CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2021年02月 | Main | 2021年04月 »
<< 2021年03月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
花の下の死闘[2021年03月30日(Tue)]

◆境川の土手も桜は満開。チラホラ散る花びらが川面に浮かぶ。
横浜側から境川に注ぐ宇田川の桜はこの辺りでも見応えのある場所だ。

DSCN4861.JPG

朝の散歩者は年配者が多いが、男女の別なくスマホ片手にしばし立ち止まって撮影中の人が多い。
自撮りというのか、手を伸ばしてアングルを決めるべく画面に見入る若い人もいる。

◆人間たちの風雅と対照的に、必死の格闘を繰り広げるものたちもいた。
常ならば水中に姿を没して魚を捕らえ、長い潜水と束の間の浮上を繰り返すカワウが、水に顔を着け体を水に浮かべたまま下流に流されていく。

DSCN4855.JPG

DSCN4845.JPG

時々上げる顔に目をこらすと、獲物を咥えているようだ。朝飯にありついたのなら、さっさと呑み込めば良いのに、と思いながら近づいてみた。


すると、何ということだろう!

DSCN4852.JPG

咥えていたのは、6~70センチあるのではと思えるウナギ。
尻尾が見えてあと20センチ足らずで呑みおおせるところまで行きながら、戻してしまうようだ。
それを何度も繰り返していた。

そうこうしているうちに散歩同道の我が相棒が用足しをする。その始末をしている間にもウとウナギとは数十メートル流れ下る。



下流でこの格闘に気づいた男性がスマホを出してこの格闘を撮ろうとしていたが、ウナギの姿はもう見えない。
「呑み込みましたか?」と訊くと、「いや……」という返事。

ウナギに脱出する余力があったのか、呑みきれないと諦めたウが吐き出したのか、どちらとも分からない。
ウナギの姿は見あたらなかった。


ウの方は上流に向けて移動を始めた。
ふつうなら飛んで100mほど上流に戻る習性であるのに、さすがに精も根も尽きたのか、羽ばたくことはせず、このあと水中に姿を潜らせた。

DSCN4856.JPG


目撃した顚末に一部欠損があるが、相棒のせいにしても仕方がない。
満開の桜をよそに、「ウ」と「ウナギ」で何か駄洒落をヒネるのもはばかられるような死闘であったことは間違いない。




沢田敏子「椅子 ――その隣にある」[2021年03月30日(Tue)]

DSCN4840.JPG

***


椅子 ――――その隣にある  沢田敏子


少女の 隣の椅子が空いているのは
ひとつの問いのためである
待ち続け待ち続け 少女の
影はいつかおばあさん(ハルモニ)のかたちになっていた
おばあさんの影を背に
少女は まだおさなさの残るすがたで待つ
待つこと――それが強いられた宿命だから
アルミ貨幣三枚半ほどの軽さの
ハチドリみたいな
小鳥がきて肩にとまった
いつか少女の魂魄が小鳥になるときのために
おさないものの握りしめた拳ほどつよいものはない
辱めと貶めの
受苦の日の風が少女の額を撫でていく
(ハン)の時間がちいさなつむじかぜをおこす。

〈「お坐り」
 そこにひとつの席がある*
と書きしるした詩人ならどうしただろう
少女の横に 置かれた一脚の椅子
〈「お坐り」
 そこにひとつの席がある〉
スニーカーの女子学生がきて 隣に坐った
少女の顔を拳で 覗き込む 彼女の
黒髪が少し揺れて
触れてみる じぶんの手を 少女に。
しばらくのちに
少女の隣の椅子の前には愁い顔の老人がきて
立ち止まったのち 坐らなかった
だからといって 誰かが責めるわけではない
あの 皺深いおじいさん(ハラボジ)の兄弟を。

裸足で辛苦の道のりを歩いてきた
少女の踵(かかと)の泥土はすでに
ひとびとに拭き清められていたが
擦れた皮膚が癒されるまでの
道のりはさらにながく
ふたつの踵は祖国の地面に
まだ
着地できない
その隣に
象徴の椅子が一脚
腰を深く折ったままにわたしを誘う。



黒田三郎「そこにひとつの席が」(詩集『ひとりの女に』所収)より。
「平和の少女像」の制作者で彫刻家、キム・ソギュン、キム・ウンソン夫妻は作品の細部に宿らせた多くの意味を語るとともに、「彫刻は美術のなかで言えば詩のようなものなのです」と言った。

 ※(二つの*は原註)

沢田敏子『一通の配達不能郵便(デッド・レター)がわたしを呼んだ』(編集工房ノア、2020年)より


◆世界各地に置かれた「平和の少女像」(平和の碑)は昨年のあいちトリエンナーレの〈表現の不自由展・その後〉にも出展され、同展の一時停止、主催者である愛知県知事へのリコール運動とそのための違法な署名運動にまで及んで議論を呼んだ。

まさに像全体が見る者に問いを発し続けているとも言えるが、さて、像をじかに見て発言した人が果たしてどれだけいるだろう?
像の存在に抗議する人のほとんどは慰安婦問題に結びつけていた。
しかし、それは極めて狭い固着した見方というもので、縄でわが身を縛り付けているにひとしく、「自由な表現」から最も遠い。

◆像の問いかけに応えるために詩人は像の前に身を置いた。
「ふたつの踵は祖国の地面に/まだ/着地できない」とは、その時の「発見」がもたらした表現だ。





沢田敏子「花をこぼして」[2021年03月28日(Sun)]


花をこぼして   沢田敏子


老いたひととの別れがいよいよ近づいたとき
わたしには佇むほか なにもできなかったが
そのような日に、絵筆をとって
描かれたという おんな画家の絵の中で
満開を終えた桜が 空にも道にも
花をこぼし続けていた。

樹は花をこぼしていた
影の上にも 陽の下にも。
わたしには このようによるひるのおもいを
傍らに置くほか なにもできなかったが。

老いたひとに 訪れた病は
すでにこの家系には若い人にも前例があった
花が いよいよあすかあさってころか
と 満開のときを若いひとは
おもいねがっただろうか
待たれる日々は また
にくらしい死神への一歩ずつであることを
花を観るひとならきっとうべなうだろう

おもうに 満開は儚い間のことにあらず。
死へのプログラムに埋め込まれた刻(とき)
金泥の背景に微かな樹影を落とし
花をこぼして停止しているかのようだ
それほどにながい〈満開〉を経て
ふと気づいた 残影が
道々に 花をこぼしているだけで
花は とっくに截然と。

*堀文子・画「花吹雪」

沢田敏子『一通の配達不能郵便(デッド・レター)がわたしを呼んだ』(編集工房ノア、2020年)より


◆親しい者との永い別れに臨む日々、せめて想像の中だけでも華やぎを添えてやりたいと願う。
何をどうしたらそれが叶うかは分からないにせよ。

一方で、花盛りの先には死が待ち受けている。

詩の結びは「截然と。」によって不意に裁ち截(き)られる。
鋭い笛の音が空間を切り裂いて、目の前にあったはずのものがことごとく消え失せ、闇に放り出されたかのように。

満開の桜の絵の夢幻がこの一篇を生んだようだ。

第一連に示唆する女流画家は堀文子のことだろう、と見当をつけて読みすすめたら、はたして詩に添えた注に、堀の代表作の一つ「花吹雪」、と記してあった。

★堀文子「花吹雪」(1978年)の画像は下記のサイトなどに載っている。
http://www.meito.hayatele.co.jp/exhibition/2017/1704.html

福冨健二「一本の草は思った」[2021年03月27日(Sat)]

◆陽射しに恵まれ、桜の開花が進んだ。
菜の花、ハナモモ、ハクモクレンなども一気に姿を現した土曜日。

***


一本の草は思った   福冨健二


ずっと ずっと 昔
大きい樹の下で一本の草は思った
(思ったに違いない)
樹齢三百年の楠の木にはなれない
樹齢百年の桜にも 五十年の楓にも
名前も知らない小さな木にも なれない
木になる種子がひとつもないのだから
十本集まっても 百本集まっても
千本集まっても 木にはなれない
だから 草は思ったに違いない
(思ったと思う)
大空には近づけないから大地と仲良くなろう
一万本 十万本集まれば
百万本 千万本集まれば
大地は心を開いてぼくらを受け入れてくれる
遠い 遠い 未来の ある日
ぼくらは草原という名で呼ばれ歓迎されているだろう
どこまでも大地のある限りどこまでも広がっていこう
世界の草原でたくさんの人が輪になり弁当を開く
遊戯をする 球技をする 合唱をする
愛や友情 夢や希望について 語り合う
傷の癒し 心の再生を求める人も きっとあらわれる
草の衣にくるまり 草の温もりに身をゆだねて
大地と仲良くなり どこまでも広がっていく
一本の草の思い 思いを受け継ぐ
長い 長い 草の営み
草の望みが はじめて実を結ぶ
ずっと ずっと 昔
大きい木の下で一本の草は思った
(思ったに違いない)

緑きらめく五月の草原にあふれている
草の思い



福冨健二『詩集 一本の草は思った』 (土曜美術社出版販売、2020年)より。


◆詩集標題の作品として巻頭に掲げられている。

最終連にある通り5月の詩だけれど、風と光が外へと誘うときなら何月だって構うまい。
花たちに目を細めるだけでなく、少し立ち止まり、花々の盛り立て役に徹している草たちにも、一瞥といわず、しばし目を留めていたいものと思う。

熱を帯びて地から立ち昇る草たちが風にそよぐ。その熱と程よく混じり合った風は、そこに立つ我々の頰をなで髪を揺らして野を渡ってゆく。


佐川亜紀「夜が葉をむしるとき」[2021年03月26日(Fri)]

◆学術会議任命拒否問題について詩人の立場から抗議を表明した佐川亜紀「6名は あなたであり わたしなのです」は、佐川自身の次の詩で締めくくられている。

***


夜が葉をむしるとき  佐川亜紀


夜が葉たちを揺すった
とつぜん 彼らは葉をむしる
その6枚の葉が選ばれた理由は隠された

その葉たちは
地の歴史を吸い上げ
自らの葉脈の繊細な思考を通して
陽と闇をさぐり
森を豊かな樹々で満たすために茂った

たった6枚なくなっても
森は無関心だった
あれらに日当たりがよく
あれらは目立ちすぎ
あれらは少し変わった形

それから さらに彼らは
とつぜん もっと葉をむしった
森はおののいた
自分たちはむしられまいと
葉はやさしい風に応えることもやめた
幹にぴったり寄り添った

彼らは気まぐれに
なびく葉に
少し光を与えた

彼らはさらに葉をむしった
下の方も 高い方も
青い葉も 赤い葉も
葉にならない芽もむしり取った

そのとき幹は鋼の武器のように細くとがった
葉はそのとがった幹に
びっしり虫のようにしがみついた
だが 幹はもうどんな葉も茂らせなかった

幹のなかは空洞だった
その幹はカラッポだった
下に枯れた葉が降り積もっていた

彼らは 私たちだった
カラカラになった葉も 私たちだった



人文社会系学協会連合連絡会・編
『私たちは学術会議の任命拒否問題に抗議する』
(論創社、2021年2月)所収の佐川亜紀「6名は あなたであり わたしなのです」より

◆葉をむしる権力者の手は、なびく葉に金の光を振りまきながら、なお樹を枯らそうとしている。息苦しいのは空気が乏しくなったからだろう。



石川逸子「6名」[2021年03月25日(Thu)]

学術会議任命拒否問題に抗議する石川逸子「6名」

◆3月13日の朝日新聞の書評、本田由紀氏が学術会議任命拒否問題2著を取りあげた。
そのうちの一冊に石川逸子氏の詩が収録されているというので手に取ってみた。
『私たちは学術会議の任命拒否問題に抗議する』(論創社、2021年2月)、詩人佐川亜紀氏が「6名は あなたであり わたしなのです」という一文において紹介していた。


6名  石川逸子


日本学術会議が推した新会員中 6名を
任命拒否し 抗議も無視する 菅首相

6名とも 最近の国の政策に異議を唱えたひとたちです
かつて戦争協力したことへの反省から
誕生した学術会議
任命拒否は
その昔に戻すぞ との
わたしたち人民への明らかな果たし状ではありませんか

特定秘密保護法 
安全保障関連法
名護市辺野古の米軍基地建設
「共謀罪」を含む改正組織処罰法
これらに反対する学者の呼びかけ人
あるいは賛同人になった学者
抗議の声明を発した学者
国会の参考人質疑で批判した学者

政府の意のままに 学術会議を従わせ
アメリカの忠実な僕となって
軍事研究を行わせたいために
従わないものは 冷酷にバッサリ斬る

かたや 携帯の値下げ 不妊治療への賛助
若者たち 女性たち へ 媚びを売れば
支持率は上がる 何ほどのこともないわ と
高をくくられるほど
わたしたちは 愚かで無力だと思われているのでは?

6名は きっと あなたであり
わたしなのです
わたしたちの首を絞める 手が
すぐそこまで スウッと伸びてきています


◆「任命拒否は/わたしたち人民への…果たし状」という言葉が本質を衝いていてドキリとする。
「6名は あなたであり わたしなのです」という詩句とともに、私たちの背中を押すことばたちだ。


大石又七さんのメッセージ[2021年03月24日(Wed)]

◆第五福竜丸の大石又七さん逝去を悼む声が各方面から上がっている。
2つだけ紹介したい。

(1)澤藤統一郎『憲法日記』3月22日記事
《大石又七さんありがとうございました。》
http://article9.jp/wordpress/?p=16471

◆大石さんの著書『ビキニ事件の真実 : いのちの岐路で』(みすず書房 2003年)の一節が紹介されている。
周囲の偏見や中傷にさらされて船員たちが押し黙り、被爆者であることを隠していった姿はヒロシマ・ナガサキ、さらにはフクシマでも繰り返されて今に至る問題であることを突きつける。その無念を乗り越えて声を上げ、伝え続けた勇気に頭が下がる。

◆第五福竜丸は現在、都立の第五福竜丸展示館として江東区夢の島に展示されているが、船を前にした大石さんの証言は500回を超えて続けられて来たという。
以下の同館ホームページに大石さんに寄せるメッセージがアップされている。
http://d5f.org/


***


(2)たんぽぽ舎から3月23日に届いたメールマガジンに、2011年秋、記者会見における大石さんの発言が再掲されている。

2011年11月15日、日本外国特派員協会、「ノーモア・ヒバクシャ・ノーモア・原発」記者会見で語った大石さんのことば(骨子)である。
(たんぽぽ舎メルマガ【TMM:No4156】(【No1255】から再掲)◆地震と原発事故情報 その240より)

57年前に起きたビキニ事件こそ福島原発大事故の「原点」
ビキニ事件を賠償もせず――その見返りに水面下で原発を要求


 ビキニ水爆実験被爆者 元第五福竜丸乗組員 大石又七

◎福島原発大事故は今から五七年前に起きたビキニ事件の原点にさかのぼって考えなければ正しい答えは出てこないと思っています。
誰がなぜ、危険な原発を地震大国である日本に導入したか、そこが一番重要なところだと思います。

1954年、私は元第五福竜丸という漁船の乗組員で、アメリカが広島に投下した原爆の約1000倍という巨大な水爆実験に遭遇した被爆者です。
その爆発で起きた『死の灰』を日本に持ち帰ったことから太平洋や大気圏が強力な放射能で汚染されていることが分かり大事件に発展していった、これがビキニ事件です。

後に残された資料からいろいろなことが分かってきました。
1946年から1958年にかけてアメリカ軍だけでも、このビキニとエニウエトク環礁を使って67回の大気圏核実験を行ない、合わせて100メガトンの核爆発を繰り返しました。この100メガトンの爆発は、なんと広島型原爆を毎日1個ずつ18年間落とし続けた量というから驚きです。

◎水爆は巨大な爆発威力だけではありません。爆発と同時に27種類もの恐ろしい放射能を撒き散らします。それらの放射能は半減期が何十年、何万年というもので人間の体内に入り込み、染色体を傷つけながら体の内側から攻撃するという内部被曝を起こしていました。
染色体を傷つければ死産や奇形児の原因を作りだし、子孫へと繋がっていきます。半減期の長い放射能が食物連鎖や風などに乗って地球上を漂い、誰のどこに取り付くかは現在の科学や医学では計り知ることは出来ません。これが見えない放射能の恐ろしいところです。
貴方もすでに被爆者になっているかもしれません。

◎東日本大地震と津波が福島原発を破壊し放射能が今襲い掛かっています。
私は言いたいです、当時、核、放射能の恐ろしさをあれほど教え警告したのに日米政府は事件を握りつぶし隠しました。
その結果どうなりましたか。核兵器も広島型原爆よりずっと威力を持つようになり、2万3000発の核弾頭が実弾となって出来上がり、人類を脅かしています。この重要な意味を持つビキニ事件を賠償もせず、わずかな見舞金、責任も核実験も容認してその見返りに水面下で原発を要求したのです。

◎この人たちにこそ重大な責任があるのではないでしょうか。

ビキニ事件は過去の終わった事件ではありません。あのときから始まった事件です。それなのに誰の口からもビキニ事件という言葉が出てきません。
当時アメリカは自由諸国にウランを提供し、軍事ブロックを築こうとしてCIAの職員を読売という大きなメディアを目標に打診してきました。
これを知った読売新聞社主の正力松太郎氏は、日本中が核実験反対で燃え盛っている矛先を変え、原子力の平和利用といって自分の持つメディアをフルに使って、原発導入の宣伝を大々的に行ないます。
政界では中曽根康弘代議士が青年将校などと言われながら危険を伴う原発をアメリカの意向に沿って先頭に立ち、ビキニ事件の3日後に2億3500万円の原子力予算を国会で通過させます。

◎原発を日本に導入した経緯を知れば今起こっている大事故の責任、賠償の方向性も見えてくるはずです。


*******

◆現在再稼働の原発は9基(うち運転中は4基)。新基準「適合」として待機中が7基、審査中11基。廃炉が決定しているのは24基にすぎない。
だが、フクシマ第一の格納容器には200年先も人は近づけぬという。
原発ゼロを決断するほかないではないか。


石川逸子「ロンゲラップの海」その3[2021年03月23日(Tue)]

◆石川逸子「ロンゲラップの海」その3として〈5〉および終章〈6〉を紹介する。



ロンゲラップの海  石川逸子


  5

「ジョンさん それからですよ
クリーニング業をつづけながら
模型船をもって 話をしに行くようになったのです」

その間にもつぎつぎ 死んでいった 仲間たち

山本忠司 機関長  一九八七年没 肝臓ガン(多発性)肺ガン・結腸ガン 五十九歳 
鈴木隆  甲板員  一九八九年没 肝臓ガン(原発性) 五十九歳
高木兼茂 機関員  一九八九年没 肝臓ガン(原発性) 六十六歳
久保山志郎 機関員 一九九六年没 肝臓ガン(原発性) 六十五歳
服部竹治 賄係   一九九七年没 肝臓ガン(心不全) 七十九歳 
安藤三郎 甲板員  一九九七年没 肝臓ガン(原発性) 七十一歳 
平井勇  冷凍長  二〇〇三年没 肝臓ガン(原発性) 七十一歳 

「大石さん
わたしもたくさんの島人の死を見てきました
あの日 近くのアイリングナエ島にコプラ作りに行っていた
屈強の若者 ジャヌワリが まず血を吐いて 死に
魚とりの達人だった セエランも
もだえ苦しんで死んだ
でも ジャヌワリは 心臓病 セエランは糖尿病だと
AEC(米原子力委員会)の医師は決めつける
毎日 わしらの血液と尿を検査しつづけながら
薬一つ くれはしなかった」

波を見つめたまま 老人はつぶやく
「一九五九年 わしらの帰郷について書いた
奴らのレポートを読んだとき どんなにおどろいたことか
レポートには書いてあったんです
『その島に これらの人間が住んでいることは
人体への放射線の研究に関し 生態上もっとも貴重なものを得る機会を提供している』
奴らはあの日 島にいなかったもの 百数十人を
『研究用の理想的な比較集団』として 島に送りこんだのですよ」

「ジョンさん
放射線医学研究所のおれらへの
毎年の検査も同じことでしたよ
肝機能障害も 染色体に異常があることをつかんでいても
一切 教えはしなかった」

海を見つめている老人の目に 浮かんでくる
赤ん坊のとき被曝したばかりに
成長を止めてしまった アレツト 目が見えなくなった ポール
投網を肩に 浜辺で被曝 ありとあらゆる病に苦しみ
のたうって死んだ 筋骨たくましかった ナポータリ
そして 何より愛しい 末息子 レコジ
暴れるため 最後は手足をしばられて 死んでいった
十六歳の レコジ

「ああ 久保山局長も 最後はそうでした
大声で暴れる叫びが 隣の病室にいる おれたちのところに
ぴんぴん 響いてきた
いつ おれたちもああなるのか ただ 怯えておりました」


  6

ロンゲラップの浜辺で
二人は
だまって 海を見る
だまって 心の内側を語り合う

(捨てられたマグロが 哀れでね
マグロ塚を建てましたよ)
(故郷の島を捨てる苦しさ でも 三世まで
内臓の障害をもって生まれてきたからねえ)

毒の島となってしまった浜辺で
二人は
ほんものの 真っ赤な夕焼けを見た
「ジョンさん あのときもこんな色でしたね」

老人はもう この世にはいない
核兵器一万発を所有する
核帝国と闘いつづけた
元ロンゲラップ村長は
写真から一ヶ月後には 静かに去っていってしまった

老人の骨は
廃墟のロンゲラップに埋まらないだろう
二度と訪れることのない 故郷を
その目に焼きつけよう と 浜辺で 波を みつづけたのか

肝臓ガンの手術から生還した 大石又七
飛べずにいたメジロを 慈しみ
砂糖水で養って空に返した 大石又七の
あたたかな目が 撮った
ジョン・アンジャインの後ろ姿
太古から 浜辺に寄せる
白い波 青い海




石川逸子ロンゲラップの海.jpg

石川逸子 『詩集 ロンゲラップの海』(花神社、2009年)



石川逸子「ロンゲラップの海」その2[2021年03月22日(Mon)]

◆石川逸子「ロンゲラップの海」その2として〈3〉および〈4〉を――


ロンゲラップの海   石川逸子


  3

二〇〇四年六月
すでに乗組員十一人をつぎつぎ失い
自らも ガン手術を受けた 大石又七が
元村長ジョンと 訪れた ロンゲラップ島

被曝から半世紀
その間 さまざまなことがあった
次は自分か
久保山愛吉の死におびえた日々
スパイと疑われ
CIA・公安調査庁から身元調査されたこともあった
あの日 どこにもふしぎを打電せず
焼津へとのがれた久保山の判断は正しかったのだ

漁師が 仲買人が 魚屋が すし屋が
損害をこうむり 廃業に追いこまれるものも出るなか
列島にもえあがっていった
水爆反対ののろし

秋雨にも 日本近海のマグロにも
ガイガー管ははげしく鳴った
あいつぐ核実験による放射能が
太平洋にばらまかれてしまったのだ

その間に
日米両政府のたがいの思惑から
バーターになった 見舞金と 原子炉導入
事件から九ヶ月後の すばやく ひそかな 手打ちだ

「ジョンさん
おれたちは日本の原発の人柱にされたんです」
〈原子力の平和利用〉〈原子力時代の到来〉
大新聞はうたいあげ 世論を誘導する

「ジョンさん
見舞金七億二千万円の八一%は
日かつ連に行って
自民党本部の隣に かつおまぐろ会館が建ちましたよ」

「退院しても おれたちの居場所はなかった
〈害をもちこみやがって 元気じゃねえか
おれらも 灰をかぶったほうがよかったな〉
零細漁業関係者から妬まれ
焼津にはいられなくなりました」

不安な体をかかえ 下痢もつづくまま
「アカ」と目され
ちりぢりになっていった 第五福竜丸のヒバクシャたち
東京の片隅で クリーニング屋になった 大石又七
結婚しても 生まれくる子が無事であるかどうか
怯えた


  4

身をひそめるように暮らしてきた
大石又七が
声をあげたのは 一九八〇年前後
待ちのぞんだ 子 は
死産だった
悲しい姿だから「見ないほうがよい」と医師に言われ
水爆ブラボーの灰を浴びたことを 話した

それから 次にさずかった子が 無事に生まれるまでの
どうしようもない 不安
なぜ こんな思いをせねばならない

 川島正義  甲板長 一九七五年没 肝硬変 肝機能障害 四十七歳
 増田三次郎 甲板員 一九七九年没 肝臓ガン(原発性) 敗血症 五十四歳
 鈴木鎮三  機関員 一九八二年没 肝硬変 交通事故 五十歳

そのときはまだ わからなかった
被曝時の輸血で C型肝炎ウイルスに感染していることを
退院後 年一回の検査をした 千葉の放射線医学研究所は
一切 大石たちに知らせていない
自分たちは〈標本〉に過ぎなかったのか

一九七六年 開館した 第五福竜丸展示館を
そっと 仲間と見に行ったのも そのころだ
放っておいてほしい 事件をほじくりださずにいてほしい
と 願っていたはずなのに

水産大学の練習船となったのち
廃船処分となって屑化され 夢の島沖に放り出されていた
かつての漁船は
様変わりしながらも やはり あの第五福竜丸だ
船内をのぞけば よみがえる
操業中の たわいない 団攣
白いみぞれのようなものを 体中に 船一面に浴びた
被曝時の 得体知れない 不安

次々 死んでいった 仲間の
助けをもとめる声が
船底から かすかに 聞こえてくるような気がする……

「一九八四年 和光中学の生徒たちに
はじめて あのときの話をしました
まだ汚れていない目が真剣に おれを見つめていて
はじめて 伝えねば とおもいました」

「生徒たちのなかに 目の見えない少女がいて
一心に聞いている
それで思ったのです
話だけで この子にどれだけわかるだろう」

このときから
大石又七の 第五福竜丸模型造りが はじまる
長さ五十センチの模型船を 手にすると
当時の記憶が あざやかによみがえり
話が苦手だったことも忘れた




第五福竜丸の大石又七さん逝く[2021年03月22日(Mon)]

◆「第五福竜丸」の乗組員だった大石又七さんが3月7日、亡くなった。
享年八十七。ビキニ水爆の被曝者として語り部を続けて来られた。


大石さんのご冥福を祈り、石川逸子さんの長詩「ロンゲラップの海」を何回かに分けて紹介します。


***


ロンゲラップの海   石川逸子

   1

一枚の写真
車椅子に腰かけ
浜辺で 黙然と寄せてくる波をながめている
白髪の老人 一人

もし振り向いたら
その目にはきっと
半世紀溜めこんできた あれこれが
夕焼けのように かあっと燃えているだろう

海の青さ 波の白さは
変わらぬまま
二度と住めなくなってしまった 島
ロンゲラップ

波の音に混じって
囲いこみ漁の どよめき が
祭の日の さざめき が
老人だけには 聞こえているのだろうか

それとも
水爆ブラボー爆発少しまえに 不意にあらわれ
「お前たちの命は小指の先ほどのものだ」
と笑った 米兵の声が 耳元で鳴っているのか

火ぶくれし 嘔吐して 呻く 島民たちに
連行先の島で
「海水をかけて洗え」とだけ言った
米兵の声も 耳元で鳴っているのか

ビキニから百八十キロ離れた
ロンゲラップに
さらさら 雪のように降りつづけた
白い粉
死の粉とも知らず その粉を競って集め
無心に あそんでいた 子どもたち

退去命令は五十八時間後だった
おれたちは人間モルモットにされていたのだ
いや 三年後
「安全宣言」されての帰還も
その一環だったとは!

ようやく故郷の島にもどって
はしゃぎ 踊った ひとびとの姿が
昨日のことのように甦る
「なんといってもおれらのヤシガニは最高さ」

あのとき ようやく
先祖伝来の暮らしにもどれた! と安堵した
まさか 魚も ヤシの実も
死の魚 死の実に変わっていようとは!

体内にとりこんだ放射能によって
ひとびとは やがて つぎつぎ 死んでいった
老人の息子 レコジも
ジョージも 妻のミチュワも 死んでいった

一九八五年 ついに ひとびとは
ロンゲラップを脱出する
先祖伝来の暮らしを捨て  墓を捨て
思い出を捨てて

脱出先は 元無人の小さな島
植えたヤシ 甘い実を実らせるパンの木は育つだろうか
新しい世代は
ヤシの汁の味をしらず インスタントラーメンが朝食だ

老人は 海を見つめる
寄せてくる波を見つめる
ロンゲラップの元村長
ジョン・アンジャイン

巨大なアメリカ合衆国を相手に闘いつづけてきた
頼もしい島の かしら も 八十一歳
写真に写る背中は 瘠せて見える


  2

海に向う老人を
カメラにおさめたのは 大石又七
同じく 水爆ブラボーのヒバクシャだ

二十歳の大石が乗った 第五福竜丸は
一九五四年三月一日 マグロ取りの操業中
突如 真っ赤に染まった海にかこまれ
巨大なキノコ雲が西から立ち上がるのを見た

二時間後には
白いみぞれのようなものが どっと降る
風とともに 雨に混じって
ざんざんと 吹きつけて止まない

デッキの上に積もり
頭に 耳に 鼻に 口に
下着のうちがわにまで 入りこみ
ジャリジャリと刺さって 痛い
「なんだ これは?」舐めるものもいる

その日 めまい 頭痛 吐き気に おそわれたのを
だれもだまっていた
海の男は辛抱強い
少々のことで弱音がはけようか

二日目 あちこちが火傷したように
ふくらみ 中に水が溜まる
皮がむけたところが塩水にあたると
痛い

一週間目
だれもかれも 髪の毛が抜け出す
引っ張っただけで ずるっと抜ける
だが だれも 死の灰とはしらない

局長・久保山愛吉の死は
被曝から約七ヶ月後の 九月二十三日
あらゆる治療も甲斐なかった



★石川逸子『詩集 ロンゲラップの海』(花神社、2009年)による。






| 次へ
検索
検索語句
最新コメント
マキシミリアナ・マリア・コルベ
コルベ神父のこと その2 (06/23)
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml