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先達としての従兄のこと[2020年11月30日(Mon)]

◆「はやぶさ2」カプセル の大気圏突入は12月6日午前2時28分ごろに、というニュースがあった。
入院中の従兄の病状について主治医から説明を受けた帰路、彼の留守宅に寄って、郵便物や文書類の片付けで半日ほど過ごし、帰宅したばかりの夜のニュースだった。

◆ひとり暮らしの身に広すぎるくらいの部屋には、退職後もJAXAから送られてくるニュースが積み重ねてあったが、ひどく視力が落ちた昨今は封を切らぬままのものも少なくなかった。
燃料噴射実験の記録だろう、表紙の変色した分厚いファイルもあった。
青焼きの資料などがいくつもあった。
日本のロケットは初めのうち固体燃料だったことも従兄から教えられた。
能代(噴射実験場があった)や種子島への出張が多い、と話していた。

退職後に力を注いだであろう市民運動関係のニュースや集会資料、フライヤーなども多数あった。NPOへの継続的な募金をうかがわせる手紙類。
趣味として来た囲碁の雑誌や日本棋院からの通信その他。あらかた処分して構わないものばかりだが、碁の関係は取って置きたいと話していた。

◆薬の袋も多数。きちんと服用するだけでなく、袋の一つ一つまで再利用のために捨てずに取って置く性分なのでそれらをまとめて行くだけでも結構な作業となる。
衣類からキャットフードの袋まで、手間をかければ二次利用、三次利用ができないものはないという信念を実行してきた生涯と思える。

何に使うか素人には見当が付かない実験器具や測定器らしいものもゴロゴロ転がっていた。
高校時代からの科学好きの延長で宇宙にかかわる仕事ができたのは仕合わせであったろうと思う。

◆2006年ごろは退職していたはずだが、教育基本法改悪反対の集会を地元で開いていたことを示す資料や集会ビラなどもあった。
戦争末期に応召して南洋に向かう船とともに沈んだ父親を持つ者として、民主主義による平和実現に情熱を傾けたのは必然であっただろう。宇宙もまた、科学による平和実現への夢が推力となっていたはず。

◆立てかけてあるコタツの側から紡錘形の鉛を2つ金具でつないだ釣りの錘が出てきた。
明らかに手作りのもので、ズッシリ重い。

たちまち幼年時代の記憶がよみがえる。
従兄は高校生になったばかりだったろう。
ストーブの火で鉛を溶かして型に流し込み、錘を作ってくれたことがある。
同じストーブの前で電球をきれいにカットして見せ、こちらの目を丸くさせたりもした。

手品のようなミニ実験が幼き者に理系志向の種を蒔いてくれたことはいうまでもない(10年ほどは効力が続いた)。

◆もうひとつの伝授は音楽。窓辺に置いてあった従兄のウクレレを、足を組むポーズごと真似てポロンとやったら、「きれいな音だ」と褒めてくれた。
自分もそうした楽器を持ちたいと考えたが買えるはずもない。
音の出るものを作れないか、ずっと構想していた。リンゴ箱にするブナの板材と釘なら家にいくらでもある。箱を作って釣りのテグスを何本か張れば出来そうに思ったが、テグスの留め方や調弦する仕掛けをどうするか、ちっぽけな頭では解決できず沙汰止みとなった。

結局は10年後、ギターを買って我流で弾き始め、同じ年クラスメートから譲ってもらったパイオニア製のスピーカーで音楽を聞く習慣がスタートして、これが一番長続きした趣味となった。オダテの一言が一番効力を発揮したわけだ。

ギターを弾き始めたころ、「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」という徒然草の一節に出会って、ウクレレの手ほどきをしてくれた従兄のことを思い出したものだ。



馬場晴世「川を」[2020年11月29日(Sun)]

馬場晴世「草族」表紙カバー帯付.jpg


◆昨日と同じ馬場春代の詩集『草族』 (くさぞく)から、やはり水の詩を一編。



川を  馬場晴世


神さまが一つだけ願いを
かなえて上げようと言ったら
庭の先に”川を”と頼みたい
両岸には草や葦が生え
木々があり
白鷺や水鳥の来る
一日かけて行かなくては出会えないような川

言葉の迷路に疲れたとき
悲しみにおそわれたとき
いつまでも見ていられる

流れはいつも新しい
淡々とした流れをみていると
ああ私はいま ここに
一本の木のように立っているのだと思える

雨の日の川もどんなにいいだろう
風景はかすんで
水は小さな影を作りながら流れていく

桃が流れて来ても拾わない
花が流れて来ても静かに見送る
いつか月の光の下を 私が
小舟に乗って海に向かう


『草族』(土曜美術社出版販売、ちょうど2年前の2018年11月30日の発行)
*題名は【くさぞく】と奥付にルビがあった。
*装丁は司修

◆「私」は木のように立って川を見ているだけではない。
しまいには小舟に乗って海に向かう。
月の光に照らされた「私」は、もはや人間と呼ぶだけでは足りない。

はるか古代から現代にいたる数知れない旅人までが「私の」中に静かに流れていて、彼らが岸辺や舟の上で見た葦や水鳥、水面に浮かぶ桃や花が次々と、見えてくる。そうしていつの間にか見る者と見られるモノたちとの境界もおぼろになってゆく。



壺とあわだつ思い[2020年11月28日(Sat)]


壺  馬場晴世


雨戸を閉め 障子も閉め
部屋の一角を片付け
深い海の色をした大きな壺を置いた

夜の静けさがそこに集まり
壺はしんとしている
中は仄青い闇

花は生けない
心が波うつとき
あわだつ思いを入れていく

海の底を流れる水の匂いが
部屋にあふれ
一筋 青い風がたつ


詩集『草族』 (土曜美術社出版販売、2018年)より

***

◆「あわだつ思い」は誰の身にも起こり得るだろうけれど、それを身につけた作法のごとくに扱う人はそうそう居ないだろう。
あたかも茶を点じる人のように、わが心から滾(たぎ)るものを壺に入れていく。
日中は胸にたたみ込んでいたものを、深い海へとおろしてやるならば、それは水底で浄化され、閉めきった部屋に爽涼の風をもたらしさえするのだ。





〈大岡昇平の世界展〉11月29日まで[2020年11月28日(Sat)]

 〈大岡昇平の世界展〉11月29日(日)まで

DSCN4633_A.JPG

◆〈大岡昇平の世界展〉を観てきた。春に予定していたものがコロナの影響で10/3〜11/29までの展観として開催中のものである。

会期末になっての紹介となるが、2~3時間の余裕がある方はぜひ。
時間的に厳しい方は、初めの方は駆け足で、〈U 生きて還る――戦地での体験〉および〈X 鎮魂歌――戦死者たちに捧ぐ〉のところはじっくりと御覧になると良いのではと思う。

◆〈X〉では「ミンドロ島ふたたび」「レイテ戦記」「ながい旅」を柱に紹介していたが、見ていて印象に残ったのは、レイテ島で収集された日本軍兵士の遺品である。

刃のあちこちが欠けた銃剣、メガネ、柄が折れたスプーン……。
穴の空いた鉄帽子(一つは頭頂部に大きな穴が空き、もう一つは横に空いた穴にヒモを通してあった。かぶること以外の用も果たしたのだろうか)。
ベルリンオリンピック記念のシガレットケース(蓋は外れて欠損がある)といったものまでケースの中に並んでいた(「兵士・庶民の戦争資料館」蔵。同じ資料館が所蔵する三八式歩兵銃も入り口すぐのところに展示されていた)。

中で目が釘付けになったのは、無数の小さなナイフの類いであった。鉄片を丹念に削り研いで作ったものである。わずかな鉄の欠片に走る幾条もの研いだ跡が生々しい。
これらのモノが持つ力は圧倒的だ。
しかし兵士たちが身に帯び手にした遺品を収集・保存し展観している公的な施設はいったいどのくらいあるのだろう。兵士・庶民の戦争資料館のように、多くは個人・有志の奮闘により開設・維持されているのが実状ではなかろうか。


無を掃き寄せる[2020年11月26日(Thu)]

◆たまたま手にした『開かれた眠り』という詩集が昨日と同じふらんす堂という出版社から、しかも同じ方の装丁で出ていることに気づいた。和兎という方(何と読むのだろう?)。

昨日のそらしといろ『もうずっと静かな嵐だ』は今年4月に出たものだが、『開かれた眠り』はその一月ほど前の刊行。同じ方の装丁とはいっても、造本などはずいぶん違い、奥付を見ると印刷・製本も別の会社による仕事であることが分かる。

利岡正人『開かれた眠り』.jpg

利岡正人(としおかまさと)詩集『開かれた眠り』(ふらんす堂、2020年3月)
装丁:和兎


真夜中に   利岡正人


真夜中にひとり思いを巡らせながら
懸命に掃き続ける暗い道
吹き寄せられた落ち葉が 壁に沿ってぼんやり光っている
掃き進めていくうち それは徐々に細かく粉砕され
やがて 跡形もなくなるほど砂粒と混ざり合い
固有の輝きを失ってしまった

こうも足もとが見えづらいと散漫にもなる
しきりに腕を動かしながら どれだけ上手く掃き集め
取りこぼし少なく 先へ 先へと運べているのか
眩暈を起こしながら無理にでも探す 微かに瞬く星のように
その応答は明確な形をなさず 道筋から弾き出された
砂のざらつく感触だけを頼りに進んでいる

街灯の下のよく見える所までやって来て
ようやく知らされる道の様相
後ろを見返しても 清められた実感は何処にもなく
闇の中で息を継ぎながら 粘り強く求めた幾らかの微塵の他は
無を掃き寄せていただけと把握するのだ
夜空が明るい 終着地でもあるここに



◆夜中に独り落ち葉を掃く人に実際出くわしたことはないが、こうして登場させられてみると、今夜あたり外に出たら、箒を手にした男がそこにいるような気がしてくる。

ずっと掃き進め続ける落ち葉、それは結局「無」であったと、掃く人は領解するしかないのだが、それでも彼は掃き続けるだろう。目覚めている限り、街灯の下の「終着地」は同時にその次の街灯までの出発地でもあり、掃くべき落ち葉は際限なく道に吹き寄せられているからだ。

「夜空が明るい」のは、あちこちの街の灯りのためで、夜明けが近いからではないことに、恐らく「掃く人」は苛立っている。

〈リロン/リゴン〉[2020年11月25日(Wed)]

◆手にした感触に惹かれて開いた詩集を一冊。


そらしといろ
『もうずっと静かな空だ』


そらしといろ「もうずっと静かな嵐だ」.jpg

〈ふらんす堂、2020年  装画:蒜山目賀田 装丁:和兎

◆新書よりやや背が高い。
巻頭の序詩をふくめて30編。どれも題名を持たず、全体として「もうずっと静かな嵐だ」という世界を構成する詩群、というおもむきだ。

序詩に続く詩は次のようである。




リロン
リゴン
と転がってくる
鈴の音は
小さな犬

おじいさんが
手から鈴を
転がすと
小さな犬が
もう一匹、ふえる

十二月の道に咲く
秋桜の
薄氷のような
花びらの
とうとう舞い降りて
小さな犬が踏んだ

新しい鈴の
音色は広がり

おじいさんの
小さな犬が
もう一匹、ふえる

のどかな十二月の道は
なかへ続く
そこは
さまざまな鈴の
音色が凜と
降り積もるところ



冒頭の「リロン/リゴン」という音の表し方が面白かった。

犬の首輪の鈴なのか、鈴そのものが犬の形をしているのか、おじいさんが転がす鈴の正体が分からないが、音からして大きな鳴り物であるらしい。

初めおじいさんが転がしたのは小さな鈴で、それがたちまち膨らんで子犬になる、そんな手品か魔法を見せてもらっている、と自由に想像するのもいいかもしれない。

*むかし、赤んぼうの形をした起き上がりこぼし人形やガラガラが、揺れたり手に持って動かすたびに音が出るものがあった。中に複数入れてある金棒が長さが違えてあるので高低の音が出るしかけであったように思う。「鈴」というより「カラン・コロン」と表すべき低目の音であったように思う。
この詩の「リロン/リゴン」の音はそれよりさらに低いが、駆け回る子犬たちのようにぶつかり合い、もつれ合ってなおかつ、自由だ。


静かに湛えられたもの[2020年11月24日(Tue)]

◆昨日と同じく松浦成友『斜めに走る』からもう一篇。


地下水  松浦成友


地下に眠っている水よ そこに 生命が溶かされ 滲み出してくる
澄んだ水が静かに眠っているその場所に
何者の喉を潤したいのか
眠っている水をそっと汲み上げ
命の水を 透明で 苦い水を味わってみたいのだ

雨水が大地に染み込み 深く地下へ進んでいく
滞留した水が眠りに就くとき 地上の喧噪が全く聞こえない

人の目が上へ上へと向けられている間
静かに湛えられた地下水は純度を高めて
この世で最も汚れのない存在へと化していく

人の手が触れ得ないことは重要だ
その手の思想に自然は色を付けられてしまったのだから

しかし地下水にも流れてくるものがある

地上にて
忘れ去られてしまうことが
忘れられたものこそが輝きを増していく



松浦成友『斜めに走る』.jpg

松浦成友『斜めに走る』 (思潮社、2018年) 装幀:思潮社装幀室


*本の画像を載せるときには自前の写真を用いるようにしているが、装幀について可能な限りクレジットを付けて置くべきと思うので、今後は忘れず付記したい。
個人名でない場合も上記のように記すことにする。

詩集は大きめの書店でも配架スペースが限られている。人が一冊の詩集を手に取り、さらにその一冊を買うという機会は生涯にどれだけあるだろう。
子どものために書店で絵本を求める人より少ないかも知れない。
だが、ほとんどの詩集は、それを手にする人と直接出会うことを願って一冊の形にまとめられる。
紙の質、書体、表紙(カバーをはずしたときのたたずまいも含めて)、ページがまたがる場合の行間の調整に至るまで(連と連のあいだ、行空けしてあることがわかるように、紙の裏表の印刷位置まで周到に考慮されているものだ)……文庫版のポケット詩集であれ、「定本 〇〇全詩集」と銘打った大部のものであれ、作り手の気持が行き渡った一冊は、それを手に取るように促す力をもっているものだ。手に取った最初の感触でそれは伝わり、指はページを繰り始める。
絵本もその点では同様の経緯をたどって読者を得る。
電子書籍やオン・デマンド出版盛行の時代ながら、絵本も詩集も、直接手を触れた時が最初の出会いである。
そうした意味で、一冊を生み出したさまざまな人の手を感じることは大切だと思うようになった。

この『斜めに走る』という詩集の装幀はカバーをはずした本体も悪くない。
むろん、書店でそこまで見てみる人は、まず居ない。
帰宅後、ふとした折りに顕現する、もうひとつの貌、下に静かに湛えられていた贈りものだ。

たましい の ゆくえ[2020年11月23日(Mon)]

DSCN4572.JPG
東京都庭園美術館の老木。
根の見事さに目を奪われて、枝、葉までは見ず。

*******


やまい   松浦成友


おおきな くうどうが
うちに
ひろがっている

かたることで
うしなわれた せいぶん を
とりもどせはしない

もりのなかの しずかな
いずみに
たたえられた かみのみずを
すこしずつ
すこしずつ
あたえながら まっている

ちんもくしている やみ と きぎ
あらわしてはならない
といかけてはならない

めにみえない とおい とおい
ゆめのありか まで
とけだしていく たましい の ゆくえ を
さがしつづけている



松浦成友(まつうらしげとも)斜めに走る』(思潮社、2018年)より

◆がらんとした「くうどう」をうちにかかえているのは、病を得た人間ばかりではない。人と人が約束の上に築いてきた世の中も。森の中で沈黙して待つものの存在に気づくには、語ること(=「騙ること」でもある)をやめなければならない。



 
ビロードモウズイカ[2020年11月22日(Sun)]

◆グーグルレンズのおかげで今日も一つ、気になっていた花の名が判明した。

201122ビロードモウズイカDSC_0025.jpg

地べたに広がった葉の真ん中から高くトーチのように伸びた茎に、黄色い花をたくさん着ける。
特徴がはっきりしているので検索しやすいと思っていたが、あにはからんや、なかなか分からないで3年ほど経った。

ビロードモウズイカ」という花だとスマホの画面に出た。「モウズイカ」の意味が想像つかず、呪文のごとく謎めいている。
忘れぬように繰り返し唱えながら帰路についたのだったが、いざパソコンに向かうと「ビロード」しか覚えていないので愕然とした(それでも「ビロードむにゃむにゃ」と適当に入れたら候補の中にちゃんと出て来た)。

漢字では「天鵞絨毛蕊花」と書く。葉など相当に毛深いので「天鵞絨(ビロード)」という命名は納得。あるいは「ビロード」の色合い(暗みを帯びた緑)」も含めた呼び名であろうか。
「毛蕊」の「蕊(ずい、しべ)」は雄しべ雌しべの意味だけれど、花の中を覗いてみることはしなかったので、どんな感じかは分からない。「モウズイカ」という植物グループがあるのだろう、と想像するにとどめておく。

◆去年出くわしたのは100mほど西の、同じ県道の路肩。夏だったはずと思って探したら、7月初めに撮ったのが見つかった。


DSCN1229ビロードモウズイカ.JPG

今日のはさすがに茶色く実が着き始めた様子だったが、11月も下旬になってなお目立つ黄色い花を見せている。花期の長い花なのだろう。



知恵を拾おうとしても叶わぬとき[2020年11月21日(Sat)]

◆ポツリポツリと喪中はがきが届く季節となった。
自分や配偶者の親を亡くした方が多いが、中にはご自分の兄弟を喪った方もいる。

直接には存じ上げないまでも、それぞれに一つの歴史を生きた方ばかり。それが閉じられたことへの喪失感をこめながら、ご母堂の激動の青春に思いをはせた文面もあった。

いくばくかでも、それに耳傾けるときを持ち得たのであれば幸いである。


火葬場で  木村孝夫


骨は拾えても
知恵を拾うことはできなかった

九十歳の義母の知恵だから
カマに入る前に少なくなっていた筈だ

困っている人を見ると
すぐに自分の知恵を差し上げる人だった

丁寧な言葉を添えて
その人の知恵のまわりに自分の知恵を
そっと置いて来たのだろう

それを誰にも言わない人だったから
いつの間にか
自分の中の知恵が少なくなってしまった

気が付いたのは
同じ事を繰り返すようになってからだ
自分のことも
思い出せないことが多くなった

それでも、あの丁寧な言葉で
無くなった義理の父のことを心配するのだ
「どうしたのでしょうね
そう言えばしばらくみませんわね」

いつか、人はこのように
幼子のような知恵になっていくのだろう
それもまた人間の味だと思うべきなのだ

骨を拾うとき
その幼子のような知恵は拾うことはできなかった

火葬場では、骨は拾えても
知恵を拾うことはできないのだ

 (2016年2月死去 90歳) 


 木村孝夫詩集『福島の涙』(モノクローム・プロジェクト、2020年)より。

◆著者(1946年生まれ)は福島県いわき市に住む方。



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