庭園を回遊する詩[2020年09月30日(Wed)]
ニラの花が咲いていた。
ビワの木やクリの木が植わって日の光があまり当たらないあたり。
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より大きな範疇で 貞久秀紀
小径を来て
それがとりわけこの園(その)の
この径であると気づかずにいたふだんの径が
ひとに親しまれ踏みならされてきた土の上でふいに足場となり
木木や径なかでのでこぼこや
石
低い柵
下地をもつ草花のむれや雑木林の
なかをゆく小川や
うごく鳥のもとでかわいた音を立てる枝葉や落葉らの
園にあって見えるもの
きこえるものがおのおの細かく
ことばのようにわかれているこの世のなかを
日のあたるところ
あたらないところの
より大きなふたつの範疇でゆるやかにわけながら
ここからでもゆける
ほがらかな径をひらいていた
*貞久秀紀(さだひさひでみち)詩集『具現』(思潮社、2017年)より
◆各行、わずか1字からなるものから4行目のように28文字からなるものまで、長短さまざまに配され、同じ長さのものがほとんどない(例外は題名の「より大きな範疇で」と、第2連の「なかをゆく小川や」および第3連の「日のあたるところ」)。
それは広い庭園のすみずみに、樹や草花、石や水の流れを配する庭師の仕事に似ている。
単に設計図通りに仕上げれば終わり、ではない。
そこに訪れる者たち――人々や鳥そのほかの動物たち――によって作られ、また彼らによって呼吸されて育ち変化する空間としてあれこれを配置し、仕事を終えたのちも訪れてその成長を見届ける。
この詩の言葉たちは、小径を歩き、足をとめて目に入るものたちを空気のように呼吸する間の、その息遣いをも表しているようだ。
読者もまた、この言葉による回遊式庭園をそぞろ歩くことになる。