塔和子「記憶」[2026年01月10日(Sat)]
緋寒桜
***
記憶 塔和子
呼び起こそうとすれば
いつでも新しく浮かび上がってくる記憶よ
鼻や目や手が覚えている
古い一枚の画を
再び描き出すのにはなんの苦労もいらない
人に記憶という
こんなすばらしいものを与え給うたものよ
私はその神聖な鏡を
日夜毎夜磨いてくもりないものにする
だからいつでも
目の前に起こっていることのように
鮮明に私の記憶は描き出される
そして
春の日溜まりに
思い出を飼いならしてうずくまっている老人のように
うっとりと
それを眺めて暮らす日の多いこの日頃を
ふっと
考える
塔和子『記憶の川で』(編集工房ノア、1998年)より
◆前回の「記憶の川で」の二種類の記憶で言えば、「覚えておきたいと願う記憶」に春の日差しを当てたような一篇だ。
記憶が画像としてのみ浮かんでくるのでないこと、嗅覚や手ざわりによってまざまざと身体に刻まれていることを知って我々も驚きを覚えることがある。
だが、この詩人にあっては、その記憶が、希少な美術品などよりさらに価値あるものとして、目の前にありありと立ち上がる。
ホコリを払わないと輝きが現れない骨董などでなく、いつでも魔法のようにくもりない姿で目の前に現前させることができる。
母の顔やにおい、きょうだいの肌の感触、友の声――それらかけがえのない記憶をくもりなく思い出せるように、どんなに心をこめて記憶という鏡を丹念に磨き上げてきたことだろう。



