長田弘「いちばん静かな秋」[2025年11月16日(Sun)]
いちばん静かな秋 長田弘
石一つ一つ。木々の梢一つ一つ。
雲一つ一つ。水の光一つ一つ。
およそ、もののかたちの輪郭の
一つ一つが、隅々までも
くっきりと見えてくる。
そんな朝がきたら、
今年も秋がきたのだと知れる。
一つ一つがおそろしいほど精細な
すべての、かけらの、
いっさい間然するところない
集合が、秋なのだ。一つ一つの
うつくしいかけらがつくる秋のうつくしさ。
もしも誰かに、平和とは何か訊かれたら、
秋のうつくしさ、と答えたい。
かけら(Piece)と平和(Peace)とは、
おなじなのである。ピース(pí:s)。
おなじ音、おなじ響き、おなじくぐもり。
ことばには、いまでも、
神々の息の痕がそのままのこっている。
時は秋、日は真昼、大気澄み、
紅葉(もみじ)色づき、百舌(もず)鳴きて、
神々そらに知らしめし、
すべて世は事もなし。
かつてはそういう時代もあったのだ。
けれども、いまは、すべてが
ただ、束の間のうちに過ぎてゆく。
人の世の平和とは何だろうかと考える。
終日、シューベルトの「冬の旅」を聴く。
ああ、空がこれほど穏やかだとは!
ああ、世がこれほど明るいとは!
『奇跡 ー ミラクル ー 』(みすず書房2013年)より
◆詩集名にふさわしく、思いをひそめて季節のただ中に在ることを全身で感じるとき、心は広やかに開かれているのが望ましい。
一つ一つのかけらが美しさをたたえているように、一人一人の人間も、ちがいを無視されることなく精妙ないのちとして遇されること、そんな当たり前のことが行われている世でありますように。
◆シューベルトの『冬の旅』、こんな夜だったら、誰の歌声が良いだろう?



