新川和江「存在」[2026年04月12日(Sun)]
オランダガラシ。別名クレソンとも。この名の野草は水のきれいなところに生えているとばかり思っていたが、そうとは言いにくい流れが比較的よどんだあたりに蝟集していた。
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存在 新川和江
陽がさすと
どの子のうしろにも小さな影ができる
わたしのうしろにも
すこし大きい影が
そんな些細なことにも
おどろかされる朝がある
わたしたちは
光と影のけじめに立つべく
この世におくられてきたのだ と
すっくと 立たなければ…
胸を張って 歩かなければ…
ねえ
無心にはしゃぎ回っている子どもたち
コップに コップの影がある
木の腰かけに 木の腰かけの影がある
これは些細なことなんかじゃなく
重大なことなのだと
きわめて神妙に考えこむ朝が ある
郷原宏=選著『ふと口ずさみたくなる日本の名詩』(PHP研究所、2002年より)
◆第二連〈わたしたちは/光と影のけじめに立つべく/この世におくられてきたのだ〉
−−こうした詩句に出会うと、背筋を伸ばさずにいられない。
光の当たる場所だけにいると、影の存在に気づくことはまれだろう。
影の中に埋もれてしまっていると、自分であれ他人であれ、その等身大の大きさを見定めることなど思いつきもしないで生きることになってしまうだろう。
むろん間には無限のグラデーションがある。
光と影を二つながら見つめ、思量する−−そんな朝をずいぶん長いあいだ忘れていたかもしれない。



