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朝ドラ『チョッちゃん』頼介の遺骨[2025年10月13日(Mon)]

◆朝ドラ「チョッちゃん」の再放送の終盤、神谷先生(役所広司)と妻・安乃(貝ますみ)がチョッちゃんたちの疎開先・諏訪ノ平(青森県)で再会するシーンがあった。
沈んだ表情の二人は風呂敷包みを抱えていたが、それは安乃の兄・頼介(杉本哲太)の遺骨だった。フィリピン(ルソン島、と言っていたように思う)で8月6日に戦死したという。安乃たちはそれを故郷・北海道の滝川に納めるために向かう途中に、チョッちゃんたちの所に立ち寄ったのだった。
妹思いで一徹だった頼介の死を誰もが悲しむ中、チョッちゃんの母・みさ(由紀さおり)のことばが胸にしみた。

◆みさは、白い布にくるまれた骨箱を手にし、それをさすりながら語りかけるのだが、その姿を見てふと気になった――あの骨箱には遺骨が入っていたのかどうか、という点だ。

遺骨として家族のもとに届いた骨箱の中味は戦死者の名を書いた紙切れと石ころだけだった、という例が多かったと聞く。とすれば、ドラマでも、骨箱を手にした時の思いがけない軽さがみさのしぐさに表わされてもいいのだが、画面ではそのような感じはなかった。さりとて、遺骨が収められていて一定の重さがあるようにも見えなかった。

役者さんの演技評をしているのではない。俳優・脚本家・演出家の総意としては中味はお骨・紙切れ・石ころ、のいずれだとイメージしていたのだろう、というのが気になったのだ。
(セリフもナレーションも、どちらなのか確定させる説明はなく、遺骨を故郷に収める、ということしか語られていなかった。)
そのシーンを思い出そうとするが、はっきりしない。演技が中途半端だったというのとも違う。
ドラマとしては中味の説明をしないで、遺骨の有無は見る者の想像に委ねることにしたのかも知れない。
その場合でも役者さんはいずれかに決めて撮影に臨んだだろうけれど、映像には、予め決しておいたことを超えて役者さんの内側からにじみ出るものを含み、解釈に幅を生じうるものとして記録されたのではないか、という気がしてならない。

◆私事を記すと、やはりルソン島で戦死した我が伯父の場合、骨は還って来なかったと聞いている。そうした私的事情もあって、ドラマとはいえ、遺骨の有無は気になるところだ。

もし頼介の遺骨が幸運にも帰還したのだとすると、それは、彼が志願兵(陸軍歩兵)であることと関係するのか。
さらには、マニラ陥落(1945年3月)から数ヶ月も過ぎ、欠乏の極みの持久戦を強いられていた状況で8月6日に戦死した一兵士、その遺骨が収容され、帰国するにはいかなる好条件が揃ったのだろう……などと、ドラマであることを忘れて考えてしまうのだ。

※ドラマ「チョッちゃん」ではヒロインの親友・邦子(宮崎萬純)の夫・大川の戦死も描かれていた。彼の場合、妻のもとに届いたのは血に染まった日の丸の旗と女優時代の邦子の写真だけだった。

***

◆『チョッちゃん』は昭和の終わり近く、1987年の放送。戦争の時代を取り上げても、国内の銃後の人々の苦難が話の中心とならざるを得なかったことが改めてわかる。
その点で、先日終了した『あんぱん』が、戦地の兵士たちの飢えに苦しむ姿や日本軍の加害責任をも描いたこと、戦時下の教育による愛国精神の注入や同調圧力をも繰り返し描いたことは特筆される。







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