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鮎川信夫「往路」[2021年03月21日(Sun)]

DSCN4827.JPG
相棒との散歩に出れば、すぐ足もとにスミレたち。
相棒は目もくれないが。

*******



往路   鮎川信夫


夜明けの空の
透きとおる水晶体から
ひとつの星が輝き出し
非望の命は誕生する

折れてすぐに芽をのばす
人間の若木たち
朝な夕な 地面の下で
根を踏みならす音が聞える

美しい命の音とともに
これからの会釈は始まり
第一章の春の甘くかおる頁は
新鮮にめくられていく
        (一九八一年六月)


『続続・鮎川信夫詩集』(思潮社現代詩文庫、1998年)より


◆二十歳で作ったと言っても納得しそうなほどみずみずしい言葉たちだ。
1981年とあるのが制作年であるなら、還暦を過ぎての作品。
「非望の命」という表現に若くして逝った友らへの眼差しをうかがわせるが、来し方をふりかえる気分よりは、彼らの負託を受けとめるゆえに、第二の青春を生き始めた高揚感をもって目も耳も前方を向いている。


 
旅立ち=「時」を脱ぎ去る[2021年03月19日(Fri)]

DSCN4836.JPG

◆地元の小学校では卒業式。
運動会、修学旅行、音楽会などの行事、むろん授業そのものもコロナ禍で様変わりしたこの1年余り。それでも花は旅立ちを祝福するように彩りを添えた。

***


生長    吉野弘


窮屈になった去年を 子供が脱ぐと
その裸にピッタリの今年を
いそいで誂(あつら)えるのが 母親だった。
とかく 母親は
子供の「今」にピッタリの着物を誂えるので
よそ目には
まるで
生長を現在のままに
押しとどめようとでもしているようだった。
それでも 子供は
母親の両腕の間をかいくぐるので
古い「時」を脱いだ小さな裸を
母親は年ごとに追いかけまわしていた。
新しい「今」を着せようと
鬼ごっこみたいに。

子供が大人になって
鬼ごっこは おのずと止(や)
子供は自分自身を脱ぐ苦しみを知りそめ
新しい自我のようなものを
やさしい母親に求めなくなった。
そして 母親は
ある日 快活に納得するだろう
私は子供の脱ぎ去った「時」のカラなのだと。



*小池昌代・編『吉野弘詩集』(岩波文庫、2019年)より





かたをつけたがる[2021年03月19日(Fri)]

DSCN4816.JPG
ツバキにユキヤナギ。
土から噴きあがったみたいに豪奢だ。

***


なにもそうかたを……   高橋元吉


なにもそうかたをつけたがらなくてもいいではないか
なにか得態(えたい)の知れないものがあり
なんということなしにひとりでにそうなってしまう
 というのでいいではないか
咲いたら花だった 吹いたら風だった
それでいいではないか


田中和雄・編『ポケット詩集 V』(童話屋、2004年)より


◆自ずからそうなるものの方が地上には多いのかも知れない。
人間は、自分の力で「なした」ことなど大したことないと知るまでにずいぶん時間が必要な生きものらしい。



ミツマタの花[2021年03月18日(Thu)]

DSCN0242.JPG

ミツマタの花。
葉がない状態でポンポンとはじけて咲いたような黄色い花が珍しい。
枝はなるほど三つに分かれている。
(横浜市瀬谷区で)

DSCN0246.JPG

***

◆従兄の遺品片付けに片道20kmを往復する日々もようやく最終日。
3ヶ月要したことになる。
最も量の多い仕事関係の記録や論文も専門の方に引き取ってもらえる可能性が開けた。

学生時代の専門は物理だったが、仕事上、化学の勉強も重ねたことが購読誌からも伺え、シャンプーなど自作していたと大家さんから聞いていた通り、何種類かの薬品類が遺されていた。一般ゴミとして出すわけにはいかず、製造元数社に処分方法を問い合わせたらそれぞれ丁寧な回答を頂戴し、アドバイスに従って、市の環境循環課で処理のルートに乗せてもらえることになり安堵した。

レトロなものもいくつかあった。管球式ラジオがその筆頭だろう。

理科の実験で使う両皿天秤2台と分銅セットが4セットあった。捨てるに忍びない。
今年スタートした小学校の学習指導要領でも3年生に「物の重さ」の単元があり、「てんびん」の名前が載っていることを確かめて、地元の小学校に電話してみたら、現在はデジタルの計量器を使うので、残念ながら天秤の出番はないとの回答。やんぬるかな。

◆目に触れる品々、私信、学生時代の教科書を含む蔵書、趣味の囲碁関連の本や碁盤、数組あった碁石……どれも77年の生涯を語りかけてくるものばかりだった。

従兄自身、整理に着手して帰郷する考えもなかったわけではないのだが、その矢先に大病を患い、買い物すること、食べることの一つ一つを自力でこなすことで手一杯であった。

◆片付けに通うこと、この3ヶ月で通算40回に及んだ。距離にして1600km。故郷まで往復した距離になる。
仮に再会した数年前から荷物の整理を手伝っていたら月1〜2回ほどのペースで済んだ計算だ。もし片付けが進んでいたなら、少なくとも一度くらいは帰省の機会を作ってやれたかも知れない、と思うことしばしばである。


コロナ変異株で2名が死亡[2021年03月16日(Tue)]

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ブロッコリーの花ひらく
ウグイスの初音が聞こえた。

*****


◆今日、神奈川で新型コロナの変異株による死者が2名出た。

【神奈川新聞】
変異株で死者 県「国内初」、2人が死後に感染判明
https://www.kanaloco.jp/news/social/article-432940.html

【東京新聞】
全国初、変異ウイルスの感染者2人が死亡 70代と50代男性 神奈川県
https://www.tokyo-np.co.jp/article/91884



田口犬男「一杯の水」[2021年03月15日(Mon)]


一杯の水  田口犬男


大海から
一杯の水を掬(すく)っても
それはもう海ではない
それはただの水だ

だがそれを海に帰すと
水は再び海になる

真実(ほんとう)は誰もが海なのだ
だが私たちは
「一杯の水」になっていないだろうか


『ハイドンな朝』(ナナロク社、2021年)より

◆「大海」と「水」の関係は、前々回の「円」と「弧」の関係に重なるように思える。


田口犬男「ラファエロの聖母」[2021年03月14日(Sun)]

DSCN4786.JPG
コブシがはや花盛りを過ぎていた。

***

田口犬男の詩集『ハイドンな朝』全体に一貫しているのは、「円」の完全性への希求と信頼、そして「円」の一部を成しながら「弧」としてあるほかない区区の存在たちへのまなざしだ。


ラファエロ讃、とりわけその「聖母子像」(円の中に聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネが描かれた「小椅子の聖母」)への讃仰をうたった連作詩群〈『小椅子の聖母』のために〉もそこから生まれる。
そのTを引く。


〈『小椅子の聖母』のために〉より

 T ラファエロの聖母  田口犬男

ラファエロの聖母が
円の中から挨拶している
神も愛も宇宙も
すべては円
そのことを早く悟りなさいと
言うように

私たちは皆
円の外に生まれ落ちる
(円の中に生まれる者はいない)
私たちの生のすべては
円の中へ入るためにある



★ラファエロ「小椅子の聖母」の画像は下などから
http://www.artmuseum.jpn.org/mu_koisunoseibo.html


円と弧[2021年03月13日(Sat)]

DSCN4793.JPG
小さな生きものの簡潔で完全なこと。

*****


弧のために   田口犬男


円に中心があるように
弧にも中心がある
どんなに遠く離れていても
中心が弧を見放すことはない

それは悠然と待っている
弧が成長して
完璧な円になることを

これこそ自分の姿であると
弧がゆっくりと
真実を思い出すことを


『ハイドンな朝』(ナナロク社、2021年)より

◆コンパスでさっと描いた弧でも、手書きでスッと描いた弧でも、よしんば書き方えんぴつで止まった跡をたくさん残しながら描き進めたいびつな弧でも、中心がいつも見守っていると思えば、信じることを見失わずに生きられるのではないか。



田口犬男「積み藁」:モネ[2021年03月12日(Fri)]

ヴァトー「シテール島への船出」からの連想だろうか、田口犬男の詩集『ハイドンな朝』では〈印象派展〉と題する連作があり、その最初は「シテール島への船出」をこよなく愛したというモネである。

詩は「大聖堂」「積み藁」と題されていて、ともにモネの連作を詩のモチーフにしている。
「大聖堂」は「ルーアンの大聖堂」を描いたもので、「積み藁」もおびただしい数を描いた。



積み藁  田口犬男


すべての戦車が
明日 積み藁になればいい
遙かに沈む夕日を浴びて
それが薔薇色に染まれればいい

私たちの時代のマネが
連作を描けばいい

私たちの時代のモネが
連作を描けばいい
「積み藁になった戦車」と題して

刻一刻と変わりゆく
薔薇のあわいを描いてくれれば
それでいい


 田口犬男『ハイドンな朝』(ナナロク社、2021年)より


◆「すべての戦車が 積み藁になればいい」とは、ずいぶん突飛な着想に思える。
だが、ずんぐりした積み藁の形から戦車を連想するのは、モネ(1840-1926)の生きた時代を考えれば根拠のないことではない。
「睡蓮」連作に没入して行ったのは第一次世界大戦、すなわち戦車が新たな兵器として登場した時代であった。

「大聖堂」の詩には〈この世界が/正真正銘の夢ならば/力の限り/美しい夢と化すがいい〉という詩句がある。世情に背を向けて絵を追求したように見えるモネと戦争の影、詩人の想像はそこに向けられているようだ。

詩は、ルノアールやドガ、そしてまたモネと、絵が放射する光の世界を逍遙してゆく。


***

◆モネ「ルーアンの大聖堂」「積み藁」の画像は下記ポーラ美術館のサイトなどから

★「ルーアンの大聖堂」
https://www.polamuseum.or.jp/collection/006-0510/

★「積み藁」
https://www.polamuseum.or.jp/collection/006-0207/


田口犬男「ハイドンな朝」(前篇)[2021年03月11日(Thu)]

DSCN4789.JPG
いつの間にかツクシが顔をのぞかせていた。

*******


ハイドンな朝  田口犬男


ハイドンはいつだって御機嫌だ
スプーンに映された嘘を歪めて真実に変え
沸き立つコーヒーには
シテール島を浮かべて澄ましている
向かい風を追い風に引き合わせ
綿毛に宿る光で魂をくすぐり
ふり返ると――
すでに跡形もなく消え失せている


  田口犬男詩集『ハイドンな朝』(ナナロク社、2021年)より

◆詩集の題名になっている詩は2編あり、向い合ったページに対をなして載っている。
ここに引いたのは14ページ、すなわち右ページにある最初の一篇。

ハイドンと言えば100曲余りの交響曲やオラトリオもあるが、朝に鳴っているのならやはりカルテットではないだろうか。
その第41番(ト長調)には「御機嫌いかが」というニックネームもついていることだし。

◆さて、「ハイドンな朝」の名を持つ2篇の詩に共通して登場するのはコーヒーとスプーンだ。
とりわけスプーンの働きは大事で、この前篇では「嘘を歪めて真実に変え」てしまう・
あの小さな球面は不思議な世界への入り口で、くらくらするような虚実ないまぜの愛の物語をそこに垣間見させる。

コーヒーに浮かんだシテール島とは、ロココ時代の画家・ヴァトーの「シテール島への船出をイメージしているのだろうか。

一つの微小なモチーフから次々に変奏を紡ぐ詩の生み出し方だ。



「シテール島への船出」の画像は下などから御覧下さい。
http://art.pro.tok2.com/W/Watteau/z001.htm




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