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塔和子「無」[2026年01月08日(Thu)]

DSCN4005.JPG

寒さのなか、身をすくめているが、ストックの花らしい。

* * *


無   塔和子


手のひらをひらくとなんにもない
無いことは無限に所有する可能性をもつことだ
幸も
不幸もこの手がつかむ
いつも
無にしていよう
無にしている手の中へは宇宙の翼
もっとも大きな喜びが乗る
私は無から生まれた
だから無はふるさと
いつもはじまるところ
朝の光よ瞬間瞬間の生の切り口よ天に吊るした希いよ
私が
手のひらをいつまでも無にしているのは
あなた達のため
ああそして
私の手のひらは生きるよろこびでひとときふるえ
すべてを無にして
また差し出すのだ


 『記憶の川で』(編集工房ノア、1998年)より 

◆「無はふるさと/いつもはじまるところ」という一節に寛やかなこころを手渡される思いがする。

以前引いた詩にも
〈思い出と/希望の谷間の深い無〉
という寸句があって驚いたことがある。
塔和子「かずならぬ日に」
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/2489

◆「無いこと」は「無限に所有する可能性をもつことだ」という。
それは「朝の光」や花たちに教わったものだろう。
だから、「所有すること」でなく「所有する可能性をもつこと」で十分なのだ。
明るく暖かな空気や美しい花が与えてくれる「生きるよろこび」にひとときでいい、心がふるえること――それだけで人は無限の可能性の前に立つことができる。

そのような素朴な原点は、同時に、向かうべき無限の彼方の一点でもある。
だから「すべてを無にして」その手のひらを「差し出す」ことができる。

差し出された「手のひら」はきっと失せない輝きを帯びて他の誰かに再び「生きるよろこび」をもたらすだろう。

「無」はゴールドでもパワーでもプライドのようなこせついたものではない。
それらのすべてとは全く別の「かけがえのないもの」の謂いである。




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