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大学等”無償化”のまやかし[2020年01月21日(Tue)]

DSCN2624コガモ(雌).JPG
コガモの雌。俣野橋よりやや下流にて。

*******

◆センター試験が終わり、受験生は出願大学を確定して行く時期に入った。合格後も学費の工面に頭を悩まさねばならない。

◆〈学校に「思想・良心の自由」を実現する会〉として会報〈Peace & Edue ピースあんどエデュ〉を発行している。
第24号として「高校改革」という特集を掲げ、その一つとして大学等の「無償化」を取り上げた。
この問題についてさまざまなメディアで精力的に問題提起してきた大内裕和氏(中京大)の指摘は大事なポイントを押さえていた。会報では主として〈高等教育「無償化」を疑う〉(月刊『教育』かもがわ出版2019年11月号)によりながら要約・紹介した。
記事は、タイトルを含め当方の受け止めを加えた要約であることをお断りして、以下に紹介したい。

* * *

大学等”無償化”のまやかし  
あくまでも低所得者世帯の学生に向けられた救済措置


2019年に成立した「大学等における就学の支援に関する法律(大学等就学支援法。以下「支援法」)」がこの4月から実施される。奨学金問題解決に力を注ぐ大内裕和氏(中京大)は、ごく少数の学生のみを対象とするに過ぎない「支援法」を高等教育「無償化」だと説明するのは誤りである、と言い切る。以下、大内氏が指摘する問題点と提言を紹介する。

・・・・・

◆支援法の概要…対象は住民税非課税世帯から年収380万円の世帯までで、支援額は3段階。4人家族で子ども2人のうち1人が国立大に進学した場合、住民税非課税世帯には授業料と入学金の全額を免除し、生活費も、返済不要の給付型奨学金を支給する。年収300万円未満世帯にはその3分の2を、年収380万円未満世帯には3分の1を支給する。

◆実態は…数の上で多い中所得層にこれまで各大学の基準で行って来た授業料減免が廃止されて負担増となるために反対の声が上がり、緩和措置検討の動きもあるが、暫定的なものに留まる懸念がある。それなのに、「無償化」が多数に適用されるかのような幻想が振りまかれている。

◆問題点は…

[1]低・中位所得層への支援が行われない

’90年代後半以降、奨学金利用者が急増し社会問題化した。4年制大学の奨学金利用者は96年の21.6%から2014年には51.3%へと急増。学費の高騰と保護者の所得の減少が原因だ。全世帯の平均所得は96年の661万2千円が14年には541万9千円に減じた。半数以上が学費負担に耐えられない事態に追い込まれたということだ。
それだけではない。「支援法」に基づいて従来の授業料減免予算が廃止されると、現在国立大の学部生で授業料免除もしくは減免を受けている4万5千人のうち、新制度でも同額以上の支援対象者は2万1千人にとどまる。1万1千人は支援額が減少、さらに1万3千人もが支援から外れる。これまで支援対象だった学生の1/3がバッサリ切り捨てられる。文科省はこれを精査しないまま「無償化」を演出したい政権の思惑を優先させたと言えよう。

[2]支援対象大学等は要件を充たさねばならない

大学等は、2018年12月28日の閣議決定「幼児教育・高等教育無償化の制度の具体化に向けた方針」が定める以下のような要件を充たしているかチェックを受ける。(1)「実務経験のある教員」による授業科目を標準単位数の1割以上配置、(2)学校法人「理事」に産業界等の外部人材を複数任命していることなど。教員や理事の選任は大学運営の根幹に関わる事項。民主的プロセスによる意志決定が損なわれ、政府の経済政策に合致した大学や学問分野のみが優遇されて、大学自治および学問の自由を脅かすことになろう。そうした管理体制のもとで次世代を担う人材が育つはずはない。*就学支援対象校は、昨秋9月20日に公表。国公私立大学・短大の97%にあたる1043校が対象校に決定した(専門学校は1688校[全学校数は2713]で、自ら申請しなかった学校が相当数ある)。

[3]財源は10%消費税の増税分

消費税は低所得者に負担が重い(逆進性が強い)税である。「支援法」の対象から外れる低・中位層への税負担が重くのしかかる。教育格差は助長されるばかりであろう。

◆解決策は…奨学金問題の解決のために大内氏は以下を提言する。

@ 現に返済に苦しんでいる人たちを放置せず、債務帳消しなど、救済の手立てを具体化すること。

A 低所得者に限定した選別的支援ではなく、「普遍主義」に立ってあらゆる学生を対象とする高等教育機関の学費軽減と給付型奨学金を抜本的に拡充すること。


財源は富裕層や利益を上げている企業への課税強化によって容易に実現する。野村総研の18年12月のデータによれば、2000年から2017年までに超富裕層と富裕層の純金融資産は128兆円、年平均で7兆円も増加している。一方、高等教育全体の学費負担の年間総額は約4兆円*。悠々まかなえるはずではないか。
*内訳は貸与型奨学金の年間総額約1兆円+国立大学86校の年間学生納付金総額3400億円+私立大学約600校の授業料等年間総額約2兆6320億円(文科省「我が国の教育財政について」2014年度)。

・・・・・

持てる層が資力の一部を高等教育に振り向け、社会全体で教育を支える国へと転換する(留学生も無償で学べるドイツのように)。
そんなことムリ、と思ってしまうのは、長く受益者負担の仕組みに浸かって来て、それ以外知らない者の発想でしかない。





小池昌代「網」[2020年01月20日(Mon)]


網  小池昌代

滑り台を滑り落ちる
笑いさざめきながら
階段をのぼって
何度でも
滑り落ちる
何度でも
また
何度でも
遊ぶ子らの環(わ)をなす時間
そこからはじかれた大人の群れが
球体の外で仕方なく混ざりあう
あのこらは頭や足を使って
まぶしい世界のいたるところから
酸素のように
出たり入ったり
ひっくりかえったり
ぶつかりあったり
どんなにはげしくうごきまわっても
誰一人
この世の淵からこぼれないように
こぼさないように
見えない大きな存在の網が
すみずみまで
かれらをすくいあげていく


*昨日と同じく詩集『夜明け前十分』(思潮社、2001年)から

◆公園の滑り台で飽きることを知らぬ気に遊ぶ子どもたち。
大きなものの恩寵の網は彼らのために確かにある。
酸素の粒々のような子どもらの輝きに比べれば、親たちの途切れることのない心配など、あわぶくのようなものだ。

◆似たような網をこの社会も備えていて、セーフティ・ネットと呼ぶその網の目をできるだけきめ細かにしたいと政治家も評論家も口では言うけれど、網をしっかりと持つべき手がお留守じゃねえ。




「分け合う」いのち[2020年01月19日(Sun)]

DSCN2628イモカタバミ.JPG
イモカタバミ。
花の数は少ないながら、この時期にも咲いているのは温暖化の影響か?


*******


誕生日  小池昌代

春の雪が
空のもっとも深いところから
予告もなく降り始めるとき――
深い谷で
ひと冬凍ったままの滝が
ゆるみ、水音をたて、流れ始めるとき――
そして、わたしが生まれたとき――
すべての始まりが
どのようにして
この世にやってきたかを思い出すとき――
――そのとき
わたしのなかで
何かがきゅうに
おののきながら遠のく
始まりの遅速はわたしたちをかさね
やがてばらばらに、あの世へと送るが
おそらく私たちは分け合えたのだ
誰もが「始まり」をもっていたということを
思い出すとき
決まってふかい、睡魔に襲われる瞬間を
そしてその瞬間を誰一人
自分の目で見て、確かめた者はいない
だから、永遠に
まあたらしい
――そのとき


詩集『夜明け前十分』(思潮社、2001年)より。

◆命への畏敬をうたった詩。
生きることは「分け合」うことを本質としている、というのだろう。
誕生は親がいて可能になったものだが、親もまた新たな命から受け取るものがある。
それだけでない。
生きてゆく営み自体も他の命とつながり、「分け合」うことによって成り立つ。
「分け合」うと自分の取り分が減るじゃないか、と心配するには及ばない。
生きることは、内なる宝物を掘り出して誰かへの贈り物にすることでもあるからだ。
それを互いに「与え合う」ことで私たちは生き、生かされている。
そう考えたときに、生命は深い奥処からもたらされ、それぞれの中に埋もれている誕生の記憶をよりよく思い出すことが、何かを獲得したり出来ることが増えたりするということ以上に大切だ、という意味もこめられているようだ。

親やそのまた親がいて、ということ以上に、もっともっとはるかなものにつながっていることに気づき驚きをもって「思い出す」という事件が、生きる営みのあちこちで起こる。だから毎日が「まあたらしい」――誕生の瞬間から、年重ね地上の暮らしにいとまごいするその日まで、常に「まあたらしい」。

詩の終わり近く、「永遠に/まあたらしい」とある。
命は個体を超えて受けわたされてゆくものなのだということを信じていい、と言ってくれているようだ。



「イヌの仇討」[2020年01月18日(Sat)]

DSCN2631.JPG
David Williams-Ellis「泉の少女たち(FOUNTAIN GIRLS)」
David Williams-Ellisは1959年生まれのイギリスの彫刻家。

横浜市泉区民文化センタ―・テアトルフォンテ前に立つ。
小ぶりの作品だが軽やかに空に舞う感じ。
あと2つ「森の精」「花の女神」がこの左右に立っている。

今年初めて雪が舞ったが、テアトルフォンテで上演中のこまつ座「イヌの仇討」(吉良邸討ち入りの話)に合わせたかのような天候。


***

こまつ座「イヌの仇討」を観る(横浜市泉区のテアトルフォンテにて)。
忠臣蔵の吉良上野介を吉良邸の人々の視点から描く。

2017年の夏にも観ているが、初めて観るような印象。
3年足らずの間にはやこちらの記憶が薄れているのか、と思ったが、そうでない。

井上ひさしの芝居の例にもれず膨大なセリフ。
そのやりとりのテンポが良いのだと思う。
吉良の近習3人、盗ッ人、坊主の春斎。
中でも女中頭のお三様(西山水木演ず)。主君の名誉を何よりも重んじる一徹さが良く通る声でこちらの胸にしみてくる。

吉良上野介(大谷亮介演ず)の深みのある声も魅力的だ。
春斎の報告から大石内蔵助の様子を伝えられ、その心底を推し量ってゆく。
盗ッ人・砥石小僧新助(原口健太郎演ず)の口から世間が自分をどう見ているのか、知って行く。
その向こうに浮かび上がってくるのは「お上」である。そうした変容をまことにいい声で表現してくれる。

吉良は女中頭の諫めにも盗ッ人が語る下々の話にも耳を傾ける人物として描かれている。

さて吉良邸から永田町の首相官邸に目を転じれば、官邸の主が持ち合わせていないものこそ、諫める人間と街の声に傾ける耳だったことに思い至る。
現代の「行き当たりばったり」政治にもNO!を突きつけるべく動かずばなるまい。


*「イヌの仇討」は明日19日までの横浜・テアトルフォンテを皮切りに、全国を巡演する由。

イヌの仇討ビラ.jpg


世を支配する言葉[2020年01月17日(Fri)]


言葉について 18  中村稔

私たちは雄弁によって人の心を昂奮させたり、
雄弁によって理性を失わせて、ある行動に赴かせる
そんな雄弁家をもたないのだが、
それは私たちの言葉が貧しいからか。

私たちが雄弁によって昂奮させられることなく、
私たちが雄弁によって理性を失うことがないのは、
私たちの感情と論理を表現する
私たちの言葉が豊かだからではないのか。

静物には静物の感情があり、
季節には季節の論理があるから、
静物はその位置を占め、季節は確実に推移する。

私たちの言葉が貧しいかのように感じるのは
たしかな論理とみずみずしい感情をもたない人々が
私たちの社会を支配しているかのようにみえるからではないか。


中村稔『言葉について』(T)(青土社、2016年) より

◆14行詩による連作詩集の一冊目。
「感情」と「論理」という語がそれぞれ位置すべき場所に置かれていて過不足ない表現になっている。

◆最終連、説明は不要だろう。
政治の言葉と、それを伝えるマスコミの言葉が量を誇るだけで、質を顧みなくなったのはいつからなのだろう。

だいじなのは、断定的な言葉や、揚げ足取りの言葉、慇懃無礼な言葉に惑わされないこと。
つまり、訥々とでも自分のことばでほんとうのことを語る声に耳を傾けることではないか

***

★過去の「言葉について」を取り上げた記事は…
[その20]⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1354
[その4]⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1358


25年[2020年01月16日(Thu)]

DSCN9139ザッキン「三美神」.JPG
オシップ・ザッキン「三美神」(1953年)。
横浜市関内ホールのエントランスにある。
残念なことに背景が映り込んでスッキリしない。

* * *


三つのイメージ  谷川俊太郎

あなたに
燃えさかる火のイメージを贈る
火は太陽に生まれ
原始の暗闇を照らし
火は長い冬を暖め
祭の夏に燃え
火はあらゆる国々で城を焼き
聖者と泥棒を火あぶりにし
火は平和へのたいまつとなり
戦いへののろしとなり
火は罪をきよめ
罪そのものとなり
火は恐怖であり
希望であり
火は燃えさかり
火は輝く
──あなたに
そのような火のイメージを贈る

あなたに
流れやまぬ水のイメージを贈る
水は葉末(はずえ)の一粒の露に生まれ
きらりと太陽をとらえ
水は死にかけたけものののどをうるおし
魚の卵を抱き
水はせせらぎの歌を歌い
たゆまずに岩をけずり
水は子どもの笹舟を浮かべ
次の瞬間その子を溺れさせ
水は水車をまわしタービンをまわし
あらゆる汚れたものを呑み空を映し
水はみなぎりあふれ
水は岸を破り家々を押し流し
水はのろいであり
めぐみであり
水は流れ
水は深く地に滲みとおる
──あなたに
そのような水のイメージを贈る

あなたに
生きつづける人間のイメージを贈る
人間は宇宙の虚無のただなかに生まれ
限りない謎にとりまかれ
人間は岩に自らの姿を刻み
遠い地平に憧れ
人間は互いに傷つけあい殺しあい
泣きながら美しいものを求め
人間はどんな小さなことにも驚き
すぐに退屈し
人間はつつましい絵を画き
雷のように歌い叫び
人間は一瞬であり
永遠であり
人間は生き
人間は心の奥底で愛しつづける
──あなたに
そのような人間のイメージを贈る

あなたに
火と水と人間の
矛盾にみちた未来のイメージを贈る
あなたに答えは贈らない
あなたに ひとつの問いかけを贈る


*『魂のいちばんおいしいところ』(サンリオ、1990年)所収。
『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫、2013年)によった。

◆火も水も地上の生き物に恵みばかりでなく、時にあるいはしばしば災厄をもたらす。
人間もまた、と言いたいものの、人間の方は火や水と違ってこの世にもたらす恵みと言ったら無きに等しく、むしろ収奪と災禍の元締めとして振る舞うばかり。
くわえて気まぐれで泣き虫で飽きっぽく……
取り柄といえば、生きて在る限り美しいものや世界の不思議に胸つぶし、そのことをまた誰かに伝えたくてたまらない生き物らしいということか。

◆阪神淡路大震災から25年。
震災後の数年、被災地の傍らを車で何度か往復しながら、インターを降りる勇気がとうとうなかった。夜、オレンジ色の街路灯が照らし出す高速道路を走りながら、視界の端を次々と後方に去ってゆくフェンスの外には倒壊した家や崩れた山が闇に沈んだままであるのを感じながらハンドルを握っていた。
そうした体験を記憶に格納できないままの人も未だたくさんいるに違いない。



詩のひびき[2020年01月16日(Thu)]

DSCN5157ヒヨドリ.JPG
ヒヨドリ。
河畔の桜の樹を飛び移り、ときに対岸へと飛び去る。
両岸に挟まれた川面にかん高い鳴き声が反響する。

*******


しめやかな潮騒――押韻詩の試み  中村稔

耳底にかすかに鳴っているしめやかな潮騒、
貝殻をひろいながら見遣っていた日没、
突然藍色の波を焦がした黄金の果実、
漆黒の闇深く沈んだ私たちの語らい。

愛といい、正義という、不毛の観念に翻弄され、
誰もたがいに呼びあわず顔をそむけていた。
痛みを分かちあうこともなくただ他人を責めていた、
ひたひたととめどなく押し寄せてる死者の群れ。

暮れかかる砂漠の廃市、汚濁した海、
汲みあげても汲みあげても尽きぬ死者の悲しみ、
きみたち死者の記憶にもあの黄金の果実があるか。

はるかに天をつんざく雷鳴、耳底にはしめやかな潮騒、
内湾に嗚咽してやまぬ死者たちの慷慨。
雷鳴よ、私たちはもっと寛容でありえたか。

            (一九九一年三月)


◆「押韻詩」とあるように、各行の最後の音が韻を踏んでいる。
いわゆる脚韻である。
第1連でいうと、
しおさ
にちぼ
かじ
かたら

下線部が韻。
第2連は「れ/た/た/れ」の音が配され、
第3連は「み/み/か」
そして最終連は「い/い/か」。
母音と子音の配列にも留意していることが分かる。

◆全体では14行、ソネットの形式を踏まえてもいる。
欧米の詩に学んだことを日本語にも生かそうとする試みだが、その中心は朗読することにあるだろう。
音読された声が、聴衆の耳に響き=韻として届き、減衰して行く韻を追いかけるごとく、次の言葉が響いてくる。あるいは無音の「間(ま)」が置かれ、次いでそれを破るように新たな音が生起する――それらの詩は主に屋内で読まれるだろうけれど、詩を朗読しそれを味わう人々とは、実は屋外で聞こえてくる鳥のさえずりや虫の音、風のそよぎの生起、揺れ、交響に親しむことを日常とする人たちではないのか、と、フト思った。

その上でこの詩に耳をそばだててみるならば、「潮騒」「語らい」「ひたひたと」「雷鳴」「(死者たちの)嗚咽」と、おびただしい音たちが鳴りひびいているのだった。

入沢康夫・三木卓・井坂洋子・平出隆 編『詩のレッスン』(小学館、1996年)より。
 



つくる・たべる[2020年01月14日(Tue)]

DSCN4557ブロッコリー.JPG
◆ブロッコリーの花。これは細い茎を次々収穫するタイプだろうか。
茎から大きいのを一個採るだけのはぜいたくだなと思う。百円玉1、2枚ほどの値段で店先に並んでいるのを見ると、作り手の手間と売り上げとを天秤にかけたくなる。

◆ブロッコリーは我が相棒の大好物である。
食欲がいま一つのときでも、茎を輪切りにして湯がいたのを出してやるとパクリとやる。
ぜいたくなやつ、と思うが、たいがい売り出しのときに買って来たブロッコリーだから、身の程を弁えぬ食事というほどではないだろう。
しかしながら、これを植えた農家の収穫・出荷までの汗を思うから、老境に入った相棒がくわえそこねて床に落としたりすると、つい「コラッ」と叱ってしまうのである。

***


老夫婦の会話  佐藤勝太

夕食の席で
隣のお爺さん
俳句を創るんだって
お婆さんが囁いた

御飯を噛みながら
夫のお爺さん
そうかそれは良いことだ
わし(私)は
米を作っている
と呟きながら茶碗を捧げて
咀嚼していた


佐藤勝太(かつた)詩集『夢がたり、昔がたり』(竹林館、2019年)より。




ゆうびん[2020年01月13日(Mon)]

20151221日本郵政ビル前のポスト.jpg
霞が関、日本郵政ビル前のポスト

*******

◆休日といっても昨今の郵便局は本局であれば窓口が開いている。
速達を出す必要があって地元の本局を2時半過ぎに訪れたら、午後3時まで営業ということで長い列が出来ていた。およそ20名ほど。窓口には3名の局員さんがフル回転で動いていて、一番ベテランらしく見えた男性スタッフなどは半袖姿であった。

大量の茶封筒を一つずつ計量して料金を確定、さまざまな形・大きさの荷物の発送あるいは受け取りなどなど、てきぱき処理していく様は感心するほかない。

間違いなく宛て名のところに届くことが当たり前のように思っているけれど、実は随分と大変な事業なのだと改めて思う。
しかも最近は国内なら2、3日で届く。近場であれば昼前に投函すれば翌日に着くこともしばしばである。

むろん宅配便との熾烈な競争にさらされて、どちらも相当にしんどい労働強化になっている現場を思えば散文的になるばかりだが、せめて浪漫的な詩でもないかと探したら、次のような愛すべき詩篇が見つかった。


手紙   小川英晴

さようなら
手紙にはあなたの好きな鳥の切手を貼った
さようならさようなら口笛
封印した便箋には高原に咲いた花の雫を
ほんの一滴したたらせておいた

振り返るたびに
とおざかるゆうぐれ
手紙の封をひらくときから語られる
夏の日のあなたは いまはもう
ひらかれた窓から夕ぐれの地図を生きる

ふいの黒髪がきらりとひかり
小さな唇が菫のようにやさしかった
指先からすきとおりはじめる哀しみを
無心のままにくちに含んで
想いはひときわこころに沁みた

紅葉するこころの手紙を
書き終えたときから始まるとほうもない空想
空想の果てにゆきつく初めての日
そんな出逢いを遙かな胸にいつくしみ
あなたの宛名を花の雫でつづる


◆作者自注によれば、24歳のときの作品とのこと。
誰しも24歳を経験するだろうけれど、浪漫的な空想は長く続かない
……――本当にそうか?

*小海永二編『今日の名詩』(大和書房、1990年)より。





〈一滴の 平和なかなしみ〉[2020年01月12日(Sun)]

DSCN4511-X.jpg
境川に注ぐ宇田川で群れるサギたち

*******


一滴の静寂のために   石原吉郎

一滴の静寂を
海洋の広さから
すくいとるために
どれだけの嵐がかさなり
うねり去っただろう だが
あらしの長さ
静寂が寸刻にすぎぬことが
私に重大なのではない
私に重大なのは
広大な海洋に 一滴の
平和なかなしみが均衡することだ



詩誌『ペリカン』1977年7月掲載
現代詩文庫「続・石原吉郎詩集」(思潮社、1994年)より

◆「一滴の 平和なかなしみ」もって海洋に対峙するひと。
さまざまなものの喪失と、あまたの人々のいのちによって贖われた平和ゆえに、たった一滴のかなしみが広大な海洋に均衡するのだ。

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