◆人間・
柏木正行の基底には信仰心がある。次のような母への讃仰はほとんど聖母マリアへの思いに等しい。
わたしを そのからだに 宿し
この世に おくりだして くださった わたしの 母よ
わたしは あなたを たたえましょう
平凡な おんなとしてではなく
かけがえのない わたしの 母として
わたしは あなたを たたえましょう
◆「母よ」の最終連だ。
防空壕のなかで幼いわたしを抱きかかえ必死に守ってくれた母、重度障害者の施設に入った息子の面会にはるばる来てくれた母。
しかし、老いを自覚する親として、我が子の行く末を案じて不安を口にし嘆いたことがあったのだろう。
子の方は、一個の人間として自分の人生を引き受ける姿勢を、幾度も考え抜いたことばによって母に伝えようとした。
分身 柏木正行
あなたは まだ
そんなふうに かんがえていたのですか
わたしが じぶんの 分身だとでも
おもっているのですか
いいかげんに してください
いまさら 愚痴は ききたく ありません
だから どうだと いうのですか?
老いてゆく あなたが
どのようにして 責任をとるのですか
じぶんが まいた たねは
じぶんで かりとりたいのですか
母よ
いつから そんなに 弱くなったのですか
わたしを 産んだのは あなたなのです
あなたが
わたしの いちのを 三十年間 まもってくれたのです
さあ しっかりしなさい
わたしを かわいそうだとは おもわないでください
あなたが どんなに あいしてくれようとも
わたしは わたしの 人生を 歩まなければならないのです
それが とうぜんなのです
だから かなしまないで ください
あかるく いきてください柏木正行『むくの木の詩』(評論社、1981年)より
***
「いちの」?「いのち」?◆第2連最終行は「
わたしの いのちを」とすべき箇所であろうと最初思い、ここに書き写す時に改めようと考えていた。昨日の詩集まえがきで示したように、原稿はかなタイプによるもので、打ち直しも多い。印刷原稿を起こす際に写し間違いということもあり得るだろう、と思ったのである。
ところが、詩集の出版に尽力した
鈴木淳子氏は、あとがきで次のようなことを書いていた――「かなタイプ」という、何度も書き直すことはできない、制限のある表現手段によること、また彼の詩作は、胸におさめた言葉を一気に吐き出して書き上げるやりかたであること、それによって制約を克服し、ひらがなの分かち書きに語りことばのリズムがとけこんでいるのが彼の詩を独自なものにしている――
さらに、「彼のタイプによる詩作が、そのまま彼の労働であり生活であるなら、その労働そのものの表現されるべきではないか。」と書いている。
◆作者がタイプに向かう姿を想像しているうち、「いのち」とキーを打とうとしたときに、それぞれのキーの位置はどうだったのか気になった。
そうして「い」のキーと「ち」のキーが近い所にあって、打ち損なうこともあるのではないかと思いついたのである。
試みに現在のパソコンのキーボード配列をみると、「い」のキーは左手の薬指が触れそうな位置にあり、「ち」は同じ左手の小指が触れやすい位置、つまりこの2つのキーは極めて近い所に配列されている。
JIS配列というのか、これに落ち着くまでには歴史的な経緯があるだろう、と探してみたら、さまざまなタイプラーターやテレタイプのキー配列を図示した論考が見つかった。
だが、概ね「い」と「ち」のキーは近い所に配列してあるものが多いようなのだ。
★
安岡孝一「キー配列の規格制定史 日本編 − JISキー配列の制定に至るまで」→
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/publications/ISCIE2003.pdf中には「い」と「ち」が中央部分に
隣り合って並んでいるキー配列さえ複数ある。
これに対し、「の」のキーは多くの場合「い」から離れた所にある。現在のパソコンでは右手が受け持つあたりにあるし、上記論考の18ある図では1例を除いて、「の」は「い」から離れたところにとどまっていて、「い」&「ち」が並ぶ辺りを遠望しているという格好なのである。
両手使いでなく一本指でキーを打っていたのであれば、「い」の次に「の」に指を飛ばそうとしたものの、飛ばしきれず、或いはははずみで、「ち」のキーに触れてしまった、というのはありそうに思える。
◆と同時に、「いのち」とタイプに打つ直前に詩人の胸中にたたみ込まれていたのはどんな詩句だったろうと想像することも無意味ではないと思えてきた。
例えば「いちばん」あるいは「いっしょう」といった言葉たち。
これらが「いのち」と同じ重さと熱をもってせめぎ合っていたのではないだろうか?