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「とても おおきな まちがい」を歩んでいるような[2020年03月31日(Tue)]

DSCN2965アオキ.JPG
アオキ。雌雄異株だそうでこれは雄花らしい。

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◆バス停でバスを待つ人たちが一人分ほど間隔を空けて並んでいた。
著名人の死をきっかけにようやく我が事としてふるまいを変えて感染からわが身を防がねばと思った人は多いのだろう。

それにしても亡き人の顔すら見てやれないというのは悲しすぎる。

◆一方で、やまゆり園事件の植松聖被告は控訴を取り下げた(30日)。
横浜地裁で集中的に行われた裁判で彼自身について明らかにされたこともあるが、事件を乗り越えるにはなお足りぬことばかり、という印象が深い。さまざまな人が接見し、手紙を交わして手がかりを得ようとして成功していない。

我々の中の「さとくん」に迫ることは、少なくとも裁判長の手には余ったようだ。
それでこの社会の中の「さとくん」たちに誰が迫れるだろう。法を司る人間はそうしたことを考えないのだろうか?

月刊『創』の篠田博之編集長が同誌に植松聖被告の手紙や接見の様子を載せた最初期の記事に載っていた写真、被告の描いた極めて細密な絵が印象に残っている。集中と根気がなければ描けるものではなかった。
それが事件と無関係なのか、それともつながる何かがそこにあるのか。


*******


おぼろ  堀部泰子

きのうも
きょうも
おぼろになって

なにか
とても おおきな まちがいに
きづかないでいるような

はる

はな

ここは
ここなの? 


堀部泰子詩集『日の音』(書肆とい、1996年)より



一斉に色とりどりの蝶が[2020年03月30日(Mon)]

DSCN2972ルリシジミ?.JPG
ルリシジミという蝶のようだが、どうだろう?
羽のウラは白っぽいように見えた。雪の降る前日(つまりおととい)、ぽかぽか陽気に黄色やオレンジ、白に黄色ととりどりの蝶たちが一斉にさざめくようであった日。

*******


竪琴  池井昌樹

せかいはふしぎにみちている
なにしろうたがあるからね
なにしろそらがあるからね
そらのしたにはうみがあり
うみのほとりにひとがすみ
ながらくくらしてきたからね

せかいはふしぎにみちている
なにしろうたがあるからね
うたいつづけてきたそらが
うたいつづけてきたうみが
うたいつづけてきたひとが
ながらくともにあるからね

せかいはふしぎにみちている
ふしぎにみちたそのどこか
うたうたわせてきたものが
そらでなく
うみでなく
ひとでなく
いまもまだ

みえない竪琴(リラ)
つまびくゆびが


思潮社『現代詩手帖』2019年1月号より

◆「竪琴(リラ)」は見えないのにそれを「つまびくゆび」は見える。ただし、それは自分が――自分という不確かなものが――世界から消える時にだけ宙にありありと見えてくるもののようだ。
しかもその指の主の全体を見通すことはいつも叶わない。
そうして、「つまびくゆび」が見えない時だって、そのリラの音は必ず聞こえている。
それが本当か、本当でないか、疑う必要はさらさらない。
なぜといって、自分が世界から消える時はたまにしかないけれど、リラの音はいつだって聞こえているからさ。




雪の日とマスク[2020年03月29日(Sun)]

DSCN2974.JPG
南天に雪。この季節の降雪は珍しい。
外出自重の心がけに報いる恵みの雪、ということになろうか。

*******

◆テレビでハンカチとゴム紐を使ってできるマスクの作り方というのをやっていた。ハンカチを三つ折りにしてゴム紐をくるむように左右から畳み、合わせ目を重ねるというやり方であっと言う間にできる。
不繊布による市販のマスクを使い慣れた現代人には盲点だったかもしれない。

◆雪で客も少ないだろうと出かけたドラッグストア、案の定お客は当方を含めて3人ほど。
トイレットペーパーとティッシュは相変わらず払底している。カップ麺でなくなっているのがいくつもある。長期戦覚悟の人たちがそれなりにいるということだ。
品不足のトレンドを知ろうとする野次馬根性が残っていることを自覚したついでに、レジでマスクの入荷状況を訊いてみた。
朝イチ勤務を常とする人ではないようで、連日の状況を把握している風ではなかったが、今朝に関して言えば数枚入りのパックが若干入荷し、並んでいた人たちによってスグ売り切れたそうだ。

◆我が家は使ったマスクを洗って再利用につとめている。
熱湯と洗剤(界面活性剤がウィルスを破壊するそうだ)、それに台所用漂白剤を併用して手洗いし、手で絞らず、火ばさみでつまんで振り回す方法によって脱水している。遠心力利用である。
子供の頃初めてわが家に登場した電気洗濯機が脱水用ドラムを備えたタイプだったのを思い出す。
郷愁にひたりつつ振り回していると、マスクが飛んで行ってしまい、洗い直す羽目になることがある。握力が落ちている証拠である。

◆もう一つTVで紹介されていたマスクの話。
新聞にマスクが手に入らない、という投書が載った婦人。基礎疾患を抱えて高リスクの高齢者世帯の不安を訴えたところ、読者からマスクのプレゼントが届けられたとのこと。
「ありがたくて、これは使うことができません」と見知らぬ人たちからの思いやりに感涙をこぼす奥様のことばがあった。

つましくも市民は自衛と互助につとめているぞ。

石原吉郎「方向」再読[2020年03月28日(Sat)]

DSCN2942.JPG
ユキヤナギ

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◆COVID-19、あちこちに蟠踞の様相を呈しつつあり、人間の方は蟄居の日々が続く。

どこへ向かうか分からない時にたまたま開いた文庫本に「方向」という題の一篇の詩。
以前に一度取り上げたことがある詩だが再掲しておく。

その時には、運動とそれがはらむエネルギーを表現したものと理解して、希望を示唆されたように読んだのだけれど、世界が別の相貌を露わにしている2020年3月末にこの詩を再読すると、あの時の「希望」は間違いだったとは言わないまでも、実は錯覚の類いで、むしろ全く反対に「絶望」の、それも心底深いくろぐろとした「絶望」の表現であったのだ、と思うに至った。変わらないのは運動する主体というべきものが、動いている間も消え失せた後も真の実体を持たないこと。
詩の終わり近くに「無人の円環」と記されていることがその証左である。


方向   石原 吉郎

 方向があるということは新しい風景のなかに即座に旧い風景を見いだすということだ 新しい位置に即座に古い位置が復活するということだ ゆえに方向をもつということは かつて定められた方向に いまもなお定められていることであり 彷徨のただなかにあって つねに方向を規定されていることであり 混迷のただなかにあって およそ逸脱を拒まれていることであり 確とした出発点がないにもかかわらず 方向のみが厳として存在することであり 道は制約されているにもかかわらず 目標はついに与えられぬことであり 道を示すものと 示されるものがついに姿を消し 方向のみがそのあとにのこることである
 それは あてどもなく確実であり ついに終わりに到らぬことであり つきぬけるものをついにもたぬことであり つきぬけることもなくすでに通過することであり 背後はなくて 側面があり 側面はなくて 前方があり くりかえすことなく おなじ過程をたどりつづけることであり 無人の円環を完璧に閉じることによって さいごの問いを圏外へゆだねることである


『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫、2005年)

***

◆旧記事は2018年12月23日の【「石原吉郎の「方向」】
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1086


散文的な日々[2020年03月27日(Fri)]

【3月28日追記】
下に紹介したドイツのグリュッタース文化相のことば、プレスリリースを粂川麻里生氏が訳出して下さっていた。感謝しつつ下記にリンクを付して置きます。

3/11 ドイツ文化大臣「フリーランスの芸術家への無制限の支援」を言明
https://jazztokyo.org/news/post-50875/?fbclid=IwAR2TA86zUyNwjasDBzeBPXaO0B33fCLPY9kpsUiRvx0GNbUqz1YTabPRY4w

***


DSCN2963ムスカリ.JPG
ムスカリ。二度目の登場だが、いつ見ても不思議な形だ。

*******

◆散文的な日が続く。

朝刊にアメリカの失業申請のグラフが載っていた。
先週3月21日の週間新規失業保険申請件数が328万3千件という数字。
過去最大は1982年10月の69万5千件だという(米労働省)。
来週発表予定の失業率はリーマン・ショック後の最悪期、2009年10月の10%を越え、世界恐慌期(1933年の約25%)に匹敵するのではと懸念されている(3/27朝日新聞朝刊)。

◆日本ではどうか?

新聞の夕刊はアートや舞台公演、映画などの情報が載る。今週水曜日の美術館情報は殆どの館が休刊中との表示。木曜夕刊の紙面も、幸い上演にこぎつけた芝居の批評などはあったが、この先の公演案内は激減。
先の見通しが持てない中で、ステージ関係は軒並み大打撃だ。
今日の国会でも、ドイツやイギリス並みの思い切った支援・休業補償をと、野党議員は再度要請したものの、政府からは、はかばかしい回答がない。閣僚たちの文化への無理解を改めて確認しただけであった。

◆朝日新聞3/27朝刊の「折々のことば」、鷲田清一はドイツの文化メディア担当相の発言を紹介した。

「私は彼らを見棄てはしません」 モニカ・グリュッタース
  (3/11付ドイツの政府広報)

「文化は…贅沢品ではない。それを欠く生活がいかに味気ないかを、私たちは今、目のあたりにしている」とも述べているそうだ。

◆舞台でライトを浴びる俳優や演奏家、ダンサー、噺家のみならず、舞台を支える数多くのスタッフが食べていけないということは、彼らがもたらす果実=人間らしく生きる糧を我々全体が失うことに等しい。

*神奈川の今日27日のコロナ感染者は11人でこれまでの最高値との報道。うちお一人は高速道料金所に勤務の男性。
発症前に勤務したという日をカレンダーで確認したら、まさにその日、当方は車でその料金所を通って芝居見物に出かけたのだった。
ETCを使って、実際には接触のしようもないので心配するには及ばない話ではある。
用心するなら、このさき買物などもチャージできるカードで精算した方が正解かも知れない。
だがカードの直接タッチを控えてかざすだけにしようとしても、機械に触れてしまうことはままある。チャージする際にも何回か画面にタッチすることになるわけで、心配すればキリがないこと無間地獄のごとくだ(未だ行って見たことはないけれど)。



「買っとこう」にブレーキを[2020年03月26日(Thu)]

DSCN2958ジョウビタキ.JPG
ジョウビタキ

*******

◆新型コロナウィルス感染拡大が「重大局面」だとする小池都知事による週末の外出自粛要請、神奈川など近県も呼応する動きとなった。
五輪延期決定に踵を接するよう唐突な発表をしたのには感染者数の急増があるが、この数字は確かなのか、と疑念を述べる向きもある。さまざまな都合が、都民・県民抜きで処理されようとしているのではないか、そのために検査も感染者数も実際より低く抑えられているのではないか、というのである。
東京都の場合は2日続けて40人台に跳ね上がり、しかも連続して最多を更新した。
これだけでも大変なことになりつつある、と受けとめるべきだろう。
だが、25日の発表では41人中10名以上いると述べていた感染経路不明者が、46名の感染者となった26日では一体どうなのか、ついでに言えば、これまでの不明者のうちその後判明した人とそうでない人がどれくらいいるのか、そうした説明は報じられていない。
「クラスター」という概念で注意を促した以上、言いっ放しにせず、把握している現況を伝えるのは当然のことだ。

◆しばらく我慢の日を続けるよう要請するなら、そうした疑問に丁寧に答える姿勢が欠かせない。
同時に買い溜めなどの市民の行動にブレーキをかける呼びかけも必要なはずだが、そのアナウンスもない。

さるドラッグストアにグループで来ていた年配の女性陣、ガランとなった棚の端にあった滅菌グッズ、これも使えるとアドバイスされたのだろう、「買っとこう」と手をのばしてカゴに入れた。

「念のために」あるいは「余分にあると安心」と考えて必要数を上回る買い物をしてしまう。
それが品薄をもたらしているということなら、「十分在庫はあります」というアナウンスに加えて「買い溜めが欠品・品切れをもたらす」ということを判りやすく、説得力あるメッセージで発信しなければならない。自粛を要請するならそこまで神経を行き届かせねばならない。

そんな風に思う自分自身、2〜3週のガマンで済むのか、2〜3ヶ月あるいはそれ以上の持久戦を闘うことになるのか、戦略を思案する籠城の主の気分でいるのだから、エラそうな口はたたけない。



「自分は大丈夫」と思うことをやめる[2020年03月25日(Wed)]

DSCN2909.JPG
スミレ。健気である。
手元の牧野植物図鑑(学生用)に名の由来が書いてあった。
花の形が大工さんが使う墨を引く道具「墨入れ(墨壺)」に似ているから、というのだが、果たしてどうか。

*******

◆1ヶ月近くも登校できなかった学校で終業式が行われたのだろう、荷物を持って帰る小学生の列にでくわした。
街のそこここに、中高生の姿も一度に戻って来た印象。
今までハーメルンの笛吹き男に連れ去られていたのか、と思えるほどだ。

◆古本屋にも子どもたちの姿が多かった。コミックの棚ばかりではない。
文庫本を何冊も抱えた少年の姿も何人か。
市の図書館も市民センター併置の市民図書室も窓口対応だけで閲覧ができないから、飢餓感があるのだろう。
こういう時に学校図書館を貸し出しだけでも使えるようにしてくれれば子どもも親も助かるだろうに、と思う。

◆藤沢駅周辺を除いて新刊書を置いた書店が本当に減った。
市内の小田急・江ノ島線の沿線で言うと、藤沢以北の5駅周辺では近くにあった書店がどれも撤退して久しい。
ネットで買える時代だとは言っても、偶然手にした本が運命的な出会いになることはしばしばあるのはいうまでもない。

東京のコロナ感染者41人、という衝撃的な数字。
報道はもう、前日比何人増えた、という表示ではなく、日ごとの発生数をグラフで示すべきだろう。
ただし、すでに回復して陰性が確認された数も発表して欲しい。右肩上がりに増える一方のグラフでは気が滅入るばかりだから(ひょっとして掌握していない、なんてことはないよネ)。

◆それと、台湾のように、対策本部の専門家が、日々情勢を説明してもらいたいと切に願う
東京および周辺各県の通勤・流通などの動きを考えれば、東京都だけが大変になりそう、という話でないことは誰にもわかる。
首都圏エリアとして情勢を把握し見通しを立てることが必要であることは誰しも想像できることだからだ。それなのに各自治体の発表をそれぞれに伝えるだけだ。
数日前までは隣接する市に感染者が出て、近づいて来たな、と感じていても、どこかで地図上の市境や、間を流れる川を境にして向こう側の話として片付けたい気分があったのは事実。
目に見えない敵だから、考えないで済まそうとしていたわけである。

◆だがネットにはイタリアやイギリスで苦しい闘いを強いられている感染当事者の切実な報告が投稿されている。
ある日、海の向こうの話でなくなっていることに気づいた時にはもう遅い、ということだ。
「自分は大丈夫、とは思わないで」と咳き込みながら訴える姿が痛々しい。

教訓を活かすには、行動変容に資する情報をきちんと出していくことが基本だと思う。「〇〇保健所の管内」というぼかした発表は終わりにして、居住地や行動範囲を可能な限り公表するなどだ。
不安をあおらないための注意点や安心材料も繰り返しアナウンスする必要がある。
行政やメディアへの極度の不信も蔓延している中で容易なことではないが、アイマイにして憶測の暴走を生むことがかえって危険だ。

「五輪延期合意の舞台ウラ」(NHK夜9時のニュース)などをトクトクと放送している場合ではない。



五輪延期ニュースのNHK的演出[2020年03月24日(Tue)]

またまた走狗のNHKニュース

◆きょう24日、夜9時のNHKニュース、東京オリンピックを来年夏までおよそ1年延期するという話で終始した。アベ首相とバッハIOC会長とが電話会談で合意に達したというのだが、これだけで40分余りも費やした。
本来なら新型コロナウィルスの首都圏の今日の感染者増加を「首都封鎖」の視点で続報すべきところ、付け足し程度の報じ方で終わってしまった。公共の電波の浪費でしかない。

◆五輪延期の中味は、アベ首相のぶら下がり会見での発表を軸に、政治部とスポーツ担当記者2名に解説させるという組み立て。間に電話会談に同席した要人たちをつかまえては、コメントを取るという進め方だから、進行を指示するスタッフの声が慌ただしく聞こえ続けていて、合間に新橋駅周辺で録ったとおぼしき市民の声をVTRで流し始めたところで小池都知事インタビューが始まって中断、市民の声は、改めて頭に戻して再度流す、というバタバタぶり。
政治部記者のコメントからも、「1年延期」はすでに取材で確証を得ており(官邸からのリークがサービスされていたかも知れない)、その前提に基づいて市民にインタビューしたことが判るようなインタビュー内容であった。
スタジオ内のスタッフの声を聞かせたのもビッグニュースとして緊迫感を出す演出であったのかも知れないと思わせる。
アナウンサー2名も言葉の接ぎ穂に窮し、だらけて気まずい時間が続いた。
そこだけが演出ではなかったということだろう。

◆いわばヤラセをニュースの枠でやらかしたようなもので、伝えるべきことを見失ったニュース番組は、局としての視聴者への侮りを示す。

◆この後のテレ朝報道ステーションなどは、五輪延期を取り上げたのは20分間。NHKの半分であった。それでも、延期の判断は遅すぎるほどであった、とコメンテーターは背景を説明していた。

先日のアベ首相の「完全な実施に向けて」というコメントが世界からは呆れられ、米有力紙は日本批判を展開していたし、次いで米水連、米陸連からの懸念表明、カナダ政府の不参加表明と続いた。ウィルス対策で練習どころでない選手たちの苦闘も伝わってきた。
数日前に延期を求めた山口香JOC委員に対して山下泰裕JOC会長が示した反応も、未だそんなやりとりをしているのかと世界からは見られていた。
時々刻々伝わってくるCOVID-19禍の広がり、各国の深刻な状況に対して、日本政府やJOC、主催者である東京都の余りの鈍感さ、共感・憂慮の欠如である。

それらをおさらいして伝えるのでなければ、視聴者にはあたかも首相が素早い決断を下してIOC会長の合意を取り付けた、という風にしか見えないだろう。
本当は、国際世論に押し込まれ、遅いタイミングで政治判断せざるを得なかった、というのが実態である。

◆国会では今日も財務省の森友文書改竄事件で野党から厳しい追及が続いた。
故・赤木俊夫氏の妻の怒りの言葉も伝えられた。だがそれに対する首相の薄笑いも、しどろもどろの答弁もNHKニュースは伝えない。

NHK9時のニュースはオリンピック延期を告げるアベ首相の姿を3度も繰り返し流していた。
”まさにですね””いわばですね”国民洗脳&教化のメディアとしてですね、(首相のために)”適切に”伝えることしか知らないみたいではありませんか。


誰にとっての「便利さ」か[2020年03月23日(Mon)]

DSCN2941雲南黄梅.JPG
雲南黄梅(ウンナンオウバイ)という花らしい。蔓性の枝に鮮やかな黄色い花。

*******

◆スーパーのカートを店員さんが拭いているのに出くわした。
店の入り口に老いてある消毒スプレー同様、除菌用アルコールなどを染み込ませた布なのであろう、持ち手を次々と拭いて行く。買い物カゴもやっているのかどうか知らないが、何十、幾百とあるだろうそれらを拭いていくの大変な手間だろうと察する。

当市でも数名の新型コレラウィルス感染者が出たとあって、自分でも除菌シートを持参し、カートとカゴの持ち手を拭いて店に入り、出る際にも手を拭いて車に乗るようにしているが、ある意味でキリの無い作業に思える。やりとりした会員カードや釣り銭まで除菌はしないものの、気にしだしたら夜も眠れまい。(少し前、中国でお札を煮沸消毒しているのをTVで流していた。まさか、と思うようなことが現実に行われているのを見ると、こちらも穏やかでいられなくなるものだ。)

それでなくてさえ、商品を並べ、補充し、たまったカートやカゴを移動し…と、結構な作業を、ギリギリのスタッフでこなしているのが最近のスーパーだ。
セルフの精算機の使い方が分からないお客が係員を呼ぶ場面も時々ある。
レジ係も、バーコードリーダーのおかげで商品名と値段を覚え込まなくてもできる時代になった代わりに、スマホ会員かどうか、お酒の年齢確認、商品券や割引券の有無、など、幾つもの作業を同時に処理しなければならない。便利さと引き換えに過重労働がのしかかって来ては身が持たない。

◆昨日のNHKスペシャル、台湾の徹底した対策を紹介した中で、マスクを政府が全量買い上げて、週に一人3枚だったか、配給制にしている、というのがあった。
同じ人物がウソの申告をして何度も買うのを防ぐために、本人の「保健カード」を読み込めば購入履歴もその場で確認でき、不心得者はハネられるようになっていた。
大勢の前で恥をかかされたらたまらない、と考えるのが普通だろうけれど、切羽詰まってくれば見栄も外聞も関係ないのが人の常だし、現に我が国の政権中枢はそれを地で行って常識が通用しない状態だけに、新たな心配に頭を悩ましてしまう。
例えば台湾の「保健カード」を見て、日本のマイナンバーカードを普及させる起爆剤としてコロナ騒動を利用しようと考えた政府関係者も少なからずいたのではあるまいか。
だが、そうしたよこしまな考えは捨てて欲しいものだ。あらゆる個人情報が政府に集約され管理される社会は願い下げである。カードの「便利さ」を政府は宣伝するが、それは彼らにとっての「便利さ」でしかない。

◆それにしても相変わらずマスクは店頭にない。

一旦並び始めたトイレットペーパーやティッシュペーパーもまた欠品になったところが出てきた。
TVの取り上げ方がまた影響してなければ良いのだが。

Nスペ〈”パンデミック”との闘い〉[2020年03月22日(Sun)]

「いつもの学校じゃない。もう行きたくない。」
――今朝の新聞にあった小学校1年生のことばである。
休校中も低学年は一時預かりで受け入れてくれるというので登校したら、自習を指示され、立ち歩きできるのはトイレに行くときだけ、友だちとおしゃべりしたら先生に注意されてしまう、とのことだった。(3/22朝日新聞)

***

◆今日のNHKスペシャル「“パンデミック”との闘い〜感染拡大は封じ込められるか〜 」はモヤモヤをだいぶ解消してくれた。
長い闘いになる、という専門家の覚悟も伝わってきた。楽観禁物、やれることは自前でやる、という当たり前のことを再確認した。

◆クラスター対策の中心にいる押谷仁・東北大教授は「第2波の感染拡大が進行中で、クラスターを掌握していくことが大流行に陥らないためのカギ」と言う。

専門家が説明するこうした機会をもっと多く設けるべきで、首相によるこれまでの会見は、むしろ時間のムダであったという印象さえ受ける。
「エビデンス」(行政が最近頻用する語だ)に基づかない「自粛要請」がここまで混乱と社会機能のマヒをもたらしている以上、2度目の首相会見は同じ轍を踏んでいるヒマはなかったはずである。

対策チームの立ち上げから各自治体との連絡、情報の発信・集約に至るまで政府の対応は後手後手に回った。

22日の朝日新聞「耕論」に山本庸幸(つねゆき)・元内閣法制局長官が「厚労省は他省庁と比べて地方厚生局の規模が小さく、都道府県と直接やりとりする形で厚生行政を行う。各地に、全国的視点で動ける人材が数多くいるというわけではない。」という話をしていた。
してみると、昨日取り上げた「大阪府・兵庫県における緊急対策の提案(案)」が徹底を欠いた印象であるのも、そうした事情によるのかも知れない。
メールでのやりとりに加えTV会議も可能な時代に、厚労省から大阪・兵庫に直接赴いて案を手渡した、というアナログ的なやり方も、クラスター対策チームの必死の取り組みに比して悠長な気がする。
とすれば、このさき感染者集団が多発した時に大丈夫なのか、と心配になってくる。

◆押谷教授は、把握できていないクラスターが視野の外にあるかも知れない、と警戒心を隠さなかった。また、このウィルスは、自分を生かすためにさほど重症化させず、姿を見せないまま感染を拡大して行く「賢いウィルス」だという話していたことも不気味である。

◆番組は我々の「行動の変容」が必要だ、ということを繰り返し述べていたが、具体的にどうすべきなのかを伝えるには成功していなかった。
出かける人が10〜20%減ったという程度では感染を減らす上で目に見える効果はない、という話もあった。であるなら、出かける回数が何%減ればどの程度の効果が見込めるか、という具体的な数字も示せるはずではないか?

厚労省クラスター対策班は、大阪・兵庫に対して、もし爆発的な発生になったら、という試算を示した。
悲観的な数字とバランスを取るためには、プラス材料となる数字も示す方が望ましい。
単に「不要不急の外出」という抽象的な言い方を繰り返すのでなく、例えば週に3回行っていた食料の買い出しを2回に減らせば、何%寄与できる、あるいは、感染拡大を抑え上で休校措置は何%貢献している、という風に、数字を挙げられるものは示せば良い(数字は〇〇〜△△という幅をもったもので一向に構わない)。

◆進行中の事態であるからこそ徹底した情報公開が必要で、TVは、台湾の対策チームのトップが人々に状況の説明を連日行い、パニックに陥らないよう丁寧な広報活動をしている様子を紹介していた。休校中の学校が感染予防策の周知と励行に努め、学習の遅れを補うための在宅学習システムも直ちに整備して行ったなど、示唆に富むものだった。


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