不具合の同時発生する年齢[2026年09月01日(Tue)]
◆夜更かししたら、突発性難聴というものになった。
電子レンジの「チン」や車を電子キーを「ピッ」とやるときの音がやや小さく、しかも濁りを含んで聞こえる。
微弱だが耳鳴りもあった。
耳垢がたまっているのかも知れないと、掻き出すと、右耳のソレが湿っている。
気になって少し奥まで耳かきを送って取り出したらわずかながら血が付いている。
綿棒に切り替えて恐る恐る耳穴全体をゆっくりなするようにして取り出したら、まごうことなく出血してる。医者に診てもらうしかない事態だ。
◆耳鼻咽喉科って近くにあったっけ? と思いながら探すと、意外な身近にあった。
名前も場所も良く知っており、受診したことだけはない医院。電話しオンライン予約の要領を教わって、午後最初に受診することにした。
◆右耳の出血は、耳かきで傷ついたのだろう、という見立て。
左耳は少し耳垢があったようで、スッときれいにしてくれた(薄皮一枚はがしたように音の通りが良くなった)。さすがである。
聴力検査では右耳の高音がガクッと落ちていた。三半規管あたりが弱っているのでは、という見立てで、改めて下された診断名が「突発性難聴」である。寝不足やストレスが大きいとなりやすいそうだ。
処方された薬を飲み始めて来週まで様子を見ることになった。まだ顕著な改善はないが、悪化した様子はないのが幸い。
◆それでも、進行したらどうするか、不安はゼロではない。かのベートーヴェンの例はもとより、実際に耳の不調を抱えながら演奏活動をしている音楽家たちの面影が胸に去来する。録音では分からないものの、実際に生演奏に接すると、抱えているものの重さが分かる、そういう体験は一再ならずあった。
そうした天才たちに肩を並べようとしても意味をなさない。
ただ、もし、耳が聞こえなくなるか、目が見えなくなるか、どちらかを選べとサタンに迫られたら、どうするか、幾度となく繰り返して来た仮定の問いではあるが、未だに結論を出していない。
それは未だ自分の問題として引き受ける覚悟がなかっただけだったろう――見回せば身近なところにその苦難に直面した人たちがいくらでも居た(今でも現に存在する)のに、せんじ詰めれば他人事として受け止めてしまっている――そうした習慣にズブズブ漬かったまま生きて来たに過ぎず、所詮はどちらも、最悪の事態にならないに越したことはない、という欲張りとわがままが自分の正体だというほかない。
◆そんなことを飯時も考えていたら、ガリッと硬い物を噛んでいた。
左顎の歯の詰め物が取れたのだった……やれやれ……
――明日は歯医者の予約から一日がスタートと決まった。
自分が主体として決断するよりも、事態に迫られてそうするほかない状態。
……人も国家もこれは末期的である。さて。



