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メロディを思い浮かべながら「写経」◆2001年版「
作曲別クラシックCD&LD/DVD総目録」に旧目録の書き込みデータを転記する作業を開始してちょうど2週間。イニシャル「S」まで終わった。
Sの字だけでもシューベルト、シューマン、ストラヴィンスキーなど結構あった。
残り60ページに控えている大御所はチャイコフスキーやヴェルディ、ワグナーなど。
オペラ・楽劇は、名唱を抄出した盤が数限りなく出ているものの、手もとにオペラは少なく、シンフォニーと室内楽およびチェロを中心とする器楽曲が中心だから、あと一日で終わりそうだ。
「ジョヴァンニ」をファーストネームに持つ作曲家がずいぶんいることにも気づく。
賢治が「銀河鉄道の夜」の主人公にこの名を付けた理由が納得される。
◆小さな活字を相手に写経のような作業も、メロディーが浮かんで来くればけっこう楽しい。
FM放送からの録音で繰り返し聴いた曲が多い。
◆直接演奏を聴くことができた演奏家は、その時の印象をよみがえらせることになる。
昨年亡くなった
ビルスマというチェリストの場合、演奏後のロビーに現れた時の様子が記憶に残る。まだ気分の高揚が続いている様子で、体全体を揺らしながらサインに応じてくれた。
現在も活躍中のピアニストでは
マルタ・アルゲリチ。
30年ほど前だったか、藤沢市民会館の楽屋、真っ直ぐこちらを見るニベもないような視線に緊張した。
しかし「総目録」を見ると、多くの器楽奏者やピアニストたちと室内楽を共演し、録音として残している。独奏者としてでなくさまざまな個性とともに音楽を創ることに強い関心を持ち続けて来た演奏家であることが分かる。
◆さて、目録をひたすら転記する「写経」。終わりが見えるにつれて我が身を軽くする効果があることに気づいた。
濾過した水が透明度を増すように、記憶のフィルターを通したあとはあらかたが捨象されている。
他人にはバカなヒマ潰しでも、当人には相応の余慶があるもののようだ。
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(もつことは) 須賀敦子
もつことは
しばられることだと。
百千の編み目をくぐりぬけ
やっと
ここまで
ひとりで あるいてきた私に。
もういちど
くりかへして
いひます。
あなたさへ
そばにゐてくだされば。
もたぬことは
とびたつことだと。
(1959/6/25)*
『須賀敦子詩集 主よ 一羽の鳩のために』(河出書房新社、2018年)より。
◆1958年イタリアに留学した須賀敦子の若き日の詩群が一昨年、本になっていた。
ローマでの日々に生まれたこれらの詩の背骨を成すのは信仰だ。
この詩において「あなた」と呼んでいるのは「主」のことである。
◆記憶を蘇らせることは、確認だけでなしに、なにがしかの「発見」も伴う。
それは足もとの強度を確かめると同時に、いつの間にか自分に備わっていたものを活かして飛び立ってみるように促すだろう。
「空気」の存在を信じられれば飛び立つことはもう不可能ではない。
そのとき「私」は、自分を支えているその「空気」のような「あなた=主」に直接呼びかければ足りるのである。