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杉本真維子「馬に乗るまで」[2026年01月01日(Thu)]

◆午年にちなんだ詩はないか探したら、二冊目に手に取った詩集に在った。
季節も冬。
拍子抜けするほどすぐにみつかった。とは言うものの、内容はけっこう端倪すべからざる一篇だ。
めでたい詩というわけではなく、実は得体の知れないものたちが動いているようだ。
こうした新年の始まりも悪くない。


馬に乗るまで  杉本真維子(すぎもと まいこ)


馬に乗るまでのあいだ、
バケツに水を入れて、雑巾を用意し、
林檎二つ、箒とちりとりも持ってきた
ブーツを巾着にいれ、肩から提げて、
自転車に乗っていそぐ。
うるんだ目に尋ねるときは、
こちらの目もひかり、
背を撫でて、呼吸をあわせ、
朝の体調を測る。

(うううん、
首を、横に振っているのに
視線は逸らさないから
冬の狼狽はストーブでも暖まらず、
しばらく、簡易イスに腰掛けて、
行きかうひとを眺めた

火でゆらぐ空気が
わたしを蓋って
一つの心臓でうごく
巨大な空間のまま、厩舎を出た、

ここにいるのか?

手を胸に当て
亡き人たちがよぎる瞼を
いない馬が舐める


  『皆神山(みなかみやま)(思潮社、2023年)より

◆馬に乗りに行く、というのだから単に厩舎の仕事をしているわけではなさそうだ。
――「馬に乗る」というのに、そのために「自転車で乗って」と向かうというのが可笑しい。
ただ、「バケツに水を入れて」自転車に乗っていそぐみたいに読めるのは、良く考えれば妙なのである。

◆第二連、「冬の狼狽」は良く分からない。
馬の真意をつかみかねて困惑している「わたし」のことか、さもなければ「狼狽」は元々の意味通り「狼」「狽」という、常に対として行動し、離れれば共に倒れてしまうもの同士を指し、そのような馬と「わたし」との関係の比喩であるのかも知れない。

そう考えてくると、第三連、「一つの心臓」は、「馬」と「わたし」が一体の状態に至ったことを表しているように思える。
「遠野物語」のオシラサマ伝説が立ちのぼる気配もある)

「ここにいるのか?」――これは目に見えないものに向けた問いであろう。「わたし」が異界のものたちに語りかけているのか、それとも「行きかうひとたち」は、実は「亡きひとたち」で、「馬に乗る」とは彼らの世界に旅することであるのかも知れない。
それが還ることを約束されているのかどうかは分からない。
ただ、「わたし」同行二人「馬」が常に一緒であることは確かだ。





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