三好豊一郎「夕映」[2025年09月28日(Sun)]
夕映 三好豊一郎
夕映の そこに何の秘密があるか?
黒い小さな一羽の鳥が
一日の希望の名残り 夕映の残照を身にあびて
高く遠く 雲の峡(はざま)を越えてゆく
空気はつめたく澄んでいる
そのあえぐ喙までがはっきりと見えるほど・・・
睡りに落ちるまえのひととき 私は想い描く
かなしいまでに美しい今日の夕映を
熱い瞼(まぶた)の裏を暗転する地球のうえで
みもだえる一羽の小さな鳥影を
血を吐きながら わなないて
わななきながら 咳込んで
天と地の間(あわい) 金と緑のもえあがる夕映の水に落とす
脱出の苦悩の影を
――それはだんだんに遠ざかる 意識から
夢と現(うつつ)のいりまじる茜の映えを追いながら
やがて私は沈んでゆく
睡眠の暗い底へ・・・
*「喙」…くちばし
現代詩文庫『三好豊一郎詩集』(思潮社、1970年)より
◆三好豊一郎(1920-1992)の第一詩集『囚人』(1949)の一篇。
◆「黒い小さな一羽の鳥」は希望の象徴だろう。だが、それは自由や解放の喜びを未だ実現していない。
それどころか、苦しみと絶望の世界から脱出しようとして傷つき、「血を吐きながら わなな」き「咳込んで」身を震わせている。
その小さな姿は「かなしいまでに美しい」夕映えの中、燃え尽きようとするかのように身もだえして飛んでいる。
◆こうした詩に出会うと、敗戦後80年が喧伝されながら、ガザやウクライナ、スーダンへの関心がすっかり薄れてしまっているのは、記憶の継承どころか、戦争体験をひたすら忘れようとしてきたせいなのではないかと思われてくる。
詩は観想のまどろみに沈んでゆくように見せながら、実際は、癒しようもなく深い傷を抱えたまま、濃さを増す闇に血の滲んだ目を向け続けてゆくのではないか。
我もまた、この詩によってかさぶたを引き剥がし、上空の冷たい風や、足もとにひた寄せる塩水に傷口をさらして、痛みに目を大きく見開くことから始めなければ。



