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ウィルスには適切な予防と手当。改憲は不要。[2020年01月31日(Fri)]

DSCN2643.JPG

かつては境川の舟着場だったという辺りが土手に囲われた田んぼとなっている。
湿田ゆえに冬は氷が張っているときが多い。

***


ガラスの野づら  小野十三郎

ここから先は
木や草はない。
花の影も。
それらは言葉としてあるだけ。
ここから先は
一望、地の涯まで
冷たく敷きつめられた板ガラスの青い起伏だ。
まん中に
月影のような太陽が浮んでいる。
だが、記憶の中だけでも
木が、草が、花が
世界に存在する限り
その上を
ばりばり踏んでいく。


小野十三郎詩集『樹木たち』より(土曜美術社、1982年)

◆新型コロナウィルスへの不安に乗じて憲法に緊急事態条項が必要だ、などとのたもう自民党議員が一人二人にとどまらぬそうだ。
猖獗(しょうけつ)を極めているのはウィルスよりもカイケン論者(「改憲」というより「壊憲」)らの病毒だ。
伊吹文明・元衆議院議長から現職の環境大臣・小泉進次カに至るまで熱に浮かされたように妄言を吐いているとか。
少しは朝の寒気に頭を冷やして、まともになったらいかがか。

菅原克己「朝」[2020年01月30日(Thu)]

DSCN2640.JPG

地元の高校のマラソン大会に向けて練習が始まっていた。俣野橋の少し北までが男子のコース。
練習は俣野橋のところで折り返していた。

*******


朝  菅原克己

朝がくると
僕も朝。
光の箒(ほうき)
空間を一転して
ぼくを追い出した。

山からオルガンが鳴り出す、
野いっぱいに。
子供らがならんで来る、
小さい脛(すね)が翅(はね)のように光って。

空気はオパール色のドウム。
地上はゆれる一枚の板。

子供らは身をひるがえし、
身をひるがえして、
素早くぼくを駈けぬける。
朝へ。
ぼくのうしろへ。
ぼくが出て来たために戻れないでいる
すぐそばの、過去へ!

ここではすべて明らかだ。
ぼくが来て、
どこに行くかさえ。
そして、ぼくは何か驚いている。

朝、浮んでいる地上。
光る立方体の底。


*第4連「ぼくのうしろへ」、原文は「うしろ」に傍点。

大岡信[編]『ことばの流星群 *明治・大正・昭和の名詩集*』(集英社、2004年)より。

◆第4連、子どもたちが「素早くぼくを駈けぬける」シーンがあざやかだ。


〈天空にさがす〉[2020年01月29日(Wed)]

DSCN2648.JPG

雨のあと一気に気温が上がった。
日中は18℃ほど。

雲の変幻に目が奪われる。

DSCN2653.JPG

*****


そんなに凝視(みつ)めるな   伊東静雄

そんなに凝視(みつ)めるな わかい友
自然が与へる暗示は
いかにそれが光耀にみちてゐようとも
凝視(みつ)めるふかい瞳にはつひに悲しみだ
鳥の飛翔の跡を天空(そら)にさがすな
夕陽と朝陽のなかに立ちどまるな
手にふるる野花はそれを摘み
花とみづからをささへつつ歩みを運べ
問ひはそのままに答へであり
堪へる痛みもすでにひとつの睡眠(ねむり)
風がつたへる白い稜石(かどいし)の反射を わかい友
そんなに永く凝視(みつ)めるな
われ等は自然の多様と変化のうちにこそ育ち
あゝ 歓びと意志も亦そこにあると知れ


吉田精一・編『声で読む現代詩』(學燈社、2007年)

◆かつての自分と同じまなざしを持つ若者への諭しのことばは、悲しみや痛みを、つい昨日のそれのように今も身の内に抱えている自分自身にも向けられているだろう。
「〜するな」と繰り返し諫めながら、「凝視め」ずに居られないことも承知している。

断念や調和を促しているようでいてそれが無理な注文あることも知悉しているのだ。

*6行目の「夕陽と朝陽のなか」について、編者は「夜。闇。」と注を添えているが、果たしてそうだろうか?
「なか」を「間(あいだ)」の意味に解することが適当とは思えない。
そうではなく、「夕陽が照らす中」あるいは「朝陽が照らす中」に立ち止まらず「歩みを運べ」と言っているのだと思う。
つまり「なか」は時間を指すのでなく、陽の光が照らす地上、我等が立つこの世界を指しているのだと思う。




吉野弘「雪の日に」[2020年01月28日(Tue)]

DSCN0022ホトケノザ.JPG
ホトケノザ。サンガイソウ(三界草)とも。
春の七草の「仏の座」(タビラコ)とは別とのこと。
(2019年2月中旬撮影)

*******

◆箱根は20cmの余も雪が積もったというが、平野部のこの辺りは7度ほどの気温で、雪にはならぬまま明日の昼前には回復に向かう見通し。
ただし、水は冷たく、お湯が出るはずの蛇口に手を差し出しても一向に湯にならない。2,3分流し放しにしてようやくぬるま湯になった。上水道へと取水する相模川がよほど冷たいのだろう。海へと流れ下る水は両岸のみならず海辺をも冷やし続けているはずだ。

*******

◆みまかりし人に、そのふるさとを同じくする詩人の詩を手向けとして捧げる。


雪の日に   吉野弘

雪がはげしく ふりつづける
雪の白さを こらえながら

欺きやすい 雪の白さ
誰もが信じる 雪の白さ
信じられている雪は せつない

どこに 純白な心など あろう
どこに 汚(よご)れぬ雪など あろう

雪がはげしく ふりつづける
うわべの白さで 輝きながら
うわべの白さを こらえながら

雪は 汚れぬものとして
いつまでも白いものとして
空の高みに生まれたのだ
その悲しみを どうふらそう

雪はひとたび ふりはじめると
あとからあとから ふりつづく
雪の汚れを かくすため

純白を 花びらのように かさねていって
あとからあとから かさねていって
雪の汚れを かくすのだ

雪がはげしく ふりつづける
雪はおのれを どうしたら
欺かないで生きられるだろう
それが もはや
みずからの手に負えなくなってしまったかのように
雪ははげしく ふりつづける

雪の上に 雪が
その上から 雪が
たとえようのない 重さで
音もなく かさなってゆく
かさねられてゆく
かさなってゆく かさねられてゆく


*合唱組曲『心の四季』田三郎・作曲)の一つ。
YouTube上に合唱がアップされているが、豊中混声合唱団の定期演奏会(2013年7月6日)の演奏が感動的だ。指揮:西岡茂樹、ピアノ:武知朋子
「雪の日に」は下記動画の4'32"〜9'10"のところに収録されている。
https://www.youtube.com/watch?v=S-LKzdYk980


小池昌代『吉野弘詩集』(岩波文庫、2019年)に拠った。





〈光がさあっと溢れて〉[2020年01月27日(Mon)]

DSCN9991Mさんの甕.jpg

◆甕に誌された文字にひかれて撮った。
「景に触れ情を怡(よろこば)すは人生の清福」と読むのだろうか。
「目に触れる景色を楽しむのは心やすらぐ幸せだ」という意味かと思う。

主の許しを得て甕の写真を撮った日は、ポツポツ雨が降っていた。
甕の中、小さな波紋の下には金魚たちが泳いでいた。

小さな生き物たちを愛した主は遠い世界に旅立った。
それは多分、次の詩のような桃源郷。

***


生   川崎洋

夜があけると
灌木の隙間という隙間の肌を染めて
光がさあっと溢れてきた
岩清水は限りなく湧き あとから あとから
朝日の矢が澄んだ水に入っていくので
山女魚の腹の下などに胸鰭にあおられて
小さな砂けむりがあがっているのが
目がさめるようにはっきりわかった
雲は讃えられず
太陽も頌められず
ただ福寿草の鮮かに黄色い花粉にまみれた
精巧な蜂達が忙しく飛び交うていた

丘にはもう開墾に働く人の影が
遠くのぞまれた
その廻りを犬がはねているのも
其処では休みなしに土塊はくずされ
岩は取り除けられ
草は青いまま引き抜かれて空をとんだ
時折 男が鍬の手を休めて女に話し掛けて
いるのが見られた
すると女も顔をあげて笑いながら何か男に
答えている様子だった
白い歯が遠くから沁みるように見えた
乾草の山のうしろから子供が何人も何人も
出てきては走っていった
鮎が水面をはねて陽をあび
それを知らぬ気に
牛は川から歌を飲み続けた

陽の下に輝いているそれらがあるだけで
文字も言葉もなかったから
羊もたんぽぽの葉も同じものだった

そうだ僕は見た 川岸の途中で
若葉をびっしりつけた枝の涼しい木陰で
さっさと馬を洗っていく腕まくりした若者が
馬を本当に愛しているのを見た
その向こうに限りない悦びで川が折れまがり
背の高い草の彼方へかくれていくのを見た


小海永二・編『現代の名詩』(大和書房、1985年)より



「なおも翼をはためかせる」勇気[2020年01月26日(Sun)]

DSCN5603ヒドリガモ雄(上)雌(下).jpg
ヒドリガモという種類のカモらしい。
上が雄、下が雌。皇居北の丸の堀で。

*******


「かれらは歌う」より  セオドア・レトキ
   鮎川信夫・訳

死せるものや愛しきものに深くおもいをはせるとき
絶頂のいただきはいまも心胆を寒からしめる、
想像力ばかりが役に立つわけではない。
この光の最後の場所で。鳥であることをやめても
生きる勇気を持っている人は、なおも翼をはためかせる、
すべて灰色の無益なむなしさとなる広大な深淵にむかって。



*『続続 鮎川信夫詩集』より(思潮社、現代詩文庫、1998年)。
セオドア・レトキ(Theodore Roethke 1908-63)はアメリカの詩人。

◆今わの際に語る男のうた、3連からなる詩の最終連。

光の最後の場所である山巓から灰色の深淵へと、力尽きたものとして落下するのでなく、羽ばたく力を失わぬ者として生きること=歌うこと=その姿を最後まで示し続けること。


生きたことの痕跡[2020年01月25日(Sat)]

いわずに おれなくなる   まど・みちお

いわずに おれなくなる
ことばでしか いえないからだ

いわずに おれなくなる
ことばでは いいきれないからだ

いわずに おれなくなる
ひとりでは 生きられないからだ

いわずに おれなくなる
ひとりでしか 生きられないからだ


まど・みちお詩集『うちゅうの目』(FOIL、2010年)より

*まど・みちおの詩に奈良美智・川内倫子・長野陽一・梶井照陰の写真を配した、ずいぶんとぜいたくな詩集。
下のカバー写真は奈良美智。

◆「ことば」と「生きる」をめぐる矛盾した2行ずつを対にした変奏。

「あれかこれか」どちらかに決めてそれで終わりと済ませられず、グダグダ生きているのが人間の実際のところだ。折々に噴き出た矛盾だらけの言葉が地べたに遺したあぶくのようなものが、生きた痕跡で辛うじてあるような。

まど・みちお「うちゅうの目」.jpg



現し身の重量[2020年01月24日(Fri)]

DSCN2615.JPG



鳥と枝   小池昌代

楡の木に
一羽の鳥が来てとまる
大気のなかで
静かに時の目盛りがふえた
誰か見知らぬ人の手で
鳥の重量が秤られているのだ
けれど
小石ほどの肉をもつ小動物よ
翼というものをもつおまえに
そもそも重みというものがあったのか
生きる速度は
垂直に垂れ下がる肉の重みを
いつも水平に分解する
生きている、わたしたちは
感覚もせずに生きているのだ
自分の肉のふてぶてしい重量を
鳥はどこへいったのか
軽やかな重みはいったいどこへ解消されたのか
鳥が飛び立った清潔な空間に
いつまでも
答えを出すように枝が揺れている
答えを隠すように枝が揺れている



『雨男、山男、豆をひく男』(新潮社、2001年)より


◆中央に置かれた詩句「生きる速度は/垂直に垂れ下がる肉の重みを/いつも水平に分解する」という表現に納得する。「盤石の軽さ」とでも形容しようか。
そのような速度で生きられればさぞ快いだろうに、と思う。
だが、鳥ならぬ人間の身がようやく水平の位置を獲得するのは、地上に訣れを告げる時だけだ。
それまでは、鳥の軽やかさにあこがれるばかり。

◆結びの対句、「答えを出すように枝が揺れている/答えを隠すように枝が揺れている」――
そこに鳥が留まっていたことを示すのは揺れる枝なのだけれど、その枝をみつめるうちに、かき消えた姿はまぼろしで、風が枝を揺らしただけなのでは、と思えて来る。
見ている者に目まいが訪れてくる。

地上に降り立つことば[2020年01月23日(Thu)]

DSCN0011.JPG


うごき   小池昌代

雨があがったあとの
樹下の路上に
いっせいに小鳥が降り立つのを見た

こころのなかを
同時に涼しく降下するものの気配があり
わたしは
なぜ自分が
この瞬間を
見たのだろうとおもった
怒りのような表情で光っている
固いみちの表面
それを鎮めるような
降りる、という小鳥らのうごきが
そのとき
空から
恩寵ということばを
静かに招くのを
見た


小池昌代詩集『夜明け前十分』(思潮社、2001年)より

◆1連目の全3行、雨上がりに路上にいっせいに降り立った小鳥たちに遭遇したことが簡潔に語られる。
残りの第2連15行は、その時「わたし」の中にスーッと降り立ち、伸び、こころ全体を領して拡がって行ったものの表現だ。
5倍の行数を費やして、〈「わたし」が目撃したもの〉が〈「わたし」に静かに訪れた「恩寵」〉であることを全的に領解するまでを言葉にした。
受けとる私たちもそれを全的に感得することになる。

それは視覚による以上に、小鳥たちの「うごき」がもたらした大気の呼吸によって実感されている。
空気の小さなさざめきが「わたし」に受けとめられ、小鳥たちが降りてきた上方に五感の全てが向けられ、こころのアンテナが受けとめた微弱なメッセージが、「わたしたち」にも聞こえ、見えることばとなった。



日の丸・君が代問題「ILO・ユネスコ勧告」[2020年01月22日(Wed)]

DSCN0034シロチドリ?.JPG
シロチドリ(と思う)。境川で。

*******

〈学校に「思想・良心の自由」を実現する会〉の会報〈Peace & Edue ピースあんどエデュ〉24号から、もう一つ、日の丸・君が代問題について書いたものをアップしておく。
月刊『法と民主主義』(日本民主法律家協会)2019年10月号の各論考をふまえたもの(*末尾に執筆者と論考名を掲げる)。

***

日の丸・君が代問題のいま

2019年春にILO・ユネスコ合同委員会(セアート)は、日本政府に対し「国旗国歌強制の是正を求める」勧告を発出した。「日の丸・君が代」強制」に対する是正勧告が国際機関から出されたのは初めて。
文科省や各自治体の教育委員会にこの重要な勧告を理解させ、かつ学校現場に共有してもらう努力が今後必要となる。
『法と民主主義』2019年10月号(日本民主法律家協会)の特集《国旗国歌強制の是正を求める「ILO・ユネスコ勧告」をどう生かすか》によりながら、日の丸・君が代問題の現在を考えたい。

・・・・・

ILO(国際労働機関)は、1966年に国連の政府間会議が採択した「教員の地位に関する勧告」の実現を進めるべくユネスコ(国連教育科学文化機関)とともに翌67年、「教員に関する勧告の適用に関する共同専門委員会=CEARTセアート」を設置した。各国から寄せられる問題をセアートが審議し勧告として国連から各国に働きかけている。

日本からは2014年以降「アイム’89東京教育労働者組合」と大阪の「合同労組仲間ユニオン」が「日の丸・君が代」強制問題の申し立てを行って来た。
セアートはこれを受理してアイム’89と日本政府双方に意見と反論を述べる機会を与えた上で2018年10月にILOとユネスコに対する報告・勧告を採択し、2019年の3月にILOが、4月にユネスコが正式に採択して公表したのである。
勧告は、下記の6項目で、日本政府および教育委員会に対して是正を求めている。

(a)愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設ける。その目的はそのような式典に関する教員の義務について合意することであり、規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする。
(b)消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒のしくみについて教員団体と対話する機会を設ける。
(c)懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせることを検討する。
(d)現職教員研修は、教員の専門的発達を目的とし、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。
(e)障がいを持った子どもや教員、および障がいを持った子どもと関わる者のニーズに照らし、愛国的式典に関する要件を見直す。
(f)上記勧告に関する諸努力についてそのつどセアートに通知すること。


勧告は(a)〜(c)において「国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員」の立場に慮り、「懲罰を避ける」ために教員団体と対話せよと言う。「国旗掲揚、国歌斉唱時における強制はやめよ。平穏な不起立に対する懲戒処分は避けよ。」という主旨である。

(a)は国際人権基準における「市民的不服従」を教育労働者に適用したもので重要だ。教師が市民としての権利とともに、その専門性を十全に発揮できる地位と環境が保障されてこそ、子どもたちの学びと成長が実現して行く。子どもたちもまた生涯にわたって市民的不服従が保障されるべきことは同じだ。

(e)に障がいを持つ子どもや教員のニーズに留意を促した意義も大きい。式典が障がい者にも画一的な強制力を及ぼす弊害を受けとめたものと言えよう。

アイムの渡辺厚子氏のレポートによれば、勧告をふまえて9月にアイムと文科省とで交渉を持ったところ、文科省は以下のように回答したという。
@(勧告を)日本語訳はしない。
A関係の地方自治体にのみ英語のまま勧告を伝える。いつとは言えない。
Bセアートは日本の国内法を理解せず勧告を出した。例えば懲戒処分については地方公務員法上教職員団体とは話し合えない。
C地方公共団体へ出すべき勧告を日本政府にむけて出している。地方公共団体で対応してもらいたい。

時あたかも「桜」問題をめぐり官僚たちの詭弁が繰り返されているが、誰のために働くべきか忘れているのは、文科省も同じようだ。私たち市民は足もとの教育委員会に「ILO・ユネスコ勧告」の確認と誠実な履行を求めねばならない。

・・・・・

*上記記事は『法と民主主義』2019年10月号の特集U《国旗国歌強制の是正を求める「ILO・ユネスコ勧告」をどう生かすか》の以下の記事・論考に基づいたものです。
◇澤藤統一郎(編集委員会・『法と民主主義』編集発行人):〈特集に当たって〉 
◇勝野正章(東京大):〈ILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」の意義とCEARTの役割〉
◇寺中誠(東京経済大):〈初めての「国旗・国歌強制」是正セアート勧告の内容と意義〉
◇前田朗(東京造形大):〈国際人権法をいかに活用するか――CEART勧告とNGOの課題〉
◇渡辺厚子(「日の丸・君が代」勧告実施市民会議準備会議(仮称)/「両親・表現の自由を!」声をあげる市民の会):〈ILO・ユネスコからの勧告をどう活かしていくか〉



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