の当該輸送の実施に伴い必要となる措置をとらせるため当該輸送の職務に従事する自衛官に同行させる必要があると認められる者又は当該邦人若しくは当該外国人の家族その他の関係者で当該邦人若しくは当該外国人に早期に面会させ、若しくは同行させることが適当であると認められる者を同乗させることができる。


◆現地指揮官の判断でも、他国(および他国の派遣軍)でもなく、「外務大臣からの依頼」が必要であり、しかも邦人輸送を遂行するに際して外国人(やその家族)を「同行」させる形で、と定めてあるように読める。

上の記事は、今回のアフガニスタン人移送が、これらの条件(外務大臣の依頼および邦人輸送への「同行」)を充足させているかどうかについて触れていない。もしかしたら、この外国人輸送は、法の定めを超えた処置であったかもしれないのだ。

◆法律があらゆる場合を想定して作られるとは限らないが、だからと言って、自衛隊派遣に当たって、外務大臣がいかなる事案についても一括委任してあるとは思えない。

命にかかわる緊急事態にあって細かな手続き上の問題をあげつらうな、という向きはあるだろうけれど、自衛隊派遣が妥当であったか、意志決定のプロセスや手続きに不備はないのか、他により確実で安全なやり方が、もっと早くに追求できたのではないか等々、事態の進行中も事後的にも検証できるようにして置くことは欠かせない。

自衛隊法に「外務大臣の依頼」が明記してあるのは、方針決定のプロセスに外務大臣が関与することで防衛大臣や自衛隊の独走に歯止めをかける意味があり、同時にその責任を明示したものだと思う。

◆一方で、「国外避難を希望するアフガニスタン人を運ぶのは人道的支援として国際貢献である」という考え方は当然ある。しかし、であるならば、政府は速やかに移送の事実とその理由を公的に説明すべきであり、メディアもそれを要求すべきである。法的な要件充足の有無もそこで説明させれば良い。

監視役のメディアはそれらを外務大臣・防衛大臣および首相に常に意識させる責務がある。




アフガニスタン、カブールの悲劇[2021年08月27日(Fri)]

◆アフガニスタン、カブール空港でのISによるという自爆テロ。待避する人々の混乱の只中で起きた凄惨な事件だ。死者は110名に及ぶという。米兵、タリバン兵双方にも甚大な犠牲が出た。

◆在留邦人等の待避予定者は500人ほどと見られていたが、カブール空港に辿り着くことが出来ず、辛うじて現地在住で共同通信の通信員を務めていた日本人1名が空自機で隣国パキスタンのイスラマバードに待避したという(共同通信記事8月27日23:07配信)。

その他の人々はどうなったのか続報が待たれるが、少なくとも邦人および国外退避を希望する関係者を自衛隊機で移送するミッションは成功したと言える状況ではない。

◆8月15日のタリバンによる首都カブール制圧&日本大使館閉館から23日に首相官邸で国家安全保障会議(NSC)が開かれて自衛隊派遣を正式決定するまで8日間あった。
この時点で初動の遅れがあったことは確かだろう。
スペイン、オースラリア、英、仏など(実態はともかく)「待避完了」を公言しうる諸外国との違いが際立つ。

ここから先も、少なからず発生する難民への対応、国内の避難民の今後、難題ばかりだ。
国際社会として、この国を引っ掻き回しただけで再び見捨てるのだろうか。極東の一小国の民草の一人として無力を痛感する。



アフガニスタン、政府専用機なぜ引き返した?[2021年08月26日(Thu)]

アフガニスタンの邦人帰還
何が何でも自衛隊機派遣ありき?


◆昨日8月25日夜のスカ首相記者会見、質疑のところでアフガニスタンの邦人帰還について質問があり、首相からは”自衛隊機を派遣したところであり”ウンヌンの答弁があった。

これについて腑に落ちない点がいくつかある。米軍撤退の期限が迫る中、自衛隊機派遣が自明のことのように報道され、あるいは詳細が報道されない状況らしいことに注意を払っておく。

◆同じ8月25日の昼ころ、追加派遣されるはずだった政府専用機が「準備が整わない」という理由で北海道千歳に戻った、というNHKの報道があった。
オヤ?と思った。「整わない」「準備」の中味がどういうものか、記事では説明も示唆もされていない。

25日夜の首相会見での記者質問は、これを含めた日本政府の対応について質したものと思われたが、首相からは戻った飛行機について言及はなく、現状(アフガニスタンの在留邦人や外務省・防衛省の対応、帰国の見通しなど)に関する説明もなかった。NHK9時の会見中継はその後スタジオに移ったため、記者から追加質問があったかどうか分からない。

◆政府専用機派遣の「足踏み」は首相として当然把握しているべき情報のはずだが、ひょっとして首相の意識から「飛んで」しまっていないか?という疑念が浮かぶ。
あるいは、首相自身がこうした重要情報の「蚊帳の外」に置かれていやしないか、という疑念すら浮かぶ。

***

◆ここまでの自衛隊派遣をめぐるNHKニュース、現在ネットに以下の2件がアップされている。

【NHK NEWSWEB 2021年8月25日 14時30分】
アフガン退避 追加派遣の政府専用機 基地に戻る「準備整わず」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210825/k10013222271000.html

【NHK NEWSWEB 2021年8月25日 5時07分 】
アフガン退避で政府専用機派遣へ 自衛隊員や物資を輸送
2021年8月25日 5時07分 アフガニスタン
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210825/k10013221541000.html?utm_int=detail_contents_news-related_008

◆両記事を読めば、すでに24日、航空自衛隊のC2輸送機1機とC130輸送機2機は活動拠点のパキスタン、イスラマバードに向かったようだ。

今回(愛知県小牧から)千歳に戻った専用機は旅客機タイプの政府専用機で、自衛隊員を乗せるために飛ぶ予定だったらしい。
また、上の2つ目の記事によれば、隊員を届けたあとは帰還邦人等を乗せるのではなく、カラで帰国する予定らしい。その理由の説明も欠いた不可解な記事である。
C2輸送機1機とC130輸送機2機に都合どれだけの自衛隊員が乗っていたのかという点も記事は伝えていない。
「邦人等」の「等」に他国の軍関係者が加えられる恐れはないのか。
混乱の中、別のリスクにさらされる恐れはないのか、問題を洗い出す姿勢に欠けた報道だ。

◆そもそも自衛隊機の派遣が決まった経緯について政府はどの程度説明して来たか、24日時点の次の記事を読むと、疑わしい点が浮かんでくる。

J-CASTニュース 8/24(火) 18:38配信】
「唐突」な自衛隊機のアフガン派遣 決定3日前も言及なかったのに...野党は「説明不足」指摘
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c15b9a077fdf496439979dee20159cf464ab6c0

◆この記事によれば、日本大使館は8月15日に閉館、大使館員12人は17日に英国軍機でアラブ首長国連邦(UAE)のドバイに退避した、とある。
岸信夫防衛相は8月20日の記者会見で、自衛隊機ではなく英国軍機で退避した理由を説明しているが、自衛隊機の派遣については「外務省にお問い合わせを」と述べるにとどめていた。
自衛隊機派遣や隊員を運ぶ旅客機型政府専用機派遣は、その後政府として大きく方針変更したことであるのは明らかなのに、政府からの説明はアイマイであり、メディアの追及も弱い。

◆岸防衛相の「外務省にお問い合わせを」というコメントは、自衛隊法にある「在外邦人等の輸送」の定めが念頭にあったからだ。
2013年1月のアルジェリアの石油プラント襲撃により邦人10人が犠牲となった事件をふまえて改正された、次の条文である。

(在外邦人等の輸送)
第八十四条の四 防衛大臣は、外務大臣から外国における災害、騒乱その他の緊急事態に際して生命又は身体の保護を要する邦人の輸送の依頼があつた場合において、当該輸送において予想される危険及びこれを避けるための方策について外務大臣と協議し、当該輸送を安全に実施することができると認めるときは、当該邦人の輸送を行うことができる。この場合において、防衛大臣は、外務大臣から当該緊急事態に際して生命若しくは身体の保護を要する外国人として同乗させることを依頼された者、当該外国との連絡調整その他の当該輸送の実施に伴い必要となる措置をとらせるため当該輸送の職務に従事する自衛官に同行させる必要があると認められる者又は当該邦人若しくは当該外国人の家族その他の関係者で当該邦人若しくは当該外国人に早期に面会させ、若しくは同行させることが適当であると認められる者を同乗させることができる。



外務大臣からの要請が要件となっている。武器使用もありうる自衛隊の活動をきちんとコントロールするための、法的なシバリである。
これが有効に機能しているか、チェックを行うのは国会やジャーナリズムの役割であるはずだ。

ところが、自衛隊の派遣に関する外務大臣からの依頼や協議について、その有無を報じた記事が見あたらない。
こうした手続きはそのつどしつこく確認すべきことだ。自衛隊という「実力組織」をシビリアンコントロール下に置くために必要なことといってよい。
(災害時の自衛隊出動要請も自治体の要請を受けて、という手続きが必要であることも、同じ意味がある。)

◆いち早く大使館員(12名と伝えられている)だけがアラブ首長国連邦(UAE)のドバイに退避した、という話だが、JICAなどの邦人や現地スタッフで国外退避を希望する人たちの概数や待避手順など不明な点は多い。
なのに、自衛隊派遣方針が報じられて以降、「防衛省は〜」という主語で書かれた記事ばかりになっている。「外務大臣は」どう判断しているのか、協議や情報共有がなされているのか、”オペレーション遂行のための「機密」”などとごまかさない説明責任を政府に厳しく追及することが欠かせないはずだ。
たとえばタリバン暫定政権との交渉ルートは確保しているのか、米・英頼みの状態なのか。質すべき点はいくらでもある。
外務省、防衛省ほか関係組織に執拗に取材するのが国会やジャーナリストの務めだろう。

◆そうした観点からすれば、上記J-CASTのニュースの見出し、”野党は「説明不足」と指摘”、とノンビリしたものだ。
政府が説明しないのなら、「政府は説明を回避」と報じるべきで、野党にその役目を預けて済む話ではない。
国会は憲法を無視して閉会したままの異常事態の中、メディアは政府方針の変更について政府に説明を求め、市民に判断材料を示す責務がある。
自衛隊派遣がいつのまにか既定路線のように扱われ、国民もそれを容認、という雰囲気が作られていくのが最も危険だ。

◆8月24日のBSのTBS「報道1930」で、河野克俊・前統合幕僚長が民間機でなく自衛隊が現地に飛ぶことが国民に与える心理的効果を説いていた。自衛隊は頼れる存在というイメージを浸透させる戦略が念頭にあることを物語る。

空港内外の混乱が正確には伝わらず、不測の事態も想定すべき状況なのに、自衛隊活躍の好機、という発想が政府中枢を支配しているなら、危うい限りだ。

米軍撤退期限に近づくほど、混乱と生命の危険は高まる。
自衛隊派遣の主目的が、混乱に乗じて自衛隊の存在感を誇示するためではないことを願う。



夜9時ニュースの無内容な記者会見[2021年08月25日(Wed)]

◆今日も救急車が走り回っていた。
神奈川県内の新型コロナ感染者は2304人で再び2千人台に。藤沢市は106人。県内の亡くなった方は9人に及ぶ。うち2人(ともに70代の男性と女性)は藤沢の方だ。

◆緊急事態宣言発出する県の拡大その他、前日までに報じられた以上の内容はないのに、スカ首相の記者会見は夜9時のNHKニュースを占有して恥じることがない。
尾身会長という専門家の権威にもたれるやり方もこれまで通りで、その点でも恥じる風は見せない。
日に日に硬く生気の無い表情だけが不気味に膨らんできた印象。
言い淀み目を落とした口から煮詰まった不安がトロトロ溢れ出すのでは、と見える。


*******


じゃがいものそうだん   石原吉郎


じゃがいもがに二ひきで
かたまって
ああでもないこうでも
ないとかんがえたが
けっきょくひとまわり
でこぼこが大きくなっただけだった


現代詩文庫『続・石原吉郎詩集』(思潮社、1994年)より




生きる自由[2021年08月25日(Wed)]

◆在宅治療で奔走する医師によりいったん受け容れ病院が見つかったにもかかわらず、病態が悪すぎて搬送できない例、24日の【羽鳥慎一 モーニングショー】で放送していた。
これが今直面している現実だ。
パラリンピックなどやっている場合ではない。

https://www.youtube.com/watch?v=A0bHj7P_jk0


*******


橋があった話   石原吉郎


こういってもいいのだ
ここに橋があった と
橋があって
そこに岸があった と
岸があって
そこに水がながれたと
いいかたはそうで
ないかもしれぬ だが
ほんとうはこうなのだ
橋はしいられたのではない
はじめにあったのだ
そのはじめに
自由にあったのだ
それが橋なのだと


現代詩文庫『続・石原吉郎詩集』(思潮社、1994年)より


◆「橋」はいのちを救おうとする医師のことだと言ってもよい。
あるいは生きる自由を支えるもののことだと言い換えてもよい。

生きようと願う患者、生かしたいと手を尽くす医師。

橋を渡る自由を何が奪っているのか?
誰がその橋をはずし、破壊しているのか?

池田瑛子「音色」[2021年08月23日(Mon)]


DSCN0396.JPG
昼過ぎの山道を降りる途中、みごとな黒アゲハに会った。
そこからさらに四つほど折れて下ったところにもふたつみつ。
ふと、それ以上現れたらどうしようと心細くなったが、幸い林はもう終わりで、熱い空気が戻ってきた。


*******


音色   池田瑛子


詩人は
講演の終わりに
郷里の母をうたった詩を朗読し
何年ぶりかで家を訪ねたことにふれ
「そこに、あったのですよ」と
おもむろに
包まれていたものを白い布のなかから
慈しむように出して
マイクにむかって揺らした
黒い鉄製の風鈴だった

会場に流れた
澄んだ深い音色は
瀬戸内海に面した故郷
詩人の家の軒先で鳴っていた音
家族を見守ってきた音色

わたしの胸のなかに
月夜の生家の縁側が見え
遠い日の父とわたしが黙って
螢の舞う庭を見ている
風が思い出したように
風鈴を鳴らしてゆく
それぞれの寂しさを
響かせて


『星表の地図』(思潮社、2020年)より

◆ある音が、記憶をよみがえらせることもある。
ここでは風鈴の音色が、幼いころの情景を繰り広げてくれた。
家族、月明かりの庭の植え込みにやってきた螢、風の気配……。

おわり近く、「それぞれの寂しさ」とある。
反芻される思い出の情景に風鈴は鳴り、余韻に重ねるようにまた鳴る。
そのたびに「父」「わたし」の生きて来たあれこれが浮かび上がっては再び遠ざかる。
繰り返される風鈴の音色も、かすかな唸りや不協和をも響かせて。



池田瑛子「凌霄花」[2021年08月22日(Sun)]

ノウゼンカズラ DSCN2252.jpg
ノウゼンカズラ

***


凌霄花   池田瑛子


何年ぶりかで
山沿いの路を車で通った
大きな道路へ出る角に建っていたその家は
あとかたもなく 更地になっていた
秋になると凌霄花が窓をふさぎ
屋根まで赤い花が攀じのぼり
覆っていた

崖上からの夕陽をあびると
花々はソプラノの声で歌い出す
あの花と蔓にからまれた家
聞こえない歌声が立ちのぼっていた

『星表の地図』(思潮社、2020年)より


◆「凌霄花」(ノウゼンカズラ」の漢字表記のたたずまいがゆかしく、記憶にとどめていた詩。
詩にふさわしい花の写真が撮れれば、と思っていて、あちこちの生け垣などに咲いているものに何度か出会ったはずなのに、適当な一枚を得ないまま今年も過ぎてしまいそうだ。
明日のことは誰にも分からないパンデミックのこととて、この詩を眠らせて置くのももったいなく、間に合わせに以前撮った写真を添えてアップすることにした。

◆「凌霄花」。「霄」は〈そら〉のことだから、空をも「凌ぐ」ほど高い所まで蔓を伸ばす花、ということだろう。

◆かつてその家を毎年飾り立てていた凌霄花の記憶。
周囲の緑を従えた鮮やかなオレンジの花たちが、夕陽を受けるといっそう鮮やかに燃え立った。
そこに住んでいた娘たちの歌声が今も聞こえてきそうだ。



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