TK君の訃報に接す[2026年08月19日(Wed)]
◆TK君の訃報に接す。
この6月に会ったばかりだった。
同じクラスのK君と当方が長いこと会っていないことを気にかけて、「元気なうちに顔を見せとかなきゃ」と、わざわざ一席を設けてくれたのだった。もう一人の親友I君も顔をそろえて、4人でのミニクラス会となった。
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◆46年前の夏、高校3年の受験期なのに新米担任は2泊3日のクラスキャンプを行った。一切はTK君の采配によった。
秋の文化祭に神輿を作り、みんなで担いで校舎の周りを練り歩いた。
我が授業を全員でエスケープしたこともあった。
(今なら近隣住民の苦情や親たちのクレームが殺到するところだろう。)
未だに、その一時間、彼らがどこで何を語らっていたか杳として分からないのだが。
卒業に向けて作ってくれた文集『ねっきょう』も、その写真のすべては彼が焼いた。イラストも製本もみな全員による手作り。
1981年3月2日、卒業式を終えてから皆で茅ヶ崎の海に出た。
それだけでない。その夜は、君の自宅に担任である僕も含め、何人もで押しかけた。
一日まるまる祭りだった。
成人式の日も、式後に晴れ姿のまま皆で押しかけてくれた。
(団地の我が家に人生最大数の来客。ハメ外しかけたのを叱ってお開きにした、唯一のできごとでもあった。)
病を得た仲間のために励ます会を持ち、できることがあるはずだろ、と皆に結集を呼びかけたのも君だった。
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6月4日の4人によるミニ・クラス会を終えた帰り、一緒の電車で3駅ほどを過ごして別れたが、家に着いてみると、こちらが無事帰宅したか、君は確認の電話を家人に入れてくれてもいた。
出会いから今に至るまで、いつも誰かのために一生懸命立ち働く生き方を貫いたのだった、と今にして思う。
君という存在によって、黄金の時をともに過ごさせてもらったこと、それが以後30年の教員生活の大半を学級担任として生きる基点となったこと、なのに、未だそのお礼をちゃんと言ってなかったことを許してくれるだろうか。
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★【2014年11月9日の記事 ねっきょう3年7組クラス会】
⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/64
★記事の最後にあるクラス会幹事「K君」の言葉、君からみんなへのメッセージだった。



