木村迪夫「畑バカとなった母」1:死者から生者へ[2026年09月05日(Sat)]
(承前)
◆木村迪夫(みちお)「東北の死者と伝承――自家小史の内側から――」は、息子たちの戦死をもたらした国家に対し「うた」の礫を放った祖母に続いて、夫を失った母の戦後を綴る――
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死者から生者へ
祖母のうたとはうらはらに、三十五の齢でついに寡婦となった母は、以前の口数の少なさをつのらせ、沈黙の暮しを自らに強いていった。ムラの者たちは、こうした わたしの母を<畑バカ>と呼んだ。
「かかあ、ほだえ働くど*1、早く死ぬゾ」とひやかしの科白を浴せるムラ人は、一人や二人ではなかった。
腹が立つのか立たないのか、それでも母は浴せ返す言葉を知らないかのごとく、<畑バカ><田バカ>に徹した。
「一生懸命はたらけば、生きていける。ぬるくす(怠惰) になれば、死ぬほかねエ」これが自らに課した、その先の生への技と信条であった。
わたしの家から畑に通じる街道の傍に、ムラの墓場がある。<畑バカ>は、明け方の午前四時には畑に出た。 女手一つで田畑仕事をきりまわしていくには、男手による隣近所衆には追いつけない。それには時間で稼ぐほかないと心に決め、朝方は四時、夕方は午後の八時とする 農作業のノルマを心うちに決めていた。ある朝、墓場の前まで来たとき、突然足元でカラカラと音がした。罐コロでも足に当ったのではないかと、手探りで捜したが見当らない。腰をかがめ、もう一度足の囲りの路面をなでてみたが、ついにそれらしき物は二度と手にも足にも当ることは無かった。
「あれは、お父っちゃんが呼んだんダ」、母はそう自分で自分に納得させた。その後母と死者である父との語り合いは、楢下部落の口寄せ姥を通してのこととなった。末の子が風邪をこじらせて喉を痛めたとき、女の子が眼を病んでいることを見れば、また姥に走っていく。長男であるわたし自身のときはなお更である。その度ごとに憑いているのは、父であり、良一叔父であり、祖父母たち祖先の霊である。
「子らに学問させてくれ――」
「隣近所に嗤(わら)われぬよう教育してくれ――」 これは、父の、遺された者に伝える言い草であり、 「たった一度でいい、手搗きのナットウ餅を食いたい――」
これは戦死公報とは筋違いの飢餓死であった良一叔父の口移しなのである。
「手に余るからと言うて、田畑荒すな――」
「まだまだ稼ぎが足りない――」
これはこの家の祖先の霊魂の走りとしての口移しである。その度ごとに母は、朝起き、夜上がりの刻を早めのばしていった。
*1「ほだえ働くど」…そんなに働くと
日本現代詩文庫『木村迪夫詩集』(土曜美術出版社、1995年)より



