港の見える丘公園のバラ(3)「カズエ」[2026年07月06日(Mon)]
◆横浜・港の見える丘公園のバラ園、見ごろをやや過ぎてはいたもののバラ「カズエ」は健在だった。以前に植わっていたところから場所は移っていたが、株数も増えていた。
◆この花をめぐっては以前書いたことがある。
★2015年9月26日の拙ブログ<愛の母子像ー1977年9月27日>
⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/188
49年前の秋に横浜市緑区荏田町(現・青葉区荏田北)の米軍機墜落の犠牲となった幼い兄弟二人、そしてその無念を晴らす機会もなく亡くなった若いお母さんにまつわる話だ。
来年の9月27日には50年という節目を迎える。
このバラの名は、そのお母さんの名前を冠したものだということ、知る人もあまりいないかもしれないが、若い人にはぜひ由来を知って、米軍がこの列島の各所、とりわけ沖縄やそれに次ぐ基地県と言って良い神奈川の基地問題の歴史と、現在も課題山積の状況を考える契機にしてほしいと願う。
◆今回は時間もあったので、港の見える丘公園からふらんす山を経て元町へと降りる道を歩くことにした。木立に囲まれたところに「愛の母子像」がある。母・和枝さんの父君・土志田勇さんが鎮魂の思いをこめて建立したものだ。久しぶりに拝んで帰ろうと思ったのである。
この日は像の正面を通る道が竹竿で囲って足止めになっていたため、背面を通ることになった。
こちらから眺めることはあまりなかったように思う。
母子像のまなざしの先には東京湾が広がる。
台座には、これを建立した父君・土志田勇さんの名前と、像を刻んだ山本正道氏の名が誌されている(山下公園の「赤い靴はいてた女の子像」も同氏の作)。
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★来年春から横浜・花博が半年間にわたって開催される。横浜の米軍機墜落からはちょうど50年の年だ。しかもその閉会は9月26日。つまり半世紀前の事故の一日前の日付だと知って、思いついたことがある。
会場の一画を、このゆかりのバラ「カズエ」で埋め尽くし、入場者が花を眺めながら憩い、語らうコーナーも用意する、などというのはどうだろう?
◆花博の会場となる横浜市瀬谷の地は、かつて米軍に接収されていた土地が返還されたものという。半世紀前のあの日、その空の上を、厚木基地を飛び立ったその米機が飛んで行ったかもしれない(方角的には充分ありうることだ)。
平和があって初めて可能な花博に、一つの深い意義を加えてくれる企画ではないかと思うのだが。



