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庭園を回遊する詩[2020年09月30日(Wed)]

DSCN4421.JPG
ニラの花が咲いていた。
ビワの木やクリの木が植わって日の光があまり当たらないあたり。

*******


より大きな範疇で   貞久秀紀


小径を来て
それがとりわけこの園(その)
この径であると気づかずにいたふだんの径が
ひとに親しまれ踏みならされてきた土の上でふいに足場となり
木木や径なかでのでこぼこや


低い柵
下地をもつ草花のむれや雑木林の
なかをゆく小川や
うごく鳥のもとでかわいた音を立てる枝葉や落葉らの
園にあって見えるもの
きこえるものがおのおの細かく

ことばのようにわかれているこの世のなかを
日のあたるところ
あたらないところの
より大きなふたつの範疇でゆるやかにわけながら
ここからでもゆける
ほがらかな径をひらいていた


*貞久秀紀(さだひさひでみち)詩集『具現』(思潮社、2017年)より

◆各行、わずか1字からなるものから4行目のように28文字からなるものまで、長短さまざまに配され、同じ長さのものがほとんどない(例外は題名の「より大きな範疇で」と、第2連の「なかをゆく小川や」および第3連の「日のあたるところ」)。

それは広い庭園のすみずみに、樹や草花、石や水の流れを配する庭師の仕事に似ている。
単に設計図通りに仕上げれば終わり、ではない。
そこに訪れる者たち――人々や鳥そのほかの動物たち――によって作られ、また彼らによって呼吸されて育ち変化する空間としてあれこれを配置し、仕事を終えたのちも訪れてその成長を見届ける。

この詩の言葉たちは、小径を歩き、足をとめて目に入るものたちを空気のように呼吸する間の、その息遣いをも表しているようだ。

読者もまた、この言葉による回遊式庭園をそぞろ歩くことになる。





1910年9月29日の漱石[2020年09月29日(Tue)]

DSCN4423.JPG
ヒガンバナ。
今年は田んぼの上の土手にずいぶん増えた。足をとめてレンズを向ける人も多い。
土手では朝から草刈りをしていたが、夕方同じところを通ると、ヒガンバナだけ残してあった。

*******

無題  明治43年9月29日  夏目漱石

仰臥人如啞
默然見大空
大空雲不動
終日杳相同



仰臥して 人啞(おし)の如く
默然として 大空(たいくう)を見る
大空 雲動かず
終日 杳(はる)かに相い同じ


*吉川幸次郎『漱石詩注』(岩波新書、1967年。のち岩波文庫)より。
訓読も同書に拠った。

◆先日の記事と同じく、明治43年、いわゆる修善寺大患のひと月あまり、前回の「風流人未死……」から4日のちの詩だ。

掛け軸だったか、写真でだったか、漱石の書でこれを見た記憶があり、写真は図録に載っていた気もして探したが果たせなかった。
漱石展で、これとは別の漢詩を条幅にしたためた墨跡を目で追ううちに、筆を執る漱石の気息のようなものを感じたことが一度だけある(横浜の近代文学館)。
そうした感応がそうそう訪れるものでもないけれど。

◆四日前の詩と同じく「人」は病床のわが身。黙って空を見つめることが、今できることのほとんどすべてだ。

◆結句の「相い同じ」とは、漱石自身の回想「思ひ出す事など」の記述をふまえた吉川幸次郎によれば「大空」と漱石の「心」とが〈ぴたりと合つた〉ことを表し、その〈縹渺とでも形容して可い気分〉**を「杳」によって表したとする。

および**、ともに「思ひ出す事」にある漱石の表現。

◆「縹渺(ひょうびょう)」とは広く限りないさまを言う。「杳」もまた、はるかに遠い、あるいは深く広い、などの意味を持つ。「杳」は字の成り立ちからして木の向こう、あるいは木の生えた大地の下、すなわち地平線の向こうに日が没して薄暗くなるイメージだろう。だが、ここでは木々も人声もすべて消え去って、ただ空と我があるばかりだ。
大空にもわが心にも何もなく、ただその色と陰影を変じて行くのみ。


【9月25日の記事】漱石〈清閑を領す〉
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1719



ジュリエット・グレコとサモトラケのニケ[2020年09月28日(Mon)]

◆23日に亡くなったジュリエット・グレコを追悼して追想や記事がさまざまなメディアで紹介された中に、『婦人公論』Webに、2016年に行われた中川ヨウによるロングインタビューが配信されている。
その年の誕生日(2月7日)の前日6日には、ルーヴル美術館で彫像サモトラケのニケ(勝利の女神)の前で歌ったという。当時89歳にして誰もなしたことのない試みに挑戦する生き方と語り口の若々しさに感銘を受ける。

『婦人公論』〈あの人の遺した言葉〉
ジュリエット・グレコが遺した言葉「平和と自由のシャンソンは永遠です」
https://fujinkoron.jp/articles/-/2612

◆母がナチスに対するレジスタンス運動で逮捕・連行され、その後を追いかけた姉とともに秘密警察に捕まり収監されたこと、その後、母と姉は強制収容所に送られてパリ解放まで引き離された体験から、平和と自由のかけがえのなさを胸に刻んだ。

インタビューの締めくくりの言葉から写しておく。
https://fujinkoron.jp/articles/-/2612?page=4

今、世界ではたくさんの戦争が起きており、顕在化していない諍いも増えているようです。ヨーロッパではネオ・ナチが勢力を伸ばし、人々は、テロへの恐怖を募らせている。止まることを知らない難民の流入にも神経をとがらせています。
第二次世界大戦を経験した私には信じられない光景です。多くの命を犠牲にやっと獲得した平和と自由を、なぜ捨てようというのですか。



*****


サモトラケのニケの風  井野口慧子

来る日も 来る日も
地べたを這いずり回って
泥水に まみれていた
遠い国の巡礼者がひとり
乾ききった身体を よじりながら
羽を広げた 彫像ニケの足元にひざまずいた
サモトラケ島の大理石
崩れてしまった断片が
しなやかな翼の 勝利の女神に蘇り
古代から 時を超えた風は
よく来た よく来たと
旅人を抱擁した
過去の痛み 強張りを さらさらと
羽ばたきを止めないで
洗い流していった

ニケの全身に満ちあふれた
魂の匂い
青い 青い海の色が
つま先から 染みてくる
マダ ワタシニ タマシイガ ノコッテイテ
ヨカッタ――
いつか二度と 地上に還らない
その時のために


井野口慧子『千の花びら』 (書肆山田、2018年)より

9月27日を忘れまい[2020年09月27日(Sun)]

1977年9月27日を忘れないために

◆43年前の9月27日の昼過ぎ、米海兵隊のファントム偵察機が横浜市青葉区荏田北(当時は緑区荏田町)の住宅地に墜落炎上した。死傷者9名数十棟の建物が炎上する大惨事となった。全身に火傷を負った裕一郎君(当時3歳)と康弘君(1歳)の兄弟が翌日死亡、母親の土志田和枝さんも4年余りの闘病の末に31歳で亡くなった。
偵察機RF-4Bは、空母ミッドウェーに向けて厚木基地を離陸直後からエンジン不調の状態であったことが目撃されている。パイロットは脱出して無事だったが、事故後、日本の法によって裁かれることはなく帰米してしまった。
今に続く日米安保条約と日米地位協定による酷い事故と非道な後処理である。

◆5年ほど前の拙記事を読んでくださっている方が何人もいらっしゃると知って、励まされる思いがした。

一方で、さかのぼること更に13年、東京オリンピックを控えた1964年4月に町田市で起きた米軍機墜落事故もあった。やはり母子を含む4名の犠牲があったこの事故を風化させまいと、事故発生50年を機に市民たちが平和祈念母子像建立に取り組み昨秋完成させた。しかし町田市は公共的な場所への設置を承認せず、やむなくさる私有地に仮設置せざるを得なかった、という最近の報道もあった。
昨年、除幕が行われた際の新聞記事にリンクしておく。↓

【東京新聞】2019年9月30日記事
1964年、町田の商店街に墜落 米軍機事故の犠牲者悼み平和像
https://www.tokyo-np.co.jp/article/25166

◆1977年の土志田和枝さん母子の時にも、和枝さんの父・土志田勇さんが「愛の母子像」の建立を思い立ち、設置場所の許可を求めて横浜市と交渉を続けたものの、日米地位協定が足かせとなって実現には時日を要し、像の由来を記す銘板の設置も当初は認められなかった。

今を生きる私たちにできることのひとつは、記憶し後世に伝えることであり、行政は市民の平和と安全を保障する立場から市民の地道な活動を支援すべきであろう。ところが国や米国の方をみるだけで、市民の取り組みに立ちはだかる。いつになったら改めるのだろうか。

***

【当ブログ関連記事】
愛の母子像ー1977年9月27日[2015年09月26日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/188

横浜米軍機墜落事故から40年[2017年9月27日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/633

***


のぞみ   竹内萌


ともだちと
いつもの道をあるいていた

オレンジの光と
大きな音がとんできた

あたりはなにも
見えなくなった

たてもの
くるま
ぼくも ともだちも
おとなも うしも 市場の売り物も
みんな
みんな
ふっとび
ひんまがりねそべったままうごかない
何がおこったんだ?

ともだちが死んだなんて
しんじるものか!

ぼくには
たたかいもへいわもいらない
きのうまでの
ふつうの日がほしいだけだ


鈴木比佐雄・佐相憲一=編『非戦を貫く三〇〇人詩集』(コールサック社、2016年)より







木島始〈学んでいるさなかの子どもたちに〉[2020年09月26日(Sat)]

DSCN4403.JPG

すっかり秋の空となった。朝夕、マスクをつけてちょうどよいぐらい。
のどもと過ぎれば――で、耐えがたかった酷暑のことは忘れている。

*******


みなもとのうた   木島始

空のおくにひそむ穴に
静けさにしみでてくる青に
海の中によこたわる母に

 わたしは聞こうとしている
 何かをつきぬける声を

桜のなかにすわる女に
着つけにかくされている目に
忍びにひそんでいる心に

 わたしは聞こうとしている
 何かをひきたたせる声を

岩にかくれている火のちりかたに
夢のなかでの恐れ汗ばみに
骨にしずみこんでいるあなたじしんに

 わたしは聞こうとしている
 何かをさだめていく声を

路になるまでふみつける足に
磨きのなかにすりへる石に
学んでいるさなかの子どもたちに

 わたしは聞いている
 なにかしら宇宙のこころざしを


  『[新]木島始詩集』(土曜美術社出版販売、2000年)より

◆「空」という漢字の中に「穴」が隠されているように、いろんな漢字の中や、点画の向こうに姿の一部を見せているもの(「岩」の上、向こう側に火が散り広がっていると見るごとく)への想像が生んだ詩。

怠け者の目を少しましにするには、目の周りの筋肉を柔らかにするエクササイズが必要だ。

◆上記「岩」をお手本にして「学」の字を眺めてみると、「子どもたち」は黙っていても「学ぶ」ことが大好きなのに、彼らの頭の上では、ジリジリ眉を焦がす火が燃えさかっているように見える。


漱石〈清閑を領す〉[2020年09月25日(Fri)]

DSCN4383.JPG
鳩たちの朝餉

*******

◆夏目漱石、43歳の秋、9月25日の漢詩を――

無題  漱石 明治43年9月25日

風流人未死
病裡領清閑
日日山中事
朝朝見碧山


◆漱石は、静養のために逗留していた修善寺の菊家旅館で、8月17日に続く二度目の吐血(8月24日)で死線をさまよった。いわゆる修善寺の大患である。
上の漢詩は、ひと月あまり経てようやく小康を得た折の一首だ。

*林田愼之助『漢詩のこころ 日本名作選』(講談社現代新書、2006年)から書き下し文と現代語訳を下にひいておく。

風流 人未(いま)だ死せず
病裡 清閑を領す
日日 山中の事
朝朝 碧山を見る


 わたしはまだ死なずにいたので風流を味わうことができ、
 病床のなかで、自然の清らかな静けさを、自分のものにすることができている。
 修善寺の山中にいるものがすることは、
 毎朝、美しい碧(みどり)の山を見るだけである。




タゴール〈光の島〉[2020年09月24日(Thu)]

DSCN4378.JPG
刈入れが始まった。
田んぼわきのイチイにはたいてい雀がいる。

*******


タゴール『迷い鳥』より 川名澄 訳

310 わたしは夢みる、ひとつの星を、ひとつの光の島を、わたしはそこに生まれるだろう、そして活き活きとした安佚(あんいつ)のなかで、わたしは一生の仕事を豊かに稔らせるだろう、秋の陽に照らされている稲田のように。


◆元の英詩は次のようになっている。

I DREAM of a star, an island of light, where I shall be
born and in the depth of its quickening leisure my life will
ripen its works like the ricefield in the autumn sun.


原詩同様に訳詞も飾り気なしに平易だ。

まなざしは悠揚と来世に向けられているが、それは現世の営みの続きであるようだ。
現身は祈りと確信で充たされている。

*訳語について一点、「leisure」(「レジャー」の原語)を「安佚」としていることについて……
同音の「安逸」の「逸」が「隠れる・それる」のニュアンスが強いのでそれを避け、「くつろぐ・楽しむ」の意味も含む「佚」を選んだと推測する。だが読者は「逸」の字の「安逸」の方に引っ張られて読んでしまうのではないか。
背中にしがみついている過去から自由にしてください、という詩もあるのは事実(325の詩篇など)だ。
しかし、少なくともこの詩に厭世の気分はない。上で触れたように、現世から来世へと同じ歩みを続けてゆく感じがある。
「leisure」のもとのニュアンス、「(許された)自由な時間」を伝えられる適当な訳語はないだろうか。


対(つい)[2020年09月23日(Wed)]

DSCN4395ツチイナゴ.JPG
イナゴ。


タゴール『迷い鳥』から3編


88 「あなたは、蓮の葉のしたにある大きな水溜まり。わたしは、葉っぱのうえのずっと小さな滴り、」と露はみずうみにいった。


89  刀の鞘(さや)は斬れなくても満ち足りている、鋭い刃先を納めているときには。


90  闇のなかで、ただひとつであるものはひとつに見える。光のなかで、ただひとつであるものがさまざまに見える。


    *タゴール『迷い鳥』より(川名澄・訳  風媒社、2009年)

◆詩集では、連続する3篇だ。

88ではひとしずくの露と大きな湖との、対照的だが本質を同じくするものが、小さなものの視点から語られる。

89は、刀身を内に納めた鞘の満足を、すなわち脇役を務めるものの自負をうたう。鞘なくしては刀は殺傷の道具に堕する。生殺与奪はむしろ鞘の抑制の力が担っている。

90もまた、光と闇という対をなすものについて。ただし世間知とは反対のことを述べて真実を語る。
普通なら、得体の知れないさまざまなものがうごめいているように感じさせる闇に、光を当てれば、正体は一つということが明らかになる、と考えるところだ。しかし本当は逆。

さらに言えば、光と闇は不即不離のもので、その交錯の中で、本質は一つ、と見抜き省察する心と、同じ一つのものがさまざまに変幻することを鋭敏にとらえる感受性との両方が大切、と教えているようだ。

326篇の短章を収める詩集『迷い鳥』は、以上のように、対から構成されているものが多い。
タゴールという人は、立場や視点を入れ替えて発想することが常であったのだろう。
独り沈思のときも自己内対話を忘れるなと語りかけてくるようだ。



〈いちばんよいものが、わたしを選んでくれる〉[2020年09月22日(Tue)]

DSCN4402.JPG

夕刻、雲の浮かび方が面白くて撮ってみたら、手前のビニールハウスや川向こうの家並みなどが、いかにもそれにふさわしいたたずまいに見えて来た。
思いがけず、ということが時には起こるものだ。

*****

わたしは、いちばんよいものを選ぶことができない。
いちばんよいものが、わたしを選んでくれる。

    ―― タゴール



ロビンドロナト・タゴール(川名澄 訳)『迷い鳥』 (風媒社、2009年)より
*原著は1916年に刊行。来日時に親しく交流した横浜の原富太郎(三渓)への献辞がある。


〈ガフガフ笑った〉[2020年09月21日(Mon)]

DSCN4386.JPG
ヤナギバルイラソウというものらしい。
川べりに咲いていた。
葉が柳の葉に似ているから「柳葉」なのだろう。

*******



会合  工藤直子

四人あつまった
四人とも 別のこと 考えているのに
四人とも ひとつのことを しゃべった
四人とも ニワトリのような目をして
四人とも ガフガフ笑った
四人とも もう どうでもよかったのに
四人とも 希望のことなど話した
四人とも ほかのこと 知りたがっているのに
四人とも 健康のことなど話した
四人とも かわいそうだなあと思ったが
四人とも そのことは そっとしておいた
四人とも ねむかった
四人とも お腹がすいた
四人とも なんだか一生けんめいだったが
四人とも ちっともそうじゃないふりをした
四人とも びんぼうゆすりなどして
四人とも まだもっと話そうといった


 ★ハルキ文庫『工藤直子詩集』(2002年)より。ただしフリガナは省いた。

◆三人寄れば一人ぐらいは文殊になりすまして、「その手があったか!」と残り二人も賢くなった気分に誘うが、四人集まったらどうなるんだろう。

心の中は見えないから、愛想やフリで時間をつぶしている感じだが、それはそれでまんざらでもなく、思いやりにも欠けちゃいない、と、詩は本音を衝いてけっこう意地悪だ。

ただ、作者も、この四人も他を否定したりしない。
ことばをしゃべるのは彼ら全員に共通だからだ。
だから、誰かを今いるここから弾き出そうとしたりはしない。

これとは逆の、言ってることは他と違っているみたいに装って、本心は、自分以外を目の前から追放しようとたくらんでいるのより数等ましかもしれない。(つい先週の自民党総裁選、当初取りざたされていた候補は四人いたなあ。)

◆同じ四人でも音楽の四人組はこれと違って、むろん「健康のこと」などをオタマジャクシに載せてしゃべったりはしない。
たまに膝を動かしているヴィオラ弾きやヴァイオリン弾きなど居たりするが、あれは体全体で音楽しようとしているのであって、決して貧乏ゆすりということではない。四人が響きあうことで生み出す音楽の豊潤なことがその証拠だ。


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