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白い本と子ども[2021年06月20日(Sun)]

◆図書館で。
借りたい本を手に、お母さんと子どもがカウンターにやってきた。
お母さんが三冊、カウンターに届かない背丈の子は二歳くらいだろうか、両手でしっかり握った白い表紙の本を一冊。
子どもが手にしていた本もお母さんが係の人に手渡した。

子どもは本を持っていた手を差し上げたまま、呆気にとられたように見上げている。
(戻って来なかったらどうしよう)という不安そうな表情がおかしかった。

夕餉を終え、その白い表紙の本を読んでもらうひとときが約束されていると思えるのは、そうした親子をたまたま見かけた赤の他人にとっても幸せなことに違いない。

***


一人  河野進

おさなごが
一人も
微笑まなければ
世界は暗黒である
おさなごが
一人でも
微笑めば
世界に希望がある



『ぞうきん』(幻冬舎、2013年)より




カッコ付き”悠々”[2021年06月19日(Sat)]

◆コロナワクチンの予約申し込み、藤沢市の大規模会場第一日目はあえなく敗退した。

Webと電話の両面作戦で臨んだのだが電話は通ぜず、Webも集中しているのかパソコンの不調か、先へスンナリ進めない。モタモタしている内にカレンダーに「×」表示が出た。満杯なら「満杯です」の表示ぐらい出す仕掛けにすべきだろう。

電話の方も、かけ直すたびに「混み合っています」と自動音声で告げるだけで不親切。
予定枠が埋まったら、「終了しました」と告げる仕組みにして置けば良い。不首尾に終わったことより、様子が分からない状態に留め置かれていることの方が人間は苛立つ。緊急事態宣言であれ蔓延防止措置であれ、効果の限界が露わになってきたのはそのためだ。

◆明日10時受け付けスタートの第2会場にもチャレンジはするつもりだが、さてどうなることか。

河野進『ぞうきん』に次のような詩があった。
君子らしくふるまう度量に欠けると自覚しつつ、せめてもの心遣りに。


悠々  河野進


川よ ひどく急いでいるな
後から追いたてるんだ
今日は ひどくゆっくりしているな
前がさっぱり動かないんだ
争って先きがけするより
途中もみんなと仲よく行きたい
どうせ海に落ちつくのだ
あくせくせずに 悠々と参ろう



『ぞうきん』(幻冬舎、2013年)より

「フェア」精神はとっくに捨てていた[2021年06月19日(Sat)]

◆五輪を開くことそのものを危ぶむ多くの声が専門家からも国民からも上がっている。
それを黙殺したまま、実施に踏み切るばかりか観客を、それも少なからぬ数の人々を競技場に入れて開こうとする。
何のため、誰のためか、説明すらできない。
マスコミも突っ込まない。
「五輪教」に酔い痴れたわけでもなかろうに、集団で大きなウソを見て見ぬフリをしている。黙っているのは悪事に荷担すること。
山口香JOC理事が「今回の五輪は危険でアンフェア(不公平)なものになる」と指摘したことも無視されたままだ。
IOCにしろ日本の組織委員会にしろフェアであることをかなぐり捨てた輩が最強、というわけである。

国内以上にワクチンが行き届かぬ多くの国・地域がある。代表選出の選考会を開けない国・地域orこれに参加できない選手たちがいる。フェアでない形で手にしたメダルを誰が誇ることができるだろうか。
推進派が捨てて顧みない多くの人々のことが目の前にちらつく。

***


おがむ   河野進


権力や金力の人は
みんな前からおがんで
すぐ忘れ
さっさと去って行く
親切や奉仕の人は
みんなの跡からおがんで
感謝しながら
いつまでもついて行く


河野進詩集『ぞうきん』(幻冬舎、2013年)


◆なるほど権力者は国民に協力や投票をお願いする時だけは頭を下げて見せる。
当選したら、支援者以外知ったことでないという態度。一部支援者や協力企業に上納分含めてしっかり稼がせたところでさっさと姿をくらます。後には草一つ生えぬ。

◆河野進(1904-1990)は牧師として岡山のハンセン病療養所での伝導に尽力した人という。
上掲詩の後半は感謝と信仰を忘れぬ、権力と金力とは無縁の人々のことを歌う。作者と良き人々の無償の愛は尊いものだ。
だがそれを利用するだけの人間が旗振りしている今、ついて行くのはそっちじゃないよ、と言いたい。



ミャンマー青年の決断[2021年06月17日(Thu)]

◆サッカー・ワールドカップ予選で来日し、5月28日の試合の国歌斉唱時に国軍への抗議を示す3本指を掲げたミャンマー選手、帰国すれば身の危険が予測されたが、チームメイトと共に帰国するギリギリまで悩みぬいた末、17日未明、関西空港で亡命の意志を表明した。
家族の住むミャンマーへの帰国を断念して、日本政府に難民申請を提出する決意を固めたのである。

混迷する祖国と家族・仲間たちの未来を案じつつ苦渋の決断をした同選手に応えて、保護とすみやかな申請受理を進める責務が日本政府にはある。

◆きたる6月20日は「世界難民の日」(World Refugee Day)だ。

*これを報じた記事の中に「帰国を拒否」としたものがあるが、この表現は違うと思う。
このミャンマー選手の取った行動は「政治的な亡命」である。彼の行動に非があると決めつけるような表現は撤回すべきと思う。



ワクチン接種券は届いたけれど……[2021年06月16日(Wed)]

ワクチン接種券は届いた。なのに、かかりつけ医での接種方式からスタートした藤沢市、自分の場合、だいぶ以前に受診したところを含めて複数のクリニックに当たったが、どこもすでに満杯である。二カ月先になる見通しです、との返事で諦めかけている。

ワクチンの配分が限られているのだろう。

◆その反対に、自衛隊が行う東京の大規模接種会場などは予約低調。それはそうだ。当初の都内限定というシバリを緩めても、遠距離わざわざ足を運ぶ高齢者は限られている。そこで自衛隊員に接種対象を広げたという。
オイオイ。
このままでは大規模会場用に確保したワクチンが持ち腐れとなると見て軌道修正したのだろうけれど、見込み違いの計画ではロジスティックス(兵站:へいたん)のプロ組織として失格だ。
本来は余剰となった分を、当市のような足りないところに速やかに回すのが先だろう。

◆明日から藤沢市では市内数カ所での集団接種会場の予約が順次始まる。ただし初回は48人限定。多い会場でも192名分のみ、全6会場で合計912名の狭き門だ。想像だが、配布数が見通せない中、どうにか確保できた分がたったそれだけ、というわけだろう。40万の市民を擁する中都市でこの状態では心もとないどころの話ではない。

TVでは職域接種など話題だが、速やかに進捗中との印象を振りまいているだけで、スムーズに行き渡るのか。
年齢枠も下げていくという話。取り残されてはなるまじ、と情報不足のまま疑心暗鬼の黒雲が人々の間に広がってゆく。

そのどさくさにボッタクリ五輪貴族が来日し、国内の火事場泥棒も荒稼ぎに走り回る五輪狂躁が始まる……のか?

◆それだけではない。どさくさに紛れて私権制限のおそれ満載の「土地規制法」が成立した。
参院本会議にかけたのは今日16日の未明である。TVはそれを中継したのか?

アイマイな部分は「閣議決定」や「政令」に委ねるという白紙委任同然の立法で、独裁者の軍靴がまた一段、ハシゴを降りて闇の底へと向かう。






「見る」という「事件」[2021年06月15日(Tue)]


「見る」という「事件」

◆3年ほど前に取りあげた美術家・李禹煥(リ・ウファン)の詩集を再読していたら、「見る」という行為をめぐって書かれた詩篇が多いことに気づいた。
作品を生み出す仕事の人であるから、思索をもっぱらとする人のような観照的な視線の働かせ方ではなく、「見る」という行為は極めて能動的である。たとえば次のように――


眼差  李禹煥(リ・ウファン)


ある時 私が石を見ていると 眼差は石の向こう側
まで突き進み 同時に石の眼差もまた 私の背後ま
で突き進むのが分かった やがて二つの眼差が共に
振り向いたとき そこには私も石も居ず 透明な空
間のみが広がっていた



◆「見る」ことが、ここでは手や体全体で対象に力を加えるような働きかけであることが分かる。
加えた力に対して石の方にも応力が生まれる。
従って石の方も「眼差」をもって「私」を見ていることになる。

留意すべきは、眼差は対象の「向こうにまで突き進」むことだ。
「眼光紙背に徹す」というが、ここでは映像を見るのとは違う眼の働きがある。
存在する「もの」の形だけでない、場との関係、場に与え、場から受ける力、それらがはらむ時間までも見ようとしている。
こちらがそのように「見る」以上、石の方もこちらを見ているのは自然なことだ。

◆次のような詩もある。「石」だけではない。樹や大地もまた「私」と「見る=見られる」関係にある。



出来事  李禹煥


そこの石や樹が光を浴びて
名状しがたい出来事にみえたとき
光のなかで僕もすでに
事件に巻き込まれていた


もはや僕は僕ともいえず
対象を見た者ではなく
その場に構成されていた
共犯関係の現実に
拒否の言葉さえ失い
距離の力学を生きていた


石と樹と大地と光と僕と
何も起っていない出来事で
すべてあるがまま
名状しがたい空間が開いていた



◆「何も起っていない出来事」とは矛盾した形容に見えるが、それは「名状しがたい出来事」であるその「事件」を、他の誰かに伝えるにはどう表現するか、模索が始まったからだろう。

他人にとっては「何も起っていない」としか見えない。それを巻き込んで、「見る」という能動的な行為を作用し合う関係の中に入るよう働きかけること、それが表現ということになる。


『立ちどまって』(書肆山田、2001年)より


【参考:過去の記事から】

李禹煥の詩[2018年5月25日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/866

鎌倉近代美術館 その1[2016年1月25日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/244



やなせたかし「ぼくの道」[2021年06月14日(Mon)]

◆ぬるくても冷たくともよい、とにかく水を一杯、という気分の時がある。
今日の一篇にはどれを、と迷った時も同じで、シンプルなものでのどを潤したくなる。

◆先日開いたやなせたかしの本に著者自身の詩があった。
本のしめくくりとして犀星の詩とともに並んでいる。
どちらもおしつけがましさが全くないので気持ちが良い。
ふたつそのまま並べて置く。

***

ぼくの道   やなせたかし


荒れた砂丘を歩く
道は遠い
道に迷ったのかもしれない
不安をおさえてシャニムニ歩く
鉛筆の林
ケシゴムの丘
ペン先の森

日はくれかかって空はまっくら
それでもふしぎに心は楽しい
この道が好きだから
   ぼくは歩いている
他になんにも方法がない
一足とびにあそこへいけない




ふるさと  室生犀星

雪あたたかくとけにけり
しとしとしとと融(と)けゆけり
ひとりつつしみふかく
やはらかく
木の芽に息をふきかけり
もえよ
木の芽のうすみどり
もえよ木の芽のうすみどり



やなせたかし『だれでも詩人になれる本』(かまくら春秋社、2009年)より



許炯萬(ホ・ヒョンマン)「現代の駱駝」[2021年06月13日(Sun)]


           ホ・ヒョンマン
現代の駱駝  許炯萬
                 吉川凪=訳


慌ただしげに風が吹き 砂を舞挙げるつむじ風が柱になって昇り その日から駱駝たちが 一頭二頭と 蜃気楼のようにゆらゆら揺れる火花を避けて 駱駝たちが 街路樹の木蔭を求めて集まりはじめ ある者たちは 新聞紙をかぶって地下鉄の駅に横たわり ふいに胸がじんとしてくる終点まで乗って行った 戻って来て再び横たわり ある者たちはソウル駅の狭い椅子にもたれてオアシスの夢を見 ふと夢から覚めると あてのない希望だとは思いつつ 汽笛の音に家族を乗せ 故郷の山河に見送り

雨の降る日 塀に向かって一列にしゃがんだ駱駝たち 配られたばかりの食事で飢えをしのいでいた このとき背中の瘤が曲線を描き 長い稜線を成していた その稜線の上に降り注ぐ雨よ 渓谷に沿って流れ流れて ついには乾ききった現代の砂漠を じっとりと湿らせなければならないだろう 枯れた草も起こし木も育て こどもたちの瞳にも青々とした生気を取り戻さねばならないだろう

 
『許炯萬詩選集 耳を葬る』(クオン、2014年)より


◆荒涼とした街に疲れた身を横たえる者たちは、いわば現代の砂漠に呻吟する駱駝にほかならない。1年延期された大運動会のために公園や駅の片隅からも追い出され、身を横たえることが出来ないように仕切りの付いたベンチにもたれながらも、楽園の夢を束の間見る。

◆だが、彼らは若い命を育むよう運命づけられた駱駝たちである。
飢えと渇きに久しく耐えながら、大地を潤す者たちである。

ひとりでは成し難いミッションを、つながることで果たそうとする。
彼らをつなぐのは希望という名のジョイントだ。




許炯萬「耳を葬る」[2021年06月12日(Sat)]


◆許炯萬(ホ・ヒョンマン)『耳を葬る』の標題詩を――

         ホ・ヒョンマン
耳を葬る  許炯萬


見てはならないものを見ずに暮らそうと思った
言ってはならないことを言わずに暮らそうと思った
見て語ることはすべて耳に通じるから
聞いてはならないことも聞かずに暮らそうと思った
だが洞穴で壁に向かって座禅でもしない限り 致し方ないではないか
とうとう聞いてはならない声を聞いてしまったから
許由(きょゆう)のように耳を洗うぐらいでは済まされない
すっぱり耳を切り落とすしか そうして切った耳を拭き清め
松籟(しょうらい)清らかな 日当たりの良い場所に葬るべく
九十二の老母が住む智異山(チリサン)へ向かう

  

【許由】…中国古代の伝説に登場する高潔な隠者。堯帝が高い地位を与えようと言ったとき、許由は汚らわしいと言って川で自分の耳を洗ったとされる。*原註

*〈智異山〉…韓国南部の小白山脈の南端に位置する山々の総称。
山岳信仰の聖地であると同時に、古来さまざまな歴史的事件における抵抗の舞台ともなった。

★吉川凪・訳『許炯萬詩選集 耳を葬る』(クオン、2014年)より。
〈新しい韓国の文学シリーズ〉の一冊である。


◆こうした作品を読むと、日韓のみならず東アジアの歴史や地政学上の課題を解きほぐす最良の鍵は共有する文化だという思いを強くする。
日本の高校生が来年から学ぶ国語や社会が、それらの果実をすっかり海の藻屑として片付けようとしているのは奇観を通り越して悲劇としか言いようがない。

日差しのかけらをついばむ雀[2021年06月11日(Fri)]

            ホ・ヒョンマン
まぶしい日   許炯萬


雀が一羽

日差しのかけらをついばむ

はあ まぶしい日



吉川凪・訳『許炯萬詩選集 耳を葬る』(クオン、2014年)より

◆「日差しのかけらをついばむ」という表現が強く深い。

明日よりは、雀を見かけるたび、この一行を思い出し、食事する小鳥が恩寵に包まれて輝いていると思うに違いない。




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