谷川俊太郎「夕方」/アオサギのこと[2026年08月03日(Mon)]
夕方 谷川俊太郎
夕方になって
光りが葉末に残っている
もうじきものの輪郭が
曖昧(あいまい)になるのを
言葉は描写するだろう
それは知っているだけでいい
入日は素早い
明くる朝のことは
思わずにいい
物音は絶えるが
静けさは終わらない
魂は続く
虫は
今日を生き延びる
鳥も人も生き延びる
山々も
普段通り
闇に落ち着いている
◆夕方、いつもより遅い時間の散歩となった。
復路、草を刈り払われた川べりにだいぶ大きなアオサギが佇んでいるのが見えた。
土手道から見下ろして様子を伺うが、アオサギの方は身じろぎもしない。
たいていは首を少し動かすなど警戒のしぐさを見せるのに、珍しいことだ。
気づかないのか――そんなはずはない。
フレンドリーな気分になっているのか――いつもほぼ同じ時間にやって来る足元のおぼつかないニンゲン、というくらいの認知はしてくれているかも知れない。
――ならば挨拶ぐらいしなければ、と帽子に手をかけた瞬間だ。
羽を広げ、地を離れた。
上の詩にならって言うなら、飛び立つ瞬間に「静けさ」の始まりを告げるように、という感じだ。
(アオサギの飛ぶ姿はまことに美しい。飛ぶ瞬間も、滑空する姿も。)
「ヤァ」と声をかけたいぐらいだったのに、そんな気遣いは無用、という感じの素っ気なさ。
上の詩には
《鳥も人も生き延びる》
とあるが、「人」の方は全く勘定に入れてくれなくたって構わない−―そんな気にさせられる。
(何せ「人」は、あんな風には飛べないのだもの)
『今日は昨日のつづき どこからか言葉が』(朝日新聞出版、2025年)より
※初出は2023年9月17日朝日新聞



