「祖母のうた」2:神への怨念[2026年09月04日(Fri)]
(承前)
◆木村迪夫(みちお)のエッセイ「東北の死者と伝承――自家小史の内側から――」より、前回の〈神(天子)のあそびが死者を生む〉に続く章段――
この〈神〉もまた(天子)を指していることは言うまでもない。
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神への怨念
ふたりのこどもをくににあげ
のこりしかぞくはなきぐらし
よそのわかしゅうみるにつけ
うづのわかしゅういまごろは
さいのかわらでこいしつみ
三日三晩泣き通したあと、祖母はうたを唄いはじめた。 蚕飼いの仕事をしながら、即興のうたを唄った。自分の頭の奥底から飛び出すままに詞を発していった。メロディーは、祖母が唯一身につけたご詠歌――無常和讃のそれであった。文盲の祖母は、ついにそれを紙に記すことはなかったが、次々に出てくる詞を、胸の底に仕舞いこんでいった。――いや、胸の底から噴き出てくる思いを、頭にたたみこんでいったのである。神経痛でいたむ脚を引きずりながら、踏み台に上がると、体がふらついて立っていられない。蚕座の重さを支えるにはなおのことであった。そんな時祖母は、うたを唄った。ときには、かけ声に替えるように力を込めてうたいこむこともあった。
まけてしぬのは なさけなや
だれもありがたさあもない
いだいからだで はたらいて
このうづたてねで おられよか
そう唄うことによって、崩れゆく肉体と気力にむち打った。祖母のうたは、障子一枚隔てた、街道筋にはつつぬけに聞えた。
「あそこの家の前を通るときは、みんな泣いたふりして歩け」
そんな言いふらしが、ムラ中に広まっていった。それでも祖母はうたを唄うことを止めなかった。止めないばかりか、ムラ中に広まる嘲笑に対抗するかのように、新しいうたを生んでいった。
かつて、
しゅっせぐんずんは
いくさのかどに
ははつまよんで
わしのいねあど
このこたいせつに
もしもせんそうにでたとのしらせ
きいたとて
なくな
なだてなきましょ
わしもあなたのははじゃもの
みくにのおんためすすみゆけ
のこるこのこはいとわねど
のこるははつま
みのほまれ
と謳った祖母であったが、これが一転して怨念のうたに変っていったのである。
にはんのひのまる
なだてあがい
かえらぬ
おらがむすこの ちであがい
再度くり返すこのうたは、祖母自身の思いを超えて、死者となった父や、良一叔父たちのうかぶことの出来ない魂の彷徨と、神に立ち向わずにはおられない、怨念のうたとしてとるのは、断定過ぎであろうか。
日本現代詩文庫『木村迪夫詩集』(土曜美術出版社、1995年)より



