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白く小さな花の変容[2020年06月20日(Sat)]

DSCN3696メリケンムグラ-A.jpg

おととい写真を載せたメリケンムグラ、一雨あったのち見たら、花の一つが透き通って、あたかも薄い氷に変容を遂げたようだった。不思議だ。

純白の花が雨に打たれて透明な姿をさらして恥じない。
小さな小さな花だがその潔いこと。

*******


◆政府が新型コロナ接触確認アプリ(COCOA)の配信を始めたという。
スマートフォンの位置情報をもとにするのだそうだ。
個人情報保護が洩れるおそれや、常時監視されている気味悪さを払拭するためにさまざまなシバリを設定し、2週間経てば情報は削除される、とうたうが、果たしてどうか。
それほどにお上のやることなすことことごとく信用できない国の現状がある。

◆一方で、河井克行・案里夫妻の買収事件の裏付けとなったのが二人が使っていたスマートフォンのGoogleマップだったという。履歴情報という「動いた証拠」によって悪事を洩らさず捕らえる天の網として活躍したわけだ。

【6月20日週刊朝日記事】
河井前法相夫妻の逮捕の決め手はスマホのGoogleマップ
https://news.yahoo.co.jp/articles/522f8b86669d437041b98a557d022dd97dfb4db8

◆河井夫妻の件では、パソコンから削除した現金配布先のリストがデータ復元ソフトによってしっかり把捉されたともいう。

そうした恐れがあればこそ、2014年のO議員の政治資金問題では、会計データを保存してあったパソコンのハードディスクにドリルで穴を開け、証拠隠滅を図ったのであろう。

◆議員歳費はもとより、政党交付金にしろ一円たりとも国民の血税でないものは無いことを忘れ果て、身の処し方も弁えないありさまは野の花の潔さにとうてい及ばない。
メリケンムグラの花より大きな議員バッジは即刻返上すべきだ。




おべだふり[2020年06月19日(Fri)]

DSCN3658ホオジロ.JPG
梅雨空で姿を見定めるのが難しかったけれど、ホオジロのようだった。
雨に濡れたか、毛羽立ったシルエットに見える。

*******


素直な疑問符  吉野弘

小鳥に声をかけてみた
小鳥は不思議そうに首をかしげた

わからないから
わからないと
素直にかしげた
あれは
自然な、首のひねり
てらわない美しい疑問符のかたち。

時に
風の如く
耳もとで鳴る
意味不明な訪れに
私もまた
素直にかしぐ、小鳥の首でありたい。
 



『10ワットの太陽』(思潮社、1964年)所収
小池昌代編『吉野弘詩集』(岩波文庫、2019年)に拠った。

◆聞いてわからないことばを「鳥のさえずり」にたとえることがある。
この詩ではその鳥が、聞き分けぬ人間の声かけに〈不思議そうに首をかしげた〉と立場を反転させているところが面白い。

小鳥の仕草から、素直に「わからない」ということを恥ずかしいことと思う習慣になずみ過ぎて、いつか根源的な問いかけすら忘れて惰性で生きている我に気がつく。

思えば「わからないもの」に疑問符を付けて心にとどめて置くことは、世界を見つめ直す時への用意であるはずで、何のささやきかけか耳元で鳴った意味不明の響きは、世界の方から唯一自分だけに与えられた問いかけであるのかも知れない。

◆川崎洋が、この詩を紹介しつつ〈六十年以上生きてきて、わたしは何度「知ったかぶり」をしたことでしょう。〉と顧みている(『教科書の詩をよみかえす』ちくま文庫、2011年)。

むろん、知ったかぶりは人の世の常で、その証拠に、と言って、日本各地の方言を挙げる――

いぎたない(神奈川県津久井群)
えげたふり(青森県三戸郡)
おかべ(山形県飽海(あくみ)郡)
おべたふり(北海道・秋田県鹿角郡・青森県上北郡・岩手県気仙郡・宮城県栗原郡)
きだふり(宮城県石巻)
こーしゃ(新潟県佐渡)
こまいめ(島根県隠岐島)
つらがしこ(徳島県)
なまざき/なまげき(茨城県稲敷郡)

〈右はわたしの知ったかぶりではなく『日本方言大辞典』(小学館)でしらべたものです。〉と断っているのもおかしい。

◆我が生まれ在所の言い方は上から4つ目、ただし濁点が付いて「おべだふり」である。
直訳すれば「覚えている=知っているフリ」ということになる。

◆眺めわたせば教場から議事堂にいたるまで、到るところ「おべだふり」だらけなのだったが、自分がソレだ、と告白する誠実なる勇者はごく一握りしかいない。


「もうすこしで/しきさい に なってしまいそうで」[2020年06月18日(Thu)]

◆朝の散歩で出会った、地を這うように咲く小さな花。

DSCN3690.JPG

梅雨空には白い色が妙に目立つ。
十字形で飾り気が全くない、と見えたが近づいて見ると花はボウッと霞んだように見える。小さな羽毛をまとって実はずいぶんお洒落なようだ。

DSCN3691メリケンムグラ.JPG

調べたら、メリケンムグラという帰化植物で、「メリケンの葎(むぐら)」という名前の通り北米原産。最初に発見されたのは1969年、岡山で最初に発見され、主に西日本で見られる、と書いてあった。してみると、関東辺りでは未だそんなに広がっていないのか。

花の大きさは1センチ余り。息を詰めて見出されるのを待っていたような。

*******


はくちょう   川崎洋


はねが ぬれるよ はくちょう
みつめれば
くだかれそうになりながら
かすかに はねのおとが
   
ゆめにぬれるよ はくちょう
たれのゆめに みられている?

そして みちてきては したたりおち
そのかげ が はねにさしこむように
さまざま はなしかけてくる ほし

かげは あおいそらに うつると
しろい いろになる?

うまれたときから ひみつをしっている
はくちょう は やがて
ひかり の もようのなかに
におう あさひの そむ なかに
そらへ

すでに かたち が あたえられ
それは
はじらい のために しろい はくちょう
もうすこしで
しきさい に なってしまいそうで
     
はくちょうよ



小海永二編『精選 現代詩全集』(ぎょうせい、1982年)より

◆今朝の小さな白い花を見たあとに「はくちょう」の詩を読むと、「もうすこしで/しきさい に なってしまいそうで」のくだりがスッと胸に入り込んでくるように感じる。
「はくちょう」は鳥の中では相当に大柄な生き物なのに、この詩では、「メリケンムグラ」の花のように、あえかな、と言いたいほどに小さな掌中の命として見つめられている。



コブシの子孫繁栄成るか[2020年06月17日(Wed)]

コブシの若子(わくご)たち

◆去年9月の台風15号で折れてしまった境川散歩道のコブシ、その時に持ち帰った実がけっこう芽吹いて若葉を広げている。その数20〜30もあったのをポットに移した。
深めのプランターに埋めて置いたおかげか、結構深くまで真っ直ぐに根を伸ばしていた。
コブシ状の実を丸ごと埋めた所からはミッシリと芽を出していた。

DSCN3687.JPG

小分けにしたのを親木のところに置いとけば、心ある方が持ち帰って育ててくれるのではと期待している。
土に下ろすのは2年目頃が良い、と園芸サイトには書いてあったが、うまく根付いてくれますように。

DSCN3684.JPG

◆親の木はひこばえが青々と葉を伸ばしている。
数日前に撮ったのが下の写真。
親木の周囲や土手の何カ所かにも埋めたのだが、残念ながら雑草の勢いに負けて、姿が見えない。

DSCN3592.JPG


【2019年9月9日記事】台風15号暴風の跡
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1345





イージス・アショアの配備計画「停止」[2020年06月16日(Tue)]

DSCN3682.JPG
ランタナ。鉢で一度咲き終えた後、土に下ろしたら再び花を付け始めた。

*******

◆イージス・アショアの配備計画「停止」を河野太郎防衛相が表明した。
いきなり「中止」では虚偽の説明をしてきたことを認めるに等しいので、「計画を停止」と言い逃れているが、事実上の白紙撤回に等しい。
これ以上、無駄な出費を広げない判断は、配備に無理を重ねてきた下々の策の中ではまともな方だが、伝えられるところでは、安全確保が困難という報告はすでに4月時点で上がっていたとされる。すみやかな方針転換に至らなかったのは、大臣・政府の下心と宗主アメリカへの慮りがあったと推測するのが自然だ。「停止」という暫定的表現でお茶を濁しているところは、現政権十八番のズラシ・ゴマカシ語法に過ぎず、頭から尻尾まで腐っている証拠だ。

なぜ、このタイミングで発表したのか、という疑問を昨15日のニュース番組でキャスターが呈していたが、愚問。
国会で追及されることを避けたかったからに過ぎない。会期延長なしとの与党方針が固まったタイミングを狙ったわけで、あくまで国会を軽視し国民への説明責任に頬被りしたまま潜行を目論む泥舟政権らしい姑息な動きである。
そのことを指摘して国会会期の延長こそ政府の務め、任務放棄は許されないと締めくくるべきだった。

そうした批評を下すのもニュース・キャスターの務めであろうに、あろうことか締めくくりに「アメリカ政府の理解を得ることも必要」などというコメントを添えるに至っては啞然とした。
メディアまでアメリカに足を向けては寝られないのか。



*******


全方位外交でいこう  若松丈太郎


転んだことのない人はいないはず
転ぶことはありうること
ありうることは起こりうること
転ぶことはいつかあること
用心するに越したことはない

想定外ということばが使われた
想像力がなかったり
思いこんでしまったり
考えることをしなかったり
そんなことの結果として恥ずかしげもなく
責任ある立場の人びとが使った

思いがけないことがあっても
思いがけないことを予測さえしていれば
思いがけないことではなくなるはず
敗戦を想定して開戦するのはばかげている
戦争をしようというからには
勝利を想定してのことだろう

十五年戦争を始めたときにはおそらく
想定外の幸運に恵まれた日清日露戦争と同様
短期間で勝利できると目論んだにちがいない
五億人以上が住む二十五倍以上も広い中国に
日本軍は百五十万人ほどを派兵した
想定外の抗戦のなか無謀にも戦線を拡大した

帝国海軍がホノルルの米海軍基地を攻撃するまえ
その一時間五十分まえに大東亜戦争は始められた
日本時間一九四一年十二月八日午前零時四十五分
海軍艦船の支援を受けた帝国陸軍第二十三旅団は
マレー半島コタバル海岸への上陸作戦を強行して
八百五十名を超える死傷者を出している

なぜマレー半島コタバル海岸なのか
中国との戦争を継続するためには
マレー半島 スマトラ島 ボルネオ島など
東南アジアの石油が必要になったのだが意に反して
制空権も制海権もアメリカ軍に掌握されてしまう

そんなわけで国民学校初等科四年のぼくらまでが
おおきな松の根を唐鍬で掘らされた
乾溜して松根油をつくるのだという
松根油ならぬ脂汗がからだじゅうから噴きだし
瘠せて非力なぼくは厭戦主義者になった

秦の笵雎(はんしょ)は『遠交近攻』を唱えた
遠国と同盟を結び背後から牽制させながら
近国を攻撃する外交政策を言う
戦国時代の知恵として考えだされたのだが
強大な近国に対しては通じない策略だろう

絶対に起こってはならない事態がもし起こったら
それは破局であり終局である
絶対に起こってはならない事態を招いてはならない
それでも不測の事態が起こるかもしれない
ありうることは起こりうることだ
絶対に起こってはならない核災が発生した
想定外を想定できなかったことが原因だった
戦争にしても同じことが言えよう
神風が吹かなかったのが想定外だったと言い訳するか

日本の二十五倍以上も広い国土に十二億人が暮らし
世界第三位の軍事力を保有している中国をまえに
借金大国の翼賛議会が年々増額している軍事費は
むだ金になるとしか想定できない

身のほどをわきまえて
「遠交近攻」ならぬ「遠交近交」こそが
つまりは全方位外交こそが
国民のいのちと暮らしをまもり国土を荒廃からまもり
世界じゅうの人びとと地球とにやさしい政策だ



若松丈太郎『詩集 十歳の夏まで戦争だった』(コールサック社、2017年)より



「猛烈な天」[2020年06月15日(Mon)]

◆ヤマモモがたわわに実を付け赤く熟してきていた。
DSCN3678.JPG
味はやや酸味を含んで素朴な甘さ。

DSCN3673.JPG
湘南台公園にて。

*******

◆朝から32℃。
海の向こうから、再び黒人青年の死の報。
どうかしてる。
「警官が容疑者に発砲することが米国では珍しくない」と述べて平気である新聞やテレビ、事件について人の命について、まともなコメントを発しないこの国のトップが、である。


***


猛烈な天   草野心平


血染めの天の。
はげしい放射にやられながら。
飛びあがるように自分はここまで歩いてきました。
帰るまえにもう一度この猛烈な天を見ておきます。

仮令(たとえ)無頼であるにしても眼玉につながる三千年。
その突端にこそ自分はたちます。
半分なきながら立っています。

ぎらつき注ぐ。
血染めの天。
三千年の突端の。
なんたるはげしいしずけさでしょう。
 


ハルキ文庫『草野心平詩集』(2010年)より


◆「三千年の突端」とは、多くの犠牲を払いながらも、人間の尊厳を、自分同様他者にも認め、それを危うくする者に抗うことで文明を築いてきた人間たちの歴史のその突端、ということだろう。
「しずけさ」がはらむ満腔の悲しみと怒り。




〈今変えなければ〉[2020年06月14日(Sun)]

DSCF0028.JPG
タチアオイ(立葵)は赤や桃色が代表的だが、白もまた対照的な美しさだ。
市内、今田公園にて。

*******

◆何台ものバイクが爆音を響かせて近づき、また遠ざかって行く。
彼らが集まるのは束の間の休日の夜遅くである。

先週、がら空きになった首都高速をスピードを上げて走るサーキット族のことをTVも取り上げていた。

◆40年以上前にも「族」と呼ばれる若者たちの姿があった。川を渡ってすぐのドリームランドや10km先の江ノ島は彼らの集結地点だった。

◆かつても今も若者たちが仲間とともに突っ走ることで鬱屈を振り払おうとしているのは同様だが、違うのは、現在は「格差」が自己責任の結果であるように意識させられる習慣が長く続いていることと、コロナ禍による失業問題であらわになった、社会の包摂力の欠乏だろう。

◆もうひとつ違うのは、自分たちを取り巻く社会の不合理をどうにかしたいと考えている若者が世界のあちこちにいることを身近に思える時代に生きている、ということだ。

今日、代々木公園から「Black Lives Matter Tokyo March」が街を練り歩き連帯を呼びかけたことがその現れだ。

***

◆今日の新聞から加藤登紀子のことば――

「2、3ヵ月、経済がストップしただけで、多くの人が生きられないレベルの困窮に陥る社会は世界でも恥ずかしい。日本のこの数年の制度改悪を、今変えなければならないと思います。」

(「しんぶん赤旗日曜版」2020/6/14号のインタビュー記事〈人〉から)


〈夜は。海から明けはじめる。〉[2020年06月13日(Sat)]

DSCF0024.JPG
カンナ

*******

ミンダナオ子ども図書館から、フィリピンの最高峰、アポ山(2945m)登山の様子を紹介するメールが届いた。
大きな木々、途中の渓流、湖沼、天然の温泉、山頂付近のブルーベリー……霊たちが集まり天界へと旅立つ聖なる山の荘厳さに打たれる。

★右のサイトから⇒http://www.edit.ne.jp/~mindanao/apo.html


*******

夜明け    草野心平


夜は。
海から明けはじめる。
天末線の向うにかくれている太陽の光をうけて夜明けは。
先ず空からはじまる。
薄墨に。だいだいに。オパールに。茜に。烏瓜に。ギャランスに。
順序もまちまちに日毎。同じくでなく繰返され。日毎同じでなく新しく。
Angel's Trumpetの白い筒花は闇を吐きだしオパールを吸いこむ。
動き出す海の人。人々。
動く波。
動く雲。
動く光。



『太陽は東からあがる』(彌生書房、1970年)より。


*天末線…天が地と接するように見える遠くのはて。
*Angel's Trumpet…キダチチョウセンアサガオ。下向きで筒状の花をつける。
*ギャランス=ガランス…やや沈んだ赤色。あかね色。



〈細胞は海に向かって喉をあけて〉[2020年06月12日(Fri)]

DSCN3653-A.jpg
田植えの済んだ田んぼ。
一番手前の一枚は、今年の前半はレタスを栽培していた。
今年の正月早々に小さな男の子を含む家族みんなで苗を植え、4月の末にはまた家族総出で収穫していた。その後ビニルの覆いを片付け、土をならして水田に変貌。

二毛作が逐次進んで行くのを目のあたりにするのは初めての経験だ。まこと、作物を育て上げる土の力は偉大である。

DSCN3650.JPG

引き込んだ境川の水が順繰りに田を潤し、まもなく太平洋に注ぐ。ここから江ノ島までは10キロほどの水の旅である。

*******


跡   高橋順子


海とか川とか樹木とか 人間が造ったものでないものの前にいるとき
自分が
せいせいして明かるい跡になっている気がする
機嫌のいい顔をして
細胞は海に向かって喉をあけて
わたしはわたしを思い出さないで



宗左近『詩(うた)のささげもの』(新潮社、2002年)より


それを教えてくれるのは[2020年06月11日(Thu)]

DSCN3629.JPG

30℃近い暑さののち、にわかに風、ついで雨、と変化急な一日、梅雨入り。

******


人ではない!  まどみちお


持っている手をはなすと コップは落ちる
それを教えてくれたのは 人ではない

落ちたコップは いくつかに割れる
それを教えてくれたのは 人ではない

コップの中の水は とびちる
それを教えてくれたのは 人ではない

とびちった水は やがて蒸発する
それを教えてくれたのは 人ではない

この世のはじめから 手をとるようにして
教え続けてくれているのは 人ではない

つきない不思議を これからも
えいえんに 教え続けてくれるのは
ああ 人ではない!



伊藤英治・編『まど・みちお全詩集』(理論社、1994年)より


◆人が教えてあげられることはおよそ限られていて、尽きることのない不思議を顕現してくれる自然こそ最良の案内役、とこの詩は言う。

不思議に思う人間がいなければ始まらない話ではあるけれど、不思議がる日々を生きている子どもたちは必ずこの世にいるので、分かったフリの大人たちは、せめて彼らの探究のジャマをしないように、わが身を低くして彼らを見守らなければならない。つまりは、大人の方こそが子どもたちから教わることの多いことを知らなければならない。



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