茨木のり子「知命」[2026年03月18日(Wed)]
知命 茨木のり子
他のひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う
他のひとがやってきては
こんがらかった糸の束
なんとかしてよ と言う
鋏で切れいと進言するが
肯じない
仕方なく手伝う もそもそと
生きてるよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか それにしてもあんまりな
まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて
ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が添えられたのだ
一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで
『自分の感受性くらい』(花神社、1977年)所収
『茨木のり子集 言の葉2』(ちくま文庫、2010年)に拠った。
◆「知命」は50歳を指す。
そんな自覚もないままとっくにその年齢を過ぎた身には、難題を持ち込まれた覚えはあるが、持ち込んだその主の記憶が薄れてしまっている。
処理すべき問題は応接にいとまなく、あわただしいまま耳順(60歳)も従心(70歳)も過ぎた。
この詩に出会うことで初めて、それら処理して来た事どもに実はさりげなく添えられたやさしい手の数々があったのだ、と教えられる。
では、それらの手の持ち主たちの顔は?と改めて思い出す顔のほとんどが、すでに泉下の客になっていることに気づいて茫然とするのみだ。



